日本の裁判有罪率99% 悪いのは検察?それとも裁

このQ&Aのポイント
  • 日本では刑事事件で裁判を行えば99%以上が有罪という状態だそうです。
  • 検察は明らかな有罪事件しか起訴しないことから有罪率99%と解説する評論家もいるそうですが、痴漢行為などの極めて立証が難しかった事件においてもこれまで有罪率は99%以上となっているそうです。
  • 有罪率99%という北朝鮮、中国 並のこの状況、悪いのは検察なのでしょうか?それとも裁判所なのでしょうか?テレビなどのメディアも検察が逮捕すると犯人扱いで報道します。また有罪率99%という北朝鮮、中国 並のこの状況を改善し脱することができるのでしょうか?
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日本の裁判有罪率99% 悪いのは検察?それとも裁

日本では刑事事件で裁判を行えば99%以上が有罪という状態だそうです。北朝鮮が100%、中国が98%、これら独裁国となんら変わらない水準です。また検察は明らかな有罪事件しか起訴しないことから有罪率99%と解説する評論家もいるそうですが、痴漢行為などの極めて立証が難しかった事件においてもこれまで有罪率は99%以上となっているそうです。 一時時期、この99%以上という事態に一部メディアで検察の批判がされていましたが、個人的には裁判所は何をしていたのかと不思議に思います。 有罪率99%という北朝鮮、中国 並のこの状況、悪いのは検察なのでしょうか?それとも裁判所なのでしょうか?テレビなどのメディアも検察が逮捕すると犯人扱いで報道します。また有罪率99%という北朝鮮、中国 並のこの状況を改善し脱することができるのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • 3691819
  • ベストアンサー率18% (162/874)
回答No.11

 こんにちは。 仙台筋弛緩剤殺人事件・東電OL殺人事件・ロザール事件・ 恵庭OL殺人事件。最近では高知白バイ衝突死事件など、 確たる証拠が無かったり証拠が捏造されたりして有罪とされた 事件が、探せばいくらでもあります。  警察と検察により無理やり犯人に仕立て上げられ、起訴されたら 最後、裁判所によってほぼ確実に有罪にされてしまいます。 弁護側の証拠は不採用にし検察側の証拠は多少無理が有っても 採用されるのが現実なのです。  実際に私が傍聴した裁判での事ですが、死体遺棄現場を通りかかった 主婦がその場に2台の車が停まってるのを目撃し、その時遺体を燃やし ている炎も見たと裁判で証言しました。この方は報復を恐れ顔を隠して 証言したのですが、裁判官は何を思ったのかその証言を「見間違い」 と判断し、証拠採用はしませんでした。  多分採用すると検察が示した単独犯というシナリオが、根底から 崩れるからだと思いました。  疑わしきは罰せず、この基本理念に立ち返ると日本の有罪率は 異常な数字だと断定せざるを得ません・・・ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%8B%E5%BC%9B%E7%B7%A9%E5%89%A4%E7%82%B9%E6%BB%B4%E4%BA%8B%E4%BB%B6 http://www.jca.apc.org/~grillo/rosa/rosa00.htm

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%9B%BBOL%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

その他の回答 (14)

回答No.15

日本の場合、裁判しても無罪になるようなものは、そもそも検察の段階で不起訴案件としてはじかれます。 なので、そこを無視して単に有罪確定率99%というのはあまり意味がありません。 北朝鮮や中国ではこの検察で不起訴にするかどうかの段階をきちんとやっていませんから、それと同レベルに考えるのはナンセンスでしょう。ああいった国の場合、そもそも逮捕する時点で国家権力の側は『意地でも粛清する』前提といっていいような態度ですから、形ばかり検察や裁判所の審議は大した意味を持っていません。 それから、警察でも検察でも逮捕した時点ではまだ『容疑者』としか言いません。有罪となり刑の詳細が確定した段階(判決)で初めて『犯人』という表現に変わります。マスコミでもその点はきちんと統一されています。 裁判所も、単に有罪無罪の部分だけを審議するわけではありません。経緯を検察・弁護双方の証言により充分に吟味し、今後の更生の見通しまで含めて刑を判断します。単なる白黒でなく、この部分に重点をおいているというのが現実で、『何もしていない』という見方の方が『ちゃんと見ていない』のではないでしょうか?

