• ベストアンサー

ザビーヌ事件について

amaguappaの回答

  • amaguappa
  • ベストアンサー率36% (140/385)
回答No.16

3,8,12です。噛み合わないようです。「言うだけ余計」は、まさにNo11のお礼における最後の一行です。 見解は要らない、という主旨でわたしの話は一貫しています。事件の写生をして沈黙する。見解は放棄する。一言でいえば黙んなさいであるというのは、そういう意味です。 じゅうぶん見つめたあとに、無言で関心をひきはがすということをしないのですかとbragelonneさんに問うています。 博愛は、孔子と空海をもって理解したい言葉ですが、日本語は西洋に感化されたあとのバイアスやツイストがすさまじいですから、手垢がついた感はたしかにあります。ヒューマニズムを根に持つphilanthropyの語は、神に奉仕する滅私の信仰とは相容れません。この語の和訳としての博愛は撤回しましょう。 わたしの話に地下水脈のようにあるもうひとつの論旨は、ザビーヌの願いが一枚岩ではないし、病をくぐってきているという視点から来ています。そこがなおさら、一様の見解を避けさせようとするわけです。ほかの数名の方の回答とわたしの角度は違っていると思いますよ。確認すればこんなところです。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。

bragelonne
質問者

補足

 amaguappa さん これは長丁場になるかに思えて来ています。まづはご回答をありがとうございます。  直前の二件(No.14&15)でのやり取りをも読み合わせていただくと わかりやすくなると思います。  そして いまの段階でわたしは 答えを持ち合わせていません。つまり この質問の主題が いわゆる哲学としての一般的な探究と びみょうに異なるというかたちをわたしは 期せずして ri_rong さんと Hidocchi さんとからおそわったのですが それは ひとことで言えば つぎのような問題です。  ○ 性差がかかわる問題であるにもかかわらず 性差を前面に出したかたちでは 探究もしないし解決策をも問い求めない。それは なぜか?  ☆ つまり《人間》の観点で問い求めることをつらぬくという方針ですが――そしてこのことは 《見解を避ける》ことなく しかも《一様なる見解》を表わすこととつながっているわけですが―― あるいは問題を別の言い方で表わすなら こうです。  ○ 《〈わたし〉がやわらがしめられているのでなければ 問い求めは むなしい》。これは なぜか?  答えを持ち合わせていないと言いましたが いまふとひらめきを得ました。ちょうど ri_rong さんのロマン主義の質問へのわたしの投稿からです。  ○ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  古代日本の国家には 采女(うねめ)という制度がありました。スサノヲ市民圏なる地方ごとに 美しい女性を朝廷(アマテラス圏)に差し出すというものです。  すでに許婚がいた場合には 悲劇が起きました。たとえば 陸奥の国・安積の里(現・郡山市)の春姫の物語が伝えられています。召し上げられたあと かのじょは その朝廷から逃げ帰ったのだけれど その許婚の男は すでに死を選んでいたということを知って かのじょも後を追ったという話です。  ○ 春姫:http://f32.aaa.livedoor.jp/~basyou/basyo/sub1028.htm  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ これは悲劇ですが 《一様なる見解》に合致すると思います。そして 性差は関係ないのです。ザビーヌ類型にこの春姫も入るでしょう。すなわち  ★ ザビーヌの願いが一枚岩ではないし、病をくぐってきているという視点  ☆ を容赦なくしりぞける観点なのです。その心は こうです。何も《病をくぐってきている》ことや悩みや葛藤があったろうことを打ち消そうとしているのではないのです。しかも そんなことはどうでもよいと見ているのです。これは いわば――性差を見ないでよいとするところの――絶対値として不動の見解なのです。  しかも 嵩にきて言いますが それでこそ 女は女であり男は男であると捉えています。  まだ不案内であることを自覚しています。とりあえず ここまでです。

関連するQ&A

  • ザビーヌ事件について なぜそれを無効の行為だと判断してはならないか?

