• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:なぜ才能がないのに努力をしようとするのか?)

なぜ才能がないのに努力をするのか?

このQ&Aのポイント
  • 才能がないのに努力をする理由は何なのでしょうか?スポーツや音楽の世界では才能が必要ですが、なぜ人々は努力をするのでしょうか?
  • 身近な例として、高校時代の友人が野球部に所属していましたが、野球が下手で三年間玉拾いをしていました。しかし、彼は野球をやめずに努力し続けました。
  • また、モーニング娘の道重さゆみは歌唱力がなかったにもかかわらず、数年間のレッスンを受けても歌が上達しませんでした。このような例もある中で、なぜ人々は自分に才能がないことに気づきながらも努力するのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.18

こんにちは。 >>なぜ才能がないのに努力をしようとするのか? このことについて、私の意見を書きます。 まず、才能のあるなしに関わらず、人は努力しています。 確かに、才能が無ければ、どうしようもない。 と言うのはもっともだと思います。 この世の中に才能と言うものが存在するのは確かです。 例えば、鳥は飛ぶと言う才能を持っているとします。 カエルがいくら努力した所で鳥の様に、 大空を自由に飛び回ることはできません。 鳥は飛ぶ才能がありますが、それは鳥にとっては 当たり前のことなのです。鳥は空を飛ぶ際に 何万回と翼を羽ばたかせているのです。 それは鳥にとって当たり前にこなすことなのです。 つまり、鳥は空を”飛ぶことができる”のではなく ”空を飛ぶ”と言うことなのです。 同様に野球選手も”球を打つことができる” のではなく”球を打つ”なのです。 つまり私の言いたいことは、 これだと思ったことや、今自分のやっていることや これから始める事をただやるしかない。ということです。 これが私の意見です。 >>そして、才能があるものしか日のあたる場所にでれない。と、 いうことも、心の中ではわかっているはずではないのか。 それなのに、それでも努力し練習する人が多いのはなぜか? これに関しては、様々なパターンがあると思います。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (18)

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.8

もし後悔したくなかったら、才能のある人もない人も出来ることは、 人事を尽くして後は天命を待つ だけです。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.7

http://www.youtube.com/watch?v=PKcIE7ryqog 夢中になれるものがそれだったから じゃないかと。 大好きなものに携われる。 その携われることをするためには、何かをしなければならない。 それをすれば携われる。 だからやるわけです。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.6

 こんにちは。  水差し浪人です。  ひとは みなどんぐりの背比べです。  才能もそうです。  学力だけに限らず 人びとの評価において 100点満点を取ることと50点を取ることとでは 差があります。どんぐりの質の差をも問われかねないかも知れません。  そこで 一方では ニュアンスが変わりますが 五十歩百歩だと見るひとと 他方で いやいや百歩を取って五十歩は捨てるという判断をするひとと 一般にこの二つの場合に分かれるでしょう。  そして それだけの話ではないでしょうか。  努力は 才能があろうがなかろうが したければするでしょうし したくなければしないでしょう。  才能があるにしろ無いにしろ 努力するひともいれば しないひともいる。  才能の有無を問うよりも たとえ無くても 何がしたい・かにになりたいといった目標を持ったときには それに向かってすすむということだと思います。そのとき 努力などしないで成功したいというひともいると思いますよ。  ウド鈴木とかゴリとかの場合 才能の問題ではなく ひととの話し合いの仕方が変わっていると思います。ずれているように感じます。それを――時間を取ってしまったとしても――その場でみんなで考え合っていくのがいちばんよいと思います。  北野武は 本人はコミュニケーションに問題があるわけではなく しかも かれの発言に対する周りの人びとの反応の仕方が 変わっていると思います。(最近年は見ていませんが)。何でもかでも面白いという反応を見せるのではないか。おかしいと思います。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#116897
noname#116897
回答No.5