inbesuto
質問者

お礼

そうなのですか。 でも痴漢犯罪など極めて立証が難しい犯罪でも、やはり有罪ばかりになっているそうです。

  • 7kugino
  • ベストアンサー率12% (37/296)
回答No.14

歴史をさかのぼらなければなりません。 幕末 武士には情けが必要でした。明治時代は身分制度が無くなり、生まれつきのリーダーシップから 卒業成績を優先させました。 日露戦争では全く無視でした(薩摩の上司が多かった) 第一次大戦頃から、マルクスレーニン主義の学生が美しい理想を燃やしました。 そして1918年ロシア革命で強くなり、それを抑える特攻警察が思想弾圧を重ね、殺人まで行いました。 このと裁判所は死にました。 そして戦後 配給だけでは生きて行けない東京の人たちは 着物を持って米と交換。 しかし 東京の全ての駅で警察が取り締まり没収して、証拠品としてでなく、警察だけで分けていました。 そのときに 配給だけで生きて 誰の言葉にも耳をかさずに栄養失調でなくなりました。 そうです 裁判官だったのです。法をまもる。 軍人は戦犯としてA級 B級 C級戦犯として死刑などになりました。 このときに警察も裁かれていたらよかったのですが、朝鮮戦争が始まり 曖昧になりました。 裁かれないで存在した警察。 そして 裁判所は 真理を追求する猟犬のような心が無いのです。 伊つまり 同じ時代に生まれて同じ事件を裁いたら、一審と二審が反対になる判例は、 どちらかの裁判官の資質 と言うよりも失格でしょう。又二審と最高裁に於いても同じです。 確かに たまには最高裁大法廷の判断が必要とは思いますが、 光が波であると言う学者たち。そして光は粒子であると言う学者たち。 アインシュタインが発表するまでもめていました。 自然の真理でなく、人間が行ったものを裁くのですから、 簡単です。判決が割れるのは猟犬のような真理の追求を持っていないからです。 しかし、2 3年で引越しばかり、と一人当たりの事件の多さでしょう。 弁護士だけが検察の矛盾を追跡しても、延べ人員 10000人以上で作られた調書。 と予算も無い国選がどれだけ新証拠など示せるでしょうか。 裁判官が調書の出来るまでと 調書の内容を論理的に自分の頭で考えることでしょう。 アメリカの映画ではヒーロ刑事が活躍しても、査察が入ったとびびるのを何度も見ましたが 行政を取り締まる警察が無ければ、比率は変わらないと感じています。 一般国民参加でも 有罪刑期年数は変わらないのは 誘導があるからです。 私は 相当に変わると思っていました。  

  • powly
  • ベストアンサー率28% (4/14)
回答No.13

有罪率が高いのは当たり前です。 検察が起訴する事件は、有罪に出来る確証がある事件のみです。 少しでも有罪かどうか疑わしければ基本的に不起訴です。 マスコミは有罪率99%を騒ぎ立てますが、意外に不起訴にされる事件も多いんですよ。 で、それが問題だと言って検察審査会があるんです。 故に警察も検察に起訴出来るか否かを基準に捜査しますし、 警察の捜査が不十分なら再度操作するように検察から指示がされます。 その中でもごくたまに冤罪事件が発生して警察や検察が批判されますが、 世の中全ての事件が冤罪である訳がないんです。 まあ裁判所が検察・警察側の証拠を信用し過ぎてるのも問題の一つでしょうけどね… でも少なくとも中国とは比べものになりませんよ。 大体中国の司法って独立してませんから、冤罪でも中国共産党が有罪と言えば有罪になるような国です。 中国の有罪率99%と日本の有罪率99%は数字上は同じでも中身が全く違います。

