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音楽の才能について

音楽の演奏や作曲において一番必要なものって才能ですよね? 専門学校や音楽教室などの場所では必ずと言っていいほど 教える人は才能ではなく努力だ、とおっしゃいます。 だけど、本当は才能がすべてだと分かっていると思うんです。 タブーだから言わないだけで。 確かに音楽は楽しむことが何よりも大事だ、という意見もあります。 だけどそれは聴衆や素人の話であって、プロを目指す人間にとっては それだけでは済まないと思うんです。(もちろんそれも大事ですが) 少なくとも音楽は才能のないものがひぃひぃ努力しながらやるものではなく、 才能があるもののみが楽しんでできるものだということを 本当は音楽を教える人達もわかっているはずなんです。 にもかかわらず、教える人はそれを認めようとしない。 それって卑怯だと思います。 才能がないうえでそれでも努力したいのであればそれは自由ですが、 才能がある人から見ればない人が努力して上達できる量なんてたかが知れているという 事実は歴然としてあるはずです。 にもかかわらず誰もそれを言おうとしない。 作曲法について書かれたサイトや本もいくつも見ましたが、 どこにも才能について触れられたものはなく、 才能がある人が無意識のうちにできるようなことを 手取り足取り書いてあるだけで、 それを実行して作曲ができるようになった人が果たしているのか、 と思ってしまいます。 音楽をプロとしてやる上で才能は無視できませんよね? 音楽だけに限ったことではないかもしれませんが、 (声優の大塚明夫さんも確か似たことをおっしゃってました) このことについてはもっと触れるべきことだと思います。 にもかかわらず、ごく一部の人を除いて誰も指摘しようとしない。 これって卑怯なことだと思いませんか? ご意見をお待ちしております。

みんなの回答

回答No.7

音楽の才能と言っても一ことではすみません。 まず耳がよいこと。   音感や和音、複雑な旋律などの聞き分ける能力(INの才能)。 次に、例えば声楽なら、    声域が広い、声量がある、美声などOUTの才能。 そして内面である、    独創性、創造性などの才能。    演奏なら独創性、作曲なら創造性が、従来の    奏法、曲にない音楽を生むことに必要です。    このためには従来の演奏を聴く学びや、名曲の    分析という不断の学習努力が必要です。    IN→ □ →OUT このように才能とは幾つかの能力であります。 何の才能があり、何の才能に劣るか。 野球でいえば、投げる、打つ、走るです。   イチローや大谷みたいに全部揃う、極く一部の人。   一部秀でるが、例えば守備を猛特訓しないとレギュラーに   なれない人など、いろいろです。   そして年齢と共に能力も変わりますから、レギュラーを   続けるには例えば「技巧派投手」に変わらねばなりません。   これはどんなに優れた投手でも同じです。しなければ短命です。  さて才能は自分で気づく場合もあります。   人より勝るところがあるから。 が、多くは教育者から「見出される」ことが多いでしょう。   教育者は多くの才能に接しているからです。 そこで総合的に訓練され、磨かれてゆく。 しかしそれだけで大成するとは限りません。 例えば流行歌手。   歌が上手い人、その才能ある者は多数います。   しかしプロになれる人は極く一部です。それは「人気」が   必要だからです。人気は才能ですか?   またすぐ飽きられます。対策が必要です。プロヂュース   能力であったり、チームであったり。これも才能ですか? 才能は能力です。 ですから訓練することにより伸ばすことができます。 天賦の才能だけが能力ではありません。   相当才能がある人は極く一部です。その人もない   能力を伸ばす、またある才能も訓練せねば抜かれます。 そして「能力」の進化、また保持には不断の努力が必要です。    (年齢とともに能力は変わるものです。) 才能は努力の一部に過ぎない、といえるのではないでしょうか。

  • evolver
  • ベストアンサー率26% (12/46)
回答No.6

猿真似と芸術の区別は あなたの個人の尺度だからだと思います。

  • sp550uz
  • ベストアンサー率49% (547/1096)
回答No.5

卑怯でも何でもない。仕事として、商売として、やっていることですよ。「教えて欲しい→じゃあ、やり方を教えましょう」と、作曲する方法や手段を教えているだけですよ。そこに「貴方の才能を必ず発掘します!」とか「必ず作曲のプロになれます!」と書いてあれば問題でしょうけど。 才能のある人はそのような本を参考程度に読む程度でしょうし、先生が「あなた才能無いから辞めなさい」と言ったら、学校や教室に生徒が来なくなって「おまんまの食い上げ」状態に陥ります。義務教育以上の高等学校で「あなた、勉強出来ないから退学しなさい」と言われたら「勉強出来ないから学校に来てるのに・・・。もっと丁寧に教えて下さいよー!」と不満に思うでしょう? 「音楽をプロとしてやる上で才能は無視できませんよね?」コレは正論だと思います。思いついた鼻歌で儲けられたら、そこらへんの酔っぱらいでも印税長者です。でも、才能だけじゃプロになれません。曲を作った後のプロデュースの方法が重要なのです。それは、今回の論点とずれるので辞めときます。

