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不完全性定理を自然科学に敷衍できるか。
数学基礎論の林晋先生の「ゲーデルの謎を解く」という本を読んで疑問に感じていることがあります。 この本の最初に「ホーキングの疑問」と銘打って天才物理学者の下記の疑問をゲーデルの不完全性定理になぞらえています。 「本当に完全な統一理論があるならばそれは人類の行動をも決定するだろう。ということは、統一理論自体が、人類の統一理論探求の行方を決定することになる! だとしたら、どうして、人類が正しい結論にたどり着ける、と決まっているだろう?」 もし、統一理論がニュートン力学と初歩的な電磁気学で構成されていたとしたら、そのような世界では、ニュートン力学を理解できるような知性は生まれえないということでしょうか。 自然科学は暫定的な仮説の総体と言っても良いはず。無矛盾を前提に証明された不完全性定理を自然科学に適用するにはもっと慎重であるべきではないかと思います。 統一理論(というより宇宙)の自己言及性という問題があるとすれば、次のような状況ではないかと考えます。宇宙の全要素の状態を超巨大コンピューターに入力できて、宇宙のすべての状態を把握できるようになる。そうするとコンピューター自身も宇宙の一部ですから、そのデータも自分自身に入れなくてはなりません。 つまり人間の能力は余りにも小さいので、自然科学分野では不完全性定理が障害となるような事態はあり得ないと考えています。 以上のような私の考えに対してサゼスチョンがあれば聞かせていただきたいと思います。 勝手ながら、回答は数学科か哲学科の方か同等の知識のある方にお願いいたします。
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- 来生 自然(@k_jinen)
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http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5527846.html での質疑応答をみていて、ふと、思ったことをつらつら書いておきます。もしかしたら、提示されている疑問点を誤って理解しているかも知れませんが、その節は、ご容赦下さい。。。 === 「ゲーデル・不完全性定理」(岩波文庫、青944-1)の、p.278からの「第0不完全性定理」をお読みになれば分かると思うのですが、たとえばp.280 >>> ・・・無限集合であり、それを「定義」しているのは、「x1は偶数」という条件である。その条件は(中略)Pの式で書くことができる有限的構造である。有限的構造は、基本的には、常に自然数でコードすることができる。現代の計算機がそうしているように、記号や文字にすべてJISコードのような番号をつけておけば、有限的表現は数の列となる。そして、数の列はゲーデル数という工夫をすれば、一つの数で表現できた(中略) 無限集合でありながら、それは自然数によるコーディングを持つのである。 <<< が、ゲーデル不完全性定理での「自然数」概念の基本になります。 まさに、コンピュータ内部への「データ、構造、プログラム」のコード化そのものです。(「ゲーデル・不完全性定理」岩波文庫、青944-1、p.296からp.300) ときどき「自然数を含むような系で、自己参照系(再帰呼び出し)があれば、不完全性定理が・・・」といった記述をしているのを見かけることがあります(私も、その昔、誤って理解していたことがあります)が、そうではなく「論理式がPで証明可能なことと内容的に正しいことは同値であるという条件」を有していて、かつ、「(自然数への)コード化可能な系であれば」というのが正しいでしょう。 このことは、p.283「7.3 集合の代用としての数」にて更に詳しくのべられています。 また、恣意性の問題については、 >>> p.271 論理と数学は、人間の知的活動のうちで、最も形式化を行い易い分野であり、それゆえに、他の分野に先駆けて、形式系やヒルベルト計画のようなものが創られたのであるが、その数学においてさえ、形式化の恣意性や不確定性を逃れることはできない。これは、ゲーデルの定理が教える、もう一つの重要な不完全性であるといえるだろう。 <<< と、述べられています。 まさに冒頭の疑問となった文 >>> 「本当に完全な統一理論があるならばそれは人類の行動をも決定するだろう。ということは、統一理論自体が、人類の統一理論探求の行方を決定することになる! だとしたら、どうして、人類が正しい結論にたどり着ける、と決まっているだろう?」 <<< に関連している考え方になろうかと思われます。 ===おまけ=== ※「CASLIIシミュレータ」というサイトがあり、「機械語へのコードと実行」を実際に行うことができます。 