  • 3691819
  • ベストアンサー率18% (162/874)
回答No.12

 こんにちは。 もう一言、裁判官は無罪判決を出したり政府に意に反する判決を 出したりすると、左遷させられる事があるそうですよ。  調べたら面白いかもしれませんが、私のような者でも何人かは 報復人事を受けた裁判官を知っています。  ちなみにこんな本までありますよ・・・ http://enzaifile.com/

  • at9_am
  • ベストアンサー率40% (1540/3760)
回答No.10

日本の警察・検察は、昨今のマスコミ報道にもかかわらず、世界的にみて非常に高水準であり、必ずしも庶民の思う通りには働いていないものの、概して真面目です。 有罪率が高い低いという前に、少し考えてみましょう。 良い検察制度というのは、犯罪を犯した人を起訴し犯していない人を起訴しない、というものです。 したがって、犯罪を犯していない人を起訴するという有罪率が低い状態は望ましくありません。 アメリカがこの状態であり、殺人事件の犯人として起訴・有罪判決を受け、収監されたにもかかわらず、被害者とされた人が生きている、という事件も存在します。因みにこの収監された人が被害者とされた人を殺しても、再び罪に問われなかったりします(合衆国修正5条の2)。 さて、有罪率が高くて問題なのは、犯罪を犯していない人が有罪となる場合です。 特に中国等では冤罪事件は非常に多い上に、賄賂により有利な判決を得ることも横行しています。日本ではそのような状況は見受けられません。 日本では、冤罪は稀な部類に入ります。そのために新聞種になります。日常的に起こるようなことであれば新聞にはほとんど取り上げられないでしょう。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.9

米国などの有罪率は50%前後らしいですよ。 これは、犯罪を犯したのか、解らないが、とにかく 公平な立場にある裁判所に判断して もらうのが、最も合理的だ、という考え方が 基本になっているからです。 だから、有罪の判決が出るまでは無罪と 推定される、という法格言が真実みを帯びて きます。 これに対して、日本では、微罪とか、初犯とかは 警察、検察の段階で止め、裁判にまで持っていきません。 これは、裁判になると長期間拘留されたりして 被告人の不利益が大きいことを考慮したものです。 この限度で、警察検察に裁判権を与えたのです。  又、間違いなく有罪に出来る事件しか起訴しません。 これは被告人の人権や、捜査機関の面子を考えた 結果だと言われています。 俗に、日本の精密捜査、とも言われています。  このように、日本の捜査機関に大きな権限を与えたのは 日本の警察官僚が比較的真面目で信頼できたからです。 例えば、中国などと較べると、その真面目さが解ります。 しかし、現今のような不祥事が続くと、米国のように 成るかも知れませんね。

  • lilact
  • ベストアンサー率27% (373/1361)
回答No.8

有罪率が高いということは一概に悪いこととは言えないですね。 逆に有罪率は次のような場合に低くなります。  犯人だという確証が低いのにとにかく起訴してしまうことが多い場合。  犯人なのに警察が証拠をうまく集められなかった場合。  犯人なのに裁判所が間違って無罪にしてしまう場合。 従って、「有罪率が高いことは悪いことだ」という理由をもう少し具体的に書いて質問するとよいと思います。 例えば有罪率が高いことと冤罪が多いことはイコールなのか・・・など。 なお裁判の一番の責任は裁判所にあると思います。検察や弁護人に命令できる立場ですから。

  • Shin1994
  • ベストアンサー率22% (551/2493)
回答No.7

単に、日本の警察が極めて優秀だからでしょう。最近は、証拠改ざんや機密流出などでブラックな面がまた目立ってますが、日本の警察は調査に調査を重ね決定的な証拠をつかむまで起訴はしません。絶対の自信の下に起訴します。その為、他の方も言うように有罪率が高くなるのではないでしょうか。 中国や北は裁判所があって無いようなものですので、当然有罪率は高くなります。三権分立が成り立っていない国ですので…

