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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:歴史認識について、)

歴史認識についての間違いを解説します

このQ&Aのポイント
  • 韓国について、当時の国際法に従って併合したことは正当化されるべきであり、日本は韓国の発展に多大な貢献をした
  • 現在の韓国政府の日本による植民地化主張には歴史的事実はなく、欧米各国も理解すべきである
  • 中国について、満州地域への入植は戦略上必要な措置であり、侵略戦争は認めるが謝罪し、復興に協力してきた

質問者が選んだベストアンサー

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  • hhasegawa
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回答No.5

概ね歴史的事実と適合していると思います。 こういった話をすると 感情論で反対してこられる方がいらっしゃるので 幾つかの事象を覚えていただいた方がよろしいかと思います。 たとえば ・1910年から1945年までの日本統治期間に人口が2700万人と倍増した ・識字率が低かったのが解消され、ハングルが広まった ・コレラや天然痘などの疫病患者が減った ・経済成長が著しく1920年代は日本やアメリカより高い経済成長率だった 下記の際ともご参照下さい。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE また、第二次世界大戦時の罹災者も日本より朝鮮にいた方が 被害が圧倒的に少ないです。

himana77
質問者

お礼

ありがとうございました。 韓国や中国では、100回言えばウソも本当になると思っているかのごとく、情報戦でやってきますので、日本人も真実はいつか分かるなどと黙っていないで、簡単で分かり易いストーリーを作って、国内外に宣伝活動をすべきですね。 ご教示の項目程度までならば良いのですが、細かい点を上げて甲午農民戦争がどうしこうしたと言われるのは困ります、全体像が分からなくなります。学者出なくとも分かる程度にしないと。 一緒に、歴史を正しく認識する会を作りたいものです。

その他の回答 (7)

noname#224207
noname#224207
回答No.8

No.4です わざわざお礼を記入頂きありがとうございます お礼の末尾に 「やはり併合というのは間違いで植民地支配が正しかったんですかね」 とありますが、正誤の問題ではなく言葉の解釈や使い方の違いです。 「植民地」という形態をどのように定義するかということです この言葉の概念は古くは古代ギリシャから見られますので、その時代時代の目的や統治方法が種種雑多です。 下記のサイトにも概略次のように述べられています。 1.領事裁判権や租借地・租界設定条約による治外法権の確立。 2.外交権や駐軍権のみを獲得し内政は先住民による統治に任せて原則として干渉しない保護領。 3.現地の王侯や部族長を通じて支配する間接統治。 4.本国から総督や民政長官、軍政長官などを派遣して支配する直接統治。 5.本国が外交と防衛のみを担当し内政は現地住民によって民選された政府・議会に委ねる自治植民地。ただし「自治」とはいっても、参政権は本国出身者に限定されたり、先住民の参加を認めても公用語(本国の言語)習得や一定額以上の納税などの条件を付けて、事実上の参政権が著しく制限されることが多い。 6.自国領への併合(この場合も従来の現地住民について、市民権や国籍上の地位に区別が設定されたり、併合領土での立法・行政権など統治形態が異なることがある) 出典 植民地 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/植民地 上記の説明の6に相当するのが日韓併合の形態かと思います。 この説明でも植民地の統治方法として項目を挙げながら、併合という言葉も使われています。 定義に拘りますと、イギリスのインドの統治方法からしても満州国はどこに区分されるのかという問題が出てきます。 現在のウクライナなどかつてのソビエト連邦を構成していた国をどのように見るかという問題も出てきます 現在も太平洋に沢山あるアメリカなどによる委任統治領をどのように考えるかということになります。 以上のように、「植民地」という言葉は時代や解釈の仕方で変わる言葉だとお考え頂いたほうがよろしいかと思います。 逆に言いますと使う人次第ということもできます。 アメリカは現在でもフィリピンのことをかつてのアメリカ領という言い方をして植民地とは決して言いません。 中国も東北地方をかつての日本の植民地とは決して言いません。 侵略したという言い方だけです。 蛇足 >せっかくご回答をかいていただきましたが、「・・・でしょうか」と私に疑問を書かれましても困ります。分からないから聞いているんですから。 お考え次第で回答内容が変わってきます。 拙文御容赦ねがいます。

