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日本は、いつ侵略戦争をしたのでしょうか?

 小泉首相の靖国参拝にからんでのいくつかの質問の回答に、過去の歴史、 日本の侵略の歴史と言っている人たちがいますが、具体的にはどの歴史的 事柄を指しているのでしょうか?  日本・朝鮮戦争はなかったし、日本・フィリピン戦争も日本・インドネ シア戦争もなかったと思うのですが、満州族による朝鮮支配や、アメリカ オランダによるフィリピン・インドネシア支配は正当なのでしょうか?  靖国参拝を非難している中共北京政府が今現在行っている、チベット・ 新疆の支配は、侵略ではないのでしょうか?

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  • ベストアンサー
  • cse_ri
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回答No.22

No.15の返答についてのコメントです。 >今の社会、今の日本に問題が無いとは言いませんが、少なくとも飢えに苦しみ、 >暴力におびえ、世界のどの国へ行っても、屈辱的な扱いをされることは無いと >思います。 >あなたの評価や批判は、父祖達の努力や苦しみを考えてのものですか? はい、そうです。 個人的なことを言えば、父方の祖父は太平洋戦争末期に徴兵されました。 あまり詳しくは知らないのですが、硫黄島に出撃する途中で終戦を迎えたと、 祖母や母から聞いています。 我が家の家系は頭が薄くなりにくいのに、祖父だけは南方でマラリアに罹った ためにハゲになってしまいました。 母方の祖父は、太平洋戦争以前に従軍し、満州に何年かいたと聞いています。 幸いなことに、どちらも戦死せずに無事復員しています。 ところで、type2さんも多かれ少なかれ感じているようですが、私も義務過程で 歴史教育を受けましたが、内容については多くの疑問を感じていました。 特に、明治以降何かと日本が悪く書かれていることについては、あまりいい気分 はしなかったことを覚えています。 その後高校の課程で世界史を習ったのですが、そこで始めて歴史の面白さに 目覚め、さらに司馬遼太郎全集にハマり、徐々に自分なりの歴史観を構築して いきました。 自分で歴史を学ぶなかで、特に日本について思いをめぐらすときに太平洋戦争は 避けて通れない事柄です。 学生の頃に昭和天皇が崩御したのですが、その時にどのテレビ局でも特集を組ん でいたのですが、そこで始めて昭和史というのを通して知ることができ、今まで 学んできた歴史とずいぶん違っていたことに驚いたものです。 最近、思うところがあってまた戦前・戦中の歴史を調べています。 太平洋戦争についてはいろんな見方がありますが、なぜ日本中が焦土となるまで ボロクソに負けたのか、戦争終結のシナリオさえ描けないままで勝つ見込みの 無い戦争に突入したかの理由を探そうとしていました。 そこで知ったのは、己の功績をあげることばかり考えていた陸軍の参謀の幼稚さ、 彼らに引きずられるままに暴走した軍部と、それを制止できなかったい政府の 情けなさです。 軍人全てが幼稚だとは言いません。個別に見ていけば立派な人も多くいます。 しかし、陸軍参謀の動向を調べれば調べるほどアホらしさを感じるようになって しまいました。 日露戦争当時、政府と軍が一丸となり、巧みな連携プレイをとって大敵ロシアに 立ち向かっていったことを知っているだけに、なおさらそう感じています。 私が太平洋戦争の肯定論者に成りきれないのは、過程よりも結果を重視するから です。どれだけ立派に戦おうとも、戦争に負け、国土が荒廃した結果を見ると、 やはりどこかに間違いがあったのではないかと思わざるをえません。 「日本の国運四十年周期説」というのを聞いたことがありますか。 学問的には立証されていないと思いますが、明治維新以降40年単位で国が興隆・ 衰退しているという説です。 大雑把に言えば、明治維新後、日露戦争勝利までの約40年間日本の国運は興隆 します。 その後国運が衰退し、やがて敗戦を迎えます。(この間も約40年) その後廃墟の状態から復興が始まり、経済が発展して外貨準備高世界一になる 1980年代半ばまでが約40年です。 上記の説によると現在は衰退期にあり、あと何十年かするとまた国が破綻を 迎えるという推測ができます。ここ10年程の政治・経済の混乱ぶりを見ると、 日本が衰退期にあるという考えを打ち消すことができません。 しかし、人間は学ぶことができますから、歴史を上手に学べば過去の誤ちを回避 することができるのではないか、ひょっとすれば衰退してく運命を覆せるのでは ないか、そういう風に私は考えています。 進んで死者に鞭打つ気持ちはありません。知覧から出撃した特攻隊員や、戦後 シベリアで強制労働をしてきた方たちのことを思うと、本当に胸が痛みます。 しかし、未来を築くため、同じ歴史を繰り返さないために、過去の歴史をどう 評価するかというのは重要なことではないでしょうか。 過去の歴史を変えることはできませんが(歴史解釈の変更はできるけれど)、 未来はこれから創造できるものと信じています。 type2さんも国を愛するがゆえの発言かと思いますが、私も思いは似たような ものです。ただし、観点が少し違うだけではないかと思います。 最近、田原総一郎氏の「日本の戦争」を読んでいます。 田原氏はすこ~し左翼的な方のように思っていたので今まで敬遠してきたので すが、この本は読み応えがあります。明治時代については多少違和感を感じて いますが、昭和初期の記述については、実に読み応えがありました。 ご参考まで。

