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努力できる才能?

以前、フルートを習っていたとき、あまりすることがはばかられるような「私の才能はどんなものなんでしょうか?」というような質問を先生にしたことがあります。そのとき、「資質的な才能より、努力できる才能のほうが大事」といわれたのですが、どうも問題のすり替えのように思えました。 一般的な才能があるないというのは、おそらく言えることだと思います。これと「努力できる」才能なんていうのは、性質であって、才能とは呼べないのじゃないか、と、考えてみると思えました。 だから、音楽を高レヴェルまでやる上で重要なのは、「努力できる性質と音楽的才能」ではないのか? そんな認識でよいのでしょうか。

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回答No.2

こんにちは。 「努力できる才能」私も昔はきっと、そんなものないと思ったでしょう。 子供を見ていると思いますよ。あるって。 「がんばろう、うまくなりたい」そういう方向に考え方を向けられるのは「性質」でもありますが、「才能」でもあります。 わが子ながら悲しいですが、「やる気、競争心」に欠けます、息子は。 それが、やっぱり「自分はこれがやりたい、毎日やってうまくなりたい」その気持ちを持ち続ける、その才能を小さいころから持っている子っていうのが、ちょこちょこですがいるのですよ。 親がそう仕向けるのではなく、「自分がやりたい、うまくなりたい」という気持ちの持ち方、続けられる気質。もって生まれたもののようです。 なので「才能」といわれたのではないでしょうか。。 ややこしい書き方ですみません。 あきらめるのが早いというのも「才能」でしょうか・・ね?

noname#32495
質問者

お礼

「才能」の柔軟的な使い方がわかってきました。辞書を改訂しなければなりませんかね(^^) あきらめるということも立派な行いです。なかなかできないというよりはよっぽど「才能」に恵まれているのでしょう。

その他の回答 (6)

  • hatune
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回答No.7

No,6です。補足をありがとうございます。 私もよく分かります、 > 重い腰を上げて家事をやる。 …自分のことのようです(苦笑) けれど、重い腰を上げて取り組むこと =「努力する才能がない」、とまでは思いません。 「エイや」とでも、努力できる人は努力できる人です。 ですので「努力する性質」はあると言えると思います。 ただ、同じ事をやっていて、苦に感じることのない人は、いいですよね…羨ましい、というか。 「努力できる性質」の人達のなかで、更にそれを「苦に感じずに出来てしまう人」を、無理矢理ですが「努力できる才能」と言ってしまっている、というところでしょうか。 また同じ人でも、Aの事柄には苦を感じずに何時間でものめり込める。Bの作業も、努力は出来るが、やる気を出さないと(Aに対する熱中のようには)取り組めない…というように、差もありますよね。 となると、全般的に努力できるタイプだが、特に音楽に対しては「努力」と感じずに、いくらでも取り組める。という風になるわけで、 やはりこういう場合に「(音楽に対し)努力できる才能がある」とか言ってみたりするのだと思います。

noname#32495
質問者

お礼

よくわかります。ありがとうございました。

  • hatune
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回答No.6

確かに「努力できる才能」という言葉はおかしいのかもしれません。 けれど、ピアノの生徒達を見ていると、同じ「努力」をするのであっても…「努力」の「量」は同じであっても、 それを「大変だ」と思いながらも、その思いに負けずに「頑張っている」子と、傍から見ると結構な努力のはずなのに、当の本人は「努力」だ「大変」だなどと感じずにケロッとこなしてしまう子、という風に2種類いるのですよね。 それで私などは、後者のような生徒と出会った場合に(本来は「才能」ではなく「性質」なのでしょうけれど)、「努力できるのも才能のうち」と思わず感じてしまうことがあります。 それから、日本で音楽をやっている人をいくつかのレベルで分けてみた時に A:何年かに1度出るか出ないかの、本当の意味でプロとして活躍できる人。 B:音大を卒業=一応、専門家になれる人 C:趣味で終わる人 とあり、その差を考えるとAは「本当の意味での才能」を持っていないと、なれません。けれどB程度であれば、才能は程々でも「努力」で何とかなってしまう部分が大きい気がします。 もちろん根本的に「才能」がなくてCな人も存在しますが、多くのBとCを分けているものは「努力できるかどうか」の差であったりします。 けれど、普通の人から見て「音大に行った」「専門家になった」と言えば、「あの人は音楽の才能がある人だ」といった言い方をされますよね。 (「あの人は、音楽に対する努力をする性質のある人だ」とはあまり言いませんよね?) ここで「才能がある」と言葉を使っている…けれど、その意味を探っていくと、実は「才能」というより「努力できる性質」ということであったりする… …そこで言葉の使い方の入れ替え(?)のようなものが起こり 「努力できる才能」などというおかしな言葉がでてきてしまったのだと思います。 (日本は、ちょっと出来る子であれば、あとは努力で何とかある程度まで行けるのでBを目指すのですが、海外では「本当に才能のある一部の子」しか専門家を目指さずBの層が少ないようなので、これは日本独特の考え方なのだとも思います)

noname#32495
質問者

お礼

いろいろ皆さんの回答を読んで、だんだん 「努力」というのはたしかに「才能」と呼べる要素もあるのではないかと思えてきました。ただ、言葉遣いが乱暴ではあります。 ABCの例、納得します。ちょっと意外なのは、Bが多いというか、凡人でも実現可能なのですね。

noname#32495
質問者

補足

私は今まで自分で、「努力する性質(才能)がある」と思っていたのですが、コメントを読んで考え直しました。結構心身とも苦労して「努力」してるんですよね。重い腰を上げて家事をやる。洗濯も掃除も、エイやという気持ち出ないとできない。これは、「努力する才能がない」と言えるのかなと、考え直しました。

