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宗教

apple-manの回答

  • apple-man
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回答No.13

No.1で回答した者です >前半部分は人間が神の概念を創ったということでしょうか、  私はそう考えています。ただ神のモデルに なるような、皆の尊敬を集めた人が実在した かもしれません。  1つ確かなのは、神が実在したとしても、 神の話だとされる聖書を書き残した人たちが かなり偏見に満ちた考えを持っていて、 それが伝えられる神の話の中に残って しまっていることです。  旧約聖書について言うと、例えば男尊女卑の思想が 見られます。男性であるアダムに禁断の木の実を勧め て食べさせてしまうのは女性のエヴァであり、 その罰として女性には一生、(子供を生むという) 生みの苦しみが与えられます。  先のソドムとゴモラの町が神の炎で 焼かれる場面でも、逃がしてやるが 決して後ろを振り向いてはいけないと 神に忠告されたのに、逃げた一家の奥さん、 つまり女性だけが振り向いて、石にされて しまいます。  そういった、神の伝承に携わった人間たち の偏見に加え、宗教活動の成功が信者 獲得に依存している面があるため 「信じる者は救われる」つまり信仰が あなたを救うのですという表現で残って いるものと思います。  なお宗教解釈の点から見ると、この信仰が あなたを救うのですという表現の裏には、 必ずしも修行は必要ないという意味が含まれて いることが分かります。  現在残っている宗教の多くは、この 修行不要という概念を打ち出したことに より、信者の大量獲得に成功し、現在に 到っているという経緯があります。  仏教のお布施、寄進というしくみが その代表例ですが、キリスト教世界では 少し行き過ぎて、どんな悪事を働いても 金を出せば救われるという、いわゆる 免罪符の問題に発展し、その後ルターの宗教 改革へと繋がって行きます。 >何れにせよ神は全能ではないという事ですか。  そうゆうことだと思います。 また、多くの人間が未だに神の存在を いろいろな形で証明しようとしているの ですが、成功しないばかりか、神など 存在しいほうが理屈がとおることが多く、 少なくとも、現状においては人知を 超えた全知、全能の神など存在しないという 結論が正しいように思えます。  聖書の話を信じるまでもなく、仮に人間を 創った存在が何かあったとしても、それはお互いを 意味も無く殺しあうばかりでなく、原爆開発の ように世界を破壊しかねないような人間を この世に送り出すなど、明らかに先を 読む能力に欠けたものであることは 間違いありません。  また生物化学の分野で、人間は神の領域に 近づいているということを言う人がいますが、 そんなに簡単に近づけるものなら、神も 大したことはないのか?或いは人間が神に なりつつあるのか? >信じない者こそ救うべきだと思いますがどうでしょうか?  神が人間を救うということを考えたとき、 悪人まで救うべきか?という問題が常に 出てくるでしょう。  心の広い神なら、差別なく全ての人間を 救うかもしれませんが、それでは人間は 納得行かないはず。  今の少年犯罪の話でも、少年の犯罪は罪として 罰するが、人権は守るなどと言うと、人を 殺したような人間に人権など必要ないという議論も 出る。  結局、人間は自分が正しいと思うことを 評価してくれて、自分が悪い思うことを 罰してくれる神を望んでいるのであり、 同じ内容を正しいと信じている人だけを 救って欲しいと望んでいる願望が 「信じる者は救われる」という言葉に表れて いるのであって、自分が正しいと思う ことを信じない悪人まで助けるような 存在は、神と見なさない、つまり悪魔と 呼ぶことでしょう。 >>信じない者こそ救うべきだと思いますがどうでしょうか?  信じるという部分は普通、信仰を意味していますが、 広く解釈して「<自分が正しい(正義)と思うことを> 信じない者こそ救うべき、と言い切れるでしょうか? 救われるということは、罰も苦しみもなること ですから、信じない者こそ救われたら、普通 憤りを感じると思いますが。

keiri2002
質問者

お礼

再度の回答有難うございます。 >神のモデルになるような、皆の尊敬を集めた人が実在したかもしれません。 三国志に出てくる関羽なんかも神様扱いされてますもんね。 旧約聖書にはこういう事が書かれているんですか、知りませんでした。男尊女卑の考えもここにあったわけですね。 >修行不要という概念を打ち出したことに より、信者の大量獲得に成功し、現在に 到っているという経緯があります。・・・・ 宗教とそれを扱っている一部の人間の欲がコラボレすると碌な事にならないということですね。 >信じている人だけを救って欲しいと望んでいる願望が 「信じる者は救われる」という言葉に表れて・・・ なるほど納得です。 >信じるという部分は普通、信仰を意味していますが、 これは神という概念を人間が創ったという前提では、その通りだと思います。が >信じない者こそ救われたら、普通憤りを感じると思いますが。 は、信じていない人Aは、Bという人が信じている神を信じないだけであって、AはAで信じている神があるかもしれません。憤りを感じるというより仕方が無い事なんでしょうね。

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