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神はいない?

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回答No.12

まず、「確率」だとか「偶然」と言うものは、他ならぬ「人間」が自然を理解するために考え出した言葉であり、ここへ「神」と言われるものを出して同列に議論するのは、何か違うような気がする。 例えばあるコンサートで1万人の人が集まっており、その観客の中に一輪の花を投げ込んで、受け取る確率は1/10000ですが、受け取った人に言わせれば100%であり、受け取れなかった人は0%なんです。 「確率」は、起こるであろう未来の事象に対して、あくまで人間が考える「統計的手法」で導いた結果への「予想」であり、「偶然」と言うものは、結果から見た過去の「確率」を言っているものだと思う。 自然界は自然界の法則に従い、非常に複雑に互いに影響し合い、結果も多種多様なものになりますが、ここへ人間が解釈しようとして確率なるものを放り込み、確率の低い方の結果になると「偶然」と言う言葉で片付けているだけだと思いますが如何でしょうか。 自然界には「確率」などと言う概念はなく、自然界はただ自然の法則に則って変化して行くものなので、それを人間が理解しようとすることこそ「無理」があるわけで、人間の概念である「神」を持って理解しようとするには、聊か議論する次元が違うのではと思います。 >この宇宙の存在も何かの値が少しでも違えば存在しないとか地球の存在、生命の存在は偶然だけでは説明できない奇跡を越えたものを考えたりしませんか。 これらの文章の内容も、自然界が自然の法則に則って変化した結果について、人間の考えとして非常に稀な結果になったことを人間が作った考え方で表現しているだけのことと思います。 まだ人間が知らない宇宙の自然法則もあるでしょう。その自然の法則に従って変化して行った結果、宇宙が存在し、地球も存在する。加えて地球には生命も存在してしまった。だけ・・・。 確かに人間の考え方であれば、想像を絶するそれこそ「偶然」が重なってできた結果となりますが、自然界であれば、極々自然な流れなんではないでしょうか。 >科学的立場から見た神の存在です。 これは確かに「定義」が必要となるでしょう。 >神は宇宙、地球、生命を創った存在でしょう。 これが「神」の定義であると考えれば、その「神」と言うのは「自然界」そのものではないでしょうか。 人間が考えて、物凄く低い確率で起きる現象であっても、起きれば100%となり「偶然」に起きたと考えるでしょうし、起きなければ0%なわけで、自然界から見ればすべて「普通の出来事」になるわけです。 所詮、自然界を人間がすべて理解しようなんて無理な話しで、そんな無理な話しを理解しようと「神」を出して考えているだけに過ぎないことと思います。 仮に人間が考えている「神」が存在していても、今の人間は知りませんし、知る手段も持ちません。 しかし今回言われている「神」とは、まったく次元の違う「神」なわけです。 余談ですが・・・ よく宇宙人の写真なるものがメディアから出ていますが、人間が言うところの「偶然」が重なって、地球には地球の生命が誕生したわけですが、違う星で誕生した生命が、人間と同じ姿であることに驚きです。 非常に胡散臭い。 と言うより、真偽を問えば、「偽」の「確率」が高いです。 自然界の自然の流れの中で、「同じもの」ができることはまずない。 人間が知る同じ自然の流れを与えても、違うものができるのが「自然界」なのですから。 これが本当に別の星からやってきた生命であれば、100%・0%の考え方で言うと、知的生命の基本形なるものが、自然界のどこかに組み込まれている可能性があるわけです。 自然界(神)の成せる業は、到底人間に理解できないことです。

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