回答No.5

私の名づけ親である伯父が、私が小さい頃、私の親に「この子は芸術の才能はあるけど、音楽だけはあきらめたほうがいい」と言っているのを聞きました。私は、横でテレビを見ていたので聞こえないフリをしていたのですが相当くやしかったのを覚えています。ちなみに私には絵心とかはありません。それに芸術の勉強をしたことはないですからね。 という言葉が心にあったのか、私は音楽的才能は皆無だと思います(ハハ)。中学まで7年エレクトーンとピアノを習ってきましたが。 でも、今は自分の音楽(ROCK、特にQUEEN)が好きというのもあるし、QUEENから楽器を弾く楽しみを教えてもらい、もう一度ピアノを弾いてます。最近、ライブでグランドを弾く機会があったので、私を育ててくれたピアノに感謝して弾きました。 才能っていうのはスタート地点っていうだけであって、よく才能を活かすも殺すも本人次第っていいますよね? しかし、人の能力を止めさせるのも才能だと思います。最初の話ではありませんが、一回でも他人に「君には才能がない」と言われてしまうと一生離れないし、不器用ならば「やっぱりダメなんだ」と自己嫌悪になってしまいそうです。でも、それに耐えて人の何倍も時間考えた結果それが身につけば一生忘れないでしょう。逆になんでも器用な人は人よりも短時間でマスターできてしまうので、物事を深く考えたりしないでしょう。マスターした上で考えれば、本当に身になるでしょうけどね。私がこのタイプだと思うのは有名人で大リーグのイチロー、元プロサッカー選手の中田英寿、プロ野球の王貞治ですね。 余談ですが、私の母が私に才能を感じたのは、商業高校で簿記と情報処理の成績がよかったときらしいです。 ちなみに商業高校行くのは反対してましたけど(笑)

noname#32495
質問者

お礼

人の言葉は、カンフル剤にもなり、逆もありえるというこわいものです。 不器用の巧というものもあるようですね。おっしゃるとおり、より追求せざるを得なくなるという面はあります。いろいろ認識が深まってきました。

  • 4951snk
  • ベストアンサー率28% (155/547)
回答No.4

 確かに、その認識で正しいと思います。「努力できる」のには生まれつき持った部分ですが、根源が興味や関心であるので、才能と呼ぶのは正確ではないと思います。 「努力できる性質と資質的才能」に関して言うと、どっちかでもない人間は一流にはなれないと思います。  上達する上限は資質的な才能がなくても努力できる性質のある人間の方なのでしょうけど。  勉強は、資質的才能の要素は小さいのですが、スポーツや芸術はそうでもありません。特に短距離なんかは。

noname#32495
質問者

お礼

私も、そう考えます。やはり言葉の選び方はあまり乱暴にしないほうがいいのではないかと。 心理は大体そういうところだと思っています。

  • tom0120
  • ベストアンサー率26% (367/1390)
回答No.3

「仕事」か「趣味」か・・・で、決まると思います。 やはり、 「仕事」としたいのなら、「人の評価」を受けることになるので 「才能」がないと難しいと思います・・・ 「趣味」なら、「自分だけ」でいいので、 「努力」だけでも、いいかと・・・

noname#32495
質問者

お礼

そうですか!仕事はやはり人を選ぶのですね。運命を捻じ曲げようと、仕事の領域にまで意気込むのはダメかもしれません。

  • myeyesonly
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回答No.1

こんにちは。 私はフルートが27年になります。 その先生の意見には随分共感できますね。 これだけ長くやってると、もう誰も私を素人とは見てくれません。 大した腕はないのですが・・・(^^; 長く続けられるというのは一つの才能だと思いますし、私の経験では一流のプロにでもなるんじゃなければ「音楽的能力」は後から努力次第で得られると思います。 生まれつきの才能が左右する部分なんて1%程度でしょう。 フルート初心者を何人か教えましたが、そのほとんどはコツが判らずに苦労してる人達です。 楽器に関しては非常に多くのコツがあるというだけで、生まれつきの才能により出来ないということはまずないと思います。

noname#32495
質問者

お礼

音楽全体として考えると、音楽的才能というのは楽器の煩瑣な演奏法ではなく、やはり天性のものがあると考えます。絵心がある、詩心がある、体力がある、性的魅力がある、何でもいいですが、やはり後天的に生えられないものがあるのは確かだと思います。やはり、音楽的才能というのは効いてくるのではないかと。

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