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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本人は 人間にはならないのでしょうか)

日本人は人間にならないのか

heartmindの回答

  • heartmind
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回答No.58

おはようございます。 >直感重要視思想が陥りやすい罠を考えてみた場合、現代は多くの直感を直接的に形にする >ツールにあふれていると思いませんか。 どうもこの辺がピンときていないのかもしれません。 それでは、もっと猿ぐらいに根源的な視点で。 例えば、幼児が文字を覚える時、「あ」という文字は「あ」と発音して「あ」という 絵的イメージを理屈抜きに(どうして「あ」は「あ」なのかはさておいて)、とにかく 体得すること(つまり丸のみすること)が、とっても重要ですよね。 「あ」と一、二、三角で書きます。空間にイメージをもって書くわけです。 「あ」と直感して「あ」と出力するのです。 では、今のこのツールではどうでしょう。左手の小指をたてに動かしてキーボードを たたくと「あ」と出力できます。 もっと更に、考える間もなく直感がダイレクトに出力できます。 空間構成イメージや書き順を考える間もなくです。 しかも、このテクノロジーは、つい最近のことなのです。 今回のアンチテーゼにはここに焦点をあててみてください。 現代も昔も、天下泰平の世の中には、実行力が鈍くなるのでピリッとしたスパイスは必要 ですが、どこにきかせるのが今風なのでしょうか。 現代は逆に、「噛み砕き作業の軽視」に焦点をあててみることが必要じゃないでしょうか。 これを軽視することは、ただのカンニングになる可能性があります。 では、これをふまえて前回の海外向けプレゼンのAさんとBさんについて考えてみた時、 どちらがよく練られたプランでしょうか、どちらが下から積み上げたものか、 実績とはだれのじっせきなのか。 データーはどこから取得し分析したのか、あるいはただのコピペなのか、 過去の栄光や、規制の技術のみにたよろうとしているのはどちらか、 他人のふんどしで相撲をとろうとしているのはどちらか。 と、いじわる言えばきりがないのですが。 「カイゼン」なんて、ずるいじゃないですか、今までの実績があるんだから、 それを尊重して、その通り素直にやればいいのに、工夫して工数を減らそうと ずるして現実逃避している。命令どうりに従えと、誰が今どき言うでしょうか。 根源的にはそういう話になります。

bragelonne
質問者

お礼

 ★ 現代は逆に、「噛み砕き作業の軽視」に焦点をあててみることが必要じゃないでしょうか。  ☆ この命題にかんしてなら 昔もおんなじです。小学校からおそらく大学まで或る種の主流は 丸暗記でした。わたしの世代が大学入試を終えたころから 小論文というのが始まりました。わが世代は これを経験していません。  とにかくおぼえる そのあと考える〔人は考える〕でした。そう思うと その新しさという点がまだ納得行かないですねぇ。  ハートマインドさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。  世代のズレのほかにたぶん 焦点の当て方がちがっているのかも知れません。たぶんわたしは 日本人論の基礎といった分野でまさに基礎固めをしておきたいと思っております。そういう焦点の当て方です。ハートマインドさんは それもそうだし 他面では一足飛びに現実の現場の問題を扱っておられる。これにわたしは対処しきれていない。  あるいはさらに考え方の違いもあるのでしょうか。  ★ これをふまえて前回の海外向けプレゼンのAさんとBさんについて考えてみた時、 / どちらがよく練られたプランでしょうか  ☆ という問題にはまづわたしは つねにと言っていいほど 全体的な方針として考えます。すなわち 地道に課題に取り組みそこで挙げた実績にさらにもとづきしっかりと課題を追求していく。と同時に つねに――やはりつねに―― 独創的な考えをも大いに持ち寄り大風呂敷をも広げている。こういう方針です。  そしてそれなら ひとつの段階として最終的に方針がまとまらないのではないかという問いに対しては こう答えます。それは そのときの現場責任者および総括的な責任者に――むろん参加者全員の意見を汲み取った上でですが―― 一任するということ。指導者がしかるべき方針は決めるということです。  AさんBさんのどちらに決めるかという二者択一は 考えていないのです。そういう見方をわたしは しています。指導者本人は 二者択一のかたちで決める場合もあると考えます。  ★(要約) 文字を筆を使って手で書くのと キーボードで入力するのとでは 直感のあり方が違って来ている。  ☆ だとすれば 木簡から紙に移った場合もあれば 手で書く文字のほかに印刷によって表わすようになった変革の時期もありました。たぶんこういう変化は それとして必然的なものなら そのように変わって行くでしょう。そうして新しくなった条件のもとであらたに直感の有り方も いづれ考え出されていくとは思うのですが そういう見方よりもさらにいま現在の実際の情況を憂えているということでしょうか?  ★ 噛み砕き作業  ☆ の重要性についてはいやというほど味わっていますので たとえばちらっとですが 《断片的な知識の有無を問うクイズ番組が多くなって来ていますね》というふうに触れました。ですから そうではなく 一つか二つの主題を決めて その問題を歴史的にも深く掘り下げて 番組つくりをすればよいと思います。  テレビ番組のことを言っているのですが 学科としての歴史を扱う場合には 案外そういう細かい分析をしていると思いました。ただそれも 社会や人間についての理論が いま少し 通念を頼りにしている嫌いがあるように思いました。たとえば《大奥》 これなどは 大前提として《人間にとって要らぬ》という考え方を持ったほうがよい。その上で過去の経験にまなぶというようなことです。(むろんそこに到るまでには 自由に批判しあう議論が必要だとも言わねばならないでしょう)。  《コミュニケーションが成り立つ》ためには そういう基礎固めをわたしとしては模索しています。  

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