  • IDii24
  • ベストアンサー率24% (1597/6506)
回答No.4

何事も才能。間違えた方向に行こうとしてミスマッチのままで一生を終える人も多い。というか大多数。人生は一度だからすべてを経験するわけには行かないから。それを納得させるために人は「才能より努力だ」という。 では才能とは何でしょう?ということですよね。自分は「自然にできる力」だと思います。自分は音楽で食って行こうという人を何人も見てます。楽器は上手いが作曲は全くダメとか、作曲はすごいのに歌は全くダメとか。人間すべてに才能があるなんて無いのです。ジョンレノンでさえ楽器の演奏が上手かったわけではありません。 では音楽で成功するって何でしょう?売れること?であれば必ずしもその才能は音楽の才能ではありませんよね。人に気に入られる、好かれるという才能です。 現代のミュージシャンに共通しているの音楽よりこちらの才能が重要視されます。人に好かれれば周りに人が寄ってくる。周りがつまらない曲でも最高の音に仕上げてくれる。ステージを最高のパフォーマンスショーに仕上げてくれる。つまり好かれれば金を出してくれるって意味です。それがいい方に回ると雪だるま式に人気は増えるのです。音楽は手段の一つにしかすぎません。重要ではないのです。昔と違い音楽は一人で売れるものではないのです。出資者がいてその出資者の意図に従ってそれをメリットとする他の才能が集まりそして一つの媒体ができる。これもすべては好かれるか好かれないかだけ。大物に好かれればそれが力になります。 つまりは、楽器をいくら練習してもダメということになりますね。そもそも好かれれば高い楽器を与えられ、お金をもらって質のよいトレーニングを受けられます。 ではアマの時代に何をすればよいか?なるべく人に会い人脈を広げる。そのためにスクールに入るのは全然かまわない。ライブに通うでもよい。 まあ今の若い人はコミュ力低いので一人ではなくバンドでそれをやる人も多い。要するにバンドの方が5人いれば5人の人脈が広がるということ。一人より楽というだけ。とりあえず一人よりはバンドでごまかす。これが今の売り込みかた。音楽に才能なんかいらない。さっきとは真逆だけど、今の芸能界ならそう。 ただし本当に才能がある人の音楽は全く違うのでそういうのもちゃんと聞いて見る事。会ってみること。ちゃんとそういう人も数人だけど日本にはいるということで。そのときには本当の音楽がわかるでしょう。

  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.3

楽器の演奏を教える人もプロだということを忘れないでください。

noname#235729
noname#235729
回答No.2

>才能がある人が無意識のうちにできるようなことを >手取り足取り書いてあるだけで  音楽に限らず、無意識のうちに周りから受ける刺激や情報を、その分野に結びつけて考えられる人を「才能のある人」と呼びます。  それを意識的に行うのが「技術」です。  才能がない人はその技術を身につけることでプロになれるんですよ。  人が銃など武器を持つことで初めて猛獣と対等に戦えるのと同じように。  そして才能のある人が無意識でできることを、同じ形でできるように一つ一つ習慣化していくことを努力と呼びます。  才能のある人がすでにできることを、一つ一つ身につけていかないといけないので時間はかかりますが、その人に追いつくことは難しくても、自分がプロとしてやっていくには申し分ない実力を身につけることはできます。  才能は無視できませんが、それは才能がないから諦めるということではなく、才能がないなりの努力の仕方を構築しましょうってことです。  そういう点では、才能について一切語らない指導者は無責任と言えますね。  「君には才能がないから、それに代わる物を身につけていく方法を考えよう」と言ってあげた方が、まだ努力のしがいがあるというものです。

回答No.1

音楽をやる本人にやる気があって楽しかったらそれでいいと思います。 人に聞かせるのもいいけど、自分ひとりでも楽しめるから、才能なくても楽しめます。

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