• ベストアンサー

湯舟の中で思うこと

きょうは風呂でぬくぬくしようと思い入浴剤を入れました。けれども湯につかってイメージされるのは瀬戸内の海であり、太平洋の赤潮です。 寒いのが苦手で部屋が暗いのはもっといやで電気も目いっぱい使います。そして自分だけの快適さと欲望のために、地球はそれだけ環境を悪化させられてるのだろうなと、うすうす感じるのです。 何も私は世界苦をしょいこもうなんて思っちゃいない。無知で通そうとするよりは問題意識を持つほうがいいことだと妄信しているにすぎない。そしてそれだけ心が休まらないのです。 これは私の神経がおかしいのでしょうか? それともそれだけこの世界がひずんでいることのあかしでしょうか? 諸賢のご意見をたまわりたい。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • First_Noel
  • ベストアンサー率31% (508/1597)
回答No.5

#4です.再び失礼致します. >使った分だけ補填できなくなったから問題なのではないでしょうか。 >人間の活動は地球の自然浄化力を超えてしまった印象があります。 この辺は定量的に評価しようとすると難しいようですね. 単純に大気中の二酸化炭素の量や平均気温の変動を見て, 悲観的に見れば人間の仕業であるし,何億年もの過去の歴を 見れば通常の変動の範囲内と言う見方もあるようです. でも悲観的にならなくて良いと言う理由はありませんし, 現に悪いことが予想されるのであれば,人間は自らを見直して 悪いことは全く無いと思います. ところで・・・ 悲観的になったとします. でも私は, 「地球に対して悪いことをやっているのではないか」 とまで思うとそれは人間のエゴだとも思います. それは人間原理に基づくものであって,「環境に悪い」とは, 「人間(或いは現状の生物)の住み良い環境に悪い」 と言う意味に過ぎないからです. もしかしたら,ある部類の生物にとってはどんどん環境が 改善されているのであって,将来彼らが文明を築いたときに, 「過去に存在した益虫のおかげで我々が発展した」と賞賛される かも知れません. 生物発生以来,まず植物が地球環境を悪化(当時として)させました. 大気は大量の猛毒の酸素(基本的に人間も含めて全ての生物にとって 酸素は致命的な有毒ガスです,人間などは上手い具合に酸素を 生命活動に有効利用していますが,細胞レベルで損傷も招きます)が 充満し,多くの植物種が絶滅したことでしょう. そこで動物が現れ,そのピンチを救います,この3億年ほどで, 大気中酸素含有量は30%以上から20%まで低下しました. 素人考えですが,酸素が30%以上となると動物は短命になって しまうのではないか?と思ったりもします. (最近流行の酸素でリラックスは私は危険だと思っています.) 即ち, 「現状生物にとっての良い環境を維持する必要があり,  それに反することを環境悪化と呼ぶ」 と言う立場に立った上で,環境を論じなければ, すぐに絶対悪,絶対善に偏ってしまい,極端に走ってしまうかも 知れない,と思ったりもします. 例えば天然痘ウィルスやその他の生物は,絶滅させることが 良いことだとして実際人間自身が絶滅させました. それらの絶滅への反対の声は多分なかったことと思います. 少なくとも人間の海の汚染によってプランクトンを, 二酸化炭素排出によって嫌気性細菌を大喜びさせていることでしょう. この地上は,地球と言う陸地と宇宙と言う海との間の渚です. いまこの渚は悪化しているのか,或いは浄化しているのか, 超長期的に見て地球にとって良いのは果たしてどちらか? それは人間には答えられない命題かも知れませんが, 少なくとも人間にとっては現状悪化は悪いことと言うことで, くどくどと失礼致しました. わがままな私は,この5年ほどで近所の山が幾つかなくなって, 大きなマンションがぼこぼこ出来たことに,悲しさを感じます, しかし新たに来られる方々にとっては新天地での生活をこの街で 楽しく幸せに過ごしてもらえれば,古い住人としては嬉しいとも思います. 私はこの街が好きだから,悲しくも嬉しくもあります.難しいです.

zephyrus
質問者

お礼

あやうく締め切るところでした。締め切らなくてよかった!不注意な私の発言に、とても紳士的に対応していただき恐縮です。 地球上の全生命が絶滅するシナリオはないと聞いていますし、現に、お書きいただいたように猛毒である酸素を逆利用して動物はたくましく進化しました。けれどもそれは特化し特殊化したとも言え、後戻りができなくなったことをも意味すると思います。私にとって一個の種である人類が絶滅しようがどうしようが関わりのないことである、などと横着かましておりますが、一介の個人としてみた場合、生あることは玉を抱いて罪あることかな、と妙に落ち着かないのです。そしてそういう心の動きというものが一般的であるのかどうか、そこが確かめたかったのでした。 カテゴリーを、はじめ「哲学」にしたかったのですが、これは私がちんぷんかんぷん。最後に「ライフ」にしたのですが、切り替わっていずに「環境問題」のまま出てしまいました。これは純粋に私のミス。(ちょっと言訳させてもらいました) 年を経ると新しいことを好みません。今あるものにこよなく愛着を覚え、失うことを不安に思う。回答者様の最後の段落を読み、切なくなりました。 重ねてご回答いただき、ほんとにありがとうございました。

zephyrus
質問者

補足

この場を借りて、つたない質問に回答していただいたかたがたへもう一度お礼申し上げます。 みなさまからのお答えをいただくなかで、私が抱く疑問がより明確になってきました。近いうち、同様の質問差し上げるかと思いますが、その節にはまた貴重なご意見いただけますよう、よろしくお願い申し上げます。

