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神の存在について

私は神などいないと思っています。 理由としましては (1)神が居るのであれば、理不尽に奪われる命が多すぎる (2)死すべき人間が多い が主な理由です。 もし存在を信じられていたとしても 人の命を弄ぶ神が崇拝されえる意味が理解できません。 なのでキリスト教や仏教など信仰する人にとって 神とはどのような存在なのでしょうか。 また上記のような不条理はどのように理解しているんでしょうか。

  • N-kami
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回答No.7

 こんにちは。  神は 単なる補助線ですよ。  神 と言っているその言葉ないし概念 あるいはそれをさらに説明する命題 これらすべては 《神》そのものではなくて それの補助線でしかありません。  その説明じたいが 神であるのではなく 神である存在(または 非存在)を指し示すためのものです。  【Q:《神》は 補助線である。】 ~~~~~~~~~~~~   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8258970.html  1. 時空間ないし世界という存在・なかんづく人間という存在に先行するものは あるか?  2. ない。あるかどうか 人間には 分からない。分かるか分からないかが分からない。  3. そこで《かみ》という補助線を じんるいは考え出し これを引いた。  4. 《分かるか分からないかが分からないこと》は カミという言葉で交通整理して捉えあおうと。  5. 世界はそれを生み出すチカラがあったとしても それは いわゆる《自然》としてのあり方であるしかないと捉えるなら 自然が神となる。山・川・海などなどの霊としての神々は それぞれ分身であると。  6. 世界をつくったチカラがあるとする場合 これは 有神論のひとつでありその中でも 創造者としての神を立てている。  7. そのようなチカラは ないとすれば――すなわち《無い神》を立てるなら―― 無神論である。  8. このような《自然神 / 創造神 / 無神》に分かれたとしても すべては――分からないところを補っているのであるからには―― 補助線として用いられている。  9. つまり神は 有る神と無い神とに区分され 有る神についてはさらに人びとによって(その言語によって)いくつかの名がそれぞれつけられている。  10. このようにさまざまに種類分けされる《神》も すべては そのように一定の言葉で〔特には人間が〕引いた補助線であるしかない。  11. ただし人びとは この補助線の向こうの――特に有神論の場合における――神とそのおのれの内面において しばしば向き合うことを成す。このような《神とわれとの関係》は――ひとが生きているかぎり生きた動態として―― 信仰とよばれる。  12. 補助線としての神に向き合ったとき 世界ないし世の中の〔しばしばかなしい〕あり方に沿って むしろ対立しこの神を否定しようとする場合もある。この種の神との関係は むろん 無神論となる。これは・これも 《無い神とわれとの関係》を内容とする信仰である。  (無神論者は無神論も信仰であると言われたくなければ 《神は無い》と証明しなければならない)。  13. じんるいは 神によって(神の所為にして)互いに相いあらそう必要もなければ理由も必然性もない。風車に向かって突撃するようなものである。  14. 神は その呼び名としての多様性をふくみつつ・またおのおのわが心なる《非思考の庭(信仰)》における動態としての多様性を容れつつ すこやかに独り満ち足りている。(と推測される)。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~  (1) 神が居るのであれば、理不尽に奪われる命が多すぎる  (2) 死すべき人間が多い  ~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ をおもな理由として 神はいないと判断したということですが もしそういう概念を取り扱って推論ができるものであるのなら それは 単なる概念としての神でしかありません。つまり 人間が考えてつくった観念の神だということになります。  観念の神を神だとすれば 人間の考えることですから 世界認識をめぐって 条理・不条理といった推論も初めの定義にしたがって出て来ることは 必然です。そしてそれだけのことです。それは 神ではないのですから。

その他の回答 (6)

回答No.6

古代には、人類の生存単位は、家族か、せいぜい血族であり、 親族への感情的な同情で、社会性が維持できた。 しかし、分業化による流通の拡大や、権力による組織化の発達 において、そうした感情的な行動規範は自己中心的で、自己の 生命性の社会的拡張を把握できず、自律的な行動が社会性を 劣化させるようになった。 そこで、法規やモラルといった“ムチ”や、お金や出世といった “アメ”によって、他律的に社会行動を強制する事に成功した 社会集団が発展したのです。 初期の世界中にあった多神教的アニミズムは、世界の起源や 死後の世界といった、自己の認識の及ばない領域に対する 補完による“精神安定剤”として、儀式宗教的だったのが、 社会性の発達と共に、強力な教義を持ち、頻繁な礼拝や断食、 五体投地による巡礼といった“足かせ(強い他律性)”を課す、 一神教が広まったのです。 神を安易に否定する事は、それによって果たされているリミッ ターを外す事につながり、社会性を劣化させるので、それに 代わるものがない限り、否定する動きの方が淘汰される。

