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古代語の敬語表現において、「[帝ガ源氏ヲ] 入れたてまつりたまふ」 「[源氏ガ帝ヲ] 見たてまつりたまふ」 という表現が存在するほかに、「[源氏ガ帝ノ所ニ] 参りたまふ」 とはあっても、 「[帝ガ女御ノ所ニ] 参りたまふ」、また、「[春宮ガ帝ノ所ニ] 参りたまふ」 とは言いません。 この現象はどういうことなのでしょうか。説明お願いいたします。

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  • Pinhole-09
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回答No.3

古語で「参る」は下位の者が上位者の所へ行く、 または来ることをいいます。 帝は上位者ですから源氏は帝の所に参るといいます。 帝が下位者の女御の所に参るとはいいません。 春宮(とうぐう)は帝の下位者ですから、帝の所へ 参るというべきですが、紫式部は同格者に準じると 考えたのでしょう。    或は「参る」を参内と解釈して、内裏内の行き来には 参るを使わなかったのかも知れません。

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noname#160411
noname#160411
回答No.2

補足要求です。 >「[帝ガ女御ノ所ニ] 参りたまふ」、また、「[春宮ガ帝ノ所ニ] 参りたまふ」 とは言いません。 では「[帝ガ女御ノ所ニ] 行く」、また、「[春宮ガ帝ノ所ニ] 行く」ときはどう表現されているのですか? それが分かると考えやすいのですが…。

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noname#126371
noname#126371
回答No.1

(oAo)・・・ ん? どういう現象か?・・・え~・・・ ちょっと質問の意図がよく分からないので、できればもう少しだけはっきりと質問したいことを教えてください。 ちなみに、おそらくそれって「源氏物語」ですよね?

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