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不完全性定理を自然科学に敷衍できるか。

数学基礎論の林晋先生の「ゲーデルの謎を解く」という本を読んで疑問に感じていることがあります。 この本の最初に「ホーキングの疑問」と銘打って天才物理学者の下記の疑問をゲーデルの不完全性定理になぞらえています。 「本当に完全な統一理論があるならばそれは人類の行動をも決定するだろう。ということは、統一理論自体が、人類の統一理論探求の行方を決定することになる! だとしたら、どうして、人類が正しい結論にたどり着ける、と決まっているだろう?」 もし、統一理論がニュートン力学と初歩的な電磁気学で構成されていたとしたら、そのような世界では、ニュートン力学を理解できるような知性は生まれえないということでしょうか。 自然科学は暫定的な仮説の総体と言っても良いはず。無矛盾を前提に証明された不完全性定理を自然科学に適用するにはもっと慎重であるべきではないかと思います。 統一理論(というより宇宙)の自己言及性という問題があるとすれば、次のような状況ではないかと考えます。宇宙の全要素の状態を超巨大コンピューターに入力できて、宇宙のすべての状態を把握できるようになる。そうするとコンピューター自身も宇宙の一部ですから、そのデータも自分自身に入れなくてはなりません。 つまり人間の能力は余りにも小さいので、自然科学分野では不完全性定理が障害となるような事態はあり得ないと考えています。 以上のような私の考えに対してサゼスチョンがあれば聞かせていただきたいと思います。 勝手ながら、回答は数学科か哲学科の方か同等の知識のある方にお願いいたします。

みんなの回答

回答No.14

No.2,3,7,9,13です 引用を正確にしておきます。 「No.7,13で引用させていただいた高橋昌一郎氏の「ゲーデル哲学」(講談社現代新書)のp.172」 は、ゲーデルが1951年12月26日に行ったギブス講演「数学基礎論における若干の基本的定理とその哲学的帰結」での講演内容の一部です。そこにおいて、ゲーデルは数学実在論の立場(いわゆるプラトニズム)を明確にしているとのことです。 で、 >>> No.10補足欄 数学の定理と物理法則は明らかに別個のものです。数学の定理は公理から論理的に導かれるもので、物理法則は観測結果を説明するための後付けの仮説です。 <<< での「数学」についての捉え方は、いわゆる「論理主義」に該当するようです。 http://wpedia.mobile.goo.ne.jp/wiki/1540389/%90%94%8Aw%82%CC%93N%8Aw/4/ 上記文にも関連するのですが、 >>>質問欄 人間の能力は余りにも小さいので、自然科学分野では不完全性定理が障害となるような事態はあり得ないと考えています。 <<< としておられますが、人間の能力に含まれるであろう「自由意志とか恣意性とか」については、どのようにお考えなのでしょうか? (ゲーデルの不完全性定理を含む)数学の定理は、人間の能力に含まれ、そうして(自由意志を含む)「そういった能力」は(自然科学分野という範疇では)「余りにも小さい」と仰っておられるように捉えられるのですが、そのような解釈でよろしかったでしょうか? このあたり、一元論的な考えなのか、二元論的な考えなのか等にも影響するように思っていますが・・・いかがでしょうか?

gobo-tetsu
質問者

補足

>>>質問欄 人間の能力は余りにも小さいので、自然科学分野では不完全性定理が障害となるような事態はあり得ないと考えています。 <<< もし私たちがもっと高度な観測技術を持っていれば、見逃しているような現象をもっと把握できたでしょうし、もっと高度な知能があれば今の時点の観測結果からでも新発見をすることができたはずです。 不完全性定理による見えないバリヤーに到達する前に、我々の前には無尽蔵の未発見が埋もれているはずです。そういうつもりで書きました。 ゲーデルの不完全性定理が「一元論か二元論」に関係するかはゲーデル自身が態度を保留しているのです。その関係性は私ごときにはわかりません。 が、今のところ人間機械論を疑うべき積極的な理由はない、と考えています。

