- ベストアンサー
庶民の謙譲的一人称は?
cyototuの回答
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
いやー米虫さん、お久しぶり。時々はご仁の回答を読んで、相変わらずの癖のあるご返答、ヘンデルのようなストレートな美しさで勝負しないバッハの音楽みたいだなあと感心しておりました。この金粟菩薩はどちらかと言うとバッハの方が好きです。ご仁の姫路城の話を日本に来た時に物理屋の研究会であっちでもこっちでもご披露して、こないだなんて、「二番じゃ駄目なんですか」って言ってた何とか大臣にその話しをして来て下さいよと言われちゃいました。 でも、今回の質問は所謂釣りなんじゃないかと直感しています。ご仁はもしかしたら「僕」って言葉、この金粟菩薩と同じように嫌いなんじゃないかと勘ぐっています。大工が「僕」じゃしまりがない。「朕」と言う訳にはいかないので、大工の棟梁だったら「手前」とか、もっと謙譲を強調して「手前ども」とか「この米虫めは」なんて言うのはどうでしょうか。
関連するQ&A
- 「庶民」という言葉について
「庶民」という言葉はいつ頃の時代から使われた言葉でしょうか? 江戸時代の文献にこのような言葉が記されていたものでしょうか。御存知の方、お教えください。宜しくお願いします。
- ベストアンサー
- 日本語・現代文・国語
- 聴くことに関して次に相当する言葉は何ですか?
1、刮目 2、瞠目 3、注目 これらは見ることに関したものですが、これらに相当する聴くに関しての日本語というのはありますか? よろしければお願いします!
- ベストアンサー
- 日本語・現代文・国語
- 庶民的(がめつい)な生き方とは?
関西弁でがめつい人と云う言葉があります。 例えば誰かの記念日やクリスマスにケーキを戴く 普通ならば「有難う」と云いますが、 がめつい人の表現で 夫「今日クリスマスケーキ買って来た」 妻「明日買うて来たら半値になったのに」という会話がそれを 象徴する様な言葉です。 私等はその様な感覚だと純粋培養で育ったという事に成るのでしょうか?ある程度人との付き合いもあり、それを大事にするし、無理の無い出費ならば良いと思えるのですが?(節約や同じもので少しでも安いものと云うのは理解できます) 特に良い人と思われたくない。 無駄な出費したくないとなるとその様な感覚なんでしょうか? 何十年との付き合いでも冠婚葬祭は行かない(お祝い出したくない 欲しくも無い引き出物等貰いたくない) 値切る(これは悪くないのですが)事に命を懸ける (知っている人から買うと気を遣う、一元で値切るだけ値切る) 年賀状を出しても返信しない(年賀状そのものを無駄と思っている) 相手からの贈答品は気に居ると貰い、気に入らないと突き返す。 その代わり誰にも頼らず生きていると豪語している。 自分も子に「好きに生きる」と連絡先を知らせていない 子の結婚も「興味ない好きにやれ」(意地悪ではないのですが) 兄弟親の法事も無断欠席を続ける(案内は無視、その内来なくなる事を望んでいる) 友人もそれで離れてくれると良い、気を使ってまで付き合いたくない。 と云う感じの人が居ります。 唯、金銭の出費の無駄を省けばこの様な人が庶民的な生き方なのでしょうか?唯、すこし「日本人でないのか?」と思う事も有ります。 私等断るにしてもある程度恥がありますが、その様な人は恥を恥とも思わないのでしょうか?
- 締切済み
- 人生相談
- 妻のことを奥さんと呼ぶのは?