     犯人の行為は 人間の意志によって為されたものでありながら その意志は人間の意志ではなかった。――こう判断する人間の意志行為は 哲学のものではないのか?   ▲ (ヰキぺ:ザビーヌ・ダルデンヌ) ~~~~~~~~~~~   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%8C   ザビーヌは1996年5月28日、12歳のときに通学中に誘拐され、犯人の家の特製地下室(幅99cm・奥行き2m34cm)に80日間閉じ込められる。その間、小児性愛者である犯人から性的虐待を受け続けた。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  * 参照→【Q:ザビーヌ事件について】   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5548780.html

  • セクシュアル・ハラスメントは 蚊が刺しただけ

     1. 《蚊が刺しただけである》からには 《傷はない》。  2. 人間のこころが 他人の言動によって傷つくなどということはあり得ない。  3. あったとしたら 自分の心にやましいところが――部分的にせよ相手の言動にからまるかのようにして――生じて その所為で 心に損傷を受けた。つまり みづからが みづからの心に傷をつくったのである。やがて――自然本性にそなわったちからによって―― 癒えるはずだ。  4. ハラスメント行為者は 生け捕りにするのが 本筋だ。人間性の回復を祈ってやるのが 基本だ。  5. こちらには まったく何の関係もないという問題であるはずだ。蚊の刺した跡は 消え 原状復帰が成る。  6. 以上は 次のような発言に接して考え 反応したものです。  ▲ “セクハラ罪という罪はない”発言にJDたちから「女性の立場になって考えていない」――「神保町☆女子大生Cafe」第89回  5/15(火) 週プレNEWS  https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180515-00104657-playboyz-soci  △ (Hちゃん・亜細亜大学2年・20歳) セクハラする側に悪意はなかったとしても、被害者側の傷は一生消えないと思います。  △ (Sちゃん・大妻女子大学3年・21歳) 被害者は一生、心に傷を負って生きていくことを忘れないでほしい。  △ (Tちゃん・早稲田大学4年・22歳) 被害にあった女性の精神的な傷は大きいと思います。  △ (Yちゃん・学習院大学4年・22歳) 被害にあった方の心の傷は一生消えないためセクハラというものを罪だとするべきだと思います。  (引用したものは 全体の中から この種の内容にしぼって 片寄って掲げたものです。別の意見も紹介されています)。  7. みなさんの見解をどうぞ。  参考資料です。:  ▼ (ヰキぺ:ザビーヌ・ダルデンヌ) ~~~~~~~~ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%8C  ▽ ベルギーで起きた有名な少女連続誘拐殺人事件(マルク・デュトルー事件)の被害者。6人の少女が誘拐され、そのうち4人が殺された事件で、1996年に無事生きて保護された2人のうちの1人。  ▽ 《私が生きているところを彼(誘拐暴行犯人)に見せてやりたい》  ☆ と このかのじょは語っています。なぜなら《蚊に刺されただけ》だから なのだと質問者には思われます。  ▼ サビーヌさんのメッセージ ~~~~~~~~~~~~  https://allabout.co.jp/gm/gc/55772/2/  「一度きりの不幸に憐れみをかけられ、そこにどっぷりはまりながら、いつまでも『犠牲者顔』で生きていたらきっと新しい出会いも、未来もなかったと思う」  「だれにでも大なり小なり不幸なできごとはある。でもいつまでも『犠牲者』として生きてしまったら 大切な人生を無駄にしてしまう」  「忘れることはできないが、自分の中で区切りをつけることはできる。この本を書くことによって、過去に起こった事実として、事件の形跡を残すことはできたが、これから始まり続いていく未来に、この不幸な出来事は、私にはもう関係はない。  これからの人生を前に向かって歩んで生きたい」  「私はこの本で真実をすべて語ったのだからこれからの私には、自由を得る権利がある」  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   ▼ ヰキぺ:マルク・デュトルー事件 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BC%E4%BA%8B%E4%BB%B6