回答No.13

>>> 「量子力学での無限発散」については、これも私の能力を超えているのでパスさせていただきます。前回も申しあげたように、難解な情報の紹介はもう結構です。どうせなら、「これこれは可能無限と実無限の取り扱い方に関連しているようです。」というだけではなく、どのように関連しているのかを私にでもわかるよう説明していただきたいと思います。 <<< については、No.9での >>> たとえば、ループ量子重力理論においては、「時空間を無限分割可能」という概念をとらずに、「有限な分割しか許容しない」として上記の問題を解決する手段としているようです。 <<< が相当していますし、 >>> そもそも一様連続で無限に広いユークリッド空間を現実の物理空間に当てはめてよいかどうかは不明です。ユークリッド空間は私たちが体験できる限界を超えて広いし、体験できえないミクロな世界まで連続であることを想定しています。実際の物理空間においては、最小の距離単位が存在する可能性も否定しきれないと私は考えています。 <<< は、まさに「ループ量子重力理論」と等価です。 ひも理論やM理論が背景依存(すなわち古典力学的な「無限分割可能な」時空間を前提)なのに対し「ループ量子重力理論」は背景独立(「無限分割可能な」空間を前提としない)からスタートし「時空が離散的」として構築されています。 すなわち、「実無限」の概念を含むことなく、(もし無限という概念を捉えようとするのなら)「可能無限」の概念の範疇で自然現象を説明可能だとする理論になります。 無限を実無限として扱うことの数学上の問題は、選択公理と一般連続体仮説での問題にても指摘されているようです。 選択公理:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%B8%E6%8A%9E%E5%85%AC%E7%90%86 バナッハ=タルスキーのパラドックス:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%8A%E3%83%83%E3%83%8F%EF%BC%9D%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9 さて、上述のような(実際のところ、実無限の概念を含んでも、含まなくてもいいのですが、たとえば実無限の概念を含まない)「統一理論」なるものが構築されたとします。それによって、あらゆる物理学的現象が記述可能であるゆえ、それは正に、「第一原理」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%8E%9F%E7%90%86 と等価でしょう。 もし、一元論的に知性や心を扱いうるとするならば、(理論として論理的・無矛盾に)「実無限という概念をも考えた」知性(自由意志、恣意性)もが、「統一理論」(すなわち「第一原理」)にて扱いうることになり、まさに、ゲーデルの不完全性定理に結びつきます。 もし、そうでないなら、No.7で引用させていただいた高橋昌一郎氏の「ゲーデル哲学」(講談社現代新書)のp.172 >>> 帰結5:人間精神は脳の機能に還元できない(反機械論) 帰結6:数学的対象は、人間精神から独立して存在する(数学的実在論) 選言B:帰結5または帰結6、またはその両方が正しい。 <<< が当てはまることになろうかと思われます。 すなわち、 帰結5は「自由意志・恣意性」は「統一理論・第一原理」から説明できない(に還元できない)ということになるでしょうし、 帰結6は「統一理論・第一原理」にて記述可能な対象は、人間精神から独立して存在する(すなわち、二元論と等価)ということになるでしょう。 林氏の論はそういったことに基づいているように思われます。

gobo-tetsu
質問者

お礼

k_jinenさんの最初の投稿で「リンゴのゲーデル数化」を読んだ時、あまりよくわかってないなと思いました。できれば一般向け解説書を読んだだけの人ではなくて、専門家のご意見を聞きたかったのです。(ちなみに私は一般解説書レベルです。) 考えてみれば身の程知らずな傲慢な態度であったと反省しております。薦めていただいた参考資料は、当欄の趣旨とははなれても、無知な私には興味深いものでした。今後の勉強の仕方の指針を与えて下さったものと感謝しております。有難うございました。

gobo-tetsu
質問者

補足

>もし、一元論的に知性や心を扱いうるとするならば、‥‥、まさに、ゲーデルの不完全性定理に結びつきます。 この時、帰結5、6はどうなるのですか? >もし、そうでないなら、‥‥すなわち、‥‥(すなわち、二元論と等価)ということになるでしょう。 この部分は論理的に大いに問題ありです。つまり「一元論的に知性や心を扱い得ないとするならば、人間精神は脳の機能に還元できない。」という循環論法になっております。 それと帰結6は二元論と等価ではありません。 もし、人間が機械であるならば数学は人間から独立して存在しなければならない、というのが選言Bの趣旨であるはずです。

