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生活苦のため神さまを信じられないクリスチャンに
- クリスチャンの生活苦からの神への信仰喪失について
- 教会や牧師に相談し、お金と車の願望が強くなっている状況
- お祈りやみことばの励ましでは癒されないと感じている状態
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質問者が選んだベストアンサー
・・・信仰って、この世の人生を裕福に生きるために持つものなんですか? 神は良いことをした人にご褒美を下さいます。 神は悪いことをした人に罰をお与えになります。 むしろ「ご褒美」は人間が気づかない場合が多いのでは?だってご褒美が目に見えるもの・感覚で分かるものだけとは限りませんから。 ご褒美を沢山頂いておきながら「私は恵まれない」と愚痴をこぼす人も多いでしょう。 そして神は「この人は」と思った人に試練を与えて、その人の心を試します。 「苦境にいても神を忘れず、神に感謝し続ける者かどうか」を。 違いますか? キリスト教で言えば、イサク様を生贄に差し出せと言われたアブラハム様。 次から次へと困難に苛まれるヨブ様。 私たちにとって困難は辛いものでしかなくても、それはある意味神からの恵みでもあると思います。 神は私達に悪いものはお与えになりません。 私たちの目には酷い状況も、神の目から見たら、それは何かしらの意味があり、救いや恵みである筈です。 たとえば障害を持って生まれてくる人は、生まれながらに神に呪われた人なのですか?違うでしょう? 貧困家庭に生まれて来た子は神に見捨てられた人なのですか?違うでしょう? 私はその方を存じません。当たり前ですね、ごめんなさい。 あなたはその方をご存知。多分性格とかもご存知でしょう。 どう伝えたら「神に感謝するしもべを神は見捨てない」という事がその方に伝わるか、いろいろ試行錯誤してみてはいかがでしょうか。 大金を与えるだけでは、その方の信仰心は「その程度」で一生終わってしまうでしょう。 その方が神への感謝の気持ちを強く持つようお祈りします・・・できるだけ思い出す度に。
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- mercria
- ベストアンサー率33% (1/3)
全身全霊を傾けて祈れと言ってあげてください。 毎日毎日、泣きわめいて、神に恨み辛みを言えと。 他のことなんてせずに、神様にすがりついて泣けと。 そうすれば神様はうんざりして、なんとかしてくれるでしょう。 子供が、『あれほしいなぁ…』と店の前で言っても、お母さんはおもちゃを買ってくれませんが 子供がギャンギャン泣きわめいて店の前から一歩も動かなければ、 『仕方ないわねー』となることもあります。 そこまでする気が起こらないなら、きっとそれは、その人にとって、たいして重要なことではないのですよ。
お礼
そうですね、もっと全身全霊を傾けて祈るという姿勢は大切かもしれませんね。 ただ体が弱っているときは自分で祈る気持ちも萎えるものです。 わたしが知人のためにそのようにとりなし祈るしかないかもしれません。 ご親切にアドバイスありがとうございます。
- eroero1919
- ベストアンサー率27% (3007/11113)
ヨハネ福音書 第4章48節ですよ。 イエス様が嘆いてたじゃないですか、「汝らはしるしと奇蹟を見ざれば信ぜず」って。 その方の嘆きはあの荒野で悪魔がいった言葉と同じですよ。「汝神の子ならば命じて石をパンに変えよ」ってね。「言葉(石)なんか要らない。金(パン)をくれ」といってるんですよね。 それに対してなんとおっしゃいましたかよ。「人はパンのみにて生きるにあらず」でしょ? んで、イザヤ書になんとありますよ。 