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"誰でも一人一票”の根拠

north073の回答

  • north073
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回答No.8

自分たちが他者に統治されるのではなく、自分たちが自分たちを統治する、という考え方に基づくものだと思います。 自分たちが生きていく社会を強権的に形成することができる権利であるからこそ、全員が行使できなければならないのです。 制限選挙においては、統治者と被治者が明らかに分けられます。 現状を20歳を区切りとする制限選挙である、ととらえれば、19歳以下の国民は、単なる被治者であるということになります。 これは、時限的措置であり、未成年はその分責任も軽減されている、ということを考慮する必要があるとは思います。 しかし、一定の資格を得なければ永久に被治者であり、統治者と成り得ないのであれば、その人は自らの生活を自らで決定することができない奴隷と変わりがありません。 より高度の能力を持った者が統治に当たり、愚昧な庶民は被治者として奴隷の平和を喜ぶべきであるという思想は、「哲人政治」の理想に通ずるものがあるのかもしれません。 その場合、統治者に課せられる責任はより重いものとなるでしょうし、被治者との利益対立を起こさないよう、自らの身を削る努力も求められるでしょう。 そうであれば、なぜ、そんなに多数の人間が統治者となる必要があるんでしょうか? ある一定の多様性が確保できるのであれば、統治者は数十人でもいいのではないですか? 端的に言えば、国民から参政権を取り上げて、より優秀な官僚が物事を決めればいいのではないでしょうか?(現在の官僚が優秀だと言っているわけではありません) faultlineさんの提示されたシステムは、そんなシステムになるのではないですか? 「意識の低い人」を切り捨てた後の有権者も、必ず「意識の低い人」と「高い人」に分かれます。その「意識の高い人」を満足させるためには、ハードルをさらにあげなければなりません。 まあ、現在でも、そう認識されていないだけで、実際にはそのような構造がある、という認識も実はあり得ます。 また、その認識されていないことが、統治者側の無責任を招いているとの考えもあるでしょう。

noname#9289
質問者

お礼

どうもご回答ありがとうございます。 >自分たちが自分たちを統治する、という考え方に基づくもの 自己統治ですね。しかしNo9のお礼にも書きましたが、それが自動的に是とされるのにはやはり前提があると思うんです。果たして現代でもそれは無条件に通用するものかどうか疑問に思った次第です。 >その人は自らの生活を自らで決定することができない奴隷と変わりがありません やはりNo9のお礼に書きましたが(お礼が順不同ですみません)、自ら奴隷状態を選んでいる人達は多いように感じます。 ただ誤解されたかも知れませんが、そういった、豊かである限り社会にコミットすることを望まない人達を「愚昧」だと言ってるわけではありません。結果的に私がいうことはごくごく緩めの哲人政治になるのかもしれませんが、自ら望まない人にまで与える必要が感じられないということなんです。 >より優秀な官僚が物事を決めればいい 私の立場からはちょっと異論があります。官僚制度は決断とか処理のプロセスを機械的にすることで責任問題の発生を排除しつつ効率を追求するわけですよね。でも私は別に結果オーライならいいと思っているわけじゃなくて、やっぱり「オブリージュ」ですから決断と責任は政治というシステムが引きうけないといけないとは思っているんです。あくまでその際の母数というレベルが気になっているに過ぎません。 >ハードルをさらにあげなければなりません これはよくわかりますしおっしゃる通りだと思います。 しかしやっぱり結局この無限地獄を避けるために、消極的に一人一票をとっているということなんでしょうか。

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