type2
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。(これは8月19日に書き込んでいます。) >日本が焦土となるまでボロクソに負けたのか・・・ ある意味では、そこまで徹底してやったから戦後の日本があるのだと思います。 >四十年周期説・・・ >日本が衰退期にある・・・ >衰退していく運命を覆せる・・・ 日露戦争により、欧米(白人)による世界の植民地化の歴史が止まったとする解釈があります。大東亜戦争により、植民地解放の歴史が始まったとする解釈があります。 大東亜戦争のような悲劇を繰り返したくない、過去の過ちを回避したいと考えるならば、日本の歴史だけでなく、世界の歴史も同じように見る必要があるのではないでしょうか? >田原総一郎氏の「日本の戦争」を・・・ 田原総一郎さんの「日本の戦争」は、確かSAPIOとういう雑誌の連載を一冊にまとめたものだったと思います。雑誌連載の頃は、これまでの田原総一郎さん自身の考えに疑問を持って、歴史の見直しを行っているということを感じられましたが、本に纏めたときにかなり変更されたようです。機会があれば、SAIPO連載時のものも読んでみると面白いと思います。 日下公人さんや小室直樹さんの本も読んでみると、大東亜戦争に対する見方が広がると思います。

その他の回答 (22)

回答No.23

1.あなたは国籍とか何かを書かないと意見を述べるなと言う方ですか。人趣で差別するような方ですね.戦前の言論統制のように,type2さんはあなたに気にいらないこと意見だから,日本人とか,韓国人とかで非難され.意見を述べるなというのでしょうか.国籍もなく自由に答えて,意見がいえるのが、この覧ではないでしょうか. あなたの気に入る答えが返るとは限らないでしょう. 2.あなたは戦争のこ体験者か,日本で空襲を体験された方なのでしょうか.  また,ご親戚に兵隊としても海外に派遣された方がいるのでしょうか.   戦争体験者の方の話しは本ではかかれないこともあるでしょう.   戦争を終わり、復員兵の話し-現地で,何をしたか,話されましたよ.やはり日本人としてわくわくして聞いていました.私もすべてが日本が悪いとは思っていませんし。日本には日本の歴史観があって言いと思いますが,韓国は韓国の歴史があります.韓国の教科書-日本語訳ですが,読んでビックリしました.日本での英雄が悪人です.腹も立ちましたよ.しかし,これは韓国の歴史の解釈ですから。そうかその国の見かたがあることで,日本には日本の見方があるのだと知りました.そう考えると,わたしのもやもや-日本が悪いということ-を解消してくれました.ね.しかし,歴史は事実だけを見ることですが,その事実をどう解釈していくかがいろんなが考えがあるはずです.それらの意見もそのような見方があるんだと寛容な態度でないと,物事の見方がよくならないし,発展しないと思います.   cse_riさんのように日本陸軍部の頑迷さが日本を危なくしたと思っています.昭和天皇も対米宣戦する前に軍部には注意をされています。また昭和天皇もがこれ以上戦争してはならないと思われて,ポツダム1宣言を受諾したのではないですか. cse_riさんの気持ちとに納得します. 3.ベトナムについてですが,南北ベトナムがあったことをご存知ないのですか.  歴史を云々されるわりにベトナムの簡単な歴史もご存知ないのでしょうか,  南べトナム政府からの要請でベトナムに派遣されたこと、韓国がアメリカ軍事同盟国としての派遣です.南ベトナムの了解の元でされたことでも、侵略になるのでしょうか.北べトナムからいえば侵略になるでしょうが、当時の南ベトナムからはOKがでています.オ-トラリアも参加したと記憶しています。 4.この欄は時には自分の意見とは反対の質問をしってされる方もいます.それは意図的にその「反対の質問」から来る回答が、自分とは同じ意見の人がいるのか探ることもできるのです。 保険外交員だったのに、保険を知らないフリして質問してくる人もいます.だから、あなたがあなたの意見と反対だからといって人を非難することはやめた方がいいと思います.この狭い地球で、大戦争が起これば、すべて破滅です.国籍にとらわれることもときにはいるし、いらないときもあるのではないでしょうか.

type2
質問者

お礼

これは、8月19日に書き込んだものです。 それぞれの国、それぞれの民族には、異なる文化・教育・歴史的背景と、時には相反する利害があります。他の国と、その歴史について非難し、否定的な意見を述べるのであれば、自分の立場を明らかにすべきではないですか? 自分の立場を明らかにするということを、差別だと感じる自分に問題があるとは思いませんか?