noname#135843
noname#135843
回答No.12

 こんばんは、Hidocchiと申します。  お役に立てればと思い、筆を取らせていただきました。  長文が多いようですので、簡潔に述べさせていただきます。 > もし、統一理論がニュートン力学と初歩的な電磁気学で構成されていたとしたら、そのような世界では、ニュートン力学を理解できるような知性は生まれえないということでしょうか。  ニュートン力学も電磁気学も原則“公理系”には属さないはずでございます。従いまして、そもそも、「不完全性定理」の範囲外と考えられます。つまり、理解は可能と察せられます。 > つまり人間の能力は余りにも小さいので、自然科学分野では不完全性定理が障害となるような事態はあり得ないと考えています。  現時点では、仰る通りかと存じます。  ですが、将来(もちろん何時かはわかりません)、この「不完全性定理」が障害となるような“○△命題”(もしくは“○△予想”)が存在することが判明し、この命題(or 予想)をどうしてもその系内に含まざるを(用いざるを)得ない“(物理的)原理”が登場してしまえば、問題になるかと考えております。  ご参考になれば、幸いでございます。

gobo-tetsu
質問者

お礼

ご回答有難うございます。

  • amaguappa
  • ベストアンサー率36% (140/385)
回答No.11

推敲しませんでした。読み返してみて変な文章に気付きましたがお許しください。

gobo-tetsu
質問者

補足

全然問題なしです。

  • amaguappa
  • ベストアンサー率36% (140/385)
回答No.10

著者はその箇所で、不完全性定理を敷衍し、ホーキング博士の疑問について解釈し、論じているのですか? それとも、ホーキング博士の疑問を導入にして、不完全性定理の解説をおこなっているのですか? 自然数論の含まれる公理系という条件の重要性を考えた場合、 定理が条件下につくられる系の内部で証明されるものであること、それ自体は、数学でも物理でも同様であると言うまでもないですから、 双方の条件の近似性や相違について問題とするに価するかどうかが、違和感の出るところではないでしょうか。 著者は「イメージの導入」として、下記のような作業を、無限を含む系についてホーキング博士も行っていると著者は言いたかったのではないでしょうか。 ある公理系を選択するとします。その規則性にのっとって真である命題Aがあるとします。 そのような命題Aを含み複数の命題を関連付けることのできる理論がひとつ手元にあるとします。 真であるところの命題Aを証明することのできる別の公理を含む体系に拡張すると、真である命題Bがあります。 理論の修正をおこない、複数の命題があらたにきちんと関連付けられましたが、 さらに 命題Bを証明することのできる別の公理を含む体系によって新たな理論へ到達するためには。。。   統一理論は決定不可能な命題を回避できないであろうこと、そしてまた、 無矛盾に仕上がった理論が、その理論のシミュレート可能な系においては証明も否定もできないということを、 ホーキング博士が言わんとしていると著者は解釈したのではないでしょうか。 それにしても、超ひも理論の次なるM理論を突き詰めておられるホーキング博士ですが、博士のこの疑問自体はずいぶん表現を端折っている感が否めず、 むしろ複雑系に言及したようにも取れますし、カプラの著したタオ自然学のような流動性を彷彿とさせますね。 このような文の抜き書きだけでは、厳密でない戯言とも取れますし、あるいは、形容しがたい内容を含む容易ならざる発言とも取れます。 自己言及のパラドクスであるとばかり取らずともよろしいのではないかと思います。 たとえば宇宙が超ひも理論による決定要因の集積であることが正しいとしたならば、 現在・此処のすべての条件が、超ひも理論の公理系に従った制約のもとに存在としてあらわれ、すなわち他の存在のしかたが隠れ、 またそれに基く演繹的作業と帰納的作業が、命題を証明していこうとしなければならない。 そして統一理論である以上は、現在・此処の決定の集積である未来もまたシミュレート可能なものとして、上記のように存在をあらわすが、 このような一貫的な(consistent/無矛盾な )未来決定性には異議がある、という発言主旨による反語表現ではないかとわたしは思いますが、どうでしょうか。 出身学科も関わる分野も違い、回答資格があるかどうか自分ではわかりませんので、補足要求とします。

