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「戦争はいやだ」の主語は何でしょうか
「戦争はいやだ」の主語は何でしょうか。
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- granville2005
- ベストアンサー率59% (162/274)
このような表現は日本語によくあります。 英語のように文法解釈することになじまない場合が多いのです。もちろん、同じ様な文法構造の解釈は可能ですが、英語と同じように主語/述語に分解すれば、そのような解釈ができるというだけです。 たとえば、「私はカツカレーだ」という表現があります。状況は、レストランなどで料理の注文をする場面です。 主語/述語に拘って、日本語として間違いと言うことは可能でしょう。しかし、日常でよく使う「正しい」日本語でもあります。 このような例は、とくに外国人に「正しい日本語」を教える場合によく出てきます。
- ysk26
- ベストアンサー率36% (135/367)
少しお調べになればわかりますが,現在のいわゆる学校文法においても国語学・日本語学のレベルにおいても,「主語」の明確な定義はありません。 ですから,答えは「主語」の定義次第,ということになります。 一見こんなに簡単に見える質問にもかかわらず,学校文法を学んできたはずの方々の回答がバラバラなのが何よりの証拠です。 なにも回答者がまじめに学校の授業を受けていなかったわけではありません。 そもそも「主語」の定義自体があやふやなのだから,しかたないのです。 学校の先生や文法学者に聞いてみても,おそらく答えはマチマチでしょう。 繰り返しになりますが,「主語」を定義しないことには,この問いに誰もが納得する答えを出すことはできません。 蛇足ながら私の感覚を書いておくと,小・中学校などでは「主語≒主題」として,「戦争はいやだ」の主語は「戦争」,と教える先生が多そうな気がします(私が先生だったら,とりあえずそう教えておく)。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
#2です。補足です。 >>「いやだ」が動詞でなければ、「戦争」が目的語というのも違ってきますよね。 僕の「基礎構造」と言うのは、いわゆる形容動詞とか形容詞とか言う「上っ面の」山田、橋本、時枝などという名前がつたものではなく、基礎というか深層の話です。「述語」には「目的語」がある時はいくらでもあります。 例文。花子は太郎が好きだ。 例文。ブッシュはプロッコリが嫌いだ。 など。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
基本的に#9さん、#10さんに同意します。 「戦争がいやだ」であれば、明らかに人称主語の省略と断定できます。 ただ、原文の場合、「は」が主題提示の用法であることに着目すべきでしょう。 「戦争はいやだ」は、 「戦争というものに関して述べてみるならば、それはいやだ」 というニュアンスの文になります。 これは、すでにご回答にもありますが、 「戦争というものに関して述べてみるならば、【私は】それはいやだ」 という意味の他に、 「戦争というものに関して述べてみるならば、それ(=戦争というもの)はいや【なもの】だ」 という意味も考えられます。 主題提示した内容に関して私が見解を述べる、という場合と、 主題提示した内容そのものを主語にして述部が構成される、という2つの場合が可能になるでしょう。 「冬は寒い」などと同じような構造です。 「わたしは冬は寒いと思う」という意味と、 「冬というものは寒いものだ」という意味の両方の解釈が可能になります。
- marisuka
- ベストアンサー率39% (667/1700)
No.9様に賛成です。 同じ形容動詞の中でも、主観的な意見、たとえば「きらいだ」「好きだ」「いやだ」が述語である場合は、主語は「その意見を持っている人物」となるのでしょう。 ・(私は)戦争がいやだ。 ・(彼は)りんごが好きだ。 ・(子供は)注射が嫌いだ。 (ただ、英語には形容動詞がないため、「嫌う」「好く」などの動詞として英訳される、としたと思われる回答も見受けられます。でも、現代日本語の学校文法では「きらいだ」は形容動詞です。) 客観的な事実(100%客観的ではないにしても)の場合は、その性質を持つ物事が主語となるでしょう。 ・花火がきれいだ。 ・香りがほのかだ。
- lalala__
- ベストアンサー率16% (2/12)
