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ザビーヌ事件について

noname#135843の回答

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noname#135843
noname#135843
回答No.11

 こんばんは、Hidocchiでございます。  何かご参考になるところがあればと思い、筆をとらせていただきました。 (1)被害者の気持ち(女史の著作から) 1. 解放後に敵となったのは、周りの人の善意だった。ダルデンヌさんの苦しみをまるで自分のことのように受け止めた家族、友人、医療関係者、警察、事件に震撼したベルギーの社会全体の空気だったという。  2. また、犠牲者として振舞うことを期待されたことも苦しかったと言う。「だんだんよくなってはいるけれど、とってもつらかった。今でも仕事に出かけるために電車に乗るとじろじろ見られる。サインをくださいと頼まれたり、私の苦しみを他の人と共有するべきだと言う長文の手紙をもらったりする。レイプされたほかの女性からも手紙をもらって、私の気持ちが理解できる、と書いてある。頭に来る。何も『理解』することなんかない。あることが起きた、そこで終わりなのだから」  愚見:犠牲者扱いされる”空気”、変な同情心、野次馬、これらが少なくとも事件以後の、ダルデンヌさんにとっては、最大の苦痛であったように見けられました。これは、以前、愚生が紹介させていただきました「レッサーパンダ帽事件」の被害者家族と共通点がみられるかと思われます。つまり、第三者の(被害者は未成年ということを考慮しますと、家族は例外かもしれませんが)善意・親切心(とその空気)は、かえって、こうしたダルデンヌさんの発言につながった可能性は高いと考えられます。  従いまして、女史の発言の動機、そして内容につきましても、理解はできます。 (2)加害者について asyura.com/0401/bd33/msg/989.html をご参照下さいませ。  また、追加情報としまして、以下のものがございました。 「ベルギーのアルロン地裁(2004年6月)は終身刑、(共犯の)前妻に懲役30年を求刑。 初公判から約4ヶ月に及ぶ猟奇的事件の裁判は、事件に絡んでは検察官や証人が自殺したり、証拠が行方不明になったほか、ベルギー王室の関係者を含んだ上流階級の「児童セックスパーティー」の存在が証言されるなど、公判の中身を欧州のメディアが注目していた。」 愚見:組織的犯行ということもあり、かなり複雑な背景があるようにも見受けられました。一応、努力はしてみたのですが、詳細な情報が入手できませんでした(ウェブ上では結構調べたのですが)。「犯罪者処遇法」観点から見た、適切な処遇につきましては、ご意見を述べられるだけの情報が不足しているため、加害者についての言及はここまでとさせていただきたく存じます。 (3)第三者からの見方 愚見:日本におきましては、特にこういう性犯罪では被害者を「ケガレ」扱い、悪者扱いしかねない風潮があろうかと思われます。この風潮(空気)につきましては、残念ながら、被害者は事件解決後も被害者のまま、その後の人生を送っていかなくてはならないという現状につきましては、考え直す必要があろうかと考えています(もちろん、野次馬の類いは論外でございます)。だからこそ、かような日本の国におきましては、女史のような発言は非常に重要かと考えさせられた次第でございます。  ご一読いただきまして、誠にありがというございました。

