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今この瞬間にあなたは何を考えていますか?過去と今この瞬間の不確かさにつ

今この瞬間にあなたは何を考えていますか?過去と今この瞬間の不確かさについて。 最近ふと考えている事があります。 人間は皆、赤ちゃんだった頃があって現在がありますよね。 そして、いつの間にか大人になって年老いていく。 その間にも、あなたの大切な人や同じ時間を共にした人がいつの間にか 死んでいったり、変わってしまったり。違う人を好きになったり。 過ぎ去った過去に戻る事は出来ません。時間と共に忘れていく事もあると思います。 そんな時、ふと ”あの頃はあんなに強く想ったり考えたりしていたのに、あれは何だったのだろう?” と、まるで自分がそんな過去が無かったかのように思えてきます。 でも確かに過去のあの時間に、自分が想っていたという事実は忘れてはいません。 そうなると、何だか現在の自分は何なのだろう?と思うのです。 成長、といえばそれまでですが、何だかとても大切な事を忘れているような気分になります。 いろいろな過去があっての自分なのですが、自分が変わってしまったようで寂しい気分です。 上手く言葉で表現出来ず申し訳ございません。 皆さんはこのように感じる事はございますか? その時、どのように過去と向き合っていますか?よければお聞かせ下さい。

みんなの回答

noname#103681
noname#103681
回答No.8

ぜんぜん違うかもしれないけど、私も同じようなこと? を考えていたことがあります。 ”あの頃はあんなに強く想ったり考えたりしていたのに、あれは何だったのだろう?” というよりは、今私はこうしているのに、ちょっと時間が経てば今の自分ではなくなる というか... 例えば修学旅行に行くバスの中、今確かに私はどこどこへ向かう途中で友達と一緒で楽しいハズなのに、数日後には家に帰っていて楽しい時間は過ぎてしまっている、そして事実数日後には家に帰っている。 そのとき、私はあの時たしかにあんなことを考えていたのに現実にそうなっているというか。 今こうしていることが、それこそ今こうして文章を書いている自分が数分後にはそれを終えている、当たり前のことなんですけど、あのとき確かに自分はあぁしていたハズなのに、という時間の流れが怖いというか。 すみません。私もうまく表現できませんし、全然違うことを言っているのかもしれません。 ちなみによく考えていたのは小6から中2,3くらいの頃までです。考えれば考えるほど怖くなって、結局 考えないようにしようということになりました。それからなるべく考えないようしています。

  • juyjuy
  • ベストアンサー率22% (139/612)
回答No.7

No.5さんと似た答えですがもう少し詳しく述べたいと思います。 古来、一神教(旧約聖書時代以後のユダヤ教、キリスト教、イスラム教)は、世界には始まりがあり最後は「最後の審判」で永遠に?終わる??という考え方で時間はガリレオやニュ-トンの時代のように一方に流れている事になっています。 中国や日本、太平洋諸島では・・もうちょっと中途半端な形で始まりますが終わりはどうなるのかわかっていません。 この場合は永遠の命か永遠の地獄かということが問題になります。 一方、昔のギリシャやインド、最近有名になったマヤなどは一定の周期で時間が循環するという話になっています。 この場合は「輪廻」に代表される生まれ変わりが問題となります。 釈迦はインドに生まれこの永遠に繰り返す死への恐れから逃れるための生き方、考え方を模索しました。 こうした態度は昔から今まで世界中で模索されて来た態度です。 本人が「悟り」を開いてもだれにも話さなかったかあるいは話しても周りの人が広めてくれなかった「教え」は無数にあるでしょう。 一部の「教え」は周りの人に受け入れられて仏教のように精緻な哲学になったものもあります。No.5の回答者はこの例を言っておられます。「輪廻からの解脱」ですね。 以上は前置きです。 「今」はなにか?これは脳が周囲のものをひとまとまりのものと認識できている時間というのが最も適切な答えでしょう。 「過去」は脳が前にあったと認識している事です。 「未来」は脳がこうなるだろうと認識している事です。 では「過去」は本当にあったのでしょうか?「未来」は? 現在、物理学者の間で「平行宇宙論」というのが論議されていますが、これは今の状態が無限にわかれて・・例えば今この回答を見ている質問者は次の瞬間、「この回答を最後まで読む」「ばかばかしいから読むのをやめて違うページに飛ばす」果ては「空から隕石が落ちてきてコンピュ-タ-が潰れる」等々無限の自分に分かれていくという説です。この説では「今」はある程度わかりますが「過去」は別の宇宙のことになってしまいます。「未来」は無限の宇宙の中でどうなるか定義できません。 現在のところこの「平行宇宙論」は主流にはなっていませんので、周辺に残っているものや脳の記憶、他人の脳の記憶(書物などを含む)からある程度再構築出来る物事があったということになっています。(とりあえずこの宇宙だけが問題です。) この再構築の作業が「縁起」(因果律)と仏教では呼ばれています。 厄介なのは現在は量子力学というのがあって「因果律」はミクロの世界ではなりたたないと主張しています。物事は「観測」したときに存在するがしないときは無限の可能性があるという主張です。これはすでに証明されている事でもあります。 釈迦が「悟り」を開いたときはまだ問題になっていなかったのですが、その後仏教が哲学化するにつれて  「刹那滅」:次の瞬間に皆生まれ変わって別の人間になる・・平行宇宙論  「色即是空・空即是色」:粒子は波であり波は粒子である・・量子力学の相補性 など現代の物理学と同じようなことを言うようになってきました。 ここからは私の考えですが  私の脳が過去はあったと認識しているから過去はあった。  現在はコンピューターでこの回答を書いている自分がいるから多分存在する。  未来はまだ脳が起こったと認識していないからない。(もし質問者がこの文を読んだらその時に未来が出来る?) という極めて陳腐な答えです。 現代は過去はあり今もあり未来は今の行動で造られるという世界になっています。 過去がなかったら犯罪の取り締まりなんてできないし、今がなければ将来のために頑張れとも言えなくなります。 過去・現在・未来というのは今の生活を維持するための「方便」で実際は何もないのかもしれません。