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回答No.21

>ヒストリアン・ヒストリー以下の記事の詳細また、掲載・発言の日時・場所等について >知りたいのですが、どこに載っているのか教えていただけませんか? これらは、本で読んだときに書き写したり、ネット上で見かけた時にコピーしたりしたものの中から引用しました。見かけるままに書き写したりコピーしただけなので、どの本か、どのサイトかは記録していません。私の読む本は購入2割、図書館8割なもので・・。 ヒストリアン・ヒストリーは、日韓併合において日本と協力して韓国の近代化を目指した朝鮮人たちの努力と苦労、いかに朝鮮人と日本人が力を合わせ白人の支配から自分達を守ったかという話の中に、ロシアから朝鮮半島を守った日露戦争における日本の勝利がいかに白人国家にとって驚愕ものだったかについてふれた個所での引用でした。本というより雑誌に記載された誰かの論文だったと思うのですが、ごめんなさい、この言葉だけで雑誌名を記録してないのです。学者も確か韓国人だったと思うのですがはっきりしません。 バ・モー元首相の言葉は、ビルマ独立宣言の時のものです。 サイデマン外務省上級大使とヨルフ・パルガス駐日大使の言葉は、戦後50周年に行なわれた「アジア共生の祭典」においての発言だったはずです。 あとはちょっと思い出せません。 お役に立てずこんな事を聞いて申し訳ないのですが、他の回答者の方の回答からの疑問なんですが・・・。 type2さんはかなりの知識をお持ちだから、ABCD包囲網で苦しんでいる時、タイが日本に資源を供与してくれた事や、日本の開戦後、タイも英米に対して宣戦布告したことはご存知だと思いますが、日本とタイが交戦したなんてご存知でしたか?もしそういう事実があったのなら教えてください。 日本人が生きて帰る事を恥としたなんてご存知ですか? 生きて帰ってきた人は義勇兵として現地に残った人の何百倍もいますものね。帰って来いという国の命令ですものね。 生きるために戦う自衛の戦争、とは何も普段の生活の事じゃなく、白人による有色人種支配から日本の独立を守る、という事ですよね? それとブロック経済のことですよね? 中国戦線はとても日本から軍隊を送り込んでの戦争とは言えませんものね。国共合作による戦線拡大策に日本軍ははまったとしか思えませんものね。 いくつかのお礼の中でおっしゃってるのは、敵を捕虜とした、という事であって現地人を捕虜にしたなんて言ってませんよね? No4のお礼でおしゃってるのは「資源が購入できたなら」と欧米の帝国主義とブロック経済の事をおっしゃってるんですよね? 資源を購入する財力のことじゃないですよね? 目をつぶっているいる訳じゃなくて、むしろ逆に「現地民に望まれもせずに強制したことがたくさんある」と「思う」ではなくて、そういう事実があるなら示してくれ、と言ってるんですよね?

type2
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。(この書き込みは、8月19日に行いました。) >ヒストリアン・ヒストリーは、・・・ ありがとうございます。 >日本とタイが交戦・・・ たしか、終戦前後にタイではクーデターがおき、現地の日本軍との間に戦闘があったと記憶しています。 >日本人が生きて帰ることを恥とした・・・ もうかなり前になりますが、小野田少尉という方だったと思うのですが、戦後何十年かたって日本に帰ってきたときに、「恥ずかしながら」といって羽田空港に降り立ったことがあったと思います。死んでしまった戦友に申し訳ないという気持ちや、戦争に負けたこと、捕虜になったことなどに責任を感じ、生きて帰ることを恥とした人たちもかなりいたという話しを聞いています。それほど当時の日本人は、強い責任感を持って大東亜戦争を戦っていたのだと思います。 インドネシアなどで義勇兵として現地に残った方々は、連合軍との戦闘停止および帰国という命令に背いたため、脱走として扱われたはずです。脱走扱いにしなければ、日本はポツダム宣言の受諾に反することになります。脱走兵として扱われても、現地の独立に参加した義勇兵の方々の、責任感の強さを賞賛すべき事柄だと思います。 >現地人を捕虜にした・・・ >現地民に望まれもせずに強制したこと・・・ これは、両方ともあったと思います。ただそれが、日本を特別に非難するようなものであったかどうかということが問題だと思っています。 当時の状況を考えれば、大東亜戦争は「自衛」戦争であり、大東亜戦争の遂行中に日本および日本軍は、特別に非難されなければならないようなことを行っていないと考えています。 すべての戦争を「侵略」戦争だと言う人たちには、戦争という行為を伴わずに、当時の日本のおかれた状況を解決できたとする根拠を示して欲しいと思っています。 他の国への思いやりという前に、自分達の父祖への思いやり、当時の状況を考えてみて欲しいと思っています。 すべてに賛成しているわけではありませんが、西尾幹二さんが「国民の歴史」の中で言われているように、安易に「侵略」戦争と言う言葉を使うことの危険性についても考えるべきだと思っています。

