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麻耶夫人について、またその残したもの

ブッダを生み、短い間だけの母親であったと言われている麻耶夫人について 皆さんはどう思われますか。 一人の女性として見てみたいと思います。 知っていることも含めて教えてください。 また、そこから人間ブッダというものも見てみたいと思います。 母を、母とも知らず死別した一人の人間としてのブッダです。 ちなみに 私は、若い頃でしたが、母に連れられて、お産で亡くなった方の供養の流れ潅頂というものに立ち会った事があります。 母親としての幸せを得ることができなかった女性への供養であったと思います。 その事がこの質問の原点です。

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  • mmky
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回答No.3

追伸: >天界に転生したとされる麻耶夫人に説法をしたといわれていますが そのへんはどうなんでしょうね。 ○釈尊は「天上天下唯我独尊」と言われたとおり、地上でも天界でも最高の仏陀、至高の存在なのですね。 至高の存在の知恵は、菩薩や如来も学びたいのですね。至高の存在の前にはすべてが聴聞ですね。 釈尊が天界に赴き、麻耶夫人に説法したことは本当のことですよ。 >木蓮尊者の施餓鬼供養の話もありますが 実際のところは分からない ○これも本当にあったことですよ。木蓮の修行が進み、神通力を持った頃、なくなった母親の近況が知りたくて霊界を覗いてみたのですね。残念ながら、母親は生前の業で地獄で苦しんでいたのですね。まあ、女性が陥りやすい悪業と言えば、嫉妬でしょうかね。 そこで、木蓮は釈尊に「どのようにしたら母を成仏できるか」についてお伺いを立てるのですね。 釈尊は、悟りの光を手向けることにより、反省を促すことで成仏出来るといったのですね。 これが、回向の意味ですね。 これには説明が必要ですね。地獄にいるほとんどの人は自分を責めているのです。自分を責めるあまり思考停止状態なのです。そこに、悟りの光、つまり仏の光を手向けると我に戻るということなのです。我に戻って素直になった時に、こういうところが悪かったのですよ、そのあたりをしっかり反省しなさいと教えるのですね。全ての結果は自己責任ですから、自分で反省しない限り成仏できないのですね。 この話の中に何故、釈尊がバラモンの供養では救われないと教えたかの真の意味があるのですね。 現代の葬式仏教が釈迦仏教でないことがわかるでしょうかね。死者に説法をして間違いがあれば反省を促すことが本当の意味の供養なのですね。天界に生まれるような人に供養はいらないのですね。 供養を必要とする坊さんや、人が死者を供養すれば、いつまでたっても成仏できないのですね。 >分かっているのは 死者への供養の心が生きている者に振り向けられるという事実です。 回向とは 残された者のためにあってこそ回向なのかもしれません ○残されたものの悲しみは釈尊も分かっていたのですね。でも「諸行無常」は生きとし生けるもの全てに平等に訪れるのですね。自分だけではないのですね。子を失くした母が、なんとか生き返らせて欲しいと釈尊に頼んだとき、釈尊は死人の出ていない家から辛ダネをもらってくれば生き返らせましょうといい、母親が探しても徒労に終わったという逸話があるとおりですね。 釈迦仏教は不死の霊界があるから完結する教えですね。 釈迦仏教の真理は不滅の真理ですから、学んで欲しいですね。