gobo-tetsu
質問者

お礼

ご指摘ありがとうございます。

gobo-tetsu
質問者

補足

自分の文章を読み返してみて、全くご指摘の通り不十分なものであると痛感いたしました。林先生が引用したホーキング博士の言葉をあらためて提示します。 <<宇宙の法則が勝手に決まっているのでないなら、宇宙を完全に記述する統一理論のたんきゅうこそ、我々のなすべきことである。しかし、人類による完全な統一理論の探求には、根源的なパラドックスがある。(中略)本当に完全な統一理論があるならば、それは人類の行動をも決定するだろう。ということは、統一理論自体が人類の統一理論探求の行方を決定することになる! だとしたら、どうして、人類が正しい結論にたどり着ける、と決まっているのだろう? 人類が間違った結論にたどり着くように決まっていたとしても、おかしくはない。あるいは、全く結論にたどり着けなかったとしてもおかしくはない。>> 林先生はホーキングの上の疑問を数学の上の疑問と構造的に近似しているとし、ホーキングが提示した三つのシナリオを引用しています。 ・最善のシナリオ 完全で正しい統一理論が完成する。 ・最悪のシナリオ 間違った統一理論が完成する。 ・事前のシナリオ 完全で正しい統一理論は完成しない。 林先生は上記の三つのシナリオの「統一理論」を「数学の理論」におきかえて、数学においては、不完全性定理によって最善のシナリオは否定された、として話の導入部としているだけで、ホーキングの疑念を不完全性定理に結び付けているわけではありません。 ホーキングの疑念を不完全性定理に結び付けている、としているような私の表現は明らかに間違いです。申し訳ありません。 私が引っかかったのは、ホーキング博士の「統一理論自体が人類の統一理論探求の行方を決定することになる! だとしたら、どうして、人類が正しい結論にたどり着ける、」という箇所で、統一理論自体の自己言及性にふれていることと、この話を冒頭に持ってくることで、どうしても自然科学に不完全性定理による限界づけを印象付けているのではないかな、ということです。 >定理が条件下につくられる系の内部で証明されるものであること、それ自体は、数学でも物理でも同様であると言うまでもないですから この意見には賛同できません。数学の定理と物理法則は明らかに別個のものです。数学の定理は公理から論理的に導かれるもので、物理法則は観測結果を説明するための後付けの仮説です。

回答No.9

No.2,3,7です >>> No.7 補足欄 「無限を実無限として扱いうる」の件については、私はLISP系についても無知であり、私の能力を超える問題のようですので、パスさせていただきます。 <<< 。。。実無限と可能無限の区別は非常に重要だと思っています。 特に、抽象的な世界を処理可能な数学(知的思索の世界)と、具象的な世界に関連する物理学的な思索との間の差異として、ゼノンのパラドックスに関連しています。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4966862.html での回答No.6からの引用を参照願います。 たとえば http://www6.plala.or.jp/swansong/002400kanntorunojitumugenn.html が参考になると思われます。 統一理論が完成するにしろしないにしろ、現在複数の仮定が並列しています。 多くの理論が乗り越えるべきところとして、量子力学での無限発散という問題と重力理論との組み合わせにあるようです。 このうち、量子力学での無限発散関連の問題は、まさに、可能無限と実無限の取り扱い方に関連しているようです。 たとえば、ループ量子重力理論においては、「時空間を無限分割可能」という概念をとらずに、「有限な分割しか許容しない」として上記の問題を解決する手段としているようです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97%E9%87%8F%E5%AD%90%E9%87%8D%E5%8A%9B%E7%90%86%E8%AB%96 すなわち、物理学的に記述可能な世界が「実無限」の世界でないならば、対角線論法すら無意味な世界だということになるかもしれません。 あと、「宇宙に法則はあるのか」ジョン・D・バロウ 著 松浦 俊輔 訳 については、発刊元(青土社)に資料があります。 http://www.seidosha.co.jp/index.php?%B1%A7%C3%E8%A4%CB%CB%A1%C2%A7%A4%CF%A4%A2%A4%EB%A4%CE%A4%AB