  • DASS
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回答No.20

すでに19件の回答と、多大な量のお礼が出ていますので、私のような若輩者の出番は無いのですが、二度と戦争など起きて欲しくない者として書かせていただきます。 まず、「侵略」の定義をきちんとしないといけないと思います。type2さんが書かれているように、どこかに進出し、何かを奪うことでしょうね。 「どこか」とはどこでしょうか?これは「自国以外のどこでも」だと思います。 「何か」とはなんでしょうか?これは「人、物、資源」でしょう。 type2さんも#4のお礼で書かれているように、当時の日本は資源を求めて、武力をもって南下したと考えられます。それだけで「侵略」と言えるのではないでしょうか? きれい事かもしれませんが、「武力が自国から出てはいけない」と思います。 そういう点では、私にとっては、大戦前の欧米による植民地政策も「侵略」です。 今の日本だって、アメリカに侵略されていると言う考えができます。ただ、下に述べるような「現地人への強制」が見えにくいだけ(限定された土地の占有と、思いやり予算に限定されているから)です。 次に、武力が進出した後の事について考えます。 type2さんが#12のお礼で書かれている、「強制労働について」を読ませていただくと、当時の日本がおこなった「良くないこと」がわかります。 >>まず、戦争期間中に捕虜を労力として使用すること、 その他のお礼でtype2さんが時折、「日本軍は、その国の自主独立のために働いた」と書かれていますが、本当にそうなら捕虜にはしないはずです。 >>正当な対価を支払って現地住民を使役することは、強制労働ではないと思います。 本当に正当な対価を払っているならいいのですが、当時使役されていた人にとっては、正当な対価と思えなかったのでは無いですか?もし当時の日本にそれだけの対価を払うだけの財力があるなら、武力進出は不要だったのではないでしょうか? type2さんの#4のお礼では、「財力が無いから資源を求めて武力で南下した」ととれるのですが? >>当時の朝鮮人は、日本国の国民として扱われており、 当時の現地民は、日本国民になることを望んでいましたか?type2さんは「権利を与えたので義務があって当然」と書かれていますが、「欲しがってもいない権利を勝手に与えただけ」なのではないでしょうか? 現地民の望まないことをして、何が「自主独立を助ける」ですか? そのほかにも、「現地民に望まれもせずに強制したこと」はたくさんあると思います。type2さんはいろいろご存じなのに、それらには目をつぶっているだけな気がします。 時として、がまんやあきらめが必要なときもあるでしょう。世界中の人が、自分のことだけでなく、お互いに、相手の立場や気持ちになって考えるようになって欲しいと思います。

type2
質問者

お礼

(8月19日) >私のような若輩者の・・・ ほんとに、教育はすでに破綻していると思う。 >#4のお礼では、「財力が無いから資源をもとめて・・・ ABCD包囲網、対日禁輸、ブロック経済というのを知らない人がいるとは思わなかった。多分、排日移民法も日本の対米資産の凍結も、当時日本が国際連盟に提案して否決された、人種差別禁止動議も知らないんだろうね。 >二度と戦争など・・・ もし、戦争が二度と無いようにしたければ、戦争とは何か、戦争がなぜ起きたのかについて学ぶ必要があるね、病気について知らなければ、病気を治すことも、病気を予防することもできないでしょ。 >現地民に望まないことして・・・ 大東亜戦争前のアジアの状況について、少し勉強してから書き込みしてくれるかな?

  • 9033
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回答No.19

>日本の侵略の歴史と言っている人たちがいますが、具体的にはどの歴史的事柄を >指しているのでしょうか? type2さん、前提が全然違ってますよ。 type2さんは『歴史』の事実を学んだ上で「はたして侵略であったのか?」との『意見』 を持っていらっしゃいます。 type2さんが指していらっしゃる人達は、「侵略であったという意見」を学んで、 「侵略であった」という『意見』を持っています。 だから、type2さんが 「侵略であった」という意見を持つに至った『歴史』の事実は何ですか? と問いかけても、おそらく返ってくるのは『意見』だと思います。 おまけに、右・中立・左とか、自虐・中立・自由とか、まず立場が取り沙汰されます。 事実は事実なのに、その事実を主張するのはこの立場である、と事実の検証よりも 自分の立場をどこに置くかが問題とされます。 事実はひとつですが、意見はいろいろありますから type2さんが「その意見はどの事実からきたものですか?」と問いかけても、 type2さんが指していらっしゃる人達は「いろんな意見を認めようじゃないか」と何の話 をしているのか解らなくなってしまうと思います。 『歴史』の事実、と『意見』は別です。

type2
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。(これは、8月19日に書き込んでいます。) No14でも書いたのですが、誰でも、その考え、意見を持つにいたった根拠が、多かれ少なかれあるように思えます。その根拠が事実かどうか、事実の解釈はそれで良いのかどうかが問題であるように思えます。 >おまけに、右・中立・左とか、自虐・中立・自由とか・・・ この、自虐とかなんとかは、私の知る限りでは、大東亜戦争やこれまでの日本の歴史を、肯定的に考えている方達が言い始めたことだったと思います。ある意味、うまい言い方だったとは思うのですが、ご指摘のように話しをややこしくしてしまったところもあるようです。 別に、立場が取りざたされたならば、自分の立場というのを説明してから、歴史の話しをしても良いのではないでしょうか? もし、それでも歴史事実の認定や、事実の解釈について冷静に話し合えるようでなければ、それはそれでしかたが無いと思い、その場から立ち去ればよいのではないでしょうか? ただ、異なる考えや意見を持つ人と話す場合、勝った負けたになりやすいので、どうしても言いたいことがあるならば、できるだけ冷静・客観的に自分の考えを伝えるしかないと思います。 >「いろんな意見を認めようじゃないか」・・・ ある意味で道徳的な話しになるのではないかと思います。 あきらかなウソや、でっち上げ、根拠の無い誹謗・中傷であれば、なぜそれを認めようとするのか、相手に聞いてみるしかないですね。プロパガンダのように、自国、自分が属する集団、自分の利益のために、虚偽を流し、虚偽を認めさせようとする人たちもいます。 ただ、自分の意見が絶対に正しいわけでも無いということは、意識していなければならないと思います。