http://www.chiba-fjb.ac.jp/fjb_labo/casl/index.html での「web版シミュレータ」にて、 http://ja.wikipedia.org/wiki/CASL での「ハノイの塔」の >>> OUT MSG,LNG <<< を >>> ; OUT MSG,LNG <<< に変えて、「CASLIIソースプログラム入力欄」にコピペし、「アセンブル&実行」とすると、【再帰呼び出し】を含めた「整数列へのコード化」と「実行」いうものを実際に見ることができます。 上述のように変更した場合、ハノイの塔の円盤「A,B,C」は、「 DISP ST GR1,MSG1 での、右端「(1041)=0041」として記述されており、 0041がA 0042がB 0043がC に相当するコードになります。 (web版ではout命令は使えないようですが、ダウンロードサイトなどからダウンロードした版なら、out命令もつかえるでしょう) ハノイの塔については http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%8E%E3%82%A4%E3%81%AE%E5%A1%94 などを参照してください。
- 来生 自然(@k_jinen)
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No.22への補足(ないしまとめ)をさせていただきます。 私の指摘させていただいた問題点以外にも、多くの問題があるかもしれませんが、まとめておきます。 ご参考になれば幸いです。 1.無限という問題について 物理学的対象の(数学的な)知的理解→実無限なのか可能無限なのかといった「無限という概念」の知的(数学的)取り扱いが不確定性原理と絡んで出てくる。 2.全体を俯瞰可能(神の視点から記述可能)かどうかという問題について 無限概念をどのように取り扱うのか?との関連性については、既に述べていますが、「実無限」をあらかじめ認めてしまって思索するという過程では、暗黙裏に「神の視点」を想定しており、さらにいえば、「数学的実在」を認めようとする立場(すなわち、自然という対象を自己から分離して観察可能という立場)を想定していることになります。 コンピュータ上でのシミュレーションなどでは、「どのような初期条件から、誰が、どこから、スタートさせるのか?」と関連します。 このことは、多体問題と相まって「恣意性」との関連が問題になりますが、非線形性を有する系では、自律的な振動パターンへと落ち着くことが指摘されています。(同期引き込み、ホタルの発光、心筋の同期) 多体問題http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E4%BD%93%E5%95%8F%E9%A1%8C http://www2.math.kyushu-u.ac.jp/~masato/nl/nl-03.html http://plaza.umin.ac.jp/~biosig/no11-2.htm 3.集合という概念の取り扱いについて 人間の心(知・情・意etc)のうち、知に関しては、その多くの「部分」がコンピュータでのシミュレーションと対比可能な領域でしょう。逆説的に言えば、対比可能な部分は、皆が共有しあえるような知的な記述が可能であって、論理的であることでしょう。だからこそ、コンピュータ上に、「データ+構造」(対象)+「アルゴリズム」(操作)といった形でコード化可能になるといえます。 同一レベルで取り扱い可能という概念は、上記「対象」と「操作」とを同一レベルにて取り扱いうるLISP処理系、さらには機械語へのコード化というレベルと同等の概念になるでしょう。まさに、「要素として同一レベルにて取り扱い可能」という集合を想起させます。 だからこそ、同一レベルで取り扱いうると信じうる「知」(というより知的対象)を「無限に拡大」していって、「思索の全て」を包含することを想定しえるのだと思います。そこにおいて、不完全性定理が関与してくることになるのでしょう。 人間が理解可能な(というより、知的に表現可能な)物理学現象は、自ずと知的・数学的表現方法と密接に関与しているため、自身および自身の知的思索を含めた宇宙全体を(一つの系・集合として)表現しようとするとき、不完全性定理も含まれてくることになるでしょう。 しかしながら、「知的表現・知的理解」のみで、人間のこころは成り立っていないことは、誰しも「知っている」のです。 だって、「知・情・意」という概念区分についての「知的な共通認識」を持ちうるのですから。。。
補足
コンピューターは基本的に人間が考えていること以上のことはやってくれません。計算の速さと正確さ、繰り返し処理を倦むことなく素早くやってくれる、それだけのことです。 何を入力して、どういう処理を施せば、どういう形で結果が出力されるはずだ、という明確なアイデアがないとコンピューターは動いてくれません。どれほど強力な言語を使用しても基本は同じことです。 大雑把にものを考えていれば、結果として「知的、幻想的」な出力が自動的に得られるようなものではないはず。自然現象の中の不完全性定理の表出を捉えるためには、不完全性定理がどのようにして導かれたかを良く理解して、不完全性の表出をとりだすアルゴリズムが明確になっていなければならないはずであって、LISPがどうのこうのと言うのは枝葉末節の話だと思います。 