なぜ才能がないのに努力をしようとするのか?  努力を重ねることで才能の無さを補おうとしている。  才能があるかないか、いったい誰が判断するのかね。  まさに歌の才能なんて声さえ出せるなら誰にも才能がある。  ピッチがずれようが、リズムがずれような、心地の良い歌がある。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.4

才能が「ない」というのは、死人のことである。 他人と比較して少ないことを、「ない」と表現するのは勘違いである。 人間、生きてさえいれば「才能」の違いなんて、60点か90点かの程度の 違いに過ぎない。 もし、他人との競争社会であれば敗北は死=1点の差が「才能がない」と 言えなくもないが、助け合いとしての社会においては、60点が10点で あっても、協調性のある人は確実にプラスであり、100点であっても 自己チューで周りを攻撃し、不快にする人はマイナス100点であって、 その「才能」は死人以下(マイナス)である。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • 33obachan
  • ベストアンサー率25% (119/473)
回答No.3

幼児期に音楽教室に通わせてもらったおかげで、歌は苦労しませんでした。 残念ながら苦労したかたの気持ちをわかってあげることができません。 運動は苦手意識を持っていたためあまりせず、後れ馳せながら、部活などで、夢中になりました。きっと野球なら、質問者様のお話のように万年補欠だったのでしょう。 「三つ子の魂百まで」恵まれた時期にはじめれば、ほめられ、調子にのって、取り組むので、上達も早いですね。高校生になるころにはもう余裕ですよね。 ただ、私の場合は練習嫌いで小さい頃はなにもせず、譜読みもめんどうがっていました。指を怪我した後遺症があったので、やる気がでたころには、プロ仕込みの先生の耳をごまかせず、指の力を出せず音が抜けがちになり、均一に音が出ないのを克服するよう、あたり前のスケールを何時間も練習しました。いい先生に出会えました。 スタートラインの早い遅いで、才能の有無を決めるなんて、つまらなさすぎます。歌手の女の子はおそらく、下勉強なしで、芸能界入りして、しかられながら仕込まれて、苦手意識もちながら歌ってます。 ほめられて嬉しそうに歌っている人みたいに上達しません。 また、トンネルを抜けるまでやめてほしくないです。一年でだめでも、翌年、翌々年に、出口にいけるかもしれないのです。 また、うまいだけじゃ、声のよさだけでは、人は感動しません。 音楽が好きでたまらない人の音楽が、感動するのです。 あるとき、何かのはずみで音楽に夢中になったかたの音楽のすばらしいこと。私の学生時代はバンドブームで、あちこちからギターの音が聞こえてきました。 必死で練習して身につけていったかたの音楽には魅力を感じます。 才能うんぬん関係ないです。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#116568
noname#116568
回答No.2

好きなことだから努力するんです。 野球が好きだから、歌が好きだから。 しかし、好きなことでも才能が無いために努力を途中でやめてしまう人も多いんです。 つまり、その友達や道重さんのように努力し続ける人は、努力の才能があるのです。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • ft82
  • ベストアンサー率25% (21/82)
回答No.1

人間には物事全ての損得勘定を出来るほどの脳みそはありませんので 才能のあるなしはだいぶ努力してからじゃないと気づかないものなんですよ もっと良い脳みそ積んでれば良かったんですけどね~

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 何も才能のない人間はどうしたらいいですか。

    何も才能のない人間はどうしたらいいですか。 私は何をやってもうまくできない人間です。 スポーツも音楽も美術も下手くそです。(何回やってもうまくいかない) パソコンもうまく使いこなせず作業が遅いです。 特技も趣味もありません。 「これだけは他の人には負けない」というものがありません。 手先も不器用で、ものを作るときはだいたいボロボロの作品が出来上がります。 勉強は努力して、成績上位になっても努力してない人に普通に抜かされたりしました。 話下手です。 体が弱いです。 才能のない人間はこれからどうやって生きていったらいいんですか。才能はどうすれば見つけられますか。