戦争はいや(なもの)だ とすれば確かに主語は戦争で間違いないと思うのですが 例えば、「戦争は大嫌いだ」 だったらどうでしょう 主語は戦争と言えるでしょうか 「大嫌い」は明らかに誰かの感情なので戦争が主語にはなり得ないですよね この場合私なり僕なり省略された一人称が主語になると思います 問題はこの「いやだ」がどちらに当たるかじゃないでしょうか 客観的事実なのか主観的感想なのか これによって答えが変わってくる気がします
お礼
回答ありがとうございます。 > 客観的事実なのか主観的感想なのか これによって答えが変わってくる気がします 私が高校までで習った国文法では、そういうことで答えが変わるということは無かったと思います。
- nishikasai
- ベストアンサー率24% (1545/6342)
ポルトガル語の通訳です。 日本語とポルトガル語の両方で考えてみました。 日本語というのは、ま~国民性ですかね、人称代名詞が省略されちゃうんです。翻訳するとその違いがよくわかります。 外国語を翻訳すると奇妙に聞こえます。たとえば 「貴方は私が私のお金で買った本を私の机で読んでいた」 こんな感じで違和感があります。 日本語はというと、たとえば 「そこで渡したんだね?」 という文章では誰が誰に渡したのか前後の文章で推測することになります。(笑) 日本語では 「戦争は嫌だ」 というのは戦争が主語で「嫌だ」が述語となります。「嫌だ」は「派手だ」「きれいだ」と同じ扱いです。 私がポルトガル語に訳すときは文章の構造を変えます。 まず主語を前後の流れで推測して作ります。そしてDon’t likeにあたる動詞をポルトガル語でいいます。 これは厳密に言うと直訳ではないです。直訳をするならWar is unpleasantみたいな文章になり、Warが主語になります。 でもこれだと聞いていてちょっと違うという感じがするので英語や西洋の言語ではI don’t like warみたいな表現になるのが自然です。 結論 日本語では戦争が主語。 西洋語でも厳密に言えば戦争が主語であるが、 好き嫌いについては動詞を使うのが自然だから文章の構造を変えて主語を人間にすると思います。 派手だ、きれいだ、などについては日本語と同じ表現を使いますから主語は人間ではなくなります。
お礼
回答ありがとうございます。 > 日本語では 「戦争は嫌だ」 というのは戦争が主語で「嫌だ」が述語となります。「嫌だ」は「派手だ」「きれいだ」と同じ扱いです。 「花はきれいだ」の主語は「花」であることは間違いないと思いますが、これと同じ文章構造だから「戦争はいやだ」の主語は「戦争」だということですね。よく理解できます。
>戦争はいやだ この文の主語は、普通に考えると 戦争 ですね。 戦争はいや(なもの)だ。 では納得いきませんか?
お礼
回答ありがとうございます。 > 戦争はいや(なもの)だ。 では納得いきませんか? 言い換えたり、他の言語に翻訳したりするのではなく、元の文のまま考えたいのですが。
- granville2005
- ベストアンサー率59% (162/274)
主語は省略されています。このような省略は、文脈(前後の情報など)から推定が容易な場合に行われます。 では何が省略されているか。たとえばですが、私、あなた、彼、彼女、ある会社、ある国、その他いろいろ考えられます。 「いやだ」という言葉は形容詞のように見えることがありますが、「嫌う」とか「好まない」といった動詞に相当しますね。「戦争」が主語ではありません。
お礼
回答ありがとうございます。 > 「いやだ」という言葉は形容詞のように見えることがありますが、 「「いやだ」は形容動詞だと学校で習った記憶があるのですが違うのでしょうか。 > 「嫌う」とか「好まない」といった動詞に相当しますね 文法は論理的なものだと思うのですが、「動詞に相当」とはどういう意味ですか。品詞で言えば何なのですか。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
#2です。訂正です。 >>「いやだ」は動詞ではないのですけど。 失礼しました。述語と言うべきでした。
お礼
回答ありがとうございます。 > 私(主語) + 戦争(目的語) + いやだ(動詞) = 基礎の構造 「いやだ」が動詞でなければ、「戦争」が目的語というのも違ってきますよね。
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お礼
回答ありがとうございます。 > 「主語」の明確な定義はありません。 一見こんなに簡単に見える質問にもかかわらず,学校文法を学んできたはずの方々の回答がバラバラなのが何よりの証拠です。 なるほど、そうだったのですね。 例えば、「私は彼が好きだ」の主語は「彼が」だと習ったような気がしていましたが、学校で習った知識ではなかったかもしれません。