gobo-tetsu
質問者

補足

>。。。実無限と可能無限の区別は非常に重要だと思っています。 ところで、実無限というものはあるのですか? 言葉の使い方が違うのかもしれませんが、もし「実無限を扱う」ことができるなら、ゴールドバッハ予想などはたちどころに証明できそうな気もするのですが、‥‥。 ゼノンのパラドックスをここで持ち出して来る理由がわかりません。 無限の点を有限の時間で通過する、といってもその点というものの性質がわからないまま議論しても始まりません。点は一見自明のような概念でありますが、限りなく調密でありながら、たがいに隣り合っている点がないというわけのわからないものでもあります。 そもそも一様連続で無限に広いユークリッド空間を現実の物理空間に当てはめてよいかどうかは不明です。ユークリッド空間は私たちが体験できる限界を超えて広いし、体験できえないミクロな世界まで連続であることを想定しています。実際の物理空間においては、最小の距離単位が存在する可能性も否定しきれないと私は考えています。 「量子力学での無限発散」については、これも私の能力を超えているのでパスさせていただきます。前回も申しあげたように、難解な情報の紹介はもう結構です。どうせなら、「これこれは可能無限と実無限の取り扱い方に関連しているようです。」というだけではなく、どのように関連しているのかを私にでもわかるよう説明していただきたいと思います。

  • masa2211
  • ベストアンサー率43% (178/411)
回答No.8

>もし、統一理論がニュートン力学と初歩的な電磁気学で構成されていたとしたら、 >そのような世界では、ニュートン力学を理解できるような知性は生まれえないということでしょうか。 現実の科学史で否定されます。 ニュートン力学(の基本部分)が確立した時点では、ニュートン力学が適用できないような 事象は見つかっていません。したがって、それ以上のこと(相対性理論)のような、系外のことナシで ニュートン力学は発見されています。 そもそも、不完全性定理では、発見できないとは言っていません。 発見できたとして、それが真実なのだから矛盾した観測結果は無い、そういった場合、 真実なのかそうでないのか(=真実の近似解であるのか)判定する方法が無い、ということです。 極端な例:(不完全性定理の具体的な証明例にもなっています。) ・世界1分前仮説  この世界ができたのは今から1分前で、それ以上古くみえるのは、そう感じるよう記憶ごと作られたからである。 ・グルーのパラドクス  ○○年○○日(現在より未来)までは法則Aに従い、それ以後は法則Bに従う。 現代科学の全ての観測結果を動員しても、これらを否定することは不可能です。 >無矛盾を前提に証明された不完全性定理を自然科学に適用するにはもっと慎重であるべきではないかと思います。 もっと状況が悪いです。 たとえば、ニュートン力学は数学的には無矛盾です。だからといってニュートン力学は真理ではありません。 観測結果でニュートン力学に矛盾する結果が多数観測されたため、 ニュートン力学は単なる近似解であり、相対性理論の解が厳密解である (相対性理論において、光速=無限、プランク定数=ゼロとすると、ニュートン力学に一致する。) となったわけであり、 今後の観測結果次第では、統一理論も近似解なのかも。 そして、近似解であると断定できるのは、「反例が見つかったとき。」 不完全性定理ふうに言えば、無矛盾という前提が崩れたとき。 (ただし、数学と自然科学で、無矛盾の意味するところが違う。) 要するに、世界1分前仮説みたいなのをナシにしても、 ・ある現象を説明するのに、複数のモデルがありうる。 ・まだ発見されていない事象にまでモデルが適用できるかどうか不明である。 ということから逃げられません。  ※統一理論も逃げていない。現在知られていない何かがある可能性は否定できない。 そして、そういうこと(=全ての理論は、いいところ近似解であり真理ではない)を認識していない科学者はいないと思うが.... ですので、不完全性定理が要請する「無矛盾」にいつまでたっても到達しないので、不完全性定理を考える意味は無いでしょう。

gobo-tetsu
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 科学法則が永遠に暫定的なものである故、不完全性定理を持ち出すのはおかしい、という趣旨ですね。

gobo-tetsu
質問者

補足

「もし、統一理論がニュートン力学と初歩的な電磁気学で構成されていたとしたら」というのは、この世界が量子論も相対性理論も必要のないシンプルな成り立ちで、シンプルな統一理論によってすべてが機械的に決定する、そのような世界を仮定しています。 つまり、「シンプルな決定論に支配されている世界では、そのシンプルな法則さえ理解できない知性しか生まれないのか。」という反語的命題を提示したつもりです。 「極端な例」が不完全性定理の具体的な証明例になっていると言うのは、真偽決定不能命題の例として提示されたのでしょうか? つまり、そのことを自然科学における「不完全性定理」の現れである、という主張ですか? 世界一分前仮説はそもそも反証不可能ですので、科学法則にはなりえず。グルーの法則においても法則Bの成立のための蓋然性が示されなくては科学法則とすることはできません。 科学法則が暫定的なものであるという見方は、私も同様です。(というか現在の科学哲学における共通認識であると思います。)だからこそ、純粋理論の不完全性定理を自然科学の限界の理由づけに使用するのはおかしいと思っています。 ホーキングも「完全な統一理論」があるとは考えていないだろうと思います。あるとしても到達はかなり難しいという意味で発言していると思います。私が疑問に思ったのは、よりによって論理学の専門家である林晋先生がホーキングの言葉を不完全性定理に関係しているかのような取り上げ方をしていたからです。 もちろん林先生は不完全性定理については私などよりはるかに深く理解しているわけですから、余計納得がいかないわけです。ひょっとしたら、わたくしが何か見落としている点があるのかもしれないので、ここの乱をお借りして議論をしてみたいと考えた次第です。