noname#189751
質問者

お礼

幾度もありがとうございます。 前述の如く 六道の住人に対する説法や供養というものですが それは同時に救済であった いや 救済がそのまま説法であったかもしれないと思うのです。 ちょっと回り道ですが 施餓鬼会のように回向という間接的救済の場合には 仏の徳に託すわけですが これは 仏様にお願いします という頼みっ放しの他力でもあります 僧や仏への供養の徳を死者に振り向けるという筋書きなのですが (僧や仏への)信心のない形だけの供養が伝わるものなのかは疑問です 私は以前に 浄土宗の菩提寺の施餓鬼会に行きましたが その時に驚いたのは 沢山の僧侶が仏様に向かって言う言葉は 南無阿弥陀仏をはじめとする経文や讃嘆の言葉ですが 仏様に背を向けて参列者に向かって言う言葉は すべて真言であったことです。 浄土宗は念仏だけの教えだと思っていたので 以外なことに驚いてしまいました これは仏から人への言葉、説法というものが真言であることを意味しているのでしょうが どうも それだけではなさそうです 真言という如来語が参列者に振り向けられるということは 生きている私達の内の餓鬼への説法でもあったようです 施餓鬼会の本質は 仏の徳が死者に限らない救済であるようにも思います。 だが 残念ながら その時の私には伝わりませんでした ありがたく真言をいただくことができませんでした それは信心の欠落によるものだったと思っています。 供養法としては明確でありながらも 信心の有無によって救済面の効果がまったく変わってしまうのでしょう。 直ちに天に昇るか、馬の耳に念仏(真言)かは信心によるのでしょう。 供養と救済の同一性 またそれらと信心との関係に疑問をもった体験でした。 >釈尊が天界に赴き、麻耶夫人に説法したことは本当のことですよ。 さて どうでしょう 釈尊の説法が天にも届くものであった かもしれません 天界を知るほどの境地の高い弟子達のみぞ知る ことだったような気がします 弟子達はその説法を共に聞いていたのかもしれません 下すな言い方をすれば やっと親孝行に行ったか 立派になってよかった というところです 親孝行の言葉はどんなだったでしょうか 生んでくれてありがとう だったかもしれない お大師さんが御母堂を迎えに行ったときも そんなだったかな・・・ などと思ってしまいます。 母との再会の涙 聖者には相応しくない そんなことはないと思います。

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  • mmky
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回答No.2

>王妃であった麻耶夫人は その死後においても手厚く供養されていたと思いますが 実際どのようだったのでしょう。 ○宗教的には当時、バラモン教しかありませんね。バラモン教は祭壇を設けお供え物をし、供養していますから現在の葬式や供養の仕方に近いものがあったのではないでしょうか。お盆の送り火も元はバラモン教のようですから、さほど現代と違わなかったのではないでしょうかね。 歴史の皮肉ですね。ゴータマはブッダになってバラモンの供養を否定していますし、バラモンの中の拝火教も否定してますね。仏教がインドから中国に渡り、道教の葬式、祭式文化に染まり、日本にもたらされたので葬式供養があると言われていますが、バラモン教も同じようなものだったのですね。仏典には釈尊がバラモン教の祭壇供養では苦の転生から逃れることはできない批判してますからね。 まあ、現代の葬式仏教はバラモン教の供養に近い考えていいんじゃないでしょうか。釈迦如来入滅後、2500年も経つと同じことが繰り返されるということですね。 釈尊がバラモンの供養を否定したから、バラモンの司祭の仕事がなくなって嫌われたのですね。 釈尊がブッダになり仏教が広まったので、麻耶夫人の終焉の地、ルンビニは、仏陀生誕の地となり大いなる聖地となったわけですから、あの世の麻耶夫人も幸福だったのではないでしょうかね。 それから、釈尊が実母の麻耶夫人を供養したという記述はないですね。特に供養はしてませんね。これは、釈尊が、麻耶夫人は生まれる前も、ゴータマを産み落とした死後も女性では最高の菩薩ですから、単に仏陀を産み落とす役を演じただけということを知っていたからですね。供養する必要のないものですね。