  • セクシュアル・ハラスメントは 蚊が刺しただけ

     1. 《蚊が刺しただけである》からには 《傷はない》。  2. 人間のこころが 他人の言動によって傷つくなどということはあり得ない。  3. あったとしたら 自分の心にやましいところが――部分的にせよ相手の言動にからまるかのように――生じて その所為で 心に損傷を受けた。つまり みづからが みづからの心に傷をつくったのである。やがて――自然本性にそなわったちからによって―― 癒えるはずだ。  4. ハラスメント行為者は 生け捕りにするのが 本筋だ。人間性の回復を祈ってやるのが 基本だ。  5. こちらには まったく何の関係もないという問題であるはずだ。蚊の刺した跡は 消え 原状復帰が成る。  6. 以上は 次のような発言に接して考え 反応したものです。  ▲ “セクハラ罪という罪はない”発言にJDたちから「女性の立場になって考えていない」――「神保町☆女子大生Cafe」第89回  5/15(火) 週プレNEWS  https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180515 …  △ (Hちゃん・亜細亜大学2年・20歳) セクハラする側に悪意はなかったとしても、被害者側の傷は一生消えないと思います。  △ (Sちゃん・大妻女子大学3年・21歳) 被害者は一生、心に傷を負って生きていくことを忘れないでほしい。  △ (Tちゃん・早稲田大学4年・22歳) 被害にあった女性の精神的な傷は大きいと思います。  △ (Yちゃん・学習院大学4年・22歳) 被害にあった方の心の傷は一生消えないためセクハラというものを罪だとするべきだと思います。  (引用したものは 全体の中から この種の内容にしぼって 片寄って掲げたものです。別の意見も紹介されています)。  7. みなさんの見解をどうぞ。  参考資料です。:  ▼ (ヰキぺ:ザビーヌ・ダルデンヌ) ~~~~~~~~~  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%93 …  ▽ ベルギーで起きた有名な少女連続誘拐殺人事件(マルク・デュトルー事件)の被害者。6人の少女が誘拐され、そのうち4人が殺された事件で、1996年に無事生きて保護された2人のうちの1人。  ▽ 《私が生きているところを彼(誘拐暴行犯人)に見せてやりたい》  ☆ と このかのじょは語っています。なぜなら《蚊に刺されただけ》だから なのだと質問者には思われます。  ▼ サビーヌさんのメッセージ ~~~~~~~~~~~~  https://allabout.co.jp/gm/gc/55772/2/  「一度きりの不幸に憐れみをかけられ、そこにどっぷりはまりながら、いつまでも『犠牲者顔』で生きていたらきっと新しい出会いも、未来もなかったと思う」  「だれにでも大なり小なり不幸なできごとはある。でもいつまでも『犠牲者』として生きてしまったら 大切な人生を無駄にしてしまう」  「忘れることはできないが、自分の中で区切りをつけることはできる。この本を書くことによって、過去に起こった事実として、事件の形跡を残すことはできたが、これから始まり続いていく未来に、この不幸な出来事は、私にはもう関係はない。  これからの人生を前に向かって歩んで生きたい」  「私はこの本で真実をすべて語ったのだからこれからの私には、自由を得る権利がある」  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  • 舞鶴事件

    http://mainichi.jp/select/news/20121212k0000e040165000c.html 舞鶴事件では、被害者の母親が無罪判決を聞いて泣いていました。 実際に今回の被告が犯人でなく、別にいた場合、 真犯人でなくても、誰かが犯人にされ、が極刑になれば、母親はうれしかったのでしょうか?