私が『「リンゴのゲーデル数化」を読んだ時、あまりよくわかってないなと思いました。』と言ったのは、ゲーデルの不完全性定理を理解していれば、それをコンピューターのコードとして使用する、という発想は浮かばないはず、という(あくまで私の)思い込みがあったからです。 ゲーデル数は、命題を対角線論法のテーブルに整列させるために自然数に対応させ、変数を代入しても必要な算術上の特性を維持して自己言及命題を特定できるよう考案されたものです。それはアイデアだけのもので具体的な数字として扱うべき性質のものではないというのが、これも私の思い込みです。 一応、貴方が私の思いも至らぬアイデアを持っているかもしれないと思い、H2Oをゲーデル数化して見せて下さい、と依頼したわけです。 ちなみに、貴方は「私は一般解説書を読んだレベル‥」と謙遜していますが、岩波文庫の「ゲーデル 不完全性定理」は私は一般解説書とはみなしてはおりません。文庫本として売られているのが、日本の恐ろしいところですが、(大学にもよりますが)数学科の学部生にも荷が重い内容だと思います。
- 来生 自然(@k_jinen)
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>>> 「コード化可能」とありますが、私の頭の中には全然イメージがわきません。「分子同士の相互作用」というような高度なことでなくてもよいです、リンゴに含まれる水分(H2O)の分子1個分の分子式を試しにゲーデル数で表現してみてください。それが難しければ、どのようなコード化の手順の概略でいいです。 たとえば定項記号記号(岩波青944-1「ゲーデル不完全性定理」P.26参照)をどのように定めて、酸素の原子番号はどのように定義するとか、私の頭でイメージできるような説明をしていただけるとありがたいです。 <<< その手順を「どうすればいいのか」ということを含めて「仮想的」にでもいいですので、行っていただければ、問題点は明らかになるのですが。。。 とりあえず、どのような手順を取るにしても、最終的に取らざるを得ない必須の手順、および「そんな方法では、○○の点で、問題が発生する!!」ということを記述しておきます。←本来は、御自身でトレースしていただいて、見抜いていただきたかったところです。 1.コンピュータで処理させるためには、「データ(項目)」と「構造(データの論理的な結合)」と「アルゴリズム(「データ+構造」をどのように処理するかといった手続き・関数)」を入力する必要があります。 たとえば、水1分子が酸素1個と水素2個で構成されているということを、記述するのであれば、 データ:酸素、水素、水素、水素結合 構造:水=水素+(水素結合)+酸素+(水素結合)+水素 などを構造化して入力します。 次に、たとえば、ブラウン運動や、電解といったアルゴリズムを記述することになるでしょう。 電解:水+エネルギー → 水素イオン + 水酸イオン 無論、水素を陽子1個と電子1個といった構造で記述しているなら、水素イオンや水酸イオンを構造化して記述することは、比較的簡単になることでしょうし、電子の軌道ごとのシュレーディンガー方程式等を、各電子の記述部に構造として書き込んでおくことで、化学反応過程を記述することが可能になるでしょう。 2.上述の「データ、構造、アルゴリズム」の全ては、2進数のコードに変換されます。 この過程は、たとえば、 LISP → (中間言語) → 機械語 といった手順になります。 この過程は、通常コンパイラ(LISPの場合は、通常はインタプリタ)という自動翻訳ソフトが機械語レベルにコード化してくれます。 本当なら、自動翻訳に頼らずに、自身の手でコード化すれば、ゲーデル数化との対応は了解可能になるでしょう。私自身は、Z80ニーモニック(および機械語)をコード表を見ながら入力した時代から経験していますが、現在ならCASLなどといった言語系が経験しやすいと思います。 たとえば、(中間言語)をCASLニーモニックレベルだとして、下記参照URLにて、実際のコード化をイメージしていただければ、幸いです。 CASL http://ja.wikipedia.org/wiki/CASL アセンブリ言語 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AA%E8%A8%80%E8%AA%9E 機械語 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%9F%E6%A2%B0%E8%AA%9E http://www.algolab.co.jp/~lum/pcnyumon/hosoku05a.htm さて、問題点ですが、それは、トップダウン的に全ての「データ+構造+アルゴリズム」が、あらかじめ規定可能(=集合論的に全体を定義可能)ということが、最初に求められているということです。 たとえば、水素原子を構成する軌道電子の位置と運動量も「あらかじめ分かっている」ということが前提になります。 