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韓国併合~満州事変の歴史的背景

無知なため簡単な歴史的流れを教えていただければ助かります。 まず、韓国を日本が植民地化していた時期が韓国併合にあたるのですね。日本と韓国は戦争はしていませんよね。どうやって支配下におけたのですか?そして何のために? 私が思っているのは、ロシアから日本にせめてくるのをストップするために位置的に朝鮮に軍隊をおきたかった。朝鮮には日本がくることにより仕事が増え、国が発展するといいきかせ、実際は侵略であった。 韓国人が日本語を強要されたり、虐待をうけたりして日本をきらっているとききますが、この時代におけることですよね?靖国問題なども批判するのはその時代の軍人がまつられているから。 その後満州国設立する必要があったのはなぜですか? ロシアが朝鮮に攻め入るのを防ぐためですか? 関東軍が満州事変で自身の鉄道を爆破し、一方的に攻め入り占領して満州国をつくったのですね。 この鉄道は南満州鉄道で日露戦争で勝った際に譲渡されたものですね。 韓国併合と満州事変のつながりや歴史的背景がよくわかりません。 その時代の戦争は特に名前はついてないのですか?日露戦争~日中戦争~第二次世界大戦までの時代ですね。 意味不明なことを書いていたらすみません。知識のあるかた、簡単でいいので侵略理由や背景、流れを教えてください。 よろしくお願いします。

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  • ベストアンサー
  • teccrt
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回答No.3

朝鮮半島を支配下におきたかった明治政府の目的は、仰るとおり対ロシアです。ウラジオストックから睨まれてる上、満州・朝鮮半島までロシアに抑えられると、日本を守りきれないという危機意識があったので、せめて朝鮮半島へのロシア進出を食い止めたかった。 どうやって、かというと、まず当時の李朝朝鮮は清の属国でしたから、日清戦争を行い、国際政治的にどこにも属さない独立国とさせました。もちろん、日本の支配下に置ければ安心だったのでしょうが、ロシアを含む欧米列国の手前そこまではできなかったのでしょうし、貧乏国日本が朝鮮半島を抱えても投資を回す経済的余裕もなかった・・・という判断が働いて、まずは独立国とさせたのだと思います。 しかし、本音では日本は朝鮮半島をロシアにとられる前に自分のものにしたかったし、清・ロシアも狙っていた。李朝も各国と結びついた派閥争いが激化して不安定な状態でしたので、李朝と信頼関係でつながるよりも、ロシアと雌雄を決することに決めておきたのが日露戦争です。 満州事変は、先の回答にある通り、石原完爾主導によるものです。ただ、石原完爾の思想を理解してないのに軍や国民の多くが満州国建設を支持したのは、当時のブロック経済化の影響だと思います。 第1次世界大戦後から大恐慌に至る世界的な経済不況の中で、列国は自国経済を支えるために、植民地の囲い込みをはじめました。自国製品だけが売れるように、他国製品の締め出しを行いだしたのです。これで、植民地を多く抱える英仏、もともと移民が多く国内植民地(とでもいうべきフロンティア)を持つアメリカ、ロシア革命により孤立していたことが幸いしたロシアは希望がありましたが、遅れて列国入りしたドイツ・イタリア・日本は自国製品を売るべき植民地が小さく、新たな植民地の開拓を目指しました。その意識が満州国建設を支えましたが、逆に英米ロシア中華民国との対立を決定的にしてしまいました。

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その他の回答 (4)

  • tiuhti
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回答No.5

大きなテーマなので、簡単に説明するのは難しいのですが、流れとしては、以下のようなものだと思います。ただし、かなり大雑把ですし、できるだけ短くする為に年代は省きますので、後はご自分で御調べください。 1.江戸末期の維新派(吉田松陰など)には、欧米列強に対抗するには日本も同じようになるしかない、という考え方があった。 2.朝鮮半島が、欧米列強(特にロシア)の支配下に入ると、日本の安全が脅かされる、と「主観的」には考えていた。(但し、ロシアは、満州に権益を持っていた日露戦争直前ですら、満州での自国の権益を守る事が最大の目標で、朝鮮半島全体を支配する気は毛頭無く、まして日本の植民地化などは全く考えていなかった事が、当時のロシア政府の資料などを実証的に研究する事で判明している) 3.韓国を開国させたのは、日本の軍艦による挑発行動(江華島事件)で、背景は武力。 その後の勢力拡大には、韓国内部での、親清勢力(事大党)と親日本勢力(独立党)の対立も利用。 4.日清戦争の結果、日本は韓国での清の影響力を排除。 5.満州に勢力を伸ばしつつあったロシア(日本の朝鮮半島での強い影響力を満州での自国権益への脅威と考える)と、逆にロシアを朝鮮半島での自国の影響力への脅威と考える日本が戦ったのが、日露戦争。その結果、日本は満州での権益を獲得。 6.日本の韓国の支配を完全なものにする為、韓国を併合。(併合の過程では、個人的な脅迫もあったが、そこまで至る経緯での最大の背景は武力) 7.辛亥革命後、中国は軍閥が割拠する時代になっていたが、満州を実効支配していたのは張作霖。日本は、張作霖を支援していたが、張作霖は欧米の支援を狙って接近するなど、必ずしも利害は一致せず。張作霖が国民党北伐軍にやぶれ、勢力を挽回する為満州に戻るタイミングで、日本軍が爆殺。目的は、自らの利益を追求する張作霖に代わる傀儡政権樹立による、より直接的な満州支配。 8.息子の張学良が国民党に合流し、かえって満州での権益が脅かされる状況になった為、柳条湖で満州鉄道を自作自演で爆破、これを口実に満州事変を始めた。 流れとしては、山県有朋の「朝鮮半島は日本の利益線」が、満州で権益を確保すると「今度は満蒙は日本の生命線」に変わり、さらに満州を守るためには華北に敵対勢力がいる事が邪魔になって日中戦争(支那事変)が始まり、それでも埒が明かないと、上海&南京といった国民党の本拠でも戦ってしまい、それで経済制裁を受けると今度は南方進出と、ひとつ確保すると、それを守る為には周辺部も、という風に自己膨張して、最後にパンクした、というのが、ものすごく乱暴に整理した明治から敗戦までの日本の歴史です。

