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音楽は才能
私は作曲を勉強していて、ある人に「2年勉強すれば自分の思うように 曲が作れるようになる」と言われ、2年頑張ってみたのですが、 未だに幼稚園のお遊戯時間に流れているような曲しか作れません。 その事を先ほどの人に相談してみたところ、「2年じゃ全然足りない、 10年頑張れ」と言われました。 もう、きっぱり才能がない人は音楽には向かないと言ってくれればいいのに、 「音楽は才能じゃない、努力だ」と言い張ります。 本やネットで調べても、同じようなことが書かれています。 皆さんは、このことについてどう思われますか? 私は、音楽は努力ではなく、才能だと思うのですが・・・。
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- ways
- ベストアンサー率31% (79/253)
努力でも才能でもないですよ? 誰しもが作れるんです。まったく音楽をしない主婦の方が、料理を作りながら、鼻歌で無意識に歌っていて、 「あれ? これ、なんの曲だったっけ。聞いたことないな。なんか、すごくいい曲だったような…」 とか。あと散歩中とか、心が楽しいとき、落ち着いているとき、リラックスしているときなどに、出てきたり心や頭に浮かぶことがあります。それを記録しておける人が、自分の作品を残せる人なんです。曲も詩も、誰でも作れます。それを自分から作りたいと思うこと自体が、すでに才能なんです。普通の人は、思ってもやらないでしょう? 作曲も作詞も、「心にあるもの」しか出てきません。つらいことや苦しいことを経験して乗り越えた、とか、すごく感動した、とか、日常の経験が曲に表れます。だから、自分を表現するわけですから、できた曲は、自分の子供のようなものなんです。その曲たちは、時間がたつと、自分の日記のようです。恋愛や友達関係で、本気になった経験とか。 ご質問者様の中に、「みんなと楽しみたい」という気持ちがあるような気がします。それが曲に表れているのではないでしょうか。 中田喜直さん(よしなお、漢字、違うかもしれません)の「メロディーの作り方」という本にあった、作曲のコツを3つ。 「色んな音楽を聞くこと」 「たくさん作ること」 「友達とよく話すこと」 音楽は非日常のせかい。夢の世界です。その世界を楽しむために、日常を大切にされてください。
- seble
- ベストアンサー率27% (4041/14683)
作曲は才能でしょうねぇ。編曲なら努力だけでもそこそこできると思いますが。 >自分の思うように つまり、自分に思うものがなければ何もできない、という意味だと思いますけど。
- tuiteru7
- ベストアンサー率29% (77/259)
奇跡が起きたというのは、お金も人脈もないのに、amazon、iTunes、レコチョク、LINE MUSICなどのメジャーサイトから自分の創った曲のアルバムを7枚(84曲)も販売できたことです。 また、全国のカラオケ店(JOYSOUND f1、joysoundMax機器設置)で配信することができたことです。 必要な物やサービス情報などを呼び寄せることができるようになることです。 あなたがすばらしい曲が創れることをお祈り致します。
- tuiteru7
- ベストアンサー率29% (77/259)
まず、あなたはなぜ作曲をするのでしょうか? 多くの人に喜んでいただける曲を創るには、 まず、自分が作曲が好きなことが大事です。 作曲が好きではなく、お金を儲けたい、有名になりたいなどの理由で 作曲するのなら、うまくいかないと思います。 私も作曲が好きで、ずっと、曲創りを続けていたら、奇跡が起こり、 曲創りを始めてから35年目にアマゾン、itunes、レコチョク 、 LINE MUSICなどの サイトからアルバムを販売することができました。 あなたも作曲が好きなら、ずっと努力を続けていれば、いつかは多くの人に 喜んでいただける曲を創れるようになると思います。 あなたに良いことがたくさん起きますように。
補足
回答ありがとうございます。 私が作曲を始めたきっかけは、ただ何となく面白そうだったからだけだったのですが・・・。 それより、奇跡が起きたというのは、具体的にどういうことでしょうか? もしかして、いきなり作曲の才能が芽生えたんですか?