このことを前提にしない状態で計算していくのが「第一原理計算」に相当するのですが、そのとき、軌道電子の取り得る位置と運動量に不確定性原理を当てはめなければなりませんが、もし、「時空間が実無限で表しうる」とすれば、「無限大・無限小」という概念をあらかじめ定義しておく必要があります。 ※LISP処理系であれば、計算機の扱いうるデータが基本的に16bitとかであっても、無関係に有効桁数を変化(増加)させることができます。 http://ja.wikipedia.org/wiki/LISP http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E5%80%8D%E9%95%B7%E6%95%B4%E6%95%B0 ※不確定性原理および複雑系は、初期条件や環境因子との関係を含め、周囲との関連性と切り離せないということを意味しており、たとえば 「物質転送機に置ける生死について質問です。」 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5350017.html とも、関連することでしょう。 また、「無限」については、何度か述べていますが、 >>> ビショップたちの方法では、実数のそういう基本的性質を証明することは断念し、そういう性質を持つものが実数だと定義してしまうのである <<< や、数学的直観主義と「個人の精神とは独立した数学的実在を暗に認める立場」などが、トップダウン的に構造を定義すること(すなわち、対象の外部に認識者を想定している)に関連することでしょう。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E5%AD%A6%E7%9A%84%E7%9B%B4%E8%A6%B3%E4%B8%BB%E7%BE%A9
- amaguappa
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10ですが、物理法則と定理を混同しておられるのが気にかかります。 > >定理が条件下につくられる系の内部で証明されるものであること、それ自体は、数学でも物理でも同様であると言うまでもないですから > > この意見には賛同できません。数学の定理と物理法則は明らかに別個のものです。 > 数学の定理は公理から論理的に導かれるもので、物理法則は観測結果を説明するための後付けの仮説です。 わたしは物理法則とは言っていません。定理の話をしています。 公理から導かれたとともに、いかなる条件へ応用できるかが大切だと思います。 定理の明証性は、どのような系に対しても一貫であるというようなことなどありえないと言っているのです。 位置、運動量、エネルギー、時間、速度、圧力、といったエレメントが、どうシミュレートないし測定できるかすら自明ではないですから。 変化をいかにして記述するか、まったく同じ意味で、状態をいかにして記述するか、 定理は、その鍵であると思います。 ベルヌーイの定理 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%81%AE%E5%AE%9A%E7%90%86 回帰定理http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%81%AE%E5%86%8D%E5%B8%B0%E6%80%A7%E5%AE%9A%E7%90%86 ところで、自己言及の問題と考えておられるのは質問者さんでしょうか? それとも著者の林氏が、不完全性定理について「自己言及」の語を出していますでしょうか? もし、自己言及と関連付けられる場合は、ニクラス・ルーマンとかハーバーマスといったシステム論の自己言及問題しかないと思います。 システムの自己言及問題は、このホーキング博士の言葉のようにナイーヴなものではないです。 ホーキング博士の疑問は、 > 統一理論自体の自己言及性 というものを訴えているのではなく、(システムと言って良ければ)システムが人類に何を許すかだけの話です。 おそらく質問者さんは、不完全性定理にも統一理論の限界にも 自己言及性という近似をみとめられているように思うのですが、 著者の林氏は、神のシステムとでも言えそうな絶対整合世界についての人類の理論が成り立つ可能性を、 洒落たつもりの三つのシナリオとして提示したかっただけではないかなと思います。 もしも、「自己言及」的なものだという先入観がなければ、読者にはそのように見えると思いますが、 林氏が自己言及性を扱う文脈の上で、このようにホーキング博士の助けを借りて導入しているのであれば、 著者に罪があると言えるかと思います。 http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~t980020/Husserl/vol.6_2008/Yamaguchi_JP.pdf
お礼
>もし、自己言及と関連付けられる場合は、ニクラス・ルーマンとかハーバーマスといったシステム論の自己言及問題しかないと思います。 「しかないか」どうかは今の私には判断できませんが、相互主観性の問題には興味がありますので、ご指摘の論文はじっくり検討させていただきます。有難うございました。
補足
