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ザビーヌ事件について

noname#135843の回答

noname#135843
noname#135843
回答No.19

 こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。Hidocchiです。 > むしろこの一文にわたしは反応したのかも知れません。素朴に尋ねたいことがあれば 《禁忌》にはならない。ザビーヌもたとえ禁忌としたい事柄であっても ひとつにはそのまま それはタブーにしてちょうだいと答えるかも知れないし ひとつには おしえましょうか じつはこれこれこういうふうだったのよと応じるかも知れません。  単純に言いますと それほど――腫れものに触るように―― 構えなくてもよいのではないか。といったところです。どうでしょう?  以前、愚生がご紹介させていただきました、レッサーパンダ事件の被害者遺族の言葉を以下に記載させていただきました。 人が 人のあやまちを赦すことができますか(つづき) http://dell-support.okwave.jp/qa5468127.html 「こういう事件があって、誰が自分たちのことを本当に考えていてくれるか、改めてよく分かった。野次馬は、電話をかけてくる。今度の事件のあの子、あんたのところのなんとかだろう、そう電話で確かめてる人間もいる。私らのことを考えてくれている人は、なにも言わない。黙って、そっとしておいてくれる。いまだから笑い話になるけれど、事件のあと、店がしばらく暇だった。いつも来てくれていたお客さんも、ばったりと来なくなった。後で聞いたら、かける言葉はないし、とてもじゃないが足を運ぶことができなかった、そう言う。そうした人はほんとうにあるがたかった。」  (p.306から307)  つまり、黙ってあげた方がいいのではないか と考えた次第でございます。  ですが、知人ともなりますと、自然体に声をかけた方がある意味自然とも思われます。従いまして、仰いますように、知人ならば、”腫れものに触るように”接する必要はないと思われます。 bragelonne様の意見を支持いたします。  強姦罪におけます、男女差におけます違いは以下のスレッドをご参照くださいませ。 http://dell-support.okwave.jp/qa5263819.html No.24の方の意見が一般的かと考えられます。以前、FBIのプロファイラーの本を読んだことがあるのですが、”強姦した後、殺害するかしないかの違いは、その国の刑罰の度合いに影響される”とのことでした。重罪ですと、殺害し、逃亡してしまうケースの方が多いのだそうです。 > そうではなく「この問題は人間によって語られている」という水準に、質問を引き止めておかねばならないと思います。  以上の知見も含め、この意見は正しいかと思われます。  なお、愚生は、明日、妻の実家の方に行きますので、新年から発言させていただくことになろうかと存じます。  この1年間、本当にありがとうございました。この場をお借りし、厚くお礼申し上げます。  それでは良いお年をお迎えくださいませ。

bragelonne
質問者

お礼

 No.11お礼欄に 《2009年 MVP 論文についての覚え書き》を書きました。  ところがこんどは Hidocchi さんのご論文については ほとんど何も触れずに終わってしまっています。  そこでは《恩恵》という概念を ザビーヌ類型に絡ませています。そうわたしが見ています。  考えてみればそれだけでは ザビーヌ類型としての判断およびそれをめぐる人びと一般の態度(つまり同じく判断)について ひとの自由意志を――かなしいかな 非情にも超える――恩恵のはたらきがいったいどのように介入しているのか? と思われるかも知れません。  わたしは全然見えていないというのでもないですが しっかりと分かっているというわけでもありません。  この恩恵というのは ひとが受け身になれば《与えられる》ことになるのですが     * ri_rong さんの紹介する《無主体》ないし《無根拠の価値》説では   この《与えられる恩恵》が ひとから見ればどう見ても非情で残酷だと   しか見られない《〔変な〕贈り物》も含まれるということのようです。   《恩恵》説においても 事態はそうなります。  その与えられるという事態が起こる前には 積極的に行為を為しているということも見ておく必要があると思います。つまり それが《無償の行為》という主題にかかわるのではないでしょうか?  これは 《見返りを求めない行為》としての武士道の精神につながります。ちょうどその質問をも出しています。  【Q:武士道!?】   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5548820.html  ところが ヨーロッパ人でも アンドレ・ジッドがこの《無償の行為》ということを言っているそうです。どうも同じなのかどうか わたしは詳しくなくて分かりません。分かりませんが おそらく確実につながった主題であるように思います。  ですから これらの全体から見てみれば 《合わせ技》だというその成り立ちが分かってくるのではないかとは思っています。  覚え書きにさらに覚え書きを添えました。