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  • thisaway
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回答No.4

満州事変の目的についてですが、 日露戦争において多大な犠牲を払って獲得した権益(満鉄付属地と遼東半島の関東州)を守るため、です。 日露戦争終了時点で日本は東三省(満州)の領有は考えていませんでした。東三省を支配していた張作霖を援助することで、ロシアとの緩衝地帯として日本の影響が及ぼせる程度で維持することを考えていました。 しかし、張作霖が蒋介石の北伐に敗れ、国民党の軍門に下ったことで状況は一変します。大陸での日本の権益は微々たるものなので、張作霖が反日に傾きその気になれば日本を東三省から追い出すことは簡単だからです。 これに危機感を感じた関東軍高級参謀河本大佐が張作霖を爆殺し、この混乱に乗じて関東軍を進出させ満州の領有をしようと企てましたが、混乱は生じず企画は失敗に終わります。 父親を殺された張学良は、これを機に強硬な反日政策を打ち出してゆきます。 日本の満鉄に対抗して新たに鉄道を敷設したり、同じく日本が租借していた大連港に対抗して新たなターミナル港を建設したりと、日本資本の影響力を削減していこうとしたのです。さらに、日本が租借していた遼東半島の租借期限が迫っており、維持する為には更新協定を張学良と結ばなければなりませんでしたが、反日の張学良がこれに応じるわけがありません。遼東半島が返還されることとなると、関東軍は解隊、満鉄も排除されるなど、日本の大陸進出への道はまさに万事休す、となってしまうことになります。 こうした問題を一気に解決したのが、石原莞爾主導の満州事変だったわけです。 また、こうした経緯がある為、満州事変勃発した時に大本営も政府も本気で止めようとはしませんでした。

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  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.2

時代認識の前提として、「強国」になるための国民国家になっていた国は少なかった事。 国民国家に変身すると、国家は国民のもの、あるいは国民全体の参加物になることにないます。 国民国家になっていたのは、有力国では英米仏などで、日独伊は、19世紀後半にようやく、国民国家になりかけていた。 明治維新、ドイツ帝国の成立、イタリアの統一はほぼ同時期。 そうでない国、朝鮮は国王の私物であり、清国は、皇帝が、満州と蒙古と中国本土、チベット、ウイグルのそれぞれを個別に所有していたという状況です。ロシアもロマノフ王家の所有物でした。清国、朝鮮、ロシアそれぞれ、王なり皇帝の廷臣が国家を動かしていました。廷臣という言葉がいみじくも表しているように、王家の朝廷の臣なわけです、指導層は。 韓国併合は、韓国皇帝とその廷臣がどうやって生き残れるかの判断の一つとして行われました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E8%B2%B4%E6%97%8F 現に、朝鮮貴族は日本で華族扱いされています。 満州国は、完爾の思想実行ですな、世界最終戦争への。 その意味ではNo1の方の通りです。 ただし、冊封体制においては、あくまでも、皇帝を軸にしての支配・被支配関係ですので、皇帝の元にいる貴族は内臣とされ、朝鮮王やベトナム王は外臣とされており、朝鮮やベトナムが清国という国家の支配にあったわけではありません。

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  • p2w
  • ベストアンサー率0% (0/5)
回答No.1

満州国は、陸軍の石原莞爾が自論で有った。世界最終戦争論の考えで独走で造りあげた国です。 日本とアメリカの戦争のち、世界に恒久の平和が出来上がると考えました。そのため、ロシアからの攻撃のないように、日本国の政治的介入の無い国が必要との考えでした。実際は違っていきますが。明治初期のアジア諸国(朝鮮、ベトナム、インドネシア等)は、清国の支配下にありました。 その後、ヨーロッパ諸国が植民地化していきます。満州国の設立後、日本は経済制裁を昭和8年から昭和15年まで受けます。周りが海で、何も資源の無い国、日本は、自存できない状態になり、南方資源を奪いに行ったのです。これが、太平洋戦争の原点です。満州は、清国を作った民族、女真族の発祥の地です。祖国の地、満州にて溥儀は皇帝となりました。

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