  • 過去の未解決事件

    お世話になります。過去の未解決事件で、殺人のあった翌朝、警官が現場に行ったら、そこに残って居た犯人と出くわしたのだが、警官はそれを犯人とは思わなかったので逃がしてしまった、というような話を聞いたことがあります。これはいつどこであった事件のことですか。実は、私はこれを世田谷の事件のことだと思っていたのですが、先日ニュースで、世田谷の事件の犯人は夜のうちに逃げた可能性が高いということを聞いたので、自分の記憶を確かめたく、質問しました。

  • 秋葉原の殺人事件のニュースを見ると・・・

    先日秋葉原で信じられない事件が起きました。 自分でもよくわからないのですが、この事件にとてもショックを受けてしまったみたいです。事件ニュースを見ると涙が溢れ出てきます。ニュースを見ていないときでも、ふと思い出すとドキドキして涙がでそうになるのを必死にこらえています。 私、どうしちゃったんでしょうか・・。いつもの私は「泣ける!」と評判の映画やドラマでもほぼ泣かないし、日常生活でもほとんど泣きません(彼氏との喧嘩ではすぐ泣くけど・・)。 ただ、ニュースには少し弱いです。今までひどいニュースを見て(最近だと四川大地震)泣いたり、泣きそうになることはありましたが、ここまでショックを受けているのは初めてです。 ちなみに、事件関係者でも、関東在住でもありません。 事件のニュースを見るたびに、被害者が感じた恐怖、痛み、無念さ、被害者遺族の怒り、悲しみ、悔しさ・・、救護にあたった人の無念さ、目撃してしまった人のショック、ナイフを売った人の後悔、掲示板を見て通報した人の悔しさ・・・いろんなことを想像してしまってとても耐えられません。 犯人の身勝手さに対しては本当に腹が立ちます。犯人の言う不幸な生い立ちなんて、不幸のうちに入りません。甘えてます。こんな情けない人間のために7人もの命が利用されたなんて許せません・・。 私はどうしちゃったのでしょうか。時間が経つにつれて薄れていくのでしょうか?

  • 未解決事件の懸賞金は犯人の身内でももらえるのですか?

    常識で考えればもらえないとは思いますが、次のような例の場合どうなりますか? 例えば5年前に銀行強盗があり、100万円の懸賞金が掛けられていたとします(これは架空の事件です) 例1) 妻A子さんは夫Bと1年前に知り合い結婚した。最近になってA子さんはBの兄から5年前の事件の犯人の情報に結びつく話を聞いたので、警察に伝えたところ、自分の夫が犯人として警察につかまった。 1 A子さんは事件当時Bとは知り合っていない また犯人が自分の夫とは知らなかった 例2) 例1と同じ状況で、A子さんが籍に入っていない場合。 知り合ったのは1年前。 例3) 会社員Cさんが犯人逮捕につながる情報を警察に話したところ、犯人Bが捕まった。犯人を調べてみると犯人は、Cさんの祖父の弟の娘の夫だった。 例4) (犯人が女性であると仮定して) 会社員Cさんによる協力で犯人を逮捕したが、犯人はCさんが生涯 一度も会った ことのなかったCさんの産みの 母親だった。 例5) 別居している犯人の親、兄弟、子供、だった場合。事件当時も別居していた。 例1 は通報者が 犯人の妻だった場合。でも事件当時2人は知り合っていない 例2 は通報者が犯人と家族同然の関係で法律上では他人。事件当時2人は知り合っていない 例3 は通報者と犯人が遠い親戚だった場合。 例4 は通報者と犯人が法律上も気分的にも他人だが、血のつながりがある場合。 少し気になったので質問させていただきました。 100%ありえない話ではないと思います。 もしかしたら懸賞金に対する決まりというものはなくて、その都度話し合いによって決まるものなのでしょうか? よろしければ教えてください 。よろしくお願いいたします またカテゴリー違いなら失礼しました