bragelonne
質問者

お礼

 2009年 MVP 論文について 覚え書きを添えます。  つぎの論文――  【Q:ひとは やわらがしめられうるか】その回答No.6およびその応答   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5495975.html  これは ri_rong さんのご見解ですが これにわたし自身の見解も多少ともからんでいるので このように言うのは ふだん厚顔無恥である上にさらに鉄面皮になってしまうかと思うと困るのですが でも ことの成り立ちを明らかにする上で 覚え書きをしておくべきだと考えた結果 述べるものですが―― そこに述べられた世界観は 恩恵の理論です。恩恵とそれのもとにある人の自由意志のあり方を捉えようと迫る文章です。  という意味は その理論の確立――具体的な事例における検証と確認と発展――を文章にしえたのが この Hidocchi さんの論文であると思います。  ヘンな言い方をすれば ふたつの論文が合わせ技になっているかと思います。それが ことの成り立ちであると考えました。  その ri_rong さんですが ここでの回答においてその後 《無主体》の仮説に傾いた気がありますが どうも上に述べた見地から捉えると 《恩恵》説とを混同したかっこうになっているなと――かなり上から目線になりますが―― 思いました。  たとえばいい例が この二つの論文の合わせ技といったことの成り立ちです。つまり それぞれの論文は 飽くまで人間という主体がその自由意志においてものした文章ですが 何故かなおどこからか《無根拠》なるあたかも恩恵の力がはたらいて成り立ったという様相を呈しています。  つまりですから この《恩恵説》によっても 言葉としてほとんど同じように《無根拠の価値の――社会的に交通し合い錯綜する過程の中からの――落ち着きとしての成立》を説明するかたちになるというわけです。  つまりは それぞれ個別の行為は あくまでひとりの人間という主体の自由意志による意志行為であり しかも同時に《恩恵》を持ってくれば 《無根拠の無主体 あるいは なぞの超越的主体なる無根拠》があたかも一枚咬んで人びとの互いの交通をうながしたり妨げたりしているかに見える。  こういうふうに見ることもできるようです。どうでしょう?

bragelonne
質問者

補足

 Hidocchi さん ありがとうございます。来てくださいましたね。  そして わたしから言わせれば   ○ やったーっ!!  ☆ のご回答だと思います。  ★ 組織的犯行ということもあり、かなり複雑な背景があるようにも見受けられました。  ☆ なるほど。犯罪には 政治家がらみですとか著名人の恥部が明るみに出てしまうですとか そういうたぐいの事件がありますね。もみ消しという言葉があるくらいですから。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  日本におきましては、特にこういう性犯罪では被害者を「ケガレ」扱い、悪者扱いしかねない風潮があろうかと思われます。  この風潮(空気)につきましては、残念ながら、被害者は事件解決後も被害者のまま、その後の人生を送っていかなくてはならないという現状につきましては、考え直す必要があろうかと考えています。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ ですから ザビーヌさんの側に立ちかのじょを擁護するわたしに対する風当たりは かなりきついものがあるようです。  日露戦争後の日本人は いったいほんとうに日本人なのか?とお怒りでしたが こんどはわたしが怒ります。ザビーヌさんの自己還帰をよろこぶなかれという発言は いったい人間の口から出る言葉なのでしょうか? こう問いたいところです。そうではないでしょうか?   ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  犠牲者扱いされる”空気”、変な同情心、野次馬、これらが少なくとも事件以後の、ダルデンヌさんにとっては、最大の苦痛であったように見けられました。  これは、以前、愚生が紹介させていただきました「レッサーパンダ帽事件」の被害者家族と共通点がみられるかと思われます。  つまり、第三者の(被害者は未成年ということを考慮しますと、家族は例外かもしれませんが)善意・親切心(とその空気)は、かえって、こうしたダルデンヌさんの発言につながった可能性は高いと考えられます。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 2009年の MVP に決まりです。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  (1)被害者の気持ち(女史の著作から)   1. 解放後に敵となったのは、周りの人の善意だった。ダルデンヌさんの苦しみをまるで自分のことのように受け止めた家族、友人、医療関係者、警察、事件に震撼したベルギーの社会全体の空気だったという。    2. また、犠牲者として振舞うことを期待されたことも苦しかったと言う。     「だんだんよくなってはいるけれど、とってもつらかった。今でも    仕事に出かけるために電車に乗るとじろじろ見られる。サインをくだ    さいと頼まれたり、私の苦しみを他の人と共有するべきだと言う長文    の手紙をもらったりする。レイプされたほかの女性からも手紙をもら    って、私の気持ちが理解できる、と書いてある。頭に来る。何も『理解』    することなんかない。あることが起きた、そこで終わりなのだから」  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 《蚊が刺しただけ》だよおおおお!! 

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