>わたしは物理法則とは言っていません。定理の話をしています。 >公理から導かれたとともに、いかなる条件へ応用できるかが大切だと思います。 失礼しました。仰る通りだと思います。 不完全性定理はひとつの公理系の完全性を対象とする理論であります。その公理系はすべて公理から演繹される定理によって形成されるソリッドな理論体系です。 物理学はまず自然観察から始まります。自然の特徴を抽出したものが法則となります。法則が妥当なものであれば定理も展開されます。自然現象はいろんな切り口がありますから、様々な理論が生まれます。研究が深まればそれぞれの理論の問題領域も広がり、理論間の交差部分も広がり、絶えず調整しながら物理学全体の内部矛盾を抱えないようにします。しかしながら、問題はこれらが有限回の観察によって築きあげられたものであり、修正と調整の作業は永遠に続きます。暫定的な法則群にとって重要なのは自然現象に背反したことを云っていない いまだに未知の領域が無尽蔵に残っている状態で、自然科学において不完全性定理を云々するのは人間のうぬぼれ、というのが私の主張であります。 最近は不確定性原理を自然科学における不完全性定理の現れであるかのように言う人もいます。何の根拠もなしに、こういうことを言う人が出てきたので警鐘をならしたいと言うつもりで、この場をお借りしたような次第です。 >ところで、自己言及の問題と考えておられるのは質問者さんでしょうか? 私です。自然科学で不完全性定理が表出してくるとしたら自己言及の問題でしかあり得ないというのが私の立場です。そのことの確認もこのカテを立ち上げたもう一つの理由です。 言われてみれば、ホーキング博士の言葉については原典を調べないで引用したのは林氏、ホーキング氏の双方に失礼なことでした。楽して表現をはしょって、自分の都合のよい議論を展開してもらう、というのは虫がよすぎたかもしれません。本来ならば新たに質問を立ち上げなおすべきところかもしれませんが、情報収集のためもう少し閉じないでおこうと思います。
- 来生 自然(@k_jinen)
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>>> まぁ、いずれにしても、仮想的なコンピュータ(数学の世界)と実際のコンピュータ(自然現象の世界)との差は、人為的なミスや、エネルギー問題や、部品の故障などなど、様々な要因が絡んでくるので、話がややこしくなるのですが・・・ <<< 実際的な問題として「統一理論と同等概念相当」である「第一原理」をコンピュータ上で実行させる場合に、様々な問題が足かせになっているようです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%8E%9F%E7%90%86%E8%A8%88%E7%AE%97 そこにおいても「恣意性」の問題は絡んでくるようです。 第一原理バンド計算 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%8E%9F%E7%90%86%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%89%E8%A8%88%E7%AE%97 第一原理 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%8E%9F%E7%90%86 >>> 現実の第一原理バンド計算では、ゴーストバンドの問題や、基底関数の展開数の収束依存性、擬ポテンシャルにおけるトランスフェラビリティーの問題、局所密度近似の関数形の選択による結果への影響の差など、“恣意的”な調整と取られかねない部分が少なからず存在する。 <<< 非経験的分子軌道法 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E7%B5%8C%E9%A8%93%E7%9A%84%E5%88%86%E5%AD%90%E8%BB%8C%E9%81%93%E6%B3%95 カー・パリネロ法 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%8E%9F%E7%90%86%E5%88%86%E5%AD%90%E5%8B%95%E5%8A%9B%E5%AD%A6%E6%B3%95 したがって、現行得得られている知識を数学的な裏打ちのあるコンピュータシミュレーションとして実行させようとした場合、たかが「リンゴ一つ」ですら、(数学的に)正確に記述することは現状不可能(困難)ということになるでしょう。 そういったレベルで、「自由意志や恣意性」の問題を扱いうるとは到底不可能な訳です。 したがって、自己参照系(操作主体を含めるような系)を含むような物理学的現象を統一的に扱うことができたとしても、そうして、そこでゲーデルの不完全性定理が問題になるような項目が含まれていようとも、ゲーデル自体が可能性を残した「自由意志・恣意性」という問題は、「それらの外側」にあるように思われるかも知れないということです。。。
補足
