• 締切済み

旗本の縁組

江戸時代、旗本の縁組相手はどのように選ばれていたのですか? たとえば、御書院番の旗本が御小姓組の娘を嫁にもらい、さらに大名家家臣の娘を養女にしていたとします。 この場合、職場での付き合い・大名家とのつながりを考えたものと見ていいんでしょうか。

  • 歴史
  • 回答数1
  • ありがとう数3

みんなの回答

  • Pinhole-09
  • ベストアンサー率46% (597/1294)
回答No.1

旗本の結婚につき詳しい本は、見たことがありません。 吉川弘文館の「旗本」を読んでも、一族の承認と、将軍の上裁を得てとなり、媒酌人はたてなかったようだ、としか判りません。 しかし 講談社選書メチエ「江戸武士の日常生活」の中に参考になるものがありました。 直参旗本でなく紀州藩の上級武士の大番頭2300石の蔭山宇衛門の娘と1000石の江間与右衛門の祝言です。 新婦は新郎の遠縁にあたるとのことで、縁続きが要因のようです。 なお藩主紀伊頼宣が両家の婚姻を命じたと書かれています。 家の存続が大事な時代、当主が急逝し跡継ぎを探すのに血縁が大事で、婚姻も遠縁であっても、縁続きが重視されたと思います。 旗本が大名の娘を貰うのも、数百石の旗本が数千石の家の娘を貰うことがあるのも、血縁が関係しているからと判りました。

sarunami09
質問者

お礼

回答ありがとうございます。また、お礼が大変遅くなってしまって申し訳ありませんでした。 旗本の婚姻に「縁続き」であることが重要であったとは、考えてもいませんでした。言われてみれば確かに、後妻を娶る場合でも前妻の縁者であったりしていたようです。

関連するQ&A

  • 旗本について

    旗本寄合は江戸城の門番や駿府加番・中川御番などを勤めたという事ですが、詳細が分かれば教えてください。 大名家とは異なり、大身と言えど旗本の家臣団は貧弱で流動性が大きかったと思うのですが、門番や加番をする際には自家の家臣を動員したのでしょうか?

  • 旗本

    番士の序列は書院番・小姓組>大番なのに、頭になると大番頭は役高五千石・場合によっては大名役で、書院番頭は役高四千石と大番頭より下位の職となっているのでしょうか? ご意見を伺えれば幸いです。

  • 書院番と小姓組はどちらの方が身分が高くて格上だった

    江戸時代の江戸幕府の役職で、『書院番(しょいんばん)』と『小姓組(こしょうくみ)』を比較したら、どちらの方がより身分が高くて格上だったのでしょうか? 江戸時代の江戸幕府の役職で、『書院番(しょいんばん)』と『小姓組(こしょうくみ)』とでは、どちらの方がより身分が高くて格上だったのでしょうか? 江戸時代の江戸幕府の役職で、『書院番(しょいんばん)』と『小姓組(こしょうくみ)』とでは、どちらの方がより身分が高くて格上だったのかを教えてください。

  • 旗本番方の仕事

    旗本の番方(大番・書院番・新番など)は具体的にはどのような業務内容・職掌だったのでしょうか? 平時は江戸城の警固といっても、実際に立ち番するのは配下の与力・同心だと思うのですが、番士は詰め所で何をしていたのでしょうか?

  • 旗本の領地

     江戸時代の旗本には、領地を持っている人と領地を持たずに米で禄をもらっていた人がいると聞いていますが、実施には、どのくらいの割合の人が実際に領地を持っていたのでしょうか?  また、大名の領地の支配機構を「藩」と言いますが、旗本の領地の支配機構には、「藩」と同様の呼び名はあるのでしょうか?

  • 幕末に江戸の旗本は何をしていたのでしょうか?

    江戸無血開城の頃、江戸の旗本は何をしていたのでしょうか?また今も東京に残るいわゆる「武家屋敷」は、基本的にすべて外様大名のものなのでしょうか?新撰組と会津などの他の幕府の人は何をしていたか、判りません。歴史に詳しい方、教えて下さい。

  • 外様大名と旗本・御家人疑問

    荒木又右衛門や大久保彦左衛門等 江戸初期を扱った時代劇ドラマで 外様大名と旗本・御家人は 反目していて 仲が悪かった 特に旗本は外様大名を目の敵にしていた と言うのがあったのですが 質問(1) 当時、外様大名と旗本・御家人が 実際に対立したり反感を持っていたり していた事があったのでしょうか? 質問(2) (1)があったとしたら 両者が両者が対立したり 仲が悪かった原因は どんな事でしょうか? 質問(3) 外様大名の分家で 旗本に取り立てられた家がありますが そう言うのは 外様大名、旗本・御家人 どちら派になるのでしょうか?

  • 旗本領

    江戸時代の旗本領は大名とちがいあまり仰々しい体制づくりはしてないと思いますが治安維持組織は地元の村役人など百姓衆自身でやってた場合が多いのですか?それとも領主がお役所設置してたりしてましたか?

  • 仲介役の旗本

    江戸時代、大名家は幕府に争訟したり、他家と折衝する際に、親しい旗本(細川越中家が頼りにした加々爪民部とか)に仲介を頼むのが普通だったようですが、このような旗本はどういうメリットがあって、こういう仲介役を引き受けていたのでしょうか? 二重スパイというと聞こえが悪いですが、大名家から内々に相談された内容を時には幕閣に注進・報告したりもしていたのでしょうか。

  • この旗本の石高は。。。?

    この旗本の石高は。。。? 曽祖父が富士見宝蔵番、祖父が民部卿書院番、父は小普請、当人は講部所奉行組。と言う旗本の家は、石高的にはおそらくでもかまいません、一体どれくらいの石高の家の可能性が高いでしょうか。講部所奉行組にいた当人の名前の下に、高40俵3人扶持とも書いてあります。この40俵と言うのは個人の稼ぎのようなものを表しているのでしょうか。それともこの家の石高を表しているのでしょうか?屋敷が1000坪以上だった記録があるのですがそれも参考になりますでしょうか。どなたかお教えいただけましたら本当に嬉しいです。