  • kurinal
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回答No.5

こんばんは。 >「仏教など信仰する人にとって、神とはどのような存在なのでしょうか。」 「私は神などいないと思っています」とのことですが、 まずは「一神教」について、ご理解下さい。

  • yuimakozi
  • ベストアンサー率22% (25/110)
回答No.4

神が存在するか否か。存在するという事を証明するのは、比較的簡単です。実物を捕まえるとか。非常に多くの人が目撃するとか。何らかの計器で測定するとかですね。  しかし、存在しないという事を証明するのは簡単ではありません。ほとんど無理です。  キリスト教やイスラム教を信じている人に、あなたの質問をぶつけても無意味です。何故なら、信仰というのは「非思考」 ということだからです。信じるという行為に科学性や論理性がないからです。  学校で学問を習った人は、物事を判断する時には、論理や証拠等から客観的に判断しますよね。  しかし、信仰というのはそういうことをしないのです。疑問に思ったり論理的に考えたりせず、教典に書いてあることを信じ宣教師たちの言葉を信じるのです。  また、キリスト教やイスラム教の神は、この世の創造主であり絶対的な存在であり全知全能です。しかし、仏典に出てくる神は、全然違います。例えば、帝釈天とか梵天とか転輪王とか呼ばれている存在ですが、ほとんど人間に近い存在です。  間違いも起こしますし、欲もあります。寿命も人間よりはずっと長いですがあります。生前の行いによって輪廻転生もします。  でも、お釈迦様の説教を聞いて仏教の信者となり仏教を守護する神になっています。  仏教では、仏様も人間です。キリスト教の神のような絶対的存在は、この世に存在しないというのが、お釈迦様の教えです。

  • 0fool0
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回答No.3

都合が良ければ神

回答No.2

こんばんはです。 ~~~~~~ (1)神が居るのであれば、理不尽に奪われる命が多すぎる (2)死すべき人間が多い ~~~~~~ 神さまが理不尽な存在、 あるいは、 神さまが理不尽のように思える存在 であってはならないのですか? 貧乏神や疫病神、死神がいたって、いいじゃないですか(ニコニコ)。 悪いヒトがいるから、ヒトなんていない、と結論できないでしょう。 ユダヤ・キリスト教のいうように、 かりに神さまがヒトリしかいないとしても、 神さまが善良だなんて限らないでしょう。 「善良な神さま以外は、神さまとして認めない」ということはできますが、 だからと言って、神さまがいないことの証明にはならないでしょう。 これは、 《無限の善性》を有する神さまはいない、 と言っているだけですので。 ☆もし存在を信じられていたとしても 人の命を弄ぶ神が崇拝されえる意味が理解できません。 ◇死後、神さまは、神さまを崇拝したヒトに何かいいことをしてくれるかもしれませんよ。 それに、 神さまは、人間に自由意志を与え、人間の行動にはなにも干渉しないのかもしれません。 神さまがヒトの命を弄んでいるのではなく、他の人間がそのヒトの命を弄び、 結果として、神さまがヒトの命を弄んでいるように見えるのかもしれませんしね。 ☆なのでキリスト教や仏教など信仰する人にとって 神とはどのような存在なのでしょうか。 ◇仏教で神さまという言葉を使うと、議論が紛糾してしまうんですけれども・・・。 仏教で《神さま》というと、ヴェーダやバラモン教、ヒンズーの神さま、サンスクリットだと《deva・デーヴァ》。帝釈天とか弁財天とかの《天》が神さま。 これは、人間に富や福徳などをもたらすとともに、ヒトが何か悪いことをすると、そのヒトに天罰を与えたりします。 日本人の考える神さまという概念とほとんど同じですね。 じゃぁ~、何でヒトは貧乏のとこに生まれたり、金持ちのとこに生まれたりするんだ。  不公平じゃないか?  この差は何故なんだ!! という反論が出てくると思うのですが、 それは、ヒトが前世に行った《行為・カルマ》のせいと考えます。 いわゆる、《輪廻転生》ですね。 前世でいいことをしていれば、いい境遇に生まれ、 悪いことばっかりしていれば、悪い境遇に生まれる。 なので、悪いのは、神さまではなく、自分自身の前世の行いのせい、となります。 神さまに文句をつけるのは、お門違い!! 仏教の神さまには、ヒトの運命・カルマを決定する力はない。 そして、 仏さまにも、そのようなチカラはない。 みずからの運命を切り開くのは、自分自身であり、自分の行いとなります。 まぁ、 キリスト教の神さまについても、あれこれ、述べることはできるのですが、 わたしは、クリスチャンでもキリスト者でもないので、 キリスト教の神さまについては、 クリスチャンの方にお任せします。

  • ducakoro
  • ベストアンサー率17% (25/145)
回答No.1

ぼくはよく無修正あうあう画像をはって神だとよくよばれています

N-kami
質問者

お礼

私も激しく同意です(笑) そういう意味では神は存在するのかもしれませんね

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