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死生観と無常感

heyboyの回答

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  • heyboy
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回答No.1

まずは死生観かな~ ある牧師はこう言いましたね 「キリストに救われたのなら (自殺を含めて)とっくに死ねばいい しかし、私たちは福音を伝えるために 神によって生かされています!!」 でもこれはかなり納得しましたね 神によって生かされる事を でもそこも無常感に繋がるかな マタイ6章30節 「きょうあっても、あすは炉に 投げ込まれる(かもしれない) 野の草さえ、かみはこれほどまでに 装って(育て)くださるのだから、 ましてあなたがたに、 よくしてくださらないわけがありましょうか。 信仰の薄い人たち。」 と自分は信じてますが まあ一般論じゃあねーな(汗) 一般論で言えば(?) 一筋の希望を信じて(信仰して) 生きていき神様がここまでって 言うまで生きるしかないですね 、、、、。 まあ、神が物理の世界をも動かしているし ただその中に自分たちは 傍観しつづけているのかもしれませんね。 最後に自分的には 死ぬことへの体の恐怖は拭いきれませんが 死後の世界ってどうなっているんだろうか? とかの興味はあるのでそんなに心配してないです。

noname#156094
質問者

お礼

正直なご感想ありがとうございました。 やはり信仰を持っていらっしゃる方は、一般との隔たりを感じておられるのでしょう。 私もそうですが、年齢と共に死に対する客観性が増してきますので、主観的にも不思議だと感じない諦観が付きまとうようになってきます。 そうした中での前向きな主観の大切さは、人それぞれに違っても価値があるようにも思われます。 そうしたお気持ちを大切にされようとするところに、安心感をいただく事ができました。 ありがとうございました。

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