noname#189751
質問者

お礼

ありがとうございます。 >さほど現代と違わなかったのではないでしょうかね。 麻耶夫人は王妃であったので たぶん国葬の扱いだったと思います。 厳粛に且つ盛大に取り行われた事と思います。 しかし その供養の方法においては さてどうだったのでしょう 仰るように さほど現代と違わなかったかもしれませんね ただここで 引っ掛かるのは お産によって亡くなったという悲劇がもたらした 周囲への影響です それは 近親者や一族の範囲を超えたものであったのではないかという事です つまり 一般大衆にまで及ぶ祈りがそこにはあったかもしれないのです 麻耶夫人への冥福の祈りは ゴータマという一人の人間に向けられてゆく 階級や差別を超えた祈りが そこにあったかもしれないのです もし ですが ゴータマが 身分の低い貧しい人から 心を込めた祈りに似たものを受けた事があったとしたら どうなんでしょう 縁もゆかりも無い人から 深い優しさをいただいたことがあったとしたら どうなんでしょう 後年の 差別を超えた説法は そのお返しだったかもしれない 少なくとも 平等に人を見ることができた背景には そうした事が少なからずあったように思えるのです こうした 悲劇がもたらす普遍的な祈りからブッダは現れた と見ることもできると思います。 私がそのように考えてしまうのは 前に述べたように 若い頃に母の流れ潅頂の供養に立ち会ったからです それは 見ず知らずの人がお産で亡くなった方の冥福を祈る というものでした 詳細は割愛しますが その時に印象に残ったのは じっと手を合せて祈る母の姿でした まったく知らない女性のことを祈る姿に 何かしら特別な 女性だけの世界があるような感じがしたものです 私も 母の真似事をしてみました 川の水を柄杓で汲んで白い布にかけて手を合せました けれども まったく心が入りませんでした お産で亡くなるという 女性にとってこれ以上ない悲劇が 縁もゆかりもない人の祈りを生むのです 振り返ってみてそうではなかったかと思います。 麻耶夫人においても同じだったのではないでしょうか また、麻耶夫人への供養と共に あり余る祈りを受けてゴータマは育ったと思います。 その祈りが 後年のゴータマの生きざまに反映しているようにも思います。 >釈尊が実母の麻耶夫人を供養したという記述はないですね。 天界に転生したとされる麻耶夫人に説法をしたといわれていますが そのへんはどうなんでしょうね 木蓮尊者の施餓鬼供養の話もありますが 実際のところは分からない 分かっているのは 死者への供養の心が生きている者に振り向けられるという事実です。 回向とは 残された者のためにあってこそ回向なのかもしれません そんなところです。 また何かあったら教えてください。

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  • mmky
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回答No.1

麻耶夫人について、またその残したもの ○麻耶夫人はゴータマ・シッダッタを産み、産後のひだちが悪く7日後になくなったと言われています。 ゴータマを育てたのは麻耶夫人の妹であるマハー・プラジャパティーが後妻となって育てたのですね。 このことはゴータマ出家の大きな要因の一つですね。 少年、ゴータマの心に大きな悩みを作ったことは想像できますね。 また、育ての母に子供ができ、異母兄弟がいれば、長男とはいえ、言うに言えないものがありますね。 ゴータマが出家に踏み切った思いは、「生老病死」は何故あるのかが知りたかったが故と言われていますが、実母、麻耶夫人の死が心の根元にあったと思われますね。ゴータマは結婚し後継、ラーフラもできたので、出家するのですが、残された子は父を失うことになるのですね。このあたりは常識的には悲劇ですね。 その後、菩提樹下で、解脱して「生老病死」の意味をお悟りになるのですね。 ブッダの弟子になれば「生老病死」の恐怖から解き放たれるということで、ブッダは、子のラーフラを弟子にし、義母プラジャパティーを女性弟子にしていますからブッダとして責任は全うされたということですね。 さて、本題に戻って、麻耶夫人の残したものは、ゴータマ・シッダッタを産み、ゴータマ・シッダッタが悩み出家するきっかけを作ったということですね。ゴータマ・シッダッタが出家して悟りをお開きになったからこそ、仏教が存在するのですね。そう言う意味では短いが偉大な人生ですね。 逆に、麻耶夫人が非常に健康であれば、ゴータマ・シッダッタは出家せず、立派な王、転輪聖王となって、国を治め、釈迦族の滅亡もなかったかもしれません。ゴータマが生まれたとき、預言者がこの子は、転輪聖王か仏陀になると予言されていたのですね。母の死は、生まれながらにして、転輪聖王の目を摘んだということなのですね。 釈迦族から言えば良くない母ですね。仏教徒から言えば菩薩の母ですね。仏陀の教えに「諸行無常」がありますね。釈迦族とはいえ、いつかは滅び行くもの、滅び行くものの中に不滅の真理を得、それを広く教える仏陀となったのですから、やはり麻耶夫人は偉大なのですね。