fontina
質問者

お礼

回答頂きありがとうございます。 量子力学と平行宇宙論について、また勉強させて頂きます。 また、人が「悟り」を開いてもだれにも話さなかったかあるいは話しても周りの人が広めてくれなかった「教え」は無数にあるでしょう。 というお話を聞き、目から鱗です。 >私の脳が過去はあったと認識しているから過去はあった。  現在はコンピューターでこの回答を書いている自分がいるから多分存在する。  未来はまだ脳が起こったと認識していないからない。(もし質問者がこの文を読んだらその時に未来が出来る?) という極めて陳腐な答えです。 ありがとうございます。やはりそうなりますよね。 またお話聞かせて下さると嬉しいです。 回答ありがとうございました。

noname#142902
noname#142902
回答No.6

 こんばんは。  私もあります。昔がまるで夢のようで、果たして現実だったのか、それとも今脳に存在しているだけで幻だったのか。考える時もあります。  でも、だからこそ良いと思います。私にとって過去とは『最も大事なもの』です。記憶喪失にならなければ、ずっと、残っています。嫌なことも、嬉しいことも、色々あります。  でも、それで良いのではないでしょうか? 私たちは人間です。失敗もすれば、成功もする。その積み重ねで今の自分がいると考えると。そのように考えると、過去は宝石箱のようだとは思いませんか?  参考にしてください。

fontina
質問者

お礼

ぐっときました。 昔がまるで夢のようで、果たして現実だったのか、それとも今脳に存在しているだけで幻だったのか まさに私の思考を代弁してくださってるかのようです。 本当に、まるで過去が夢だったかのように、ふとした時に 自分が今立っている場所や、自分とつながりのある人など これは幻や誰かがそのように記憶させて、 ”私”一人が与えられた時間の中を映像の中で生きているような 気分になる事があります。 例えば、有名な歌手や自分の好きなアーティストなど、 死んでも映像などに残って、いつまでもその時の瞬間、声や動きを見る事が出来ますよね。死んでも声が聞けて・・・自分の目で直接お会いする事は出来ませんが。 そうすると、なんだか今この瞬間が不確かな気分になるのです。 もちろん死んだ方には触れる事も会える事も出来ませんが、 想い続け、記憶と記録の中で会う事が出来る。 そうすると、現実とは何なのだろう?その境目がよくわからなくなってきてしまったんです。 頭では、理解しているのですけど、死んだんだって。 過去は宝石箱ですか。とても素敵な言葉ですね。 ありがとうございます。

  • f5system
  • ベストアンサー率8% (79/896)
回答No.5

自我の目覚めです。 数千年昔のインドの王子がこの問題を解決して、 仏教をつくったのです。 悟りの内容は、この世は全て因果によって 成り立っていると言う、因果律にたち、 過去と未来は実は現在の瞬間に凝縮している ということを発見しました。