彼は卑しめられて 人に棄てられ 悩みを知り 悲哀の人であった 人が顔をそむけるまでに卑しめられ われらも彼を心にとめなかった げにもよ 彼はわれらが悩みを負い われらの悲しみを背負ったのだ しかるにわれらは思った 彼は打たれ 神にたたかれ 苦しめられたのだ と 彼こそわれらの不義のために傷つけられ われらの咎のために砕かれた 懲罰は彼に下って われらに平安をもたらし 彼の傷によって われらは医された(いやされた) 彼はぶたれても じっと忍び その口を開かなかった 屠り場にひかれる仔羊のように 毛を切る前の雌羊のように だまって 口を開かなかった 過酷な裁きによって彼は取り去られた その運命の転換を誰が思ったか 彼が生ける者の地から断たれ わか民の罪過のために死に渡された時 人はその墓を不虔な者と共にし その塚を悪人とひとしくした 彼は暴虐を行わず その口に偽りすらなかったが でしょ。ほんで、あのお言葉があったじゃないですか。 「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ?」 まったく、根っからのクリスチャンは真面目なだけで信仰の薄い人たちばかりだ。
お礼
沢山の引用をもって説明してくださりありがとうございます。 大変わかりやすいです。 そのような不信仰な人ばかりではないのですが、 自分が出会う人はなぜかそのような人が多いです。 祈りが必要な人ばかりです。 ご親切にご回答ありがとうございました。
- ad-b
- ベストアンサー率20% (24/116)
言ってあげた方が良い言葉は、「ぶつくさ言ってないで働け。」でしょうかね… 本当に生活苦なら、人はもっと現実的な行動を取りますよ。 その方の場合は、車が買えない程度の貧乏なだけでしょう。 神様もあきれる程のワガママに付き合う必要はありません。
お礼
客観的に見たらただのワガママなのかもしれませんね。 わたしもできるだけの力になりたいと思い祈りなどや、 できそうな車の仕事を探したりしています。 わたしから見ても彼の求めているものがお金だけになってしまっているので、信仰からどんどんはずれていく知人を見ているのがつらくなります。 生活苦が少しでもなくなるよう祈りたいです。 ご親切にご回答ありがとうございます。
- poco_2
- ベストアンサー率25% (64/250)
祈ったところでお金が空から降って来るわけではありませんから 仕事をして稼ぐしかないです。 生活苦で車が欲しいとは随分贅沢な悩みだと思うのですがどういった状況なのでしょう。 車が一番の才能といってもレーサーとかじゃないですよね? 車を買って人の役に立ちたいという意味もわかりません。 欲しいのなら働いて貯金して買えばいいです。 そして大事なことですが、牧師様はお金を貸すのが仕事ではありません。 それを期待すること自体間違ってます。 病気などで働けない状況で本当に日々の生活に困っているのなら 相談に訪れる先はお住まいの役場です。 ご質問からは宗教も信仰も関係なく、ただ車(お金)が欲しいという 物欲の話しか見えてきませんよ。
お礼
知人の言うことには、車は国際免許を持っている腕前です。実際乗ってみたところ大変美しい走行でほとんど揺れませんでした。そのくらい運転の腕には自信を持っているようです。 本来それを生かして車の運転の仕事をしたいし、自分とかかわりのある人の足となって運転で援助をしてあげたいという思いがあるようです。 >牧師様はお金を貸すのが仕事ではありません。 知人は親身になって相談にのってほしかっただけなのだと思います。 生活保護を受けることをすすめたのですが、車に乗りたいからとそれは前向きに検討できることではないようです。 そうなのです、信仰ではなくお金と車がほしいだけの人になってしまっているので、なんとか信仰心を取り戻してほしいと思った次第です。でも今は無理かもしれません。 ご親切にご回答ありがとうございます。
- kamobedanjoh
- ベストアンサー率27% (1021/3686)
キリスト教が財力を失ったため、困窮者の救援も個人経営の支援にも資金が足りない所為です。 イスラムは無償の援助や生活支援のために財力を蓄えており、世界的規模で見てもキリスト教徒の数を圧倒して、信徒数を増やしています。 善悪はともかく、エジプトの革命には「イスラム同胞団」と言う財団を持った組織が、大きな力を発揮しました。 大航海時代とは比較にならないほど、キリスト教の力が衰えています。 100万円程度の営業支援も困難な状態、としか言いようが有りません。 人々の信仰の多くは「現世利益」を期待しての入信です。 「現世利益」が得られないようでは、信仰心が衰えてもやむを得ません。 「現世利益」は金銭面ばかりでは無く、貧困を支えるに足りる心のゆとりでもありますが、お祈りだけでは支えきれないその人の状況を理解して上げましょう。牧師さんには「聴く耳」が欠けているようです。 目先の暮らしに困っている人には『ガンバレ』位の言葉しかありません。
