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出来る人間と出来ない人間の差とは?

 勉強のできる人と、できない人の差とはなんでしょう?。  努力?。  才能?。  教育環境で培われたコツ?。  IQ?  なんでしょうか?    

質問者が選んだベストアンサー

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  • apple-man
  • ベストアンサー率31% (923/2913)
回答No.6

>努力?。 努力して報われない人、沢山知ってます。 >才能?。  何かに成功した人を、世間があとから あの人にはすばらしい才能があったと いうだけです。 >教育環境で培われたコツ  コツというのはちょっと違うと思いますが、 環境は大きいです。学問に限って言うと、 歴史に名を残すような人は、親や親戚に 知識人と言えるような人が必ずいます。 >IQ?  僕は小学生のとき、ものすごくIQが高かったと言う 凡人に良く合います。(笑)  よく出される例かもしれませんが、 相対性理論で有名なアインシュタインは なかなか言葉を覚えず、この子は頭が悪いの かしらと両親が思ったほどだったそうですが、 常識を覆すものすごいことを多々やって くれました。 >勉強のできる人と、できない人の差とはなんでしょう?。  試験の点数が良いか悪いかということでしたら、 それこそコツを飲み込めているかどうかです。 でも偉大な業績を残せるかどうか、つまり 残せるほどものすごく勉強が出来るかどうかと いうのは、学問する意味をどこまで深く理解 できたかによります。  深く理解するためには、独力では限界が あるため、大きな影響を与えてくれる知識人の 存在が周囲に必要となってくるものと思います。  勉強を他人との競争としか捕らえられない人は いくら試験の成績が良くても、伸びません。

その他の回答 (7)

  • jyuu
  • ベストアンサー率23% (37/157)
回答No.8

できる人間は何が必要とされているのか、を見分ける事が出来ます。

回答No.7

といりあえずIQはあまり気にしない方が…20歳超えると意味ないそうで。ネットで調べると、参考URLが出て来ました。 勉強に限って言えば、記憶に関する遺伝子も幾つか見つかっているそうですから才能も関係あるだろうし、努力も必要だろうし。♯3の方がおっしゃているのと近いですが、幼いうちに勉強して新しい事を知ることに快感を覚えたりすればどんどん勉強するようになって勉強の絶対量が多くなります。 難しいですが勝手に乏しい経験から判断しますと 0.いわゆる勉強では才能がものを言う 1.才能が同じ程度の場合は勉強の絶対量に関係する。 2.才能に差があると努力(絶対量)で覆す事も可能だが差の分だけ努力を必要する。 x-vanvanさんが得意な分野について、どうして人より上手いのか考えてみてはいかがでしょうか。

参考URL:
http://www2s.biglobe.ne.jp/~damae/misc/iq01.html
回答No.5

「だれ」が、「その人」を評価するか。 それだけで「差」が出来るのだと思います。

  • dreamplaza
  • ベストアンサー率13% (145/1090)
回答No.4

勉強ができるかできないかに限って言えば、「天分」でしょう。 でも、大成できるかどうかは、「謙虚さ」が必要でしょう。

  • ranx
  • ベストアンサー率24% (357/1463)
回答No.3

あと、勉強することを楽しめるかどうかの違いもあると思います。 できる人は、多かれ少なかれ勉強することを楽しんでいます。 嫌々やったことは、やはり身につきません。 ただ、楽しむことのできる人にも、プロセスを楽しむ人と達成を 楽しむ人との2タイプがあると思いますので、自分なりの楽しみ方を 工夫したらよいと思います。

  • mayukitti
  • ベストアンサー率25% (84/333)
回答No.2

全部、当てはまると思います。 それ以上に付け加えるとしたら、「やる気」と、 「情熱」だと思います!

  • Hiyuki
  • ベストアンサー率36% (2604/7183)
回答No.1

一種の才能だとは思います。もともとの素地にしても努力できる出来ないにしても。 ただ、一番違うのは目的意識でしょうね。その目的に対してどれだけ労力を割けるかが問題だと思います。 あと、勉強できる人間は効率のいい勉強の仕方知っていると、むかし、先生が言っていました。だから、 自分はできる奴のまねをした、とも言ってましたね。

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