  • 中途半端な才能より、努力できる才能を。

    わたしは努力する人になりたいです。 努力できる才能を持った人になりたいです。 そのような質問を漁って見てみたところ 好奇心が持てて、興味あるものがあれば 努力ができる。努力できない人は  、自分が努力出来るものを探せばいい。 といったような回答がほとんどでした。 わたしは小さい頃から 好奇心旺盛なほうだと思っています。 好きなものはたくさんありますし、 興味があるものには 自分からどんどん挑戦していったつもりではいます。 ただ、色々やってもある程度何でも出来てしまって 飽きやすい訳ではないですが そこまで大ハマりしないという感じです。 勉強もしなくてもそこそこ出来るし 正直顔もそんな悪くないし スポーツもある程度出来るし バイトや仕事でも気を利かせて動けるし 色んなことにおけるセンスもあるし 歌も人並みよりは上手に歌えますし といった感じで かなり嫌味に聞こえてると思いますが 人間関係が苦手な部分以外は ある程度なんでもできてしまいます。 ただ私は 小さい頃からやればできる子という感じで 周りから言われ続け それでもって何もせずに生きてきました。 何もせずにと言っても 部活を頑張ったり恋で悩んだりなど 青春ぽいこともやってきてます。 そんな中で 努力できる人をすごく羨ましく思ってきました。 やればできる子と言われてきましたが やろう!って思えば思うほど さらにできなくなっていくような気もするほど 努力ができません。 中途半端な才能なんかより 必死に努力できる人になりたいです。 ぜひお力おかしください。

  • 音楽の才能って?

    最近とても疑問に思っていることがあります。それは「音楽の才能」ってなんなんだろう?ということです。私はこれまで何年か声楽とピアノを習ってきました。その先生方にも、また音楽をやっている友人にも、「才能は2の次で、やはり1番は努力(練習)することだ。」と言われてきました。 そういう風にずっと考えてきましたが、最近芸大に通っている知人の何人かと話したところ、「音楽はやはり才能です!」ときっぱりと言われました。その人達は当然、今まで相当量の練習を積んできているわけで、十分な努力をされてきたはずです。音楽は努力が99%だと思ってきた私にとっては驚きました。レベルが違いすぎて、その人たちの言う「才能」というものがどういうものなのか、全く見当が付かないのです。 皆さんは「才能」ってどういうものだと思いますか?また、その才能がないのなら、音楽を辞めたほうが良いのでしょうか?

  • 音楽の才能について

    音楽の演奏や作曲において一番必要なものって才能ですよね? 専門学校や音楽教室などの場所では必ずと言っていいほど 教える人は才能ではなく努力だ、とおっしゃいます。 だけど、本当は才能がすべてだと分かっていると思うんです。 タブーだから言わないだけで。 確かに音楽は楽しむことが何よりも大事だ、という意見もあります。 だけどそれは聴衆や素人の話であって、プロを目指す人間にとっては それだけでは済まないと思うんです。(もちろんそれも大事ですが) 少なくとも音楽は才能のないものがひぃひぃ努力しながらやるものではなく、 才能があるもののみが楽しんでできるものだということを 本当は音楽を教える人達もわかっているはずなんです。 にもかかわらず、教える人はそれを認めようとしない。 それって卑怯だと思います。 才能がないうえでそれでも努力したいのであればそれは自由ですが、 才能がある人から見ればない人が努力して上達できる量なんてたかが知れているという 事実は歴然としてあるはずです。 にもかかわらず誰もそれを言おうとしない。 作曲法について書かれたサイトや本もいくつも見ましたが、 どこにも才能について触れられたものはなく、 才能がある人が無意識のうちにできるようなことを 手取り足取り書いてあるだけで、 それを実行して作曲ができるようになった人が果たしているのか、 と思ってしまいます。 音楽をプロとしてやる上で才能は無視できませんよね? 音楽だけに限ったことではないかもしれませんが、 (声優の大塚明夫さんも確か似たことをおっしゃってました) このことについてはもっと触れるべきことだと思います。 にもかかわらず、ごく一部の人を除いて誰も指摘しようとしない。 これって卑怯なことだと思いませんか? ご意見をお待ちしております。

  • 「才能」についてどう思います?