fontina
質問者

お礼

回答頂きありがとうございます。 参考にさせて頂きます。

  • zero11
  • ベストアンサー率43% (401/924)
回答No.4

産まれた赤ちゃんは手をグッと握りしめていますよネ 手を開いた瞬間に一杯詰まっていた [大切]なものが飛び去り・・・ただ一つ『希望』だけが残ると。。。 私自身、幸せな生活が高校時代に一瞬にして崩れ去るそんな経験もしました・・・教師に成りたい夢も、大学も諦めざるを得ない境遇に・・・ でも恩師の救いので[人を信じられない]私が非行に走る事無く、オジサンに成りました(苦笑) 私にとって人生の原点は、その時から全てと言っても良いほど繋がりが有り・・・自分なりに判断し、職業も180度変わりました、恩師から受けたせめてもの恩返しに・・・2つの相談員の資格を勤務後夜間5年間かけ取ったり(自己満足に過ぎませんが)・・・。 回答には成りませんが・・・ 人生は過去が有っての、今の自分です。。。出逢い、別れ、変化・・・ 逆に考えるなら。。過去の出逢いや様々な事が無ければ今の自分は居ないのです。   悪い人に騙され無くて良かったじゃないですか? 私は仕事以外に、まだまだやりたい事、したい事・・・一杯 有ります!!! 恐らく 質問者様も心の内なる声が、何かあると思いますょ・・・ 私なんか悲惨(幸せ)ですよ・・・音符全然読めないのに・・・ 2年前のある日 突然、『ヴァイオリンが呼んでる!』実物見た事も無いのに・・・ 3日考え込みました・・・2週間探し・・・ショーケースに並んでるヴァイオリンを見て15万円位?。。。一桁見間違え150万!!! でも呼んでいるヴァイオリンでは無い・・・ 片隅から「こんな委託品も有りますョ」呼んで居たヴァイオリンがそれでした☆ それから月2回1時間のレッスン・・・(月謝.ヴァイオリン.弓等々)2年間分で安い新車1台分です(汗)高価な物は買っては居ませんが・・・ 後10年は通う事に成るでしょネ。。。(笑) 何歳に成っても、どんな小さな事でもいい。。。 『夢』『希望』を失わずに、(心にアンテナ張り巡らせて)大切にして生きて欲しいと 願っています。 欠点が有っても、先ず、今の自分を愛してあげて下さい!!! 取り留めのない文章をお許し下さい。

fontina
質問者

お礼

回答頂きありがとうございます。 今もヴァイオリンを弾いていらっしゃるのですね。 私の場合、やりたい事したい事、もちろん今でもありますが 過去程の強い想いはなく、なんというかいろいろ行きたい場所や やりたい事をして好きなように生きてきました。 現在はどちらかというと保守的な生活です。 だから何か大切な事を忘れているような気分になるのかも知れません。 昔よりはきちんとした生活を送っていて、生活状態も良いですが、 それと同時に失ったものも沢山あります。 昔に戻りたいか?というと、そうではないのですが、それもまた寂しいものです。 元気の出る回答ありがとうございました。

  • tmrp2005
  • ベストアンサー率22% (41/186)
回答No.3

私は今年29歳になりました。 二人の子供がいます。 子供の成長とともに自分も成長させられ それとともに周りとも関わりも増えてきました。 子供だったら考えなくて良い事、大人なら考えなくてはならない。 子供だったら許せる事、大人なら許してもらえない。 変わるのは自分自身と自分を見る周り、兄弟や両親や親戚、友達・・・。 要するに、何かを経験して変わることもできるし 経験しても変わらない人もいる。 自分の奥底に秘めた思いがあって表に出せない人もいますからね。 私も今、一体何を言っているのだろうと思います。 全く回答にもなっていないと思います。 でも、今いる自分が現実です。 その自分が嫌いなら嫌いな部分を自分自身が認めて 変えて行くしかないんだと最近は思います。

fontina
質問者

お礼

回答頂きありがとうございます。 子供だったら考えなくて良い事、大人なら考えなくてはならない。 子供だったら許せる事、大人なら許してもらえない。 変わるのは自分自身と自分を見る周り、兄弟や両親や親戚、友達・・・。 要するに、何かを経験して変わることもできるし 経験しても変わらない人もいる。 自分の奥底に秘めた思いがあって表に出せない人もいますからね とてもわかりやすかったです。 こちらこそまとまりの無い質問で申し訳ございません。

  • seahop
  • ベストアンサー率40% (4/10)
回答No.2

私自身は、過去の自分と、今の自分の同一性についてたまに、不思議を感じます。 10年前の自分が、仮に、ひどい苦労をしても、今の自分は困るのだろうか? むしろ、そのとき、困難を克服しておいてくれれば、今は楽をできるのでは? みたいな感じです。 また、それと並列して、過去の判断について、自分で判断していますし、 過去の自分から、自分の意志で(変わりたいところは)変わっていますので、 具体的に、何について、寂しさを感じるのか分かりませんが、 特に、寂しさを感じたことはありません。 ただ、もし、その寂しさを想像するのであれば、 ドラマや小説など、他人の経験を客観的に見てそう感じることはあります。 ただ、それは、途中の過程が省かれており、それによる錯覚かと思っています。 自分自身であれば、勝手に、その情熱が無くなったのではなく、 なぜ無くなったのか説明が付くことが多いためです。 例えば、無理にあきらめたり、日々に忙殺されたりで、その気持ちや自分の意志や思い失われ、 その当たりに、寂しいと感じるのであれば、今からまた、それを始めれば良いのではないでしょうか? 今の団塊の世代など見ているとそれを感じざるを得ませんけどねw なんだか、とりとめのない文章となってしまい、すいません。

fontina
質問者

お礼

回答頂きありがとうございます。

  • kametaru
  • ベストアンサー率14% (339/2313)
回答No.1

>今この瞬間にあなたは何を考えていますか? これを見た瞬間のことを書いてみます。 今この瞬間にあなたは何を考えていますか? と言う瞬間は文章を理解しようとしています。 それが「言語」なのでしょう。 その次の瞬間に質問内容がどんなものなのか想定します。 思考がフルに働きます。 おそらくここまでで1秒もないでしょう。 それが「今のこの瞬間」に対する回答です。

fontina
質問者

お礼

回答頂きありがとうございます。

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