前回の回答と合わせて何度か繰り返し読ませていただきましたが、お話の趣旨が良く理解できません。ご提示していただいた資料も片手間に読んですぐ理解するだけの能力もありませんので、パスさせていただきます。
- 来生 自然(@k_jinen)
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>>> 「数学と物理との対応が必要」 コンピューター上で、物理の世界の不完全性定理を証明しようというのでしょうか。物理現象の何をコード化しどのように処理しようというのでしょうか。そのシナリオがなければ絵に描いた餅と思います。物理法則と数学の定理は全然違います。 <<< 疑問とされておられる「ゲーデル不完全性定理と自然科学との関係」を同一土俵で扱いうるのは、まさにコンピュータの世界だからです。 だからこそ、「仮説として」数学と物理とを対応させることを行い、その範囲内で、ゲーデルの不完全性定理が影響しているのかどうかを考えてみればいいのでは? とご指摘しただけのことです。 「人間が理解可能な物理法則」は数学的に記述可能な(だからこそ、論理的に理解可能な)表現となっています。 ※統一理論があるにせよ、ないにせよ、自然法則を人間の知覚というフィルターを通して見たときに、論理的・無矛盾に記述したモノを「人間が理解可能な物理法則」としています。 すなわち、 冒頭で述べておられる「暫定的な仮説の総体」=(人間・人為・宇宙全体を含む)全体」の部分を帰納的に捉えて論理的・無矛盾に、一つの可能性として暫定的に記述している物理学法則 です。 その(暫定的な)物理法則は(たとえば「リンゴ」の分子構造とそれら分子同士の相互作用を)コード化可能であるため、コンピュータ上に載せることができます。 その大部分は、ゲーデルの不完全性定理に引っかかることなく、一階の述語論理内部で記述可能です。 現行のコンピュータシミュレーションと称するものが、まさに、そういった事柄を表しています。 で、ゲーデルの不完全性定理が関与するであろう事項は、LISP処理系で表現可能な自己参照系で表現されます。そこにおいて、問題となるのは、実無限という概念の取り扱いです。 たとえば、実無限を「恣意的にあり」として取り扱う場合 >>> ビショップたちの方法では、実数のそういう基本的性質を証明することは断念し、そういう性質を持つものが実数だと定義してしまうのである <<< などですが、離散的な値しか扱い得ないコンピュータが、連続関数の微積分自身を数式のまま処理することが可能になります。(LISP処理系での数式処理、たとえばMathematicaなどでの処理) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E5%BC%8F%E5%87%A6%E7%90%86%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0 さらに、おっしゃるようにコンピュータは自然界の内部にあります。 上述の範疇(たとえば、閉じた集合として扱いうる「リンゴ」)では、ゲーデルの不完全性定理はでてきません。 しかしながら、「関数自身を関数のデータとして扱いうる」LISP処理系であるなら、操作主への自己参照系も記述可能であるため、「リンゴという集合体を記述する操作主」という記述も可能になってきます。 このレベルへと話を進めたかったのですが、途中で途切れてしまいました。 で、その次の段階として、操作主としての「自由意志・恣意性」を自己参照系として「機械的に」組み込んでいるのか・いないのか。というレベルへと話を進めたかったところなのですが、とりあえず、示唆しておけば、後ほど参考になるかも知れないと、途中に書き込んでおきました。 このことは >>> データをコード化した後どのように処理する、というシナリオがなければ何の意味もありません。 <<< と密接に関連します。(コンピュータが作動開始するには、プログラムを記述し初期条件を与え「実行」というボタンを押すという「自由意志・恣意的」操作が必要です。) まぁ、いずれにしても、仮想的なコンピュータ(数学の世界)と実際のコンピュータ(自然現象の世界)との差は、人為的なミスや、エネルギー問題や、部品の故障などなど、様々な要因が絡んでくるので、話がややこしくなるのですが・・・
補足
>その(暫定的な)物理法則は(たとえば「リンゴ」の分子構造とそれら分子同士の相互作用を)コード化可能であるため、コンピュータ上に載せることができます。 「コード化可能」とありますが、私の頭の中には全然イメージがわきません。「分子同士の相互作用」というような高度なことでなくてもよいです、リンゴに含まれる水分(H2O)の分子1個分の分子式を試しにゲーデル数で表現してみてください。それが難しければ、どのようなコード化の手順の概略でいいです。 たとえば定項記号記号(岩波青944-1「ゲーデル不完全性定理」P.26参照)をどのように定めて、酸素の原子番号はどのように定義するとか、私の頭でイメージできるような説明をしていただけるとありがたいです。
- 来生 自然(@k_jinen)
