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神が何をしてくれたのか?

tumaritou1の回答

回答No.16

人間として生まれる事が『神の力です。』犬に生まれたとしても神の力です。神と言う概念は『自分自身の中に存在する者の事です。』 科学的な証拠がありますので、二つ程載せてみます。始めは『脳の機能としてです。』 ”ロジャースペリー 分離脳 ノーベル賞受賞者 受賞年:1981年 受賞部門:ノーベル生理学・医学賞 受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究 ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。” 貴方の脳内にも、脳梁を切断した場合に、貴方が自我意識としている貴方の意識の他に、もう一つ意識があります。 右脳の意識が、自我意識に対する『もう一つの意識です。』この意識は、生命の維持装置として働いている意識です。この意識が何処に存在するのかを書いてみます。 この意識は、子供時代では、自我意識が芽生える前では、一つのものとして働いています。この一つのものとして働いている『脳の状態』を天国と、聖書では書いています。 その理由は、悩みや疑問がないからです。悩みや疑問がない理由は『心の分裂や対立がないからです。』 是に対して、ある程度人間が成長した場合、ある時期から悩みや疑問が始まります。それは思春期と呼ばれる頃からです。子供時代には考えもしなかった事を考え始めるためです。 自分は(人生とは)何なのか?と言った疑問を感じたり、他人と自分を何かに付けて比べたりして悩みが始まったり、頭の中で自分の価値や、やる事の意味を求めたりします。『何の為に生きているのだろうか?』です。 この現象を、深く受止めた場合が『天国から追放される事を意味します。』失楽園と言う現象です。 この現象が『脳の機能分化の完成』と言う現象です。つまり心が二つになって争いを始める現象です。つまり、心の矛盾を感じて、或る感覚に悩まされられ事を意味します。 その感覚が『原罪』を感じる事を意味します。漠然としていて、何処から押し寄せているのかが、分らない感覚、つまり、漠然とした不安感や、恐怖感です。 この感覚に悩み始める場合を『失楽園』と聖書は表現しています。仏教では『業』です。 この原因は『右脳の意識』を説明する事で理解出来ますが、症状となってしまったものは、知的理解では、なかなか無理があります。 右脳の意識は、思春期頃から『無意識の中に身を潜めています。』つまり脳の機能分化が完成する頃に『意識する自我意識』と言う自分と、『意識していない時の自分の身体と心を支配する自分』つまり『無意識の意識』としての自分と二つになってしまいます。 この『意識する時の自分』と『無意識の時の自分』と二つになってなかなか、同調出来難くなる場合があります。同調出来ている場合を『健常者』と言っています。 同調出来難くなった場合に、不安になり易い性格とか、神経質な性格と言っています。 右脳の人格の機能をもう少し詳しく書いたなら、『神経質な性格』と言う意味の補完が出来ると思いますので、書いてみます。 神経質な性格の人は『自分自身に不安を抱えている人の事です。』この不安が高じた場合では、恐怖症にまでしてしまう人の事を言います。 つまり、大勢の人の中にいたとしても『孤独感が強い場合や、優しい家族に囲まれていながら、自分の頭の中に不安を作り出して感じてしまう場合です。』 右脳の機能は『生命の働きそのものから成り立っています。』この働きを説明する場合では『命在るもの全て』の説明からする必要があります。何故なら『生命の作用そのもので世の中が成り立っているからです。』 極端な書き方になってしまいましたが、桜の木ならその木の種によって『咲く花の色や、葉の色や、時期までも全て備わった働きから成り立っている事です。それには櫻の『命の働きが在るからです。』 昆虫にしても、動物にしても、全ての命あるものは、その命の働きを働かせている事によって、その種として働いている事が、分ります。 全ての命あるものは、学校で学ぶ以前に全てが、生まれる前から備わっています。この備わった働きを『仏性』とお釈迦様が名前を付けています。聖書によるなら『神』です。 人間の自我意識は学ぶ事によって『言葉を始めとして、人生の全てを学ぶ事を意味します。』処が、もう一つの意識、生まれた時に既に備わっている働きを『働いているまでです。』その証拠が、生まれたばかりの赤ん坊です。 乳を飲む事や、安心する事や、不安や恐怖する事を既に知っている存在から成り立っています。学ぶ事無く『心得ています。』他には心臓の早さも呼吸する回数も既に心得ています。ホルモンの調節や、発汗作用などの体温調節機能さえも、学ぶ以前に備わっています。この学ぶ以前に備わっている機能が『命を働かせる存在』と言う意味です。 暑いところにいる場合では、涼しい所や、水分の補給をする事を『自我意識は知らないにしても、指示さえ出しています。』寒い場合でも然りです。 かように『神』は、自我意識のために力を尽くしています。便所以外でする事が、迷惑のために、排便の時期や、排便する必要がある事も、自動的に指示しています。 お腹が減った事も教えています。寒い所では血管さえ収縮させて、体温が下がらない工夫をしています。 貴方は何もしてもらっていないと思っていますが、右脳の意識が健在でないなら、心臓一つ呼吸一つ出来ません。 右脳の意識が、自我意識と交代して交互に出ている事を、詳細に語っている脳科学者の動画がありますので、載せてみます、参考にして下さい。  URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM

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