  • 今さらですが、1歳児餓死事件について

    古い話で申し訳ありません。(長文すいません) Youtubeで、北海道で起きた育児放棄による残虐な人殺し事件の動画を見ました。 子供を1ヶ月以上も放置し、母親は男のところで遊んでいました。 その結果、1歳児は餓死し、4歳児は生ゴミを食べていたため生還したそうです。 死んだ1歳児の口の中には虫がたくさん入っていました。(必死に生きようとした) 1歳児の死体を見つけた母親は、段ボールに子供を入れ、物置に放置しました。 母親に不幸な生い立ちがあったかどうかは知りませんが、怒りが込み上げてきました。 こんな事件があっていいのか!と。 これは過去に発生した歴史的な事件と同じく緊急報道特別番組をやるような 事件ではないでしょうか? (もっと酷い事件があるかもしれませんが) こんな残酷なことした山崎愛●被告への判決は懲役15年です。 最長でも、36歳になったら出所するということです。 これは時代を象徴する大罪だと思いました。 こういった事件こそ、もっと大きく報道し、犯人が悪いといった批判だけでなく、 根本的にどうしてそんなことが起きてしまったを考えていくべきだと思いました。 (どうしてそんなことができる人間ができたのかを) OKWaveの皆様はどのようにお考えでしょうか?

  • 大阪寝屋川市の事件について

    大阪の寝屋川市で悲惨な事件がありましたが、 もし、自分が友達や恋人など、親しい間柄の人から「家に泊めて欲しい」と言われて、泊めることが不可能でないのに、自分のちょっとした都合で泊めなかったために事件に巻き込まれ、亡くなったら、自分は一生後悔し、立ち直れないと思いました。 犯人を憎むよりまず、自分を責めてしまうと思います。 事故で亡くなっても、そうかもしれません。 あまりに残酷なことだと、怒りよりもまず先に絶望感に襲われると思いました。 あの商店街での最後にとらえられた二人の様子を見るとあまりにも辛すぎます。 あの時点では普通に何事もなく居るのに、いろんな偶然がたまたま重なってしまったがために、数日後には変わり果てた姿で発見されたことを考えると言葉が出ません。 あと、親の責任もよく言われていますが、やはり犯人が100%悪だと思います。犯人がなにもしなければ、こんなこと起きなかったわけですから。 中学生が深夜に外出していたことは悪いですが、この事件の直接的な原因がこれではないと思います。 ただ二人が全く知らない人の車に自ら乗ったことは、不注意だったと思います。これだと時間帯を問わずいつ事件に巻き込まれてもおかしくありません。(大人であっても危ないことです)どんなに優しそうな人に声をかけられたとしても、全く知らない人の車に乗らない方が良いことは中1であれば、あらかじめ分かっておくべきことだったと思います。外をよく出歩くなら尚更です。それだけで今回の事件は防げたかもしれません。 犯人はおそらくほぼ、山田容疑者のようですが、そうだとすれば、あのふざけた数々の行為に絶対許せません。 罪の意識もあまりなく見えますし。 日本も仮釈放なしの終身刑をつくるべきではないでしょうか? 僕は死刑制度には反対です。 犯人をかばうつもりはありませんが、 どんなにとんでもない悪人でも故意に命を奪っても良い正当な理由にはならないと考えるからです。 実際、死刑制度のない国も増えてきていますし。 その代わり、寿命がつきるまでずっと、刑務所でじっくり自分の罪と向き合ってもらいたいと思います。 そっちの方が苦しいと思いますし 死刑は執行された犯人は罪から解放されるし、楽ですよ、それだけのことをしておいて。 色々書きましたが あくまでこれはひとつの考えです、皆さんはこの事件を見て何を思いましたか?

  • 警察官が犯人の誘拐事件の小説を探しています

    以前読んだ本なのですがタイトルが思い出せません。 ある町で連続誘拐事件が起こります。小さな女の子ばかりが誘拐され、殺害されてしまいます。 内容は警察官側の視点と犯人側の視点で交互に描かれます。 犯人は昔自分の娘を誘拐されて殺された過去があります。犯人は別の女の子を身代わりにして自分の娘を蘇らせる儀式のために誘拐をしています。 読んでいる時は警察官の視点と犯人の視点は同じ時系列のように見えますが、実は犯人は捜査をしていた警察官で、犯人側の視点は警察官の視点の一年後、最初の事件の被害者は警察官の娘で、事件は未解決です。 ラストシーンで犯人が捜査していた警察官だとわかるのですが、何とも哀しいラストだったのが印象的でした。 もう一度読みたいのでわかったら教えてください。