himana77
質問者

お礼

再度ありがとうございました。 幅があるんですよね、そうでしょう。その前提で考えると、やはり私の理解としては、韓国は併合が正しいようですね。併合と言っても、何も対等合併だけではないでしょう。送れている地域は当然、ある程度の別扱いはせざるを得ないでしょう。 韓国を、英国がインドやらあちこちにやったような、いわゆるコロニーとして暑かったのではないでしょう?

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.7

"韓国の少なくとも一定数の国民が望んだし"   ↑ 一定数というのは、随分と控えめな表現ですね。 当時の民意に最も近かったはずです。 ”確かに侵略戦争をおこなったことはお詫びする”     ↑ お詫びなどするからつけ込まれるのです。 侵略が悪いというのなら、どうして欧米には抗議 しないのでしょうか。 当時は、侵略は悪いことではありませんでした。 現代の価値観で評価すれば、歴史の英雄は侵略者 であり独裁者ばかりです。 当時の評価は当時の価値観でやるべきです。

himana77
質問者

お礼

ありがとうございました。 >一定数というのは、随分と控えめな表現ですね。・・・その通りです。 >当時は、侵略は悪いことではありませんでした・・・その通りです。 したがって私は、安倍談話に入れほしいこととして次のようなことを考えています。これも後で質問出さないといけませんな。  我が国は、100年から70年前頃までは常識に近いものであった侵略をおこない、また併合や植民地化とも言われることをおこなった。しかしその後、時代の変化に沿って前時代を反省すると共に復興に多大の貢献をおこない、平和活動に邁進してきた。一方で、第2次大戦後の平和裏に維持されてきた国境線を変えようとする反平和的行動に反対し、自国の領域を守る国々の努力に協力するものである。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11121/34617)
回答No.6

あえて間違っているというなら、「それは日本人の視点に立っている」ということでしょうかね。 ここの他のカテゴリでは、「学生時代にいじめられて学校に行けなくなり、今は精神科通いです。あいつらのせいで人生がめちゃくちゃになった」という質問がしばしばあります。じゃあ、それは全部いじめた人が悪いんでしょうかね?もしかしたらいじめたほうとしては「いじめって程じゃない。からかいはしたけどね」という程度だったかもしれないし、いじめられっこには悪いけど、いかにもいじめたくなる挙動や言動がおかしい子はいたものです。 どっちが悪いかはさておいても、「殴られた方はいつまでも痛みを忘れない」ものです。 同じことは、原爆についてもいえるんじゃないかと思います。アメリカ人の多くは「原爆があったから日本はもう戦争に勝てないと決断することができた。そして、戦後はアメリカの指導のもとで奇跡的な復興をした。だから、アメリカが広島と長崎に原爆を落としたのはアメリカ人にとっても日本人にとってもかえって犠牲を少なくすることになったんだ」と考えているようです。 それがまったく間違っているのかというと、そういえる部分もあるのは事実です。実際に広島が新型爆弾一発で壊滅したと聞いて昭和天皇は「もうアカン。俺が決断しないとダメだ」と原爆の存在が玉音放送の一因になったのは事実のようです。 しかし、日本人の感情的な部分で「あれだけ多くの民間人が犠牲になって、生き残った人の多くも原爆症で苦しみ果ては被爆二世にまで影響が出るようなことをやっておいて『いい部分もあった』なんて、到底受け入れられない」ってなると思います。私自身も、ひとりの日本人として「理屈はどうあれ、原爆の使用は感情として肯定することはできない」と思っています。 今の日韓関係、日中関係の冷え込みは多分に政治的な問題です。それぞれの国家元首が今の人である限りは歩み寄りは現実的に不可能でしょうね。特に習近平さんは「強い国の、弱いリーダー」といわれています。はっきりいうとお坊ちゃまで、中国人のくせに口下手で他人を言葉で説得することができません。 また私は、野田首相が尖閣諸島を国有地にしたのが大失策だったと思います。それをされたら、中国も引っ込みがつかない。