- mt_mh
- ベストアンサー率24% (282/1152)
素人の者ですが回答させていただきます。最近の読売新聞に、記者がシンガーソングライターの上田正樹 にインタビューした記事がのっていました。一部を引用します。 (上田正樹にとって)レイ・チャールズとの共演は衝撃的だったという。 「俺にとって音楽は血だって言うんです。彼のピアノも歌も写譜ができない。血のなせる業というのがわかりました」。何百曲もコピーしてリズム感、グルーブ感を研究したが、「やっぱり甘いもんじゃない。大きな壁の前にいつもいた気がする」。(引用終り。2017年9月22日の夕刊より) 「血のなせる業」を言いかえれば才能ですね。また、上田の言葉「やっぱり甘いもんじゃない。大きな壁の前にいつもいた気がする」は、努力は才能に勝てないという意味を含んでいると思います。 また演奏も才能だと思います。ローカルな学生ピアノコンクール・レベルの話ですが、先生方が言われるには、1位を取った人は翌年のコンクールでもだいたい1位になる。(入賞者上位では)才能が結果に現れるらしいです。 さて、 》 「音楽は才能じゃない、努力だ」 これは、「努力は大切ですよ」と言いたいのではないでしょうか。音楽に限らずなにごとも。
補足
回答ありがとうございます。 「俺にとって音楽は血だ」は、名言ですね。 私も、自分にとって血だと言えるようなものを探すべきなのかもしれません。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11128/34636)
突き詰めちゃえば、全てのジャンルにおいて才能あっての努力だと思いますよ。プロ野球選手になりたいと思ったら、生まれつきの運動能力は必要です。一流プログラマーになりたいと思ったら、数学が不得意じゃお話になりません。人に見られていると持っている実力の半分も出せない人が俳優にはなれないでしょう。 ただ、自分にどのくらいの才能があるかなんて分かるはずがありません。プロ野球選手なんて、この道何十年というプロのスカウトが見て指名してるんだから才能がないなんてことはないだろうに、ドラフト上位で入団しながらパッとしなかったとか、あの選手は実はドラフト下位だったなんてことはザラにありますよ。 例えばソフトバンクの投手の千賀選手なんて、育成4位ですからね。どんだけ他のチームのスカウトの目は節穴なんだって話じゃないですか。摂津選手もドラフト5位ですよ。 2006年の巨人は16名も指名しておいて、この中で名前が知られているのは坂本選手くらいでしょう。逆指名1位の金刃選手は逆指名した巨人では頭角を現せず、トレードされた楽天で今は中継ぎ投手として頑張っています。 あと質問者さんが目指しているレベルは、どこにありますか? プロのバイオリニストを追跡調査したところ、プロのレベルになるまではどの人も概ね10万時間の練習をしていることが判明し、これが「10万時間の法則」と呼ばれました。この10万時間の法則はスポーツなどのジャンルでもよくいわれるようになりました。 またスポーツの世界では、これまたプロ選手になるためには10歳から17歳くらいまでの間にその競技に接してないと一流になるのはほぼ無理ともいわれています。 ですからもし質問者さんがプロの作曲家を目指しているのだとしたら、遅くとも高校生までには楽器に接し、音楽の勉強や練習を10万時間する必要があるということになるのではないかなと思います。 ちなみにこの10万時間の法則はその才能によって短縮することもあります。才能ある人はぐんぐん吸収しちゃいますからね。 もしプロレベルを目指しているのでなければ、一番大事なことは音楽を楽しむことだと思います。「音を楽しむ」と書いて音楽ですからね。「音が苦」になっていませんか。
補足
回答ありがとうございます。 私は、質問にも書きましたが、2年ほど前から作曲をはじめ、 ついこの間までプロの作曲家を目指して勉強していました。 ですが、自分の才能の無さに愕然とし、だんだん弱気になって 今に至る・・・という感じです。 作曲は楽しいし、上達したいと心から思えますが、音楽が本当に好きかと 言われれば微妙なところです。特に最近のガチャガチャした音楽は あまり聞いていて気持ちがいいものではありません。 まぁ私のこういうところが音楽に向いていない所なのでしょう。 ちなみに、楽器に関してはピアノ教室に幼少期から通っていました。 音楽家としてではなく、ただ漫然とやっていたので、あまり上達は しませんでしたが。
- okvaio
- ベストアンサー率26% (1989/7641)
作曲を勉強しているようですが、あくまで参考意見です。 >未だに幼稚園のお遊戯時間に流れているような曲しか作れません。 まず、作曲ではなく「音楽」についてですが、字のごとく音を楽しむことではないのでしょうか。 幼稚園のお遊戯時間に流れている曲を軽視してはいけません。その曲は、幼児に向いた、或いは好むように作られている曲です。と言った具合に考えたらどうでしょうか。 曲を作るには、リズム(曲調)、速さ、キー、コード展開・進行、イントロからアウトロを考えつつ、物語や景色、人間模様など、自分の生活から自然に出てくるものを譜面に描くのも良いかも?
