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自由意思はある?ない?

papur-snowの回答

回答No.7

 ・あります。ひとりで部屋にいるとき。それも、妄想に身を任せられるとき。   ただ、人間は「社会」の中で暮らしていますから、少しでも「社会」を   考えると、その自由はすぐに消えてしまいます。   妄想が壊れると、自由も同時に壊れます。   幼児は「社会」性をあまりわかっていないし、もってもいないので、   年上からみると発言や表現力に自由さを感じますが、それは、知らないだけ。   無知が理由です。  ・自分ひとり、他人との接触や、他のモノとのかかわりが薄いところでのみの   自由意志ですね。自分の部屋にひとりでいても、他人とのかかわりや、   モノとのかかわりを考えているときは自由さは感じられません。   また、自分の精神を解放できない人、部屋の家具を意識するとき   家に縛られ、家具に縛られ、家族に縛られますから、自由は感じられないでしょう。   ただ、「はだかになりたい」と思えば、誰も見ていないなら平気ですから、なれます。   でもこれも自分自身が「冷静な判断」を自分に向けたとき、壊れてしまうことはあります。   想像をめぐらし、妄想を楽しむのは、ひとりでいるからですね。  ・人は揺れ動いている生き物です。心も「ころころ変わるのでココロ」と名づけられたように、   変化するのが当たり前です。人前で、自分の行動や発言が発表できないことも、   恋をなかなか告白できないこともあります。家族、学校、友人、会社など、自分の存在が   小さくて、自己主張しようにもできなく、自由に振舞えないことも多いものです。   でも、これは、「自由がない」からではありません。「人間社会」で生きているからであり、   人間社会の中で生きると決めた人の「セルフガード」、「安全装置」と言えるでしょう。   宇宙も引力をはじめ、いろいろな法則で動いています。もし「月」が、もうここはイヤだ!   違うところに行きたい、月でいたくない! 太陽になるんだ! と自由意志のままに   行動すると、引力は壊れ、大きな太陽に吸い込まれて自滅するでしょう。月を飲みこみ   太陽も無事ではないでしょう。肥大して爆発する時期をはやめるかもしれません。   今の自分を否定して、決断的に行動するのが、ルールの中に生きるものの「自由」では   ないことがわかります。自由というより、「破滅」ですね。  ・快適に過ごせて、飲食・睡眠にも不満が出ない「おひとり様無人島」に行っても、からだは   本人の自由意志に逆らって、成長するし年もとります。病気にもなります。   一時的に自由を獲得したように見えても、結局は「自殺行為」になってしまいます。   地球は超スピードで回転する物体です。でも、走っている電車の中で飛び上がっても   同じところに落ちるだけ。   もし、飛び上がったり、飛び降りたりしたとき、空中にいる自由な時間中   家や道路やビルは動きますから、飛んでいる人は激突してつぶれるでしょうね。   同じところに落ちてくる・・・これも、不自由というより、人を守る安全装置になっています。  ・最後に、文字遊びをしているように思われるかもしれませんが、あなたの書かれたことは   いつでも実行可能なのです。   『人間が自由に考え、自由に選択し、自由に行動する』ことは、いつだって出来るのです。   ただ、「人間が自由に考え、自由に選択し、自由に行動」しようと動き出すまでは、その通り   『自由』です。「自分の部屋で、オレは自由だ、選択できる、自由に行動できる」と一歩   動き出したときに『もう終わっている自由』なのです。  ・ただ、限界というものは、他人や社会が決めていることですし、   あなたならそれを越えられるかもしれません。限界までなら挑戦できる自由、   それを選択できる自由、行動できる自由があります。   運命や現実は簡単に変えられませんが、今の自分なら変えられます。   勇気のない自分に少し勇気を持たせたり、憎んで当然の誰かをゆるしたり、   くちびるをかみしめるところで少しほほ笑んでみたり、少しだけ、   今日の自分を明日変えてみようと思ったりならできるのです。  ・いろいろ書きました。少しは参考になるとうれしいのですが。   あなたの明日にステキなことがありますように。

SexyAkeko
質問者

お礼

まぁ、そこそこ幸せ&不幸せですよ。 ありがとうございました。

SexyAkeko
質問者

補足

うむー、自由意志がないことに否定的?かなー、と感じたのですが、私はそうではないと思います。 例え自由意志がないとしても、そこには幸せがあると思うんですよ。 自分で得たと錯覚している砂糖も、甘いことには代わりがないので。 >今日の自分を明日変えてみようと と思うのは、それがきっかけで、影響であり、見た人の進む方向を少し変えるかもしれません。 ただ、そこに至る過程と、どういうふうに影響され、進むのかには、選択権がないと思うのですが。

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