お礼
ご利益信仰といった言葉は自分のこころにも響きました。 確かにキリスト教はそのような信仰ではないように思います。 でも経済的にも祝福はしてくださる神さまだとは思いますので、お祈り等はしています。 >お祈りだけでは支えきれないその人の状況を理解して上げましょう。牧師さんには「聴く耳」が欠けているようです。 そうですね。お祈りだけでは支えきれないのだと思います。 もし自分がお金を持っていたら貸してしまうでしょう。 牧師さんにはもっと親身になって話を聞いてほしかったのだと思います。そして牧師さんにも親身さが欠けているように思います。 >目先の暮らしに困っている人には『ガンバレ』位の言葉しかありません。 そうですね、実際にはこの程度の助けしかしてあげられないのかもしれませんね。 ご親身にご回答ありがとうございます。
- gldfish
- ベストアンサー率41% (2895/6955)
話がおかしい点がいくつかあります。 「神さまを信じられない」って時点で、それはクリスチャンでもなんでもないのでは。 それと、自分もなんとか出来ないような人間が、人を助けることを考えるなんて、順番が滅茶苦茶です。まずは、人にお金を頼ることなく、自分のお金で一人前に生活することからでは。 仕事で辛い思いをしている人、うまく仕事が得られない人・・なんて世の中ゴマンといます。というか、むしろ仕事で何もかもうまくいっている人の方が珍しいのでは。 それを「お祈り」だとか「信仰心を持」ってなんとかなるなら、この世に仕事で苦労する人なんて1人もいないと思います。 まずは信仰はそれはそれとして切り離して、もっと一般的で現実的な観点から解決策を考えることをお勧めします。「癒し」とか「神様」だけでは幸せなんて一生来ませんよ。一時的に心が軽くなっても、生きる最低限のお金も無く、体を患っている自分が、変わらずそこにただあるだけ。 以上が答えです。
お礼
一般的で現実的な解決方法はいろいろと試みています。 自分の本当につきたい仕事を探す等です。 あまりに現実的な試練に出会うと人は弱いものですから 神を信仰するというゆとりはなくなるのかもしれません。 とりあえず生活にゆとりができたら信仰の方はやるからと 本人は言っています。 ご親切にご回答ありがとうございます。
- kazu707
- ベストアンサー率16% (23/142)
現在の信仰は 祈りの信仰から実践の方向に進んでいます 実際 お金の無い人にとっては 祈りの境地は難しい 祈って お金が手に入る訳では無いから 金欲が増すだけです 今は何を言っても無駄なので とりあえずは 放っておく事 その内に お金にも心にも余裕が生まれた時 信仰の道に戻せばいい ただ あなた達の 今 している信仰が本物なら の 話だが・・・
お礼
>実際 お金の無い人にとっては 祈りの境地は難しい 祈って お金が手に入る訳では無いから 金欲が増すだけです そうですね、その通りだと思います。 おっしゃっていることすべてその通りかなと思います。 ある程度放っておくことが大切なのかなと。 ご親切にご回答ありがとうございます。
お礼
お祈りありがとうございます。 信仰が揺らぐことのないものか試練として与えられる場合がありますよね。 または信仰に足りる忍耐強さが与えられるために試練が与えられる場合もありますね。 >そして神は「この人は」と思った人に試練を与えて、その人の心を試します。 「苦境にいても神を忘れず、神に感謝し続ける者かどうか」を。 その通りだと思います。 >どう伝えたら「神に感謝するしもべを神は見捨てない」という事がその方に伝わるか、いろいろ試行錯誤してみてはいかがでしょうか。 そうですね、わたしにはどう伝えていいのかわかりませんので、その方法を与えられるように祈ってみたいと思います。 >大金を与えるだけでは、その方の信仰心は「その程度」で一生終わってしまうでしょう。 おそらくそうなのですね。 そのことを本人がわかるとよいのですが。 わたしもお祈りしてみます。 ご親身にご回答ありがとうございます。助かりました。