回答No.18

1.日本人として、日本の立場で書かれた本をお読みになったことはありますか- 日本人の立場で 戦争体験者から、いろいろと聞かされてきました。また源田さんの著書も呼んだことがあります.日米の経済、資源などの差で勝てないことを知りながら、ただ短期に終わると思っていたのでしょうが、 世界がき込んでしまったのでしょう.海軍がアメリカとの戦いを反対していたと思います.なぜ日本が戦争に進んだのかはアメリカの陰謀ともとれます. 2.植民地の中でも反植民地闘争で日本と手を結ぶものもあれば、そうでない人もいました. タイは当時でも独立国ですよ.そこへ日本軍が侵入して、タイ軍と交戦したのです.これは植民地闘争ではないです. 3.日本でもいろんな考えの方がいますから、私の意見「侵略」に納得してもらうつもりはありません.違う意見もあることが知ることも必要です. 4.東京軍事裁判は勝者の裁判の意見がインドの判事でしたが、彼はは日本びいきではなく、法律的にいったのです. 5.日本人は嫌われることが多かった・・・ 同じ軍隊で台湾の人達と韓国朝鮮の人たちも一緒に日本のために戦いましたが、台湾は兵隊は強制でしたか、朝鮮は志願兵もあれば、強制連行もありました.当時は日本人朝鮮韓国人を見下していたのです.80歳以上の普通の小学校の教育を受けた方にきいて見てください。いまはいいませんが、いまで言う差別語がいっぱい出てきます.私の母親もそうです.元朝鮮で、警察官をしていた日本人から、聞いたことがあります.どこの民族のなかでもも日本が嫌いな人も好きな人もあるでしょう. 5.戦争終結しても日本に帰ると殺されると思い.に義勇兵になったりしていることをご存じでしょうか.戦争で負けて帰れば、殺されると思っているのは、日本の本の兵隊だけと思います.インドネシア、ベトナム、カンボジアでの義勇兵の話を読まれたのでしょうか. いまの日本では考えられないことです.生きて帰ることを恥とした 教えの結果です. 6.生きるために戦う「自衛」の戦争もあるのではないですか?   相手が攻めてきたら、自衛のための戦争はあるでしょう.日本は鎖国しても生きてきた国です.生きるためとには、国の理論であって、一般の普段の生活は困るほどではなかったはずです.中国で短期に終わる戦闘が長引き、石油、鉄、などが不足し、ものがなくなったのです. 7.植民地を解放を助けたということもありますが、だからといって、建前の記録-たとえば、ノモハンでは敗れたにも関わらず.負けたとは記録はされていないはずと思います.だから、太平洋戦争も敗戦とは言わずに、終戦と言っています.ーばかりではなく.ほかの国との違いのずれも、日本の資料では分からないこともあるでしょう.相手のいう事の検証もしてみて下さい.

type2
質問者

お礼

失礼ですが、あなたは日本人ですか? 日本のホームページに、日本語で、日本の歴史を非難される書き込みをされるのであれば、まず自分がどこの国の人間かを知らせるのが礼儀ではありませんか? 記述からお見受けしたところ、韓国の方のようですので、1つだけ伺います。 ベトナム戦争では、韓国はベトナムに軍隊を送り、北ベトナム軍と戦争しています。あなたの定義によると、あなたの国はベトナムを侵略したことになると思うのですが、いかがですか?

  • cse_ri
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回答No.17

No.5の返答の件で一部回答します。 時間がなくて、まとめて返事できなくてすみません。 仕事の合間にちょろちょろと調べ物しているものでして。 今年は忙しくて、夏休みを取れるかどうか。(泣) No.5 cse_ri >東南アジアの幾つかの国に対して、日本は戦後賠償金を払っているのは >事実です。 No.5 type2さん >日本政府が、日本の侵略行為に対して賠償金を支払ったという事実は無い >と思います。 発言の趣旨が正確に伝わらなかったようなので、詳しく説明します。 私がここで言いたかったのは、「日本が東南アジアの幾つかの国に対して 賠償金を払った」という事実だけです。 type2さんの歴史観と非常に近い方(自由主義史観研究会)の方の意見を 紹介します。 http://www.jiyuu-shikan.org/frontline/sugimoto/sengohoshou.html それから、別の方(京大ユニセフクラブ)の研究内容もWebで探しましたので、 併せてご確認ください。 http://www.jca.apc.org/unicefclub/research/97_oda/oda_1_2.htm

type2
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。(これは、8月18日に書き込んでいます。) >時間が無くて・・・ cse_riさんが、自分の回答に対して責任をとるために、調べ者をされているのならば良いのですが、この質問へ回答するために、わざわざ時間を割いているのならば、その必要はありません。 質問の困り度のとおり、あくまで暇なときに、興味があれば、回答をお願いします。 >typte2さんの・・・ >それから、・・・ どちらのページも読ませていただきました。 戦後賠償が、日本の侵略行為にたいして支払われたとするならば、“侵略行為として認定した事実は何か”ということを伺いたかったので、そうでなければ、特に「侵略」戦争の論議には関係の無いことのように思われますが、いかがですか?

noname#883
noname#883
回答No.16

この種の問題を考える場合、二つのことを分けて考える必要があります。 即ち、(1)歴史の真実はどこにあり、それはどう記述されるべきか。 (2)自分たちの史観、記述方以外のものを「歪曲」「美化」などと言っていること。 (1)については、今後もずっと行われ続けることでしょう。したがって、(2)の運動をしている人たちも、永遠に心は休まりません。 現在は、この二つの問題が、ごっちゃに扱われ、とても危険な状態です。 たとえば(2)の立場の人でも、自分たちの主張を補強するような資料は、(1)の過程に於いてこそ発掘される物です。 ちょっと質問からは、ずれた答えになってしまい申し訳ないのですが。

type2
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。(これは、8月18日に書き込みました。) >歴史・・どう記述されるべきか・・・ >「歪曲」「美化」などと・・・ まさにそのとおりだと思います。できるだけ感情的になるような表現は避けているつもりですが、今後は注意します。

