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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文: 信仰する宗教をどこにしようか迷ってます。選択のヒントを学びたく質問し)

信仰する宗教を選ぶ際のヒント

nontro_08の回答

  • nontro_08
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回答No.9

「宗教なんかやる奴はバカだ」と宗教を見下す風潮が凄まじい現代にあって、宗教を信仰したいとは、今時、真摯なお考えですね。 しかしながら、宗教といっても様々です。教祖が権威を振りかざして信徒を呪縛し、お布施と称して高額な金銭を巻上げるのが目的の邪宗教もあります。宗教を選ぶのに、テレビやパソコンなどをメーカーやブランドで選ぶような感覚で選んでは、大変なことになります。変な宗教によって、自分を高めるどころか、ますます自分を矮小化して破滅への道を転がり落ちることだってあります。宗教を実践するには、どの宗教が真に人間を高めるものなのか、人間と社会に役立つものなのかどうか、考察しなければなりません。 様々ある宗教の内容は千差万別です。しかし、大きく2つに大別されると思います。 (1)神や仏あるいは教祖など、自分以外の何ものかにすがるもの (2)自分自身に内在する無限の可能性を引き出すもの 大部分の宗教は(1)に該当します。自分の運命を、他のものに全面的に委ねる。いわゆる「おすがり信仰」です。これは、単なる一時の気休めにすぎません。人生の大きな困難にぶつかると、たちまち行き詰まるだけでしょう。現実の生活のうえに何の力も発揮できなければ、宗教の存在価値などありません。だから「宗教なんか実践したって何の意味もない」と宗教をバカにする人が多いのです。自分が救われるかどうかは神や仏の意向次第であるとすれば、人間という存在を著しく矮小化することになってしまいます。 真の宗教とは、無限の可能性を自身の中から引き出すものです。誰の内面にも秘められている、限りない知恵と生命力を開発していくものです。自分はこの大宇宙の一部であることを悟り、その大宇宙を動かしている「生命と宇宙を貫く根本の法則」に則って生きれば、誰もがその可能性を引き出すことができて幸福を実現できる、ということです。我々創価学会が実践する、日蓮大聖人の確立された「南無妙法蓮華経」の妙法が、その法則です。人生の課題や困難に挑むのに、まず自分で努力する。そして努力しつつ「南無妙法蓮華経」の信心を実践すれば、自分という小宇宙と大宇宙の根本法則が融合して限りない可能性を引き出し、その努力が最大限に実るのです。その「知恵や生命力」がつけば、目前の課題や困難があっても、それらに立ち向かい、乗り越えていくことができるのです。あたかも山登りで、体力、脚力が弱ければ、登ること自体大変で、辛く感じられますが、体力も脚力も強ければ、周りの景色を悠々と楽しみながら登っていくことができるようなものです。創価学会の信心は、「自分の運命は、自分自身で変えていくのだ」という、自立的な信心なのです。 真の力ある宗教には「文証」、「理証」、「現証」の三証があります。文証とは、ある教義・主張が経文等の文献上で裏付けられているか否かという基準。理証とは、その教義が道理に適い、また理性のうえから普遍妥当性があるか否かという基準。また現証とは、教えを実践した場合、現実のうえでその通りの結果(功徳)が現れるか否かという基準のことです。三証の中でも「現証」こそが重要です。この三つが創価学会における信心の実践の中にすべて存在しているゆえ、学会は正しい宗教のです。 もちろん、あなたがどのような信仰をしようと、自由です。私の意見は強制ではありませんので。後は御自身で考察されてください。

参考URL:
http://www.sokanet.jp/sg/sn/index.html

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