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 親は、子供のために命を掛けているのか?

pugera542の回答

  • pugera542
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回答No.1

30代、夢や希望もある。どんな可能性もまだまだ捨てていない。 だが、子供を養うためには、とりあえず日銭を稼がなくてはいけない。 人それぞれなりたいものがあるだろう。 芸能人? 偉大な科学者? 政治家? 起業? 家族と子供を養うには博打をすることはできない。 安月給であろうと上司にどやされようと、休まず遅れず 文句を言わず、働きに行かねばならない。 40代、そろそろ仕事も安定してきた。 休みの日にはゆっくり休んで、趣味にでも興じたい。 映画? ゴルフ? 旅行? あるいはもっと人に言えないこと。 だが、子供を連れてキャンプに行かなくては。 部下の始末を片づけなくては。残業で今日も遅くなる。 息子の教育のことで嫁にどやされる。 50代、あの頃の野望、あの頃の願いは遠い夢。 普通の家庭、普通の人生。 これでいいんだと自分に言い聞かす。 同僚は部長になった。学友は社長になった。俺はいまだに係長。 同年代の政治家がろくでもない政策を発表する。 ああ、俺が政治をやっていれたら、この日本はどんなによくなっただろうか? いや、文句は言うまい。その願いは息子に託すのだから 60代、いまだ年金はもらえず。会社では最新技術についていけない。 頼みの息子は、ニートでひきこもり。 あと5年、とりあえず年金がもらえるまでは頑張ろう。 不景気だ年金問題だ、けしからん。けしからんが、 この歳になっては、すべてが遅すぎた。 70代、胃が痛い。最近焼けきれるように痛みが走る。 年金もろくに支払われない現状では最低限の健康診断すら受けられない。 気がかりなのは息子だけだ。 俺が死んだあと、彼は一人でもやっていけるのだろうか。 息子よ、俺のことはいい。お前は結婚して立派な家庭を築くんだ。 そして俺ができなかったことを、少しでも多く叶えてくれ。 俺がそうしてきたように、 子供のために、せいいっぱい生きるんだぞ。 俺の意思と、命を紡いでおくれ。。。

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