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jinen No.2,3,7,9,13,14,17です >>>No.13お礼欄 k_jinenさんの最初の投稿で「リンゴのゲーデル数化」を読んだ時、あまりよくわかってないなと思いました。できれば一般向け解説書を読んだだけの人ではなくて、専門家のご意見を聞きたかったのです。(ちなみに私は一般解説書レベルです。) <<< 私は一般解説書を読んだレベルですので、「一般人」として「アドバイス」として書き込みをさせていただいております。 でも、コンピュータプログラミングにおいては、工学部でのLISPの講義を聴講させていただき、プログラミングも経験し、(1階の述語論理に基づく)Prologのプログラミングも経験しております。そういったレベルでの、完全性定理と不完全性定理の区別もついているつもりです。 「リンゴ」を引き合いに出したのは、ご質問から以下のような手順にて話を進めようとしたからです。 1.仮説として、数学と物理との対応が必要 2.であれば、ゲーデルの不完全性定理にて用いられている数学的形式系に、物理学的事象としてのひとつの集合を、ゲーデル数化した例をだすのが適切。 このことは、「ゲーデル・不完全性定理」(岩波文庫、青944-1)の、p.278から記述されている「第0不完全性定理」の条件(※)に相当します。厳密にはタルスキ意味論という概念になるそうですが、p.280にあるように、対象(たとえばリンゴ)が有限的構造であるならば、コンピュータ内部での文字コード表現と同等の扱いがなされうるということと等価だということです。このことは、p.300にも「機械的」の意味として記述されています。 LISP処理系については既に引用しておきましたので、よろしければじっくりと勉強してください。おそらく数学基礎論系での論理関係が十分認識可能であるならば、ラムダ算法http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%83%80%E8%A8%88%E7%AE%97とか、再帰的関数といった概念、チューリングマシンとの対比については、すぐに分かることと存じます。 3.リンゴを有限的構造と見なすのか、それとも、無限分割可能とみなすのかで、集合としての取り扱い方が大きく異なります。このあたりを指摘したつもりでしたが、上手く伝わらなかったようです。 無限の概念は、従来、ε-δ論法で処理されてきたようですが、超準解析の世界では、無限を無限のまま(すなわち実無限をそのまま)取り扱っているようです。 >>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%85%E6%BA%96%E8%A7%A3%E6%9E%90 超実数(ちょうじっすう)は実数を拡張した数概念である。実数体に無限小・無限大を加えたものは体をなし、超実数体と呼ばれる。超実数体は *R, R* などと表記される。その元を超実数という。ただし、無限小や無限大は 1 点ではなく、たとえばある無限小について、それより小さい無限小、大きい無限小が存在する。無限大に対しても同様。また、一つの超実数の周りには、それと無限に近い超実数が無数に存在する。 超実数は数学的に厳密に構成することができる。 <<<
補足
「数学と物理との対応が必要」 コンピューター上で、物理の世界の不完全性定理を証明しようというのでしょうか。物理現象の何をコード化しどのように処理しようというのでしょうか。そのシナリオがなければ絵に描いた餅と思います。物理法則と数学の定理は全然違います。 コンピューターはおそらく「リンゴを投げれば放物線を描いて地面に落ちる。」という結果を出すだけのことではないでしょうか。 コンピューターをやったことがあれば、ゲーデル数化は電算処理に不都合であることはすぐわかるはずと思いました。データをコード化した後どのように処理する、というシナリオがなければ何の意味もありません。 もし、この世界が決定論的な統一理論に支配されていて、単位となる粒子があったと仮定して、各粒子の位置と運動量すべての状態をコンピューターに入力して世界中のすべての未来を把握する、という事態になったら、そのコンピューター自身も監視の対象になりますから、そこで自己言及性というものが浮き上がってくるのではないかと思うのです。つまり、世界は世界自身を語ることはできないのです。
- 来生 自然(@k_jinen)