自身の配偶者のことをさして、第三者に話すとき、妻と言うことになっていると思います。多分、辞書や用法の辞典などをみるとそうあります。 しかし実際は、「奥さん」というひとが、かなりいます。かなり一般化しており、妻というのが少ないのではないかと思うほどです。(ちなみに私は徳島と広島に長年住んでいましたが、そこではほとんどこの違和感を感じたことが無いので、辞書通りの用法が多いのではないかと思います。大阪の人と、やはり東京の人(現在東京ですが)で、「奥さん」というのをよく聞きます) 松下幸之助の講演録音などで、自身の配偶者を、やはり「奥さん」と言っていました。この用法は、関西地方では一般的なのか、あるいはどこかの時点から一般化してきたものなのでしょうか。あるいは一種の尊敬・追従的な意味合いを込めた冗談のようなものとして、本来、相手や第三者の配偶者の人称名詞である、「奥さん」を自身の配偶者に使い始め、広まったというようなものなのでしょうか。あるいは実はそっちが歴史的に古い用法なのでしょうか。 漱石などでは自身の妻は「細君」といっていたと思います。やはり他人の配偶者の場合と、自身の配偶者の場合では、使い分ける方が、個人的にはすっきりした感じがしますが。多分第三者をさす敬称的な語を、本来へりくだって謙譲的に扱うべき身内に使っている不自然さといったような。(多分、細君も妻も、そういった意味合いだったと思います) いずれにせよ、そのへんの語の発生的ないきさつ、多少のヒントでもよいのでわかる方教えてください。 (また、my wife, your wife, my spouse, your spouse これら配偶者をさす語を、自身のと他者のとで、同じ単語で扱うか、別の単語で扱うかには、存在論的な、文化的な相違があるようにも思えます。平等性・相対性を重視するか、特別性を重視するかといったような。)
- ベストアンサー
- 日本語・現代文・国語
- 庶民って生きてて何が楽しいの?
上級国民と公務員しか幸せになれない日本で、庶民って何が楽しくて生きてるんですか? 日本でも上級国民と一般国民の格差が広がり続けているのに、世界的にも格差の拡大と固定化がどんどん進んでますよね。 庶民に生まれてきた時点で負け確定なんだから、さっさと死んだ方が良くないですか?
- 締切済み
- その他(社会問題・時事)
- 「ご両名」に相当する3人以上を指すことば
「ご両名とも」(=二人とも)のような場面で、3人以上の場合は「皆さま方とも」が適当でしょうか?(3人の場合は「お三方とも」が使えると思いますが、もっと多く、例えば、5人くらいの場合を想定して下さい。) 他に、適切なことばがあったら教えて下さい。 宜しくお願い致します。
- ベストアンサー
- 手紙・文例・季節の挨拶
お礼
回答ありがとうございます。 この質問が釣りじゃないか、とはさすが炯眼のCyototu先生ですね。 具体的な探し物などの場合以外、いわゆるオープンクエスチョン(開放系質問ですかね)を出す場合、多少なりとも釣りの楽しさを求めている事は白状せねばなりますまい。 鯵しか期待していないそこらの磯でもたまには黒鯛が釣れちゃうことが有る。 僕は、東京育ちなので、若いころには口頭では僕と自称していたのですが、関西系の彼女ができて「なんか気障だなあ」と言われたことがありました。あれから幾歳月、僕という言葉は気障なのか、あるいは甘えた印象をあたえるのか、疑問に思っていました。僕と自称するのはなにか緊張感を欠いていて、文筆売文業系の方とかあるいは未だに親の庇護から独立できない半人前のような印象がぬぐえずにおります。 僕を文字にする場合、ある種の照れくささが一段と大きくなるので私と書くことにしていたのですが、私という言葉が自分を指している気がしないですね。で、書くときに限っては拙者という自称を使うのが良いじゃないかと思うようになったのです。人称代名詞に自分に対する評価を含んでいるのですからね。愚妻と豚児に囲まれて生きているのに自分だけ謙譲的でない自称を使っちゃいかんのじゃないかな。 一方で、拙者という自称を使っていたのは武家の男子だけだとすると「全員平民の時代になにを気取っておるか!」との謗りを免れないのかという不安もある。 公務員でもなく、商人でもない、どちらかといえば職人である自分が使うべき謙譲的一人称が見当たらない。とくに筆記体、もとい、文語体、もとい、Written Languageでの謙譲的一人称が見当たらないのです。 この部分は釣りじゃなくて、真っ当に答えを求めた質問なんですよ。