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好景気の頃の求人って?
世の中、景気の低迷からか仕事内容・待遇ともに希望の求人を目にするのは皆無に等しく、ため息しか出ない毎日です。 それは求職者の方はもちろん、現在在職中で職安などを利用してない方でもなんとなく想像はつくと思います。 そこで、ちょっと疑問に思ったのですが、不景気の現在 上記のように働きたくても働く場所が少ない(ない)という状態ですが、高度経済成長末からバブル期頃(80年から90年中頃)の求人って好条件・好待遇の求人が、それこそ「馬に喰わせる」ほど溢れてたのですか? どこの会社も景気が良く、離職者は稀で職安はガラガラ、聞けば誰もが知ってる大手の会社からの求人に溢れ、電話帳のようにブ厚い求人誌は週に3回も創刊、条件欄に「未経験者大歓迎」の文字が躍り、面接の予約を入れた時点で採用決定なんて・・・まぁ、イメージですけど。 別に、現実逃避したいわけではありませんが、どうなのかなぁ?と思いまして。 実際のところ、どうだったのでしょう?意外と今より多少、数・質が良かったくらいですか?
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- ko-pooh
- ベストアンサー率9% (274/2999)
平成4年くらいまでは、いつでも転職OK とりあえずどこかしら正社員として働くことは そんなに大変なことではなかったかと思います。 例えば面接を受けに行った時にかかる 交通費往復支給、中には昼食を食べさせに行ってくれた 企業もありました。 いまではかんがえられませんね、、、。
- sakikumo
- ベストアンサー率26% (36/138)
「宣伝会議」という広告屋が読む月刊誌があります。 バブルの頃の特集で印象的だったのは 「こびる、おもねる、求人広告」という タイトルでした。 たしかに求人広告の内容はその通りで、 課長以上の役職者全員に高級車(シーマ)を プレゼントした実績や、 海外社員旅行の様子をレポートした記事などが あふれていました。 当時、一流大学の理系の学生に届く印刷物は、 R社からだけで身長を超えるといわれていました。 ただ、当時採用されて「使えなかった人材」は、 現在、悲惨な目にあっている場合も 多いということです。
お礼
お返事ありがとうございます。 えっー!?CIMAって「プレゼント」するものだったんだ? >当時、一流大学の理系の学生に届く印刷物はR社から・・・ 私も理系ですけど、R社どころか全社合わせても、足の甲にすら届かなかったような・・・というか、来たっけ?って感じです。 そういえば、私の会社の工場長も当時のボーナスは「ボーナスの封筒を2つに折り曲げても端と端がくっ付かないくらいブ厚くて(机の上に)立った」と言ってましたね。 当時は、これが「普通」だったのですね。 ありがとうございました。
- assamtea
- ベストアンサー率57% (203/353)
こんにちは。私は#1さんよりも少し年上ですが、バブル絶頂の頃 に学生をやっていました。 jijioさんは、いま学生さんですか? 今思えば、平成3年頃からは、徐々に採用状況は悪くなりましたが 平成5年頃までは、まだまだいい状況だったと思います。 バブル絶頂の時は、青田刈りと言われるように、大学4年になって から採用をしていたのでは、いい人は他企業に取られてしまうと言 うことで、卒業生が大学に行って3年生のうちにつばを付けて、正 式に就職活動解禁になると、他企業に逃げられないように研修と称 して海外に連れて行き、他に回れないようにする会社もありました。 私の行っていた大学では、1人あたりの求人が50倍を超えていて 選び放題でした。私は大学院に進学しましたが、それでもその授業 料を会社が出すから、卒業したら来てくれと言う話も多くありまし た。(3年以上働けば返してくれなくていいと) 就職してからも、会社の方から卒業大学に2回以上就職活動に行っ て来いと話があり、各科の卒業生が大学に行って、後輩を料亭に連 れて行ってうちの会社に来ないかとかしていましたね。 