  • kumap2010
  • ベストアンサー率27% (897/3218)
回答No.6

投稿できてないと思って投稿したら連続投稿になってしまった申し訳ない

  • kumap2010
  • ベストアンサー率27% (897/3218)
回答No.5

悪いのは検察と裁判官と国民。 その中で一番悪いのは国民。 >また検察は明らかな有罪事件しか起訴しないことから有罪率99%と解説する評論家もいるそうですが、痴漢行為などの極めて立証が難しかった事件においてもこれまで有罪率は99%以上となっているそうです。 そう、日本の検察は原則として「確実な証拠が集まらない限り起訴しない」という方針。 しかし原則は原則であって絶対ではない。 普段はそういう方針でやっているのに、痴漢など証拠集めが極端に難しい犯罪については「それなりの証拠で起訴する」ということがある。 そうじゃないとほとんどの犯罪者を野放しにすることになってしまうから。 そうなると、証拠が少なめの事例でも「起訴したんだからきっと有罪だろう」という思い込みが発生し、裁判での審査不足で有罪になってしまうケースが多い。 しかし、この方針になっているのは国民にも大きな問題がある。 起訴して無罪になったら世間は「冤罪だ!」ってもの凄く検察批判をするよね? 本来起訴というのは怪しい人間を司法に判断して貰うだけのものであって、 起訴→無罪の流れは誰も何も悪いことではない。 ところが日本国民は「起訴=有罪であるべき」とでもいうように検察を批判するから、検察もそう簡単には起訴出来なくなる。 その結果、前述のような「絶対的な証拠ありきでの起訴だけ」という方針が生まれる。 だから国民にも責任がある。 海外だと逮捕起訴時点では実名公表しない国も多いけど、 日本だと逮捕された時点でほとんど実名公表してるよね。 そして日本国民は実名公表されたことの風評被害までなぜか検察のせいにする。 本来悪いのは逮捕時点で犯罪者扱いして公表したマスコミのはずなのに。 日本国民がいかに「絶対的な証拠がなければ逮捕してはいけない」という思想を持っているかよくわかると思う。 欧米ではそんな常識は存在しない。 というわけで、北朝鮮や中国と同一視するのは論外。 あれの有罪率と日本の有罪率じゃ背景が全然違うよ。

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    裁判員制度に関して調べているのですが、世界各国の裁判有罪率のデータが出てきません・・・。 日本が99パーセント以上だというのは分かったのですが。 データが掲載されているサイトがあったら教えてください。

  • 裁判員制度よりも検察改革を

     国民参加の裁判員制度が話題ですが、検察の制度の改革が急務ではないでしょうか。公判にいたるためには検察の起訴が必要です。逆に言えば、検察官が起訴しなければすべての事件が公にはならないのです。検察官が不起訴、起訴猶予とすれば、いかにに警察官が調書を作成しても、何の事件もなかったこととなります。この組織を守るため検察の独立性が強調され強く守れています。検察一体です。  でもおかしくないですか、検察だけが事件にするかそうじゃないかの判断をするのは。検察でも有罪率が問題になります、つまり有罪に出来ない事例はいかに事件性があっても起訴しないということになります。検察だけの判断です。逆に今回の小沢氏の秘書の起訴、何か胡散臭いですね。あの官房副長官の言動が何か納得できるのは嫌ですね。  これこそ、多くの有識者による制度とすべきではないですか。かなりの改革がこの組織は必要と思いますが、いかがでしょうか。

  • 日本の検察は有罪にできるものしか(=刑を受ける必要があるくらい劣悪なもののみを選別して)

    日本の検察は有罪にできるものしか(=刑を受ける必要があるくらい劣悪なもののみを選別して) 起訴しないので 裁判での有罪率は99パーセント以上との批判がありますが その分不起訴や起訴猶予のなって釈放され公判のために備えて弁護士を雇うまでもなく 手早く釈放される者も他国に比べ多くなると言うことだろうと思いますが では他の先進国の検察はどういった基準で起訴するかどうか判定するのですか? 日本よりも精査しないでとりあえず起訴するのですか? 単なる通過機関として・・・。 いったいどちらのほうがいいのでしょうか?? 日本の検察の主張する「二重の厳格な判定が行われるので冤罪が極力少なくなるのだ」 という言い分は鵜呑みにしてはいけませんか?