その他の回答 (4)

  • First_Noel
  • ベストアンサー率31% (508/1597)
回答No.4

使用した分だけ補充すれば良いと思います. 人間が今の時代のように生きている限りは, そうするしかないと思います. 紙を使ったなら,その分人間は木を植えよう! 牛乳パックはリサイクルしよう! 人間が生きている限り,地球を汚染します. よく太陽光や風力や潮力の発電を「クリーンエネルギー」などと, 人間の勝手な尺度で表現されてしまいがちですが, せめて「グリーンエネルギー」と言うべきであり, だからと言って「環境に優しい」などとこれを絶賛しすぎるのも 自覚を乏しくさせてしまいそうで,考えさせられます. ある程度までなら,この地球は人間の汚染を浄化する能力が あります,問題は浄化以上に汚染するような愚行です. 私も暑いのが苦手なので夏はクーラーに依存してしまいます. その分,通常の他の電気使用を節約しようとしています. わがままな私です.

zephyrus
質問者

お礼

使った分だけ補填できなくなったから問題なのではないでしょうか。人間の活動は地球の自然浄化力を超えてしまった印象があります。 でも、グリーンエネルギーって、面白い発想ですね。環境に優しいからいいってもんでもありませんね、確かに。節約できるところは節約しようという精神に共感を持ちました。 質問に答えてくださり、ありがとうございました。

回答No.3

よく大量発生する昆虫とかいますね、今地球は人類の大量発生時期かと思います。昆虫も草木を食い尽くして、共食いして消滅するけど絶滅はしませんね。同じように自然資源を使い果たして戦争して多くの人類が死ぬかもしれないけど絶滅はしない。不幸ながらも自然の摂理。 平和な世の中なのでそんなこと考えますが、そんなことより身近な問題が気になる人もいますね。身近な心配が無いから遠い将来を憂う、幸せだなあ。

zephyrus
質問者

お礼

そうですね。日本に生まれて、いろいろあるけどやっぱり幸せに暮らしている。隣の不幸はさして気にならないけれども遠くの不幸は同情する。身勝手なものです。 自分や自分たちが努力に努力を重ねて獲得した平和でもないのに、それを一方的に享受していることの後ろめたさ、壊れることへの不安。そんな感じ。 回答していただいてありがとうございました。

  • TT250SP
  • ベストアンサー率41% (2393/5813)
回答No.2

それに気づくことが大事だと思いますよ? 阪神淡路大震災から9年経ちましたよね 震災後2週目にオフロードバイクで現地に入った私はマスコミの視線と現場の人間の視線に大きな差がある事を強く感じました テレビでは連日、「電気やガス、水が不足している」と放送していました でも私が現地の避難場所へ行って気づいたのは「下水」の事を誰も考えていないということでした。 普段のトイレには糞便が積み重なり、人目につかない場所にも糞便が… マスコミや行政がちょっと避難場所を覗いてみたらスグに解ったはずです。 異臭がその辺に漂っているのですから その時に下水に惜しげもなく水を文字通り湯水のごとく使う日本人は幸せであると思いました。 余談ですが、震災当日に現地に入った知人から「瓦礫の間から腕や脚が出ていて救助を求める声も聞こえるが何も出来なかった」という話を聞いて私は涙しました。 その知人は私と同様アウトドアが趣味でバイクに乗れましたので毎日私たちは救援物資を彼に託しました。 今でも思うのですが、あの時アウトドアブームはある程度、日本人に、そういうローインパクトの精神を刻む事が出来たのではないでしょうか? 自然の中に入れば、おのずと人間が小さな物である事や川や草木がデリケートなものだと気づく筈です (気づかない釣り師や水上バイクのおバカもいますが) トイレの後に流す水をありがたいと思う心が大事だと思うのです 家内などは、それ以来、一回しか流さなくなりました よく女の人は小水の音が恥ずかしいと言い何度も水を流します。 そういう人はトイレットペーパーを山ほど使います。 勿体無いという気持ちが抜け落ちてるんでしょうね そういう人は言葉で言い聞かせても無駄だと思います 私の場合はそういう理由で水の大切さに気づけたわけで、それは感謝すべきことだと思います(何に感謝するかは人次第ですが)

zephyrus
質問者

お礼

拙問に丁寧に答えてくださり感謝です。しかも多方面にわたる問題を提起されています。 実は私も微災ながらあの地震に遭い、人間の卑小さ、愚劣さを(痛感というほど生々しくではなかったけれども)それなりに感じました。 人間は圧倒的なもの、ひれ伏さざるをえないものがないとダメに出来ているのかもしれませんね。 どうもありがとうございました。

  • azicyan
  • ベストアンサー率21% (368/1747)
回答No.1

そう思いながらも結局は浪費が止められない。 きわめて普通の人です。

zephyrus
質問者

お礼

おっしゃるとおりです。ですが、私がここで提起したかったのは、そうした浪費がやめられない自分というものに後ろめたさを感じるということが、もはや普通の心の動きなのかどうか、ということでした。 もっとストレートに質問すべきだったかもしれません。どうもありがとうございました。

関連するQ&A