  • cse_ri
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回答No.15

No.13の件で追加のコメントです。 今までのtype2さんの発言を読んでいると「自由主義史観」的な考えを お持ちのようですが、(外していたらすみません。それからNo.14の 9033さんも同じ系統の考えをお持ちのようです) 私としてはNo.10で述べているように、なるべく中庸の立場で歴史を 考えようとしています。 一部の左翼的な考えをお持ちの人たちは、太平洋戦争当時の日本を全部 否定して捉える傾向があり、当時の日本軍や日本人の行動に一律して 反対の意見を述べる傾向があります。逆に「自由主義史観」をお持ちの 方は、全肯定しようとする傾向があるように思います。 私としては全肯定も全否定もせず、案件を個別に考えて評価したり 批判しようという考え方です。 本論に戻り、インドネシアの件について再考します。 No.13では、主に軍部首脳と政府がインドネシアに対して取った行動を 批判しましたが、インドネシアの現地部隊には軍部首脳とは異なる思惑 を抱いていたことが伺えます。 つまり、インドネシア進出の名目としていた「植民地解放」と「独立支援」 を本気で考えていたということです。 インドネシアに軍政を敷くに際しても、その観点での施策を行いました。 このことが軍部首脳の意向と合わなかったため、司令官が更迭されるという 結果になります。(参考URL参照) また、戦後も連合軍の目を誤魔化しながら独立軍に武器を渡したり、一部 の日本兵が義勇軍に参加するといった行動は、少なくともインドネシアの 独立について前向きな考えを持っていなければ、できることではありません。 とりあえず、インドネシアについてだけ詳しく述べましたが、歴史を片面 からだけ見ていると、全体像が見えなくなります。 ここでは軍部首脳と日本政府の取った行動と、現地日本軍の行動という観点 で考えましたが、どちらか片方だけ見ていると、もう片方の内容が見えなく なってしまうということを理解していただければ幸いです。

参考URL:
http://www2.justnet.ne.jp/~yoshiro/no_frame/history/honbun/indonesia.html
type2
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。(これは、8月18日に書き込みました。) >「自由主義史観的」考え・・・ >一部の左翼的な考え・・・ 左翼的な考えというのは、テレビでよく見かけるのでなんとなく理解できるのですが、自由主義史観的というのはよく知りません。本屋では見かけますが、あまり購入したことはないですし、インターネットでもあまり見ていないので。 私は、新しい歴史教科書を作る会の会員ですが、どちらかというと谷沢永一氏の“「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する”のほうが私の考えに近いと感じています。たいした活動もしていない私が言うのは気が引けるのですが、今の歴史教科書や歴史教育がひどいとは思いますし、作る会の理事の方々のご活躍はすばらしいとも思っていますが、作る会の教科書の内容については疑問を感じています。というのが私の考えです。 >評価したり批判しようという・・・ あなたが評価したり、批判しようとしているのは、今の豊かで平和な日本を築いてくれた、我われの父祖たちであるということを理解していますか? 今の社会、今の日本に問題が無いとは言いませんが、少なくとも飢えに苦しみ、暴力におびえ、世界のどの国へ行っても、屈辱的な扱いをされることは無いと思います。 あなたの評価や批判は、父祖達の努力や苦しみを考えてのものですか? 大東亜戦争以前の世界と今の世界を比べてみたことがありますか? >本論に戻り、・・・ 上記の部分以降については、No13へのお礼に書き込んだとおりに考えています。