  • 冤罪について 裁判所、検察庁、最高裁判所の関係

    先日気になる 次のような書き込みがあり大よそ次のようでした  裁判官が検察庁の起訴した事件を無罪にする事は最高裁判所から昇進不要を覚悟したものと見なされる と言うものです  あり得ない事では無さそうですし あるとすれば大変な事でもありますが実際はどうなのでしょう 気になるのは これでは検察庁の起訴したものは何でも有罪にしなければならない となりそうですね? 三権分立とは言うものの完全分立と言えるかどうか 裁判がこれでは裁判所自身が放棄していると言えます どうなのでしょう 実際ニュースになるような判決は自白を認めて有罪にされる事が多かったようにも思います、検察としては尚更自白の強要に走るはずです、実際そのような経過を辿って来たようにも感じます 袴田事件がその代表みたいな? 自白を迫る事は昔からありますが物証が無いときは尚更でしょう TVによると戦後GHQは証拠に元づくように指導したそうですが 未だに無くならない? 本日3月23日のサンデー○○○○○○でも無実が証明されようとしている殺人事件の容疑者のアリバイ証人に検察庁が証言撤回を迫った事が報道されておりました 検察庁にすれば それなりの根拠があって起訴する訳ですが人のする事ですから稀に間違いも起こる訳で 先日ニュースになった九州の選挙買収事件は記憶に新しく 他にも過去に沢山ある事はご存知と思います ニュース特集等によれば この件は担当者等は無罪と解っていたけれど責任者(警部補とか)が引っ込みがつかなくて有罪を押し通した感じがします 引っ込みがつかなくて言い直し出来ない事は誰にでもある事で個人レベルでしたら喧嘩程度で済みますが検察庁ともなると信用が無くなり組織の存亡に関わって来る事ですから責任者は意固地になった気もします 更に本人にとっては昇進にも差し支える? でしょうから余計にも押し通してしまった感じがします 知り合いに古物商を営んでいる方がおり 事件がある時は偶に警察から問い合わせがあるそうで 本人曰く彼らは面子があるから徹底して調べるそうです だからこそ引っ込みがつかなくなるのかも知れません 程度の差こそあれ 誰にでもある事ではありますが そこで 質問は以下の通りです 1、多分そうなっていると思いますが 最高裁判所は下位裁判所の人事権を持っているのでしょうか? 2、記憶では無罪判決等を出した裁判官は後に退職し弁護士になる事が多かったような気がしますが 如何? 3、裁判官が検察庁の起訴した事件を無罪にする事は最高裁判所から昇進不要を覚悟したものと見なされる事がある?

  • 裁判官は検察や同僚に気を使うのか?

    全く素朴な質問ですが、裁判官は検察や同僚に気を使うものなのか? 帝銀事件や袴田事件や狭山事件や東電OL事件などの 素人目に見ても「そりゃ冤罪やろ」という事件を 再審棄却等(または無罪判決を出さない)をしていますよね。 これはなぜなのでしょうか? 検察に気を使っているのでしょうか? もし気を使っているとしたら彼らに何のメリットがあるのか? 「無罪」や「再審請求」などを受け入れた方が よっぽど英雄になれると思うのだが、なぜそんなことはしないのか? (もし再審を許して無罪を出せば 『オイオイそんなら何か、過去に有罪判決を出したオレが間違っていたということか?』なんて同僚の裁判官からイビられたり、『えらいカッコイイことするもんやな。お前は絶対出世させへんで』というような法曹界からのプレッシャーがあるのか? なぜ常識的に考えて「おかしい」と分かっていても中々正義を貫くことは出来ないものなのか? 何か世間にはいえない事情があるのか? そもそも裁判官とはどういった人種なのか? 法曹界とはどんな世界なのか? 詳しい方、お待ちしております。