回答No.7

No.2 & No.3です。 結局のところ、実無限と可能無限との違いでしょうね。 LISP処理系で証明可能というのは、まさに「無限を実無限として扱いうる」という前提条件で成り立っています。 そこで証明可能ということは、「無限を実無限として扱う限り」(すなわち、仮想的に)「実行可能」ということと等価なわけです。(すなわち、下記に述べることが「可能であるならば」となります) >>> No.3補足欄 自然現象をどのようにゲーデル数化するというのでしょうか、ごく簡単な例で方向性だけでも示していただきたいと思います。 <<< 宇宙全体の法則を全てコード化「可能とするならば」ということが、 >>> 宇宙の全要素の状態を超巨大コンピューターに入力できて、宇宙のすべての状態を把握できるようになる。 <<< と等価になるということです。(すべての状態を入力できなくても、多くは「法則=関数」の形で入力しておけば済むでしょうし、コンピュータ上では、ビッグバン以降の宇宙の大規模構造生成をシミュレーションすることも実際に行われています) で、自然科学とは、 >>>「宇宙に法則はあるのか」ジョン・D・バロウ, p.45 1.われわれの心の外部にあり、われわれの感覚経験の唯一の源泉である外部世界が存在する。 (中略) 9.これらの前提は、いつでもどこでも、同じ形で成り立つ。 <<< ということを、暗黙裏の前提にしています。 この前提と、ゲーデルが不完全性定理から推論したとされている数学実在論&機械論の考察の帰結とが関連し合っています。 途中を省略しますが、高橋昌一郎氏の「ゲーデル哲学」(講談社現代新書)のp.172からのゲーデルの帰結を引用しておきます >>> 帰結5:人間精神は脳の機能に還元できない(反機械論) 帰結6:数学的対象は、人間精神から独立して存在する(数学的実論) 選言B:帰結5または帰結6、またはその両方が正しい。 <<< このあたりは、 二元論や一元論およびチャマーズのハードプロブレム http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%A0 と関連するでしょう。

gobo-tetsu
質問者

お礼

誠に勝手ながら、難解な知識の紹介はもう結構ですので、もっと的を絞ってわかりやすく噛み砕いた説明をお願いいます。

gobo-tetsu
質問者

補足

「無限を実無限として扱いうる」の件については、私はLISP系についても無知であり、私の能力を超える問題のようですので、パスさせていただきます。 ジョン・D・バロウについては承知しておりませんがヒュームの懐疑を一旦棚上げするという意味の前提でしょうか。その「暗黙裏の前提」をもとに議論していることは認めますが、「この前提と、ゲーデル‥‥が関連し合っています。」とあえて言明していることには違和感を感じます。その前提がなければ、物理学は単なる砂上の楼閣でありここでの議論はあり得ないのは当然のことではありませんか。 高橋昌一郎さんからは、ゲーデルが「人間の精神はいかなる有限機械をも上回る。」と考えていた、と匂わせるような印象を受けました。ひょっとしたらそうかも知れません。でも私はゲーデルが最後まで決定的な結論を述べなかったことの方を重視しています。

回答No.6

不完全性定理の言う、「公理系は不完全な場合に無矛盾であり得る」は、 そのまま、「決定論に基づいて構成された物理学が、その決定性の限界を示す 不確定性原理とセットである事で無矛盾であり得る(=有限な存在性を記述し得る)」 という自然科学に、そのまま射影しています。

gobo-tetsu
質問者

補足

「公理系は不完全な場合に無矛盾であり得る」は不完全性定理とは何の関係もない無意味な言明です。 不確定性原理と不完全性定理がリンクしているという証拠はどこにもありません。衒学的な言葉を使って無責任なあてずっぽうを言わないでください。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.5

