- ベストアンサー
母の愛と仏の愛はどちらが強いか
mmkyの回答
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
母の愛と仏の愛はどちらが強いか 母の愛が強いはずである。 ○hitonomichi23さんはアルケーの愛と母の愛とどちらが強いと思ってるのでしょうかね? やはり見えないアルケーより母の愛の方が強いのですかね。アルケーはただ「ある」だけの存在ですかね。 私は仏の愛の方が生みの母の愛より強いですね。生みのは母は肉体の母でしかありませんね。私の精神の生みの親は仏ですから、仏の方が強いのですね。両親には産み育てて頂いた深い深い恩はありますが、恩は転生輪廻の過程でお返しすればいいだけのことですね。 肉体の私は永遠に存在するものでもありませんし、私自身ではありませんのでね。 永遠に存在する私の心は仏の心の一部ですから強い愛、慈悲を感じますね。 霊的な自分が強くなると人間的、いや動物的な感情は減ってきますね。アルケーでは、そんなのないのかな。
関連するQ&A
- 神様仏様なんていないのでは?
こんにちは 私は神様や仏様はいないと思っています。 なぜなら、真面目に生きている人が悲惨な死に方をしたり、悪い事をしている人がのうのうと生きているからです。 若し神様や仏様がいたとしたら、このような事は起きないはずです。 皆さんは、神様や仏様の存在を信じていますか?。
- ベストアンサー
- アンケート
- 仏丹竹について
私の母が、仏丹竹(ぼったんちく)の情報(育て方・生育環境)を知りたいと言っています。 そこで竹に関するサイトを調べてみたのですが、仏丹竹について何も分かりませんでした。 なお類似した名前の仏面竹の写真を母に見せましたが、 「微妙に違う気がする」との事です。 「仏丹竹」という名前で売られているけれど、学名は別にあるのかもしれません。 もしご存知の方がいましたら、仏丹竹について教えて頂ければ幸いです。 宜しくお願い致します。
- ベストアンサー
- 園芸・ガーデニング・観葉植物
- 仏と罰は関係あるのか?
罪や悪に対して、その因果が解る人は、何であれ心の奥では「許しているはず」ですよね。それだけの長い因果の末に、そういう心となり悪を犯してしまったのですから。 ところが宗教では、その歴史の過程で「道徳を権威づける役割」があったためか、子供を叱るためにおどすように、なんと神とか仏のようにすべての因果を理解しているような存在が、例えば最後の審判などといった裁きと悪への罰というその主催者として描かれています。 本来キリストも仏陀も、最終的に説こうとしたところの愛や慈悲の世界においては、過去のすべては許して未来のその教育の力を信じる道だったはず。 《罰と仏とは無関係。単なる子供扱いした時の方便でしかない。》 私自身はそう思います。 もう一度このへん、哲学からの宗教改革が必要な時代になっていると私は思うのですが、みなさんはそのへんどうお考えでしょうか。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 仏というのは何ですか?
タイトルの通りです。仏教を信じている人にお聞きします。仏っていったいなんですか?わかるように説明していただけませんか?それから、自分が死ぬまで仏になれるかどうかはわからないのですよね。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
お礼
アルケーの教え アルケーは人は皆自分の心を大切にせよとゆーております。 そして自分を愛するものを愛せとゆーております。 感じることの出来ぬものに愛はないともゆーております。 それが自然界の掟、宇宙の法則であるとゆーておるのです。 あ~、アルケー。