himana77
質問者

お礼

ありがとうございました。 話がそれてしまいますが・・・実は私は(自分の身内が原爆の被害に会っていないこともあるのでしょうが)、「アメリカが広島と長崎に原爆を落としたのはアメリカ人にとっても日本人にとってもかえって犠牲を少なくすることになったんだ」と思います。もちろん私は日本人です。そして、たぶんあれで良かったんだと思えるんです。あれがなかったら、たぶん日本は間違いなく滅んでいた、と思います。だから、アメリカはひどいことをやったと思うんですが、結果的に良いことをやったと思えるんです。日本人は、アメリカが鬼になって原爆をおとしてくれたことに、感謝すべきです・・・たたかれるだろうな、こんなことを書くと。私の頭はおかしいんだろうか・・・後で質問出します。  でも私の偽らざる本心なんです。死んだ人は可哀そうだと思います。でも、自ら方向転換できない状態になっていた日本が生きのびるためには仕方のないことだったと思います。  それよりも大切なことは、日本人は現状追認型の性格を止めて、現実をよく見て自ら行動して事態を切り開く能力を高める時期になっていると思います。原発再開もそうだし、憲法改正もそうだし、自衛隊による石油などの安定確保もそうです。  スミマセン、ご回答者のご意見を読んでいたら興奮してしまいました。

noname#224207
noname#224207
回答No.4

まず歴史として議論されるのであれば、当時は現在の韓国(大韓民国)という国はありません 当時は高麗の後を継いだ「朝鮮」という国家がありした。 注)「朝鮮」は蔑称でも何でもありませんので注意して下さい。 心情的に抵抗がおありであれば歴史学で使われる「李氏朝鮮」あるいは「朝鮮王朝」という言葉を使われることお勧めします。 韓国という呼称でお考えになられますと多々誤解が生じます。 日韓併合という用語に使われる韓は李氏朝鮮国が国名を大韓帝国と変更した際の「韓」です。 絶対主義に基づく君主支配の国家でした。 現在の韓国とは異なる国家ですので注意して下さい。 >韓国に対して・・・韓国の少なくとも一定数の国民が望んだし、地域の安定化に貢献すると判断したので、当時許されていた国際法にしたがって併合し 「少なくとも一定数の国民が望んだし」とありますが、一定数の国民とはどのような国民を想定されておられますでしょうか。 李氏朝鮮時代は厳しい身分社会でした。 両班と呼ばれる支配階級とそれ以外の非支配者階級が存在していただけです。 使用する文字も異なっていました。 非支配者階級の人々には、国際情勢を判断するだけの情報は与えられていませんでした。 望んだり望まなかったりなど意思表示ができるだけの情報を所有していたのは両班階級の人々だけです。 「地域の安定化に貢献すると判断したので」とありますが、誰が判断したとお考えですか。 日本の国論も二分化されていました。初代朝鮮総監であった伊藤博文は併合反対だったことを御存知ですか。 国際的な同意が得られていない、というのが反対の論拠の一つでした。 上記の国際法に従ってという点と併せてどうおお考えになられますか >日本の一部として規律をもって国民の啓蒙、社会インフラを開発し、近代産業を育て、その結果、第2次世界大戦では韓国民の大多数が喜んで日本人として戦った。 「日本の一部」とはどのような状態の意味でしょうか。 当時の朝鮮総督府は内地政府とは別個の統治機関でした。 国内法的にも天皇の下部組織ではあっても内地政府の下部組織ではありませんでした。 大日本帝国憲法は適用されていませんでした。 朝鮮総督は天皇にのみ責任を負い、内地政府・議会からも拘束されずに立法・行政権を行使していました。 「社会インフラを開発し、近代産業を育て」とありますが、誰が誰のためにこのようなことを行ったとお考えでしょうか。 「韓国民の大多数が喜んで日本人として戦った」とありますが、朝鮮総督府下の朝鮮籍の人達が徴兵されたのは何時の時点とお考えでしょうか。 「現在の韓国政府が、第2次世界大戦の戦勝国側に入るために主張する日本による植民地化ということは、行なわれた歴史的事実はない。」とありますが寡聞にしてこのような主張は知りません。 出典を教えて下さい。 国家を併合したのと、植民地化したこととの相違はどのようにお考えでしょうか。 「ただ当時、満州地域は中国政府の手の及ばぬ地域であり」とありますが、ロシアが敷設した鉄道は当時の清政府は全く許可も権益の取り扱いにも関与していなかったのでしょうか。 三国干渉の結果ロシアは清から鉄道敷設権を取得していたのではありませんか。 参考 東清鉄道 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/東清鉄道 「当時の許される範囲で入植したものであった」誰によって許されたり認められたりしていたのでしょうか。 以上、僭越ですが書かせていただきました。間違いと言いますよりは史実をお調べになられておられないのではないのかと思いますが如何でしょうか。 史実をどのように解釈するかという点につきましては、差し出がましいことを申しあげるのは控えさせて頂きます。 蛇足 韓国併合に至る端緒は東学党の乱とよばれる、李朝朝鮮内での支配者階級と非支配者階級との武力衝突です。 この武力闘争を鎮圧するのに当たり、清及び日本は支配者階級と手を結んで非支配者階級の人々を攻撃しました。 参考 甲午農民戦争 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/甲午農民戦争 乱と前後して李朝鮮王朝内で氏族間の権力闘争が勃発しました。 参考 閔妃 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/閔妃 鎮圧後の兵力撤収の話し合いが物分けれになった結果勃発したのが日清戦争です。 日清戦争の戦後処理に当たり、朝鮮半島の統治権を日本側が入手した結果とられた政治形態が併合という形式です。 満州国建国にも同様の清政府内のゴタゴタが絡んでいます。 いずれも単純な経緯ではないのと同時に各々独立した史実でもありません。 ポツダム宣言受諾にまで繋がる経緯であることをご理解願います。 以上何かあれば補足で追加質問をお願いします。