私自身も学生の時には、卒業生の方に色々と連れて行ってもらいま した。当然、そうした費用は会社から経費として出ていました。 当時は、ほとんどの会社から大学の方にリクルートに来ていたと思 いますが、平成8年頃からそうした話も聞かなくなりました。 バブルの頃は、失業率とかハローワークの様子などもニュースになる 事が無かったのでどういった状況だったのか分かりませんが、少な くとも若者が職探しに行く場所という認識はありませんでした。 今思えば、バブルの頃は狂っていましたよ。とある業界でバイトし ていましたが、数字があるラインを超えると毎日、数十万円の報奨 金みたいな物が出て、何に使おうかと話をしているのを覚えています。 世界的に見れば、今の日本が普通と言えるのかもしれませんね。 ただ、今は不況だみたいな風潮が支配しているのか、過去と比べて しまって学生さんも悲観しているのか分かりませんが、バイタリティ のある新入社員は少ないように感じます。 今は、年功序列の社会から、海外のように能力を重視するように会 社も試行錯誤している時期なので、色々な弊害が出ている事は確か ですし、どの方向が日本として良いかは難しいですが、この流れは 止めることが出来ないでしょうから、もし今学生さんならば、自分 に自信が持てるように磨いて置いてください。
お礼
お返事ありがとうございます。 あははは・・・!すっっっげぇー! 私は#1さんより若干年下くらいなんですけど、バブル期は高校生でした。しかも私が進学した大学は、私が1期生なものでして、先輩が料亭で・・・大学院の学費を・・・なんてのを見たり聞いたりする機会がなく、また自分が就活してた頃はバブルもはじけてしまっていたのでそのような経験もなく、assamteaさんの文章読んでても、なんかテレビの中の話のように感じますね。 >世界的に見れば、今の日本が普通と言えるのかも・・・ 私もそう思うときがあります。 あの頃は、戦後の高度経済成長の熱が冷めないうちからバブル期に突入し大量製造、大量消費の恩恵を受け「日本」というブランドを築いてましたからね。 あの頃と今を比較したってダメなんだと・・・。 ありがとうございました。
- ainkun
- ベストアンサー率17% (18/103)
おはようございます。 わたしの経験談で恐縮ですが... 現在35歳で、高校を卒業して初めての就職は東京の品川でアパレル関係の仕事をしていました。当時、バブル真っ只中でしたね~(懐かしい。初任給は日割りで8万程度。翌年の基本給は24万くらいで賞与は3.5ほどでした。お金の使い方もよく知らない高卒の若造だったので(笑はっきり言って十分貯蓄できました。 昇給は1年に1回必ず、交通費全額支給、住宅手当3万などなど今考えれば夢のような現実でした。 今と比べてみれば金銭的に余裕はあったものの、わたしは今の時代も決してイヤに時代ではないと感じます。就職難、低賃金は当たり前の時代と言われてますから、そこから飛び出せる力量は年齢に関係なく必要なのではないでしょうか? あのような時代に子育てを終わらせたかったなぁとつくづく思いますよ(笑
お礼
早速のお返事ありがとうございます。 アパレル業界の相場などは分かりませんが、客観的に見てもいい待遇だったんですね。ましてや、当時のアパレル業界であれば、更に翌年にはもっと給料なんかも上がったのではないですか? >そこから飛び出せる力量は年齢に関係なく・・・ そうですね。時代の流れで年功序列もなくなりつつある昨今、勝組み・負組みに分けられるようになった以上、何もかもが今までどおりではいけないでしょうね。 ありがとうございました。
お礼
お返事ありがとうございます。 >いつでも転職OK とりあえずどこかしら・・・ いつでも転職OKですか?考えられないですね。今じゃ、いつでも退職OKですもんね。 >交通費往復支給、中には昼食を食べさせに・・・ あっ!私も新卒の就活のとき喫茶店でコーヒーおごってもらったこと思い出しました!だけど、♯2の方は料亭とか大学院の学費とか・・・もしかして、すっっっごい高いコーヒーだったのかなぁ? >いまではかんがえられませんね 現実逃避してしまいそうな自分が怖いです・・・。 ありがとうございました。