>物理学と数学の関係については、自然現象をうまく説明するための数学モデルを構築するのが物理学の役割であると考えています。 自然科学者にとって、数学とは文法学です。したがって、貴方のこの数学に対する主張は、「歌や詩や小説や文学などが対象とする人間とは何かと言う説明をするための答えの文法学的モデルを構築するたのが、歌人や小説家の役割だと考えいます」とも受け取られかねない表現になっていると思えるのですが、私の誤解でしょうか。

gobo-tetsu
質問者

補足

「構築」という言葉に引っかかったのでしょうか、不用意な言葉使いだったと反省しております。 「数学は意味を持たない。」とするのが現代的解釈です。自然科学者は自然を観察した結果をもとにその性質を抽象し、それに適合する公理系を自由に選べる、というような意味と受け取ってください。

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    ユークリッド幾何学にまつわる不完全性定理的理解について ゲーデルの不完全性定理の対象となる数学は『公理系Nが無矛盾である』が前提です。ユークリッド幾何学は 一階述語論理で表されることが出来る自然数の部分集合であって、ゲーデルの不完全性定理の対象である 公理Nの無矛盾である 論理の対象になってないとなり それ以上のユークリッド幾何学の論理的理解が進みません。そこでゲーデル理解を拡張して『公理系Nが無矛盾ではない』として不完全性定理を理解すると(須田隆良氏、中西章氏など) (1)ゲーデルの第一不完全性定理の解釈==>公理系Nが無矛盾であろうがなかろうが 公理系Nにおいて、「公理系Nにおいて命題は証明可能である。」という命題も、「公理系Nにおいて命題は証明不可能である。」という命題も証明不可能である (2)第2不完全性定理の解釈==>公理系Nが無矛盾であろうがなかろうが その無矛盾性を証明できない となります。これらはゲーデル不完全性対象から外れておりますが、対象外のユークリッド幾何学を理解するには都合がよい と思うのです。 (2)によりユークリッド幾何学の公理の無矛盾性は証明できない。 (1)によりユークリッド幾何学の未定義領域(非ユークリッド幾何学、虚数、無限遠点とか)は 公理系Nにふくまれ 多くの証明できない命題があることになります。もちろん 公理定義内では完全性理論は保証されています。 なぜ このようなユークリッド幾何学に こだわる かと申しますと 世の中の 論理(数学、哲学、論理を用いた論文 など)は ユークリッド幾何学的なものが 圧倒的に多いと思うのです。これら論文は ほとんどは一階述語理論で表され かつ ゲーデル不完全性定理 対象論理ではないのです。それら論文の特に(2)に関わる自己証明は出来ない ということは重要であると思うのです。もちろん 自己証明が出来ないと言って間違いとはなりません が 常に 冷静に謙虚に 主張理論の原点を見直すことに 繋がっていると思うのです。勿論、論理構成が出来ていないシロモノは 論外であります。    以上のように理解しているのですが、ユークリッド幾何学にまつわるゲーデル不完全性定理の場外理解は問題ないでしょうか。諸先生のコメント頂けましたら幸甚です。

  • 自然科学人文科学それぞれの不毛

    先日来、数学の本を読んでおりまして、疑問が起こりました。 自然科学人文科学どちらも不毛だ。 なぜかというと、 自然科学は万人に納得されますね。実に協調的で、かかわる人間間のストレスがない。ところが扱っている対象が、まったく人間的とはいえないものです。いわば自然のワイルドな無味乾燥な世界を理解して満足している(これはもちろん人の感覚で、それに最高のエキサイトを感じることも自由です)こういう分野、人間的でない非生物的な分野でしか、人は全会一致で協調できないのかと。 人文科学は逆です。 それぞれ不毛だ。 これを何とかする考えというのはないものでしょうか。

  • 宇宙科学について聞きたいです

     大学生で宇宙科学の講義で以下の問いについて調べているんですがこの2題だけどうしてもわかりません。誰か教えていただけないでしょうか?お願いします。  1,ニュートンの力学の法則、特に、慣性の保存則、また、万有引力の論理的な帰結として、宇宙が静寂であるとすると宇宙は空間的には無限であり、また、物質分布も一様で無限に広がっていなければならないとする議論を記せ。  2,ビッグ・バン宇宙論の観測的な根拠を3つあげ、その内容について短く解説よ。