    「メンタルへルス」じゃなくて「スポーツ」カテゴリで質問した方がよかったでしょうか・・・ ? タイトル通りなのですが皆さんは「才能」についてどう思います? 私の友人に運動神経が良い人がいます。 しかし聞いてみると特に運動もしていないとの事です。実際、その人は文科系です。 でもその人は筋力もあるし、足も速く敏捷性もあります。 しかし私は運動しているのに、その人には筋力も敏捷性も及びません。 この違いはなんでしょうか? 才能という物は存在しないと言われてきました。 しかし実際はどうでしょう? 誰だったか「才能とは100%中、1%にしかならない。99%は努力だ」 とか言ってますが、この言葉は敗者を笑っているようにしか聞こえません。 所詮、こんな言葉は勝者が吹聴する気休めであって実際は「努力50%、才能50%」 最後に物を言うのは生まれ持った才能じゃないんですか? 下手すりゃ努力なんて結局、1%にも満たないんじゃないですか? なんだか負け犬の遠吠えみたいですが、よろしくお願いします。

  • 勉強に才能はある?ない?

    野球選手やサッカー選手などスポーツ選手の並外れた運動神経は 生まれ持った身体能力の才能が大きく左右すると思います。 これはよく言われていて私もそう思います。 しかし学問の場合はどうでしょうか? 私は努力ももちろん必要ですが、 東大に行く人は才能の要素が大きいと思います。 みなさんは学問にも才能はある?ないと感じますか? 理由も教えて下さい。

  • 才能無いのに、努力する人は結局ダメですよね?親も止めさせるべきではない

    才能無いのに、努力する人は結局ダメですよね?親も止めさせるべきではないでしょうか? 犬の散歩をしている時に、近所の高校ののグランドで、汗を流しながらボールを拾っては投げ走る少年を見ました。 そこの高校の野球部は、甲子園を本気で目指しているようですが、毎年県大会で一度も優勝したことはありません。 才能も無いのに甲子園の為に頑張る高校生って頭悪くないですか?見てて笑えてきます。 野球のために時間を使うことを一切やめ、勉強をしマーチ以上の大学へ行き、一流企業に就職した方が絶対に確率高いし安定してると思います。 音大や美大を目指すも浪人する人 記憶力が無いのに何年も弁護士の勉強する大人 レギュラーにもなれないのに頑張って野球の練習をする高校生… 自分は才能ないって事に気がついてないのでしょうか? 私は、音楽も絵も平均点&運動もあまり得意ではない凡人でしたが、凡人以上に勉強をして一流大学に行き一流の男と結婚しました。 結局「世の中の99.999%の人間は、才能無いのにそういう職業目指してもバカを見るだけ」だと思います。 親もそういう子供に対して、才能無いんだしやめて他の事をしなさい!って言うべきだと思いませんか? 私の子供が大きくなった時、才能も無いのに、努力をしていたら、私はやめろと言うと思います。そちらの方が賢い生き方です。 また皆さんは、客観的に無駄な努力をする人を見てどう思われますか?

  • 耐えないと努力ではないというのはおかしくない?