  • 9033
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回答No.14

>小泉首相の靖国参拝にからんでのいくつかの質問の回答に、過去の歴史、 >日本の侵略の歴史と言っている人たちがいますが type2さん、前提が全然違いますよ。 type2さんは『歴史』を学んで「日本は侵略をしたか?」と考え、 「日本は侵略をしたか?」という視点で『歴史』を見直してらっしゃいますが、 type2さんが指していらっしゃる人たちが知っているのは『話』です。 『歴史』と「日本が侵略をした」という視点から「日本が侵略をした」という前提で書かれた 「日本が侵略をした」という『話』は別です。 「侵略した」という前提の話では、日本の判断・行動はすべて「侵略」で片付いている から何故日本がその判断・行動をとったかを考える事を必要としない。 アジアに独立近代国家があったら日本は戦争をする必要がなかったかもしれないのに、 何故日本が戦争をしたか、が「侵略した」で片付いているから、戦後のアジアの独立との 因果関係がわからず、占領地の民族に軍事組織を作らせ訓練した事がその当時どういう 意味をもつのかを考える事を必要としない。 「侵略した」という前提の話では、日本が植民地とされる危険がまったく考えに入って おらず、日本が侵略されなかった事が当たり前となっていて、有色人種である日本が いかにして独立を維持したか、という事を考える必要がない。 「侵略した」という前提の話では、アジア現地民族は日本に侵略された人たちであると いうことで片付いているから、戦争・侵略・占領・進駐・軍政などの区別をつけない。 侵略・割譲・併合の違いがわかるようになっていない。「自衛」は攻撃されたら守る事、 であり、守る為に戦争する、という事が理解できるようになっていない。 「侵略をした」が前提の話では、国際法がどれほど白人国家の都合でころころ解釈が 変えられたかを考えに入れていないから、事後立法で裁いた東京裁判が合法になる。 「侵略した」という前提で虐殺したという話が書いてあるから、虐殺が事実であるかを 検証しようという疑いの観念を持つ必要がない。 「日本が侵略した」が大前提にすでになっている話だから、侵略とは思えない話はすべて 「日本の表向き」になっている。 「侵略した」が前提の話では、当時のアジアの人たちの考え・行動を理解しようとせず、 すべて被害者で片付いているため、今現在のウイグル・チベットの人たちの悲劇が理解 できるようになっていない。 「侵略した」が前提の話では、「侵略したか?」を検証し考える必要がないから、 今現在中国がウイグル・チベットでやっている事が侵略か否か解るようになっていない。 日本は侵略をしたか? を「自分で考え調べる」type2さんの学んだ『歴史』と、 日本は侵略をした、という前提で書いてある『話』は別です。 マレーシアでは、日本のコタバル上陸50周年が祝われました。 ミャンマーでは国軍記念日のパレードに軍艦マーチが使われています。 インドネシアでは独立記念日の国旗掲揚が日本兵の衣装とインドネシアの民族衣装 の男女の三人で行われています。 インドネシアの祖国防衛義勇軍の記念式典では日本の軍歌が歌われています。 昭和53年、フィリピンのマルコス大統領は、益田忍夫の孫、益田豊夫妻を独立記 念日の6月12日に招待し、フィリピン独立功労者の遺族という最高級の栄誉を授 与しています。 イギリス 「ヒストリアン・ヒストリー」 日露戦争における日本の勝利によって、白人は支那をケーキのように切り分ける事 が不可能になった。 タイ  ククリット・プラモード元首相 日本のおかげでアジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母胎 をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。こんにち東南アジア諸国 民が、米・英と対等に話ができるのはいったい誰のお陰であるのか。それは身を殺 して仁をなした日本というお母さんがあったためである。12月8日は我々にこの 重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して、重大決心をされた日である。 我々はこの日を忘れてはならない。 ミャンマー(旧ビルマ) ビルマ独立義勇軍 アジア人の前衛たる日本人は、自らの社会経済的進歩と教育の発達のみを求めて闘 いを進めたのではない。インド・ビルマ・チャイナ・フィリピン・スマトラなどに おいて、政治的にも経済的にも足かせをはめられて抑圧されていた人々のために闘 ったのである。 ミャンマー(旧ビルマ) 独立後初代首相バ・モー 我々はイギリスと戦ってきたけれども、ビルマが独立をもういちど取り戻す事は、 私が生きているうちには無理だと諦めていた。しかし、今日本国家が手伝ってくれ て生きてビルマの独立を見る事ができた。涙が止まらない。 マレーシア  独立運動家ラジャー・ダト・ノンチック 私達アジアの多くの国は、日本があの大東亜戦争を戦ってくれたから独立できたの です。日本は永い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、 とても白人には勝てないとあきらめていたアジアの民族に、自分達の祖国を自分達 の国にしよう、という心を目覚めさせてくれたのです。私達はマレー半島を進撃し ていく日本軍に歓呼の声をあげました。破れて逃げていく英軍を見たときには今ま で感じた事のない興奮を覚えました。 フィリピン ヨルフ・パルガス駐日大使 しかし、大日本帝国は軍政を最終的に撤廃し、フィリピン共和国の独立を承認する というこのうえない形で、その高邁な精神と理念を表明した。帝国はそのすべての 宣誓と宣言を誠実に守り、フィリピン国民が憲法を制定し自らの文化と伝統に調和 する国家を樹立する最大の機会を開いたのである。大東亜において日本帝国はあま りにも厳しく、あまりにも不当な圧制暴虐の侵略者として避難されているが、その 寛容と自由の実践は世界も驚くであろう。日本は帝国ではあったが、一つの共和国 を認め、まさにその樹立に参画した。 インドネシア ズルキフリ・ルビス 独立戦争の情報担当  オランダに再植民地化をあきらめさせる中心となったのは義勇軍出身者でした。 日本がインドネシアにもたらしたもの中で、最も素晴らしかったことは訓練ですが、 それがインドネシアの独立にとって最も重要な要素となったのです。 訓示の内容は、アジアを解放するために日本軍はインドネシアに来たが、独立は自 分の力で成し遂げるものである。しかしインドネシアは教育や軍事などあらゆる面 で遅れているので、いますぐ独立はできないだろう、日本軍は知っていることをす べて教えるので、一日も早く学んで立派に独立してほしい、というものでした。 インドネシア 独立後初の首相モハマッド・ナチール 元イスラム協会会長 《日本軍はイスラム教に対するオランダの制約を撤廃し、マシュミ(インドネシア回 教連合会)を作って、イスラム教の指導者達が初めて直接話ができるようにした》 大東亜戦争というものは、本来なら私たちインドネシア人が、独立のために戦うべ き戦争だったと思います。もしあの時私たちに軍事力があったなら、私たちが植民 地主義者と戦ったでしょう。大東亜戦争はそういう戦いだったんです。 インドネシア サイデマン外務省上級大使 私の国インドネシアの場合、多くの日本の青年たちがインドネシアを自由にするた めに独立の闘士たちと肩を並べて戦ってくれました。そして多くの日本の青年がそ のために命を捧げてくれました。今日このアジア共生の祭典において、私たちの独 立のために命を捧げてくれたこれらすべての若者たち を偲びたいと思います。 1928年のパリ不戦条約で、自衛などの正当な理由無く、先に攻撃を仕掛けることが 禁じられ、東京裁判で日本がこれに違反したと非難されたとき、日本の翻訳団が 「先攻」とでも訳すべきを「侵略」と誤訳しました。以後パリ不戦条約で定義された aggression は「侵略」となり、強盗のようなイメージが漢字語圏に広がりました。