補足
回答ありがとうございます。 物語や景色、人間模様など、作曲の題材になりそうなものは 身の回りにたくさんあります。 自然の美しさに見入ってしまい、これを何とか音楽に出来ないか と悩むことは多いです。 ですが、それらと音楽はやはり別物なのです。 音楽でものを語る人だからこそ自然などの中にも音楽を見出すこと ができるのであって、そうでない人が同じことをやろうとしても それは無理なようでした。
- Dr_Hyper
- ベストアンサー率41% (2483/6032)
全ての分野で同じかも知れませんが,特に音楽は幼いときの環境なども大きく影響するので余計に「才能」という言葉が重くのしかかってくるような気がします。常に音楽に触れる環境にいた子供と,音楽とは無縁の家庭で育った人間では,ハンディがあるのは当然だと思います。一方努力だと言っている人も,どうして努力できるのか,できたのかを言わないとフェアではないと思いますね。 独学で努力して・・・・というのは理想ですが,表に出てこなくても一流の教育を受けてきている。とかとにかく楽器を触っているのが楽しい。音楽を聴いてはアレンジして譜面に落とすのが一番楽しい。といったひとが,自分が楽しいことを一生懸命に続けていることを,人は努力をいいますが本人は楽しいからやらせてもらえる間だずっとやっているだけではないでしょうか? 自分自身もある分野で食っていくまでになるあいだの修行期間というものは,単に好きだからできる。というだけでした。乗り越えてみたい目標があったりするから突き進むだけで,それを凄い努力されたのですね。とあとから言われることはあっても,それを素直にすごく苦労した,死ぬ思いをしたというのは美化しすぎかなと思う事があります。あえて暴言を言えば,振り返って人に教えるときに,自分を肯定するときに,人は,「その暇つぶしで遊んでいただけの時間」を「努力」と言ってしまっているのかもしれません。 つまり,あなたが作曲が楽しいのであれば,何か音を聞いてはそれを耳コピして譜面に落とし,それをアレンジして遊ぶ。それがお遊戯風であってもいいし,ジャズでもいいと思いますが,そんな遊びの延長線上に,なにか大きな刺激をうけた,何かたまたま浮かんできた,それを軸に曲はできていくのかな。と私は思います。創作というのは,まねごとのアレンジが膨大な数引き出しとして脳に整理されてはじめて産まれてくるものであり,言葉と似ていると思います。まま,ぱぱと教えて貰ったことからはじまり,周りの環境でなんとなくおぼえてきた言語は文字になり,文法を覚え,正しい,はずかしくないものになり,時にはそれが人の心に響く文字になったり,人を悲しませる言葉になったりします。音楽も,その経験値の積み重ねではないでしょうか。 それをたまたま少ない引き出しの数で成し遂げられる人もいると思いますが,多くの場合,それを貪欲に,しかも苦痛なしに増やして行くことで,まるで言葉のように,文章のように,音楽は作られていくのかと思います。 あなたがすごく高いレベルでの作曲を仰っているのか,素人が始められたことなのか全く分かりませんが, 創作という側面と,音楽という言語に近い意味をもつ記号の並びを考えると, 苦痛のない努力,遊びの中のアレンジ,好奇心などを普通にもてることが,才能なのかも知れません。 確かに比べてしまうと圧倒的な才能を感じざるを得ないときは幾らでもあります。 でも,それも自分が小説家になれなくてもエッセイは書けるとか。 新聞のコラムはむりでもブログならできる。そんなスタンスで取り組むことも音楽はできるのではないでしょうか。
補足
回答ありがとうございます。 「作曲は音楽行為であり、作曲家とはミュージシャンである」と、 ある人が言っていたのですが、私に足りていないのはその辺の認識 なのかもしれません。 作曲だけでなく、アレンジや演奏まで楽しめるか。 幅広く曲を聴いていて、それらを心の底から好きだと言えるか。 「私はミュージシャンである」と宣言したときに、 自分の中に生まれる違和感が、私に才能がないことの 理由なのでしょう。
お礼
有難うございます。