    努力って耐えることのみを言うのですか? 「辛抱したらいつか報われる、だから安易に逃げずに努力を続けろ」 よく古い人がこんなこと言ってますけど、努力って辛抱して我慢することのみを言うのですか? 耐えて我慢していれば環境が変わる、なんてのは他力本願。 無理なら無理だ、と割り切って別のところに力を注ぐことも私は努力だと思いますが、辛抱が足りないと批判する人も多いです。 辛抱しようが新しいところに移ろうが、どちらも苦しいし、努力が必要だと思います。 10年同じ場所で辛抱しても何一つ出世しない人もいますし移り変わりまくって芽が出る人もいます。 盲目的に耐えることを努力だと言うのはおかしくないですか? 耐えることが必要ないとは言っていませんが、5年やってて一向に出世しない会社に勤務し続けけるよりも、会社を1年で辞めて、また次の会社へと移りながら5社に勤務しててでも年収あげている方が努力してると思うし、何よりも結果が出ていない努力は無価値です。 何をやっても苦しいことはありますし、移ろうが残ろうが苦労はあります。 例えば、 夏の高校野球出場高校紹介で新潟県の日本文理という高校は部員が100人以上いて、監督と話さないまま卒業する人もいるという記事を見ました。 そこで自分には才能がなく、レギュラーを取ることが不可能だなと分かっても、 それを目指して三年間下働きで辛抱することが努力である というのも分かりますが 自分の力を見限って、野球部を退部して別のことに時間を使うことも努力だと思います。 でも後者は批判されますよね?努力が足りないって。 見限って、別のところに時間、金、労力を使うことも努力でしょ? 才能のない野球にこだわってるよりも、さっさと野球やめて勉強した方が良い大学にいけるし。推薦もしてもらえない野球してても無価値です。

  • 才能というものに関して

    先日夏の甲子園が開幕しました、今大会の話題は何と言っても早実の 清宮選手が独り占めみたいですね、確かに大物感が漂います。 現巨人軍原辰徳監督も 高1 の時分から有名なスラッガーでしたが、注目度では清宮選手の方が断然上でしょう。 この私目もリトル・リーグから始めて中学でも野球部、自分ではそれなりのつもりでしたが、中学も3年 辺りになるとモノの違いに気が付いちゃうんですね、こればかりはもうどうしようもないと・・。 野球選手にとって最も肝心なのが速い球を投げる・遠くへ飛ばせるといった天賦の才、そのポテンシャルがある人の延長線上にだけ努力に依って報われる領域があるんでしょう、つまりベースが無い子供にとっては正直辛い世界です。 ここにリトル時代から野球仲間の一年先輩がおります、お金持ちのお坊ちゃまで勉強もよく出来た、走るのも速かったですね11秒そこそこだったでしょうか、片手間で出場した都大会の100メートルで3位、ついでに背が高くておまけにハンサムな万能選手。 ところがどっこいこの人が真性の野球キチガイ、何かにつけ真面目なもんだから人一倍の練習をこなし、近所に住む私は早朝より呼び出されそれこそいい迷惑、ただちっとも上手くならなかった。 普通に勉強しておれば恐らく T 大 に入ったでしょう、或いはスプリントでもいい線行ったかも知れない、つまり最も才能が無い分野に没頭してしまった訳で、大学まで野球漬けの生活を続け、現在は家業を継いで社長業に勤しんでおられます。 忙しいだろうに今でも時折 「 ちょっと付き合え! 」 ・・とお呼びが掛かる、唯一頭が上がらない先輩だから嫌も応もないんです、このオッサンの頭の中は今も過半は野球が占めているみたいで、アメリカ出張もメジャー・リーグの試合を絶対に絡めると話しておりました。 まあ野球の世界に限らず才能の有無とは冷酷なものです、努力がちっとも報われないケースも少なくないでしょう。 さてそんな才能に関して、多方面のお話を賜りたいと存じます。

  • 結局、才能や境遇に恵まれている人には勝てない。

    どんなに努力したって、結局生まれ持った才能や境遇に恵まれている人には勝てないですよね? 「努力すれば云々…」なんて綺麗事言う人が多いけど、本当にそう思ってるんでしょうか。 不細工は逆立ちしたってイケメンには勝てないし、貧乏な家が良質な教育を与えられる可能性は限りなく低いし、スポーツや芸能関係はモロ才能や境遇が物を言う世界ですよね。 どう考えても「この世の中、努力だけじゃ覆せない事の方が圧倒的に多い」と思います…。 努力努力とバ○の一つ覚えみたいに言う人は多いけど、才能や境遇に恵まれない人が努力でどうにかなるように世の中は出来てるんですか?