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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:差別と忘却)

差別と忘却

skydancingの回答

回答No.1

あくまでも私見です。 差別される側の100%の人が「差別はなくなって欲しい」と 思っていると信じていらっしゃいますか? 差別がなくなると、優遇されている税金が何倍にもなり、 いま住んでいる公営住宅の家賃が何倍にもなり、 これまで無試験で入れた公務員の枠も撤廃されて・・ 「逆差別による恩恵」のおかげでラクして生活している、 多くの人から大ブーイングが出ることは間違いないでしょう。 また、差別があることで存在意義を維持している団体や、 そういう人が票田となって当選している政治家もいますが 「差別を無くされると困る!」と怒ると思いますよ。 差別に抗って差別されない人生を希望している人は すでにそういう地域から出ていますし、 何世代もかけて戸籍から過去の事実を消す努力をしていますよ。 そこに住み続けることは義務ではないにも関わらず それでも外に出ようとしない人って・・(以下略) 本気で差別の無い社会を実現しようと思うのであれば、 まずは「逆差別による恩恵」を無くすことが先決だと思います。 それによって「差別利権」がなくなっていくはずです。 質問者さんが書かれている教育なんて逆差別の典型で、 そんな上から目線の選民意識を堂々と子供に植え付けている限り、 差別なんて永遠になくならないでしょうね。

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