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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:歴史問題 1920年~ 戦争)

1920年代の日本の戦争への道:なぜ止められなかったのか

sudacyuの回答

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  • sudacyu
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回答No.5

 確かに難しいですね。  提示された「経済不況、農村問題、治安維持法、マスコミ、国際関係、対中国政策」を使わないようにして、概略を述べますので、参考にして自分で詳しく論を作ってください。  第一次世界大戦によって、それまでの世界経済の中心地であったヨーロッパ経済が大打撃を受け、世界経済の在り方が大きく変わります。  第一次世界大戦では ・総力戦・・・国力を全面的に傾けた経済力が物をいう戦争になった。 ・ロシア帝国が崩壊し、ソ連が誕生した。 ・ヨーロッパに武器や物資を輸出したアメリカの経済力が格段に向上した。 ・戦争遂行に植民地の協力を必要としたために、ヨーロッパから遠い、アジアではヨーロッパの支配力が低下し、植民地独立の動きが顕在化した。 ・激しい長い戦争の結果、ヨーロッパ諸国民に、厭戦気分があふれた。  また、日本と欧米列強との軋轢として、 ・ヨーロッパが戦場となって、欧米列強が中国に力を注げない間に、日本が中国に「利権」を認めさせたことが国際問題化し、9カ国条約が結ばれた。  条約内容  1、門戸開放・・・中国を開放経済とする。  2、機会均等・・・列強は中国から同等の扱いを受ける。  3、主権尊重の原則・・・中国の独立・領土保全をする。 ・結果として、第一次世界大戦時の軍事力を背景にした日本の中国利権は、白紙に戻った。 ・中国市場・中国利権の獲得は、「経済戦争」となった。  ⇒ 結果として、至近距離にある日本が経済戦争で善戦するものの、第一次世界大戦によって世界でもっとも経済力のある国となったアメリカが、ヨーロッパよりも中国に近いこともあり、中国市場の支配力を拡大した。 (ソ連は、1920年代、まだ革命直後で国内経済の成長を必死に行っていた。)  中国市場をアメリカに支配されると、「列強」の地位から転落してしまい、日本自体もアメリカに経済支配され「アメリカのポチ」になってしまう可能性が大きかったので、日本は、大恐慌を境に、軍事力によって中国市場を確保する方向に動き始めます。  尚、最終結果として、1945年にアメリカに軍事支配され、「ポチ」となってしまうことになりましたが。

bakazyanaino
質問者

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