noname#189751
質問者

お礼

ありがとうございます。 >ゴータマが出家に踏み切った思いは、「生老病死」は何故あるのかが知りたかったが故と言われていますが、実母、麻耶夫人の死が心の根元にあったと思われますね。 そう思うのが自然ですね たぶん ですが 実母の死にゴータマは立ち会っていたと思います 或いは 最後まで麻耶夫人の手元にいたかもしれない 何も分からないまま 母を失ってゆく姿は周囲に深い悲しみを与えたと思います。 七日後に亡くなったというのは喩えで 実際はそれよりも前だった可能性が高いようにも思います。 また 亡くなる前に 妹にゴータマのことを託していたようにも思います 加えて一つ知りたいことは その当時の死者の供養についてです 王妃であった麻耶夫人は その死後においても手厚く供養されていたと思いますが 実際どのようだったのでしょう ゴータマはその供養の有り様を見続けていたに違いないと思います 遺影としての絵や彫像は多分あったでしょうし それらを目にする機会も多かったと思います 養母に抱かれながら あなたを生んだお母さんですよ と繰り返し言われていたかもしれない 幼少の頃から 生と死に対する疑問がゴータマの心に刻まれていた事は確かだと思います。 出家の直接の理由はそこにあった と考えるのが妥当な感じがします。 mmkyさんも同様の感触をお持ちなのだと思います。 >さて、本題に戻って、麻耶夫人の残したものは、ゴータマ・シッダッタを産み、ゴータマ・シッダッタが悩み出家するきっかけを作ったということですね。ゴータマ・シッダッタが出家して悟りをお開きになったからこそ、仏教が存在するのですね。そう言う意味では短いが偉大な人生ですね。 そのへんの解釈は人間的でいいと思います。 ともすれば ブッダがこの世に現れるための 母親という一つの縁に過ぎないものであった という解釈もできますので 私も単純な縁としての存在であったというような見方には疑問があります。 母なくして子はない わけですが 麻耶夫人という母の死が ゴータマに命題を与えたことは間違いないことだと思います。 死んだものが戻ってこない以上 何が分かればいい? そんな感じだったのでしょう。 ゴータマが王子であったことに加えて 片親であったために周囲の人達から優しく見守られていたと思います。 後年 出家したことは それらへの裏切りを覚悟した大変なことだったと思います。 悟りを得てからも その悟りは沢山の人に苦しみをもたらした末に得たもの だという思いがあったと思います。 だから 彼はその償いとして貴重な教えを説かざるを得なかった という一面があったと思います。 国が滅んだ というに至っては 何をか言わんやでしょう。 つまり (彼は)ブッダは苦しみ通しだった。 一人の人間として苦しみ通しだった。 苦しみ通しだったけれども 見事にその償いを果たした。 そんなふうに見てしまうのです。 母の死から始まった 一人の見事な人生です。 お母さん これでいいのかね・・・そう呟いたかもしれない 生まれてすぐに示したという 天上天下唯我独尊 という言葉は ブッダに対してではなく 麻耶夫人に対して あなたは こんな立派な人を生んだのですよ あなたは 立派な母親だったのですよ という鎮魂のようにも聞こえてきます。 灌仏会の小さな如来像は 麻耶夫人への供養のようでもあります。 >釈迦族から言えば良くない母ですね。仏教徒から言えば菩薩の母ですね >やはり麻耶夫人は偉大なのですね。 偉大かどうかは分かりませんが 普通の女性として見た方が輝いて見えるような気がします。 聖者となった人を生んだ 普通の女性 それでいいんじゃないでしょうか ブッダも お母さん生んでくれてありがとう と 言っていたかもしれない 神格化以前の そんな人間臭いことばかりを考えてしまうのです。 人の絆というか人間模様というのか まとまりませんが そんなところです。 ありがとうございました。

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