- ベストアンサー
書院番と小姓組はどちらの方が身分が高くて格上だった
江戸時代の江戸幕府の役職で、『書院番(しょいんばん)』と『小姓組(こしょうくみ)』を比較したら、どちらの方がより身分が高くて格上だったのでしょうか? 江戸時代の江戸幕府の役職で、『書院番(しょいんばん)』と『小姓組(こしょうくみ)』とでは、どちらの方がより身分が高くて格上だったのでしょうか? 江戸時代の江戸幕府の役職で、『書院番(しょいんばん)』と『小姓組(こしょうくみ)』とでは、どちらの方がより身分が高くて格上だったのかを教えてください。
- 歴史
- 回答数2
- ありがとう数4
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
fgrtdyhjさん、こんばんは。 小姓組のほうが格が上ですね。詳細は下記のURLを参照してください。 小姓組 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%A7%93%E7%B5%84
その他の回答 (1)
- fujic-1990
- ベストアンサー率55% (4505/8062)
稲垣史生著の「時代考証事典」によりますと、小姓組も書院番も「番頭」の役高は4000石・菊之間詰め、「組頭」は布衣・1000石・菊之間南襖際詰め、「番衆」は300俵、1組50人で、違う所というと小姓番頭に「諸大夫」とあるだけです。 が、役高や部下その他が全く同じ(部下の組頭が布衣なので、4倍の禄高の番頭も布衣とは考えられない)なので、書院番頭も諸大夫だと思われます。 なので、両者は「同格」と考えます。
お礼
御回答ありがとうございました。
関連するQ&A
- 「御書院番に列し、~~」の『御書院番』について
(⇩)下記の URL の、「寛政重脩諸家譜. 第8輯」という資料の、コマ番号 427/550、本文 八百三十(830)頁、のページの、真ん中の段の、谷口正煕(まさひろ)の部分の説明文の、右から8行目に、 「御書院番に列し、~~」 という文章があります。 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082720/427 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082720/427 (⇧)上記の URL の、「寛政重脩諸家譜. 第8輯」という資料の、コマ番号:427/550、本文 830頁 の、真ん中の段の、谷口正煕(まさひろ)の部分の説明文の、右から8行目に、 「御書院番に列し、~~」 という文章がありますが、 この、谷口正煕(まさひろ)が列したという、『御書院番』というのは、如何なるもので、地位や身分はどれぐらいの高さだったのでしょうか? 教えてください。 【参考URL】 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082720/427 (⇧)上記の URL の『寛政重脩諸家譜 第8輯』という資料の、コマ番号:427/550、八三〇 項、の真ん中の段の「谷口 正煕(まさひろ)」の部分の説明文の右から8行目の文章、 「御書院番に列し、~~」 の『御書院番』
- ベストアンサー
- 歴史
- 御書院番の、明和六年頃の身分(地位)はどれぐらい?
この下記(⇩)のURLの、(コマ番号:427/550、本文 八三〇(830)頁 の、上から2段目の、)「谷口 正煕(まさひろ)」という人物についての説明文の中の、右から7~8行目の文章に、 ~~、明和六年十月二十二日御書院番に列し、~~ という文章があります。 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082720/427 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082720/427 (⇩)下記の URL の、「寛政重脩諸家譜. 第8輯」という資料の、コマ番号 427/550、本文 八百三十(830)頁、のページの、上から2段目の段に、「谷口 正煕(まさひろ)」という人物についての説明文があります。 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082720/427 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082720/427 (⇧)上記の URL の、「寛政重脩諸家譜. 第8輯」という資料の、コマ番号:427/550、本文 八三〇(830)頁 の、上から2段目の段に、「谷口 正煕(まさひろ)」という人物についての説明文があります。 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082720/427 この、コマ番号:427/550、本文 八三〇(830)頁 の、上から2段目の、「谷口 正煕(まさひろ)」という人物についての説明文の中の、右から7~8行目に、 ~~、明和六年十月二十二日御書院番に列し、~~ という文章があります。 質問があります。 『~~、明和六年十月二十二日御書院番に列し、~~』の 谷口 正煕(まさひろ)が明和六年十月二十二日に列したという『御書院番』というのは、その時代においては、どれぐらいの身分(地位)だったのでしょうか? 『明和六年十月二十二日御書院番に列し』の、谷口 正煕(まさひろ)が列したという御書院番というのは、その時代において、どれぐらいの身分(地位)だったのかを教えてください。 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082720/427
- ベストアンサー
- 歴史
- 谷口正煕がなった御書院番と甲府勤番の身分地位の比較
(⇩)下記の URL の、「寛政重脩諸家譜. 第8輯」という資料の、コマ番号 427/550、本文 八百三十(830)頁、のページの、 真ん中の段の「谷口 正煕(まさひろ)」の所の説明文によると、 右から8行目に「御書院番に列し、~~」という文章があり、 右から10行目に「甲府城の勤番となり、甲府にうつり住す。」という文章があります。 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082720/427 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082720/427 (⇧)上記の URL の、「寛政重脩諸家譜. 第8輯」という資料の、コマ番号:427/550、本文 830頁 の、 真ん中の段の「谷口 正煕(まさひろ)」の部分の説明文によると、 右から8行目に「御書院番に列し、~~」という文章があり、 右から10行目に「甲府城の勤番となり、甲府にうつり住す。」という文章があります。 質問があります。 この、谷口 正煕(まさひろ)が、列したり、なったりした、 “御書院番” と “甲府城の勤番” とでは、どちらの方が、より地位や身分は高かったのでしょうか? この、谷口 正煕(まさひろ)が、列したり、なったりした、 “御書院番” と “甲府城の勤番” とでは、どちらの方が、より地位や身分は高かったのかを教えてください。 【参考URL】 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082720/427 谷口 正煕(まさひろ)の説明の文章
- ベストアンサー
- 歴史
- 保科正之と松平定信を比較したら
保科正之と松平定信を(時代は少し違いますが、江戸時代の基準で)比較したら、どちらの方が、身分や地位は上でしょうか? どちらの方が血筋は良いと思われていたのでしょうか? 保科正之と松平定信を(時代は少し違いますが、江戸時代の基準で)比較したら、 (1) どちらの方が身分や地位は上だったのか? (2) どちらの方が格上だったのか? (3) どちらの方が血筋は良かったのか? この3つの質問の回答を教えてください。
- ベストアンサー
- 歴史
- 日本史の問題でわからないところがあります。
日本史の問題で分からないところがあります。 1.江戸幕府の幕府政治の中心を担う役職は何か 2.その後制定された大名の守るべき法令は何か 3.江戸時代の大名の区分を三つ挙げよ 一応自分でやってみたのですが 1.軍役 2.武家諸法度 3.親藩・譜代・外様 1番がどうにも自信がありません これであっているのでしょうか? 教えてください、お願いします。
- ベストアンサー
- 歴史
お礼
御回答ありがとうございました。