type2
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。(8月16日に書き込みました。) 仕事仲間との話しや、クラブなどで飲んでいるときでも、日本が「侵略」戦争をしたという話しが出たときには、必ず反論するようにしています。多くの人は、毎日が忙しく、マスコミ(特にテレビ)から流される情報を評価する余裕はないようです。また、学校でも日本が「侵略」戦争をしたと教えているため、特に意識することなく、日本の「侵略」戦争を信じているのが実情のように思えます。 ただ何の根拠も無く、日本の「侵略」戦争を信じているわけではなく、どの人も、自分が、「日本が侵略戦争をした」ということを信じるにたる、事件や事象について語ってくれます。その中には、これまで知らなかったこともあり、考えたり、話したり、調べたりすることも、良い訓練になっています。 休暇で時間があったので、この質問を出してみたのですが、個人的には良い勉強になったと思っています。 ところで、ヒストリアン・ヒストリー以下の記事の詳細また、掲載・発言の日時・場所等について知りたいのですが、どこに載っているのか教えていただけませんか?

  • cse_ri
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回答No.13

No.6の返答について、再コメントします。 とりあえず、問題をインドネシアに絞っての内容です。 「侵略」という言葉を私も不明確に使っていたので、 No.11のnorth073さんの意見を元に考えます。 確かに太平洋戦争勃発当時は「インドネシア」という国家はなかったので、 インドネシアへの侵略という言葉自体は当てはまらないかもしれないですね。 正確には、「オランダへの侵略(当時、インドネシアはオランダの植民地だった)」 ということになるのでしょうか。 このことだけ捉えれば、「インドネシアを欧米諸国の植民地から解放した」 と言い変えることもできるでしょう。 しかし、その後が問題です。 インドネシアを占領した日本軍は軍政を敷きました。インドネシアの独立指導者 であるスカルノを手駒に持ちながら、独立を認めなかったのです。 理由は、鉱物資源供給地であるインドネシアを軍部が手放したがらなかったから でした。終戦ぎりぎりの1945年7月まで独立を承認せず、日本軍占領下においた 事実を考えると、それまでの植民地支配国であったオランダと同じことをして いたのではないでしょうか。 No.5でも少し述べていますが、建前の「植民地解放」と本音が一致していれば、 もっと早い段階で独立を承認できたのではないですか。 本音の「資源確保」が優先したから独立を認めなかったのではないでしょうか。 「資源確保」だけ見れば、それまでの宗主国であったオランダと何が違いますか。 ただし、軍部と政府で意見の統一がされていなかったことは、資料(※1)から もうかがえます。しかし軍部に押し切られた以上、国として早期に独立を承認 できなかったのは事実です。 終戦間際に独立を承認しますが、この時点では制海権が連合軍に完全に押さえら れ、資源供給地としての価値がなくなってしまったからと言う事もできます。 インドネシアに「侵略」という言い方はやめます。 しかし、インドネシアを軍事的に「占領」し、「植民地解放」は名目だけで 「資源供給地」としていた事実は残るでしょう。 ただオランダの支配と日本の軍政を比較すると、No.6でも述べたように  ・行政組織の整備  ・インドネシア人の軍事訓練 などを行った点は評価できると思います。 しかし、決定的にマズかったのは  ・宗教統制 でしたね。インドネシアに広く普及していた宗教(イスラム教など)を無視して、 神道を持ち込んできましたので、現地人の心を掴むことに決定的に失敗しまし た。宗教は心の問題だから、ここで失敗すると取り返しがつきません。 [参考資料] ※1「教科書が教えない歴史3」 P261~263 産経新聞社

type2
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 (なかなか書き込みが追いつかなくて・・・、8月16日に書き込みました。) >「侵略」という言葉・・・No11.の・・・意見を元に No11で示された「侵略」の法的解釈は、誤っているように思われます。No11のお礼として述べさせていただいたように、当時の法解釈によって「侵略」の定義はできないと考えます。 >しかし、その後が問題です。・・・ インドネシアの独立時期がいつごろが適当であったか、軍政が適切であったかどうかは、難しい問題だと思います。独立の中枢を担ったインドネシア人たちへの教育は3年程度であり、それをもっと短くした時に、独立の中枢を担えるだけの人材となっていたかどうかを考えると、早ければ早いほど良いと言う意見には賛成できません。 また、占領地の完璧な行政など、あの状況で可能であったとは思えません。完璧な占領地行政というものがあれば、教えていただけますか? しかし、元日本兵の参加もあったにせよ、オランダからの独立を果たし、独立後には、敗戦国となった日本を尊敬し、愛してくれた多くの方達がいたというだけでも、インドネシアの占領行政は、成功だったと思います。

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