bragelonne
質問者

補足

 Hidocchi さん お早うございます。あらたな情報をつめたご回答をありがとうございます。  この一年 いろいろありましたね。けっこういろんな主題を取り上げやり取りして来ました。たぶんだれやらの感情丸出しの文章に何度も辟易されたことではないかと思いおそれます。と言いつつもあまり反省していないようで これはたぶん死んでも直らないのではないでしょうか。(締めくくりの言葉が浮かびません)。  ★ 以前、FBIのプロファイラーの本を読んだことがあるのですが、”強姦した後、殺害するかしないかの違いは、その国の刑罰の度合いに影響される”とのことでした。重罪ですと、殺害し、逃亡してしまうケースの方が多いのだそうです。  ☆ これにつきましては 留意ということにさせていただきます。えらそうにこんなことを言いますが アメリカの社会事情とそれぞれの国の事情との異同の問題と そもそも法律や裁判のこととしてわたしは考えて来なかったという大チョンボを堂々と発表するという問題とです。ここには  ★ 強姦罪〔* あるいは ほかの犯罪行為〕におけます、男女差におけます違い  ☆ の問題も したがいまして 含まれています。  ま でも 性差をそれとしてきちんと考えなければ話が始まらないと判断したときには そのときには しっかりと考えを推し進めるという方針で来たことに間違いはないのです。(へんなところで これも 中断というかたちになります)。    ★ ですが、知人ともなりますと、自然体に声をかけた方がある意味自然とも思われます。  ☆ ありがとうございます。わたしの見るところでは 誰でも自然本性において――ザビーヌさんと同じように――《わが自由意志の与り知らないものごとについては その影響からまったき自由を持つ》と考えるのですが そしてしかも人によってその境地はまちまちだとも思うのですが    * 《その影響からまったき自由を持つ》とき それをそれでもわが    身に引き受けるというのも ふつうのこととしてあり得ると思います。   たとえばこの上の話に沿って言えば ひとは誰でも多少は野次馬根性を持っていると考えます。だからというので勝手な言動を誇ることには何の根拠もありませんが 片やその根性を封じるということにも 何の根拠もないのではないか? と思った次第です。そのことは ザビーヌは知っているはずだという見立てです。  その上で  ★ つまり、〔被害者の人たちには その事件については〕黙ってあげた方がいいのではないか と考えた次第でございます。  ☆ という思いやりもあります。そしてこちらも ときを経て互いに打ち明けたりして 話をし合うようにもなりました。《自然体》という言葉をお借りしてその言葉で締めくくることも ここでももうひとつ しっくり来ないのですが どうなんでしょうねぇ。  あえて餓鬼のごとく書きましょうか。《なぜスサノヲ独りが自由なのか?》――それは もう一人(一群)ほかの人びととは断絶をともなって違ったかたちで我が世の春を謳歌したいという特権的自由を持ちたいと願う人間がいるので しかもその安全保障のために 社会の中にひとりは《大いなるきちがい》をつくって活かしておくという方策を採っているから。  この断層は要らないと思います。それこそきちがい沙汰なのではないでしょうか? 経済生活もうまく行かないでしょう。努力が報われないのではなくて ふつうにまじめな努力はするなという足の引っ張り合いが 偉い自由人と偉くない自由人との上下の二項が見世物となる仕組みのもとに 世の中が出来ているのですから。    * この前 益川さんの私の履歴書を読みましたが 自然科学のほう    では ふつうのまじめな努力を奨励しあう気持ちがあふれているよう    に思えました。  これからも餓鬼の根性でまいります。そろそろ愛想をつかされるころかと 思いませんが そういうふうに表現しておくべきかと思います。  わたしには いつでも新しい年 新しい月 新しい日であります。  (ちょっと重すぎたかなぁ)。

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