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旗本の縁組
江戸時代、旗本の縁組相手はどのように選ばれていたのですか? たとえば、御書院番の旗本が御小姓組の娘を嫁にもらい、さらに大名家家臣の娘を養女にしていたとします。 この場合、職場での付き合い・大名家とのつながりを考えたものと見ていいんでしょうか。
- sarunami09
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- Pinhole-09
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旗本の結婚につき詳しい本は、見たことがありません。 吉川弘文館の「旗本」を読んでも、一族の承認と、将軍の上裁を得てとなり、媒酌人はたてなかったようだ、としか判りません。 しかし 講談社選書メチエ「江戸武士の日常生活」の中に参考になるものがありました。 直参旗本でなく紀州藩の上級武士の大番頭2300石の蔭山宇衛門の娘と1000石の江間与右衛門の祝言です。 新婦は新郎の遠縁にあたるとのことで、縁続きが要因のようです。 なお藩主紀伊頼宣が両家の婚姻を命じたと書かれています。 家の存続が大事な時代、当主が急逝し跡継ぎを探すのに血縁が大事で、婚姻も遠縁であっても、縁続きが重視されたと思います。 旗本が大名の娘を貰うのも、数百石の旗本が数千石の家の娘を貰うことがあるのも、血縁が関係しているからと判りました。
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お礼
回答ありがとうございます。また、お礼が大変遅くなってしまって申し訳ありませんでした。 旗本の婚姻に「縁続き」であることが重要であったとは、考えてもいませんでした。言われてみれば確かに、後妻を娶る場合でも前妻の縁者であったりしていたようです。