  • ニュートン力学での宇宙の現象

    ニュートン力学と相対性理論の違いとかはわかるのですが ニュートン力学の概念を用いた宇宙に関連する現象を説明することが出来ません。 どのような現象があるのでしょうか? 初心者なので分かりやすく説明していただけるとありがたいのですが。

  • ゲーデルの不完全性定理に現れる決定不能命題の数学的具体例を教えてください

    最近、クルト・ゲーデルにはまっている者です、これが、なかなか難しくて困っています、ゲーデルが不完全性定理で表現した「真であるにもかかわらず証明できない」と言われる決定不能命題は、メタ数学を使って、A≡¬Bew(「A」)などなど、これ以外にも色々な表現方法で表されています、  しかし、具体的に、これを数学の中に表すスキルを私はもっていません、京大の林晋先生は、以前、掲示板上で簡単に決定不能な式を簡単にチョコチョコと作って、紹介していましたが・・・、忘れてしまいました(T.T)バカです。    どなたか決定不能な命題を数学上に作り出せるようなスキルが身につく書籍などを知っている方はおられませんでしょうか    それから、いまいち、抽象的で分かりにくい決定不能命題を数学的(メタ数学でなく)に表現した実例を一つでも知っている方はいませんでしょうか、私は数学的知識は大変乏しいのですが、どんな難しい数学的な実例でもかまいませんので、どなたか教えてください、また、どのような文献からその命題を知ったのか教えていただけるとさらにありがたいです。どうかよろしくお願いします。

  • 疑似科学の境界線って?

    疑似科学、トンでも科学といわれるものが 世の中には多々あることは認めています。 支離滅裂な理論や、商売のための胡散臭いデッチ上げ情報なんかも確かに氾濫しています。 私も趣味の範囲で似非科学、トンでも科学批判の本(カール・セーガンの著作など)を読んだりしてますが、最先端物理学の本なども好んで読んでいます。 最先端物理学/宇宙論の理論で注目を集めているのが、 11次元のエネルギーのひもが宇宙をつくるという「超ひも理論」や、宇宙のすべてのものは微細なエネルギーの海「量子真空」でつながっているといった理論や 私たちの世界はすべて、時空を超越したレベルからの投影であるという「ホログラフィック・ユニバース」 等なのですが、これらは、もちろん実験、検証したりできません。 が、これらの理論を唱えている人たちは一流の科学者、天才科学者と称されている人たちなのです。 また、常識を覆すような論文が権威ある論文雑誌「ネイチャー」などにも掲載されているようです。 選考を通ったってことは、それなりに一目おかれているというわけですよね? 常識を覆すような最先端物理学の理論は「疑似科学・トンでも科学」には入らないのでしょうか? それとも「疑似科学・トンでも科学」批判をしている人はニュートン物理学までの知識で科学を語っているのでしょうか? 「疑似科学」の境界線がいま一つわかりません。。 (私は別に似非科学、トンデモ科学を擁護しようと思っているわけではありません。純粋に質問してみたいだけです。)

  • 人類の永遠の謎です。ゲーデル命題

    人類の永遠の謎です。ゲーデル命題 考え事をしていてとうとう聞いてみたいと思いました。 私は高校生で一応クリスチャンなのですが、大分前にゲーデル命題、不完全性定理というものを目にしました。 概要を掻い摘んで見ていたのですが、ふと疑問に思いました。 例えば、神は自然数論を知っている。 だが、自然数論には矛盾が生じている。 こんなものを作った神は全知全能ではない。 よって、人類が思うような神など存在しないと。 なるほど、と思った反面一つ疑問がでてきました。 そもそも、自然数論は人間が作ったもので、神がこれをご存知でいらしても、これの創造主が神であるとは限らない。 矛盾があるならば、その考えの形態は誤りであり、神の存在ないし不在には一切の関係を示すものではないと。 自然数論に矛盾があるために、これを作ったのが神だと決めつけ、全知全能を覆す。 どうなんでしょうか。。。 そもそも、この不完全性定理はもっと複雑で入り組んでいるのでしょうが。。。 誰か私の考えの反例をください。