自己の相対化について

このQ&Aのポイント
  • 若者の自己の相対化について考える
  • ネット上での相対化コメントの意味について
  • 自己の相対化に失敗している若者の理由
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自己の相対化について

私は年齢層としては「若者」に属する者です。 ネット上の掲示板などを眺めると ようは「自分はこれまでのどの発言者より メタレベルに立っている」ということが 言いたいだけとしか思えないコメントを よく見出だします。 我々の世代は「他者を相対化する」ことは 呼吸をするように簡単にやってのけますが、 「自分を相対化する」ことが下手くそ極まりない ように感じます。 私自身自分を相対化するのは得意ではありませんし、 完全に自分を相対化することは何人にもできない事ですし そうしようとする必要も無いことは分かります。 しかし、その上でお尋ねしたい事がございます。 彼らが自身の相対化に失敗しているのは 何故なのでしょうか。 彼ら(あるいは我々)に足りないものは何でしょう。 抽象的で申し訳ありませんが、ご回答をお願い致します。

質問者が選んだベストアンサー

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  • BC81
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回答No.3

自分が見えていない人など、年齢関係ないですよ。違うのは、ネットとの関わり方でしょうね。 まあでも、物心ついた時からネット環境や携帯があった世代とそれ以前では、思考パターンからして違うとも感じますね。私はやりませんが、「ネット以前・以後」「ケータイ以前・以後」でじっくり考えてみてはどうでしょうか。 ちなみに、この手の質問は「社会」とか「哲学」カテゴリーあたりに投げたほうが、小難しい回答を沢山貰えると思いますよ。

CrazyInVain
質問者

お礼

確かにメディアリテラシーの問題を 見過ごしていました。 我々のメディアを介した意思疎通は 単純で純粋ではありませんし、 媒介に着目するのも 意義のあることでしょう。 私は哲学や社会思想に暗いので あまり話が専門的になると ついていけそうにありませんし、 カテゴリーとしては この辺が妥当かと思います。 ご意見大変参考になりました。 ご回答有難うございました。

その他の回答 (2)

noname#164833
noname#164833
回答No.2

 ウフフッ、つ~か、文章が固い(笑)。人のことは言えないけど。  仕事でも何でもそうだけど、間違い探し(改善点の発掘)をする時には2つのアプローチがあると思います。1つは直感。『アレッ、何となく変だな』と感じたことを素直に受け入れ、改善点を探るというものです。2つはチェックリスト。リストに照らし合わせて、問題点を発見する手法です。  質問の文章が“固い”と発見したのは直感であり、なぜ固いかというと、熟語や普段使わない言葉を使用しているからで、これはチェックリスト的指摘です。発言者⇒言ってる人、若者に属するもの⇒20代前半など、と言い換えても通じます。  足りないものは、言外・ノンバーバルに伝わるものを計算しないことです。    http://www2.ocn.ne.jp/~honeybee/communication/tips/VerbalNonVerbal.html  この回答にも、言外に伝わるもの(たとえば僕の人物像)があると思います。それを計算に入れて言動するという俳優的素養が重要だと思います、人間関係には。私たちは「どちらが正しいか」で争ったりしますが、意見が違うもの同士でも共通しているのは、自己肯定感や自己重要感を欲しているという点です。いくら客観的正しさをアピールしても他者に通用しないのは、その視点が欠落しているからでしょう。    http://www.kitami.tv/subnote/2007/05/post_201.html

CrazyInVain
質問者

お礼

私がこんな物言いをしているのは、 不特定多数の人々に質問する場合、 誤解を招きやすい軽いノリの短文で話すより、 ノリの悪いおカタい口調で話した方が 剣呑な回答を避けられるだろうという 打算の結果です。 実際あまり無茶な回答は 今のところ来ていません。 ノンバーバルコミュニケーションの重要性や、 お互いの自己肯定感の尊重 (つまりは相互承認)は 確かに私に欠落したものでしょう。 ただ、それは経営哲学や 日常の自己充足的コミュニケーションのような 客観的正当性より人間関係の維持が 優先される分野でのことのような 感じも致します。 私は自分の直面している問題を考慮する上で 客観的な論理性を「ひとまず置いておく」 必要性はあまり感じないのです。 まあ自嘲的に言えば、 「自分なりに客観的だと自己満足できる」 答えが見つかればそれでよいからです。 ご意見大変参考になりました。 ご回答どうも有り難うございました。

  • kqueen44
  • ベストアンサー率43% (530/1214)
回答No.1

自己を客観的に視ることは極めて難しいことだと思います。 とある学者さんの説ですが、自分も他人も認識している自分+自分だけが認識している自分+他人だけが認識している自分+自分も他人も認識できない自分、この4つが合わさって一つの自分になるそうです。 足りない物は「自分を知る力」でありますが、本当に難しいです。自分のことは自分が一番良く知っているつもりでも、それが全てではないということです。他人にしか見えない自分も居ます。 心理学的には「エス」とか「シャドー」と呼ばれる、無意識の自我のようなものが存在すると考えられているので、気になったら調べてみて下さい。 釘を刺しておきます、「唯我論」「独我論」と呼ばれる説を否定するわけではありませんが、自殺を考えるのは早計です。さらにその先に答えがあると思います。

CrazyInVain
質問者

お礼

私の想定しているのは、異なる意見を持つ他者との 議論に必要な最低限の寛容性のようなものです。 確かに心理学のフロイトやユングの論考は 自分の無自覚な部分を考える上で 非常に役立つかもしれません。 ちなみに私は現時点においては 全く自殺・自傷の欲求を感じてはいません。 ご回答有難うございました。

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