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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:論文での「です・ます」調)

論文での「です・ます」調の使用の理由

ranguitaroの回答

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回答No.10

ANo.6です。 敬体を用いる主な理由を「(論文は)とっつき易く、平明である(必要性がある)」としたうえで書き込みます。間違っていたらごめんなさい。 >「私たちの「意識の部屋」には番人が許可したものしか入れないのです。」 という内田樹さんの文の引用がありましたが、例えばそれが 「われわれの「意識の部屋」には番人がいます。入室許可権を掌握する絶対的存在です。」 だとしたらどうでしょう。なにやらややこしいですよね。番人の方に論旨が移行してしまいそうな文になってしまったのはお見逃し下さい(笑)。ANo.5さんのご意見ともやや重なりますが、内田さんの文章が読みやすいのは単に敬体であるだけでなく、用いる語彙や字面の印象にも工夫がなされているからです。 >どうやら論文というものは、門外漢に分からないよう、厳めしく書くことが必要なようだ 黒田龍之介さんの文の引用で、専門家たちがむやみやたらと難解な文章をこさえて、自家薬籠中のものとして情報を手放さない姿勢を指摘した一文ですが、果たしてその姿勢は非難されるべきことなのでしょうか。 私は、論文や研究書の類は門外漢に分からないよう書く必要性もあるのではないかと思います。インターネットの登場以降、情報の非対称化がぐんぐん進んでいますね。これは専門分野の知識をより多くの人が共有できるという点で非常にいい傾向でもあるのですが、問題点もあります。それは、ずばり曲解がおきるということです。とっつき易い情報に変換されることによって、うわべだけのペダントリーに利用され、誤った知識が蔓延してしまう可能性があるのです。 論文に話を戻しますと、難解な論文を読む/書くことができるというのは、専門分野に取り組む資格があるかどうかの指標にもなるのではないでしょうか。例えば、この質問のページを小学生の男の子が閲覧したとします。私たちの書いている内容が、彼には理解できません。つまり、彼にはこの問題に取り組む資格がないのです。仮に私たちが小学生にも分かりやすく、かつ興味を惹くように書いた場合、彼はなんとなく理解した気になって最終的にベストアンサーの意見を我が物顔で言いふらすことでしょう(ちょっと意地悪な書き方ですが笑)。 極端な例でしたが、実のところ、その逆のパターンともいえる事例があります。有名なのでご存知かもしれませんが、ソーカル事件というものです。詳細:下記URL↓ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6 これは、アラン・ソーカルという大学教授が難解な数式などの権威主義的使用を批判するために、科学用語と数式をちりばめたでたらめな疑似哲学論文を評論誌に送り、それが掲載されてしまったという珍事件です。 以上の事柄を総括すると、「とっつき易く、平明である」ことと「とっつきにくく、難解である」ことのどちらにも問題点があるようです。両者を折衷した「とっつきにくく、平明である」文章というのが理想形なのかもしれません。いずれにしてもどちらか一方ということでなく、中庸を探し当てることが最重要であるというのが、私の意見です。 ところで、質問者さんは敬体の入門書として内田樹さんの著書をあげていますね。彼の文章というのは敷居が低く、読み終わったあとに高次の考え方に至るよう書かれており、上質な啓蒙書・入門書だと思います。それと似た作風として、村上春樹さんと宮崎駿監督が挙げられます。このお二人は「敷居が低く、高い出口を用意する」ことを意識して作品に取り組んでいるようです。もちろんエンターテイメントであるので意味合いは変わってきますが、難解なものを単純化し、考えるという行為に興味を持たせるという点では共通しているように思われます。これはとても素晴らしいことだと思いますので、質問者さんの試みにも同じようなものを感じ、大変興味深いです。論文はぜひ「です・ます体」でやってほしくなりました。 どうも贅言に満ちたくどくどしい文章になる嫌いがありますが、曲解がおきないよう細心の注意をはらっているということで、ご容赦ください(笑)ちなみに、「~でいらっしゃる」という書き方は特別敬体といって敬体とは区別されているようです。

m-knight
質問者

お礼

>内田さんの文章が読みやすいのは ~ 用いる語彙や字面の印象にも工夫がなされているから なるほど、確かにそうですね。 逆に「入室許可権を掌握する絶対的存在」のように漢字を多く(=画面を黒く)すれば「難しく見える」という効果(?)が「である」体と結び付くと、「厳めしい文章」の出来上がり、と(笑) 他の方とのやり取りの中でも「です・ます体"だから"判りやすい・判りにくい、という訳ではない」ということを述べましたが、実際専門書の類ではなく力を抜いて読めるエッセイならば「である体」で書かれていても小難しく感じないのも同じような理由からかもしれません。 かといって確かにエッセイと論文は違うものですし、「中庸を探し当てることが最重要」というご意見には多いに賛同します。 >難解な論文を読む/書くことができるというのは、専門分野に取り組む資格があるかどうかの指標にもなるのでは 私も、あらゆる専門知識を万人が持つべき(持てるようにするべき)とまでは思いません。それじゃあ「専門」知識ではないですし。つまり、初心者に「難しい、簡単に書け」とイチャモンつけられる筋合いはない、とは思います。 自家薬籠中の物にしておきたい、というだけならまぁいい(?)んです。 しかし専門家自身が「専門書は厳めしくあるべし」と言うのは、「難しげな術語や文章そのもの」に酔っているだけなんじゃないか、という(穿ったと言われても仕方ない)見方をしてしまいます。 黒田さんが「査読委員に叱られた」という「論文」が実際どんなものだったのか判らないので何とも言えませんが、ネットと違って、想定される読者層が専攻の学部生まで含めるにしてもほとんど「同業者」だけに予めほぼ限定されている物の敷居を更に上げたがるってどうなのかなぁ、と思うのです。 なのでソーカル事件は、日本語の状況に置き換えるなら「四角張って黒々とした漢字熟語を多用して、更に『である』体で賢そうに見える文章の威力と、そうした文章の作法に浸りきった人々への痛烈な皮肉」というふうに思え、斯様な試みをしようとしている人間からすると小気味良い物に思えてしまいました。 ここへきて支持して下さる方が2名も現れ、嬉しいやら緊張するやら(笑) ありがとうございます。

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