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この役職はなんでしょうか?

この役職はなんでしょうか? 民部卿殿書院番。普通の書院番とは違うのでしょうか? また、どれ位の家禄の旗本がついた役職なのでしょうか?民部卿とはどなたなのでしょうか? お願いいたします。。

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回答No.2

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>民部卿殿書院番 (1)朝廷の公家の官職には、祭祀を行う神祇官と政治を司る太政官が明確に分けれていた。 (2)この神祇官と太政官は、唐を手本にした律令制度として取り入れられた。 (3)この律令制度は明治維新まで続いていた。しかし、江戸時代頃になると、実質的な権限は幕府が掌握していた。言ってみれば、何かの役職を付けないと朝廷に出入りすることができなかったので、「関白」だとか「太政大臣」「左大臣」「右大臣」などと官職名を与えただけのように形骸化してしまいました。 (4)太政官の八省の中に中務省、式部省、民部省、治部省、兵部省、刑部省、大蔵省、宮内省がありますが、 (5)民部省は財政、租税一般を管轄し諸国の戸口、田畑、山川、道路、租税のことを司る。 (6)民部卿殿・・・は、民部省の長官です。 (7)書院番は、その民部卿殿の身の安全を守る親衛隊。 (8)原則的には、京都の朝廷に出向いてその職を全うするのですが、幕末近くになると、一種の名誉職となり、江戸に在府した者もいる。 >>どれ位の家禄の旗本がついた役職なのでしょうか? (1)旗本の多くは、約50俵前後の家禄です。 (2)書院番になると、100俵前後ですので、50俵を足して100俵取りにしました。これを「足し高」(たしだか)と呼びました。

montsukiha
質問者

補足

早速に詳しいお答えをありがとうございます! また更に質問させて頂いてしまって申し訳ありません。 家録と石高は別物でしょうか?この役職ですとどれ位の暮らし振りの旗本なのでしょうか?

その他の回答 (3)

回答No.4

bungetsuです。 追記です。 >>元禄年間頃で1石=1両と言われていましたので、年間で40両が支給されたことになります。 と、書きましたが、現代の金額にすると、1,600万円位ですので、大会社でも部長以上くらい、常務取締役クラスでしょうかねぇ。 多分、使用人を3~4人位は雇っていた身分ではないでしょうか。 かなり裕福な家ですよ。

montsukiha
質問者

お礼

詳しいお答えを、ありがとうございます! 裕福な家だったのですね!これからもいろいろ調べていきたいと思います。 また質問させていただくかと思いますが、よろしくお願いいたしますm(。_。)m

回答No.3

bungetsuです。 >>家録と石高は別物でしょうか? 家禄には二種類あります。 (1)何百石取り、何千石取りの武士といいますが、これはその数字が、そのまま武士の収入という訳ではありません。何百石、何千石の米が取れる土地を拝領しているという意味で、その土地には農民がおり、彼らが作る米、穀物、野菜などの生産物の他、山林や沼地も含まれる。そしてその土地を拝領された武士は(領主)、農民が領主に納める米を年貢米という。一般に農民と領主の取り分は、4公6民~5公5民の割合であった。4公6民を普通として、2百石取りの場合は、農民が120石、領主が80石となります。 (2)一方、「蔵米取り」という、一旦は、米が幕府の蔵に納められ、そこから「家禄分」を貰うもので、こちらは「蔵米取り」と呼びました。 (3)旗本は50俵前後が家禄ですので、何百石の土地を与えられるのではなく、「蔵米取り」が多かったと思います。特別な役職などをこなして褒美として何百石かの土地をもらい、領主となる者も中にはありました。 (4)家禄・・・ 主君がその家臣である武士に与えた俸禄(年俸)。家について支給され、江戸時代には世襲化していた。高禄の者は領地を、普通の武士は米穀を支給された。 石高・・・・・・土地を与えられた武士がその土地で採れる収穫高、及び、収入。 >>この役職ですとどれ位の暮らし振りの旗本なのでしょうか? 先にも述べましたが、書院番では、100俵前後ですので、 1俵=4斗(3斗になった頃もある) 100俵×4斗=400斗 1石=10斗 400斗=40石 かなり裕福ですね。 「暮らし振り」・・・と言われても、倹約家もいれば浪費家もいたでしょうから、さて、あなたの家系は??? 時代にもよりますが、元禄年間頃で1石=1両と言われていましたので、年間で40両が支給されたことになります。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.1

  民部卿は、正四位下だそうです。  http://www.sol.dti.ne.jp/~hiromi/kansei/o_shou_minbu.html 民部省の長官で、職務内容は「諸国の戸数人口の名簿(要するに人別帳簿)、家人、奴婢、賦役、けん免、田畑、山川沢池、橋や道路などを管理し、中務卿・式部卿に次ぐ朝廷の要職です。 官位相当は正四位下の職ですが、納言以上の人(つまり三位以上)の兼任職とする習いです。定員は1名。」  となっています。

montsukiha
質問者

お礼

ありがとうございます! 助かりました!

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