himana77
質問者

お礼

ありがとうございました。少し勉強になった点があります。 それにしても、せっかくご回答をかいていただきましたが、「・・・でしょうか」と私に疑問を書かれましても困ります。分からないから聞いているんですから。 挑戦と大韓民国の違いは知っていますが簡単のために韓国と現在の略称で書きました。私は、細かいことよりも大まかな流れを把握したいと思っています。 >朝鮮総督府は内地政府とは別個の統治機関でした まあ正式に言えばそういうことになりますね。じゃ、やはり併合というのは間違いで植民地支配が正しかったんですかね。

noname#205897
noname#205897
回答No.3

内的事情の前に 歴史年表を調べてみて下さい・・・ 在る法則に従って 大きな事変が起きてる事が判れば 内的事情を知る事が出来ますよ・・

himana77
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.2

カテが違いますよ。 中韓外相の言ういわゆる「日本の歴史認識の現状への不満」は、何も質問者様の言われる正面的な歴史の解釈問題ではなく、単なる現実的政治的な要求、内政干渉に過ぎません。つまり誤った歴史認識を持って日本の政治を運営し続けているあべ首相の退陣です。それしかないでしょう。もちろん彼が居座っている現状では無理筋の要求であると分かったうえでのことです。国民は腹をすえてこのことを認識せねばならないと思います。つまり近隣国家を切るか、あべアメリカを切るかという二者択一です。

himana77
質問者

お礼

ありがとうございました。 私は、安倍さんは切りません、若者に職と食を与えることのできる素晴らしい人ですから。

noname#205897
noname#205897
回答No.1

何処が・・・と言うより それは全て 外的事情・・・ 内的事情が入って無い・・ 内的事情を知らずして 歴史を語ったって 無理に決まってる・・・

himana77
質問者

お礼

ありがとうございました。 内的事情とは何でしょうか?

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