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No.2,3,7,9,13,14です ご希望に添うような形で回答することが、あまりできなかったようで申し訳ございません。 ゲーデル関係の書物が引越の後の段ボール箱内部に眠ってしまっており、一冊だけ見つけ出しました。 林氏の「ゲーデル・不完全性定理」(岩波文庫、青944-1)ですが、お読みになられましたでしょうか? 前半の72ページが「ゲーデル不完全性定理」そのものの翻訳なのですが、林氏の内容の濃い解説が、その4倍程度のページに渡って記述されています。そのうち、興味深い解説がp.250以降、とくにp.265以降にあります。 関連しそうな一部を引用しておきます。 >>> 不完全性定理をめぐる歴史解説の最後に、比較的最近の数学基礎論的展開について触れておきたい。最近の展開を知っておくことは、いわゆるポストモダン系の議論に多い、ゲーデルの定理を「根拠」とする素朴な相対主義的・限界論的結論の解毒剤としても有効である。 (中略)1967年、ビショップは、排中律、非可術的集合、ブラウワーの原理のいずれも使わない、通常の数学的推論方法の一部分だけで解析学の非常に大きな部分を再構築してみせた。(中略)これらの論理のポイントは数学概念の定義にあった。非可術的集合論や排中律は、数学の証明で常に必要なのではない。これらの理論が明らかにしたのは、非可術的定義や排中律などの「問題のある」原理は、少なくとも20世紀初頭までの数学に限れば、滅多に使われることはなく、無限算術化における実数などの基礎概念の定義と、その基本性質を示す部分などの、比較的限定された場所、ワイルの言葉を借りれば「数学の辺境」に集中しているという事実であった。 そのために、無限算術化を原型のまま、可術的集合論や排中律のない数学で実行しようとすると、基本的性質の部分、つまり最初でつまづく。最初だけにその印象は強い。しかし、そういう部分は、基礎として重要ではあるが、多くの数学者が数学の本質とは見なさない部分なのである。(中略)ビショップたちの方法では、実数のそういう基本的性質を証明することは断念し、そういう性質を持つものが実数だと定義してしまうのである。(中略)アプリオリな保証はない。しかし、ビショップたちは、それが本当に実行可能であることを実際にやってみせたのである。(中略)ビショップの構成的数学が直感的な概念の定義、つまり、広い意味での形式化の方法を変更して成功を収めたという事実は、非形式的概念の形式化自体に「恣意性」あるいは「不確定性」があることを物語っている。(後略) <<< ※排中律:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%92%E4%B8%AD%E5%BE%8B さらに面白い解説が続くのですが、ご質問内容に関連して私が提示させていただいた無限(実数概念)に関連するであろう部分だけを抜き出しました。 また、この部分の記述は、量子力学的な不可思議な領域を理解せずとも、マクロ系での世界について(比較的)精度高く理論を当てはめることができるということと相同的であり、興味深いところでもあります。 No.14では、お答えいただき、ありがとうございました。私の立場は現時点では「二元論を追い求め続ける一元論者」ということにしております。 勝手なことばかり書き立ててしまいましたが、ご参考になれば、幸いです。
補足
ご指摘の本は読んだことがあります。もっとも証明そのものは良く理解できませんでした。まえがきにフィールズ賞の小平先生も「不完全性定理を理解できたのかどうか自信がない。」とのことが書かれていたので、妙にホットしたことを覚えています。 解説の方も割と手加減なしに書かれているので、一気に理解することはできず、ときどき読み直しています。
- cyototu
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#15です。そこに誤植がありました。一番下のところは、#10ではなく、#11でした。そこのアラビアの王子様の話を参考にして下さい。
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
この質問はもっと一般的に数学と自然科学との関係を問うている質問と解釈致しました。私は、論理の展開としての論述を試みるよりも、現象論的に、自然科学とはどんな物かを独断と偏見に基づいて述べることによって、その数学との関係の参考になるかもしれないことを試みてみます。 自然科学と言っても、私は物理屋なので、その色眼鏡で見た自然科学だと考えて下さい。物理屋に取って論理的な整合性はそれが在った方が好ましいに違いがありませんが、それよりももっと重要なことは、実験や観測によってその論述の白黒の決着が付けられるかと言うことです。その決着を付けるにも、論理的な整合性が必要ではないかと言う方もいるかもしれませんが、私の経験では、どうも自然科学者達は、論理が未完であっても、白黒が付けられることがあると考えているようです。そのことについて、何とか説明を試みてみます。 私がまだ若い頃に私の指導教官から、物理学の第一級の仕事とは、宇宙の普遍定数(真空中の光速c、プランク定数h、等)を見つけ出すことだ、と聞かされました。その定数の存在、及びその値を同定することが、即ち、我々の埋め込まれた宇宙の個性を同定することに等しいからだ、というのが根拠でした。その後、私はノーベル賞を戴いた重要な寄与をした方に、この私の指導教官の意見を紹介して、その意見を聞きました。その方は、この意見はまだ、その心髄を突いてはいない、とおっしゃいました。その方に言わせると、物理学の第一級の仕事とは、この宇宙では何が出来ないかを明確な形で指摘することにあるのだ。その立場から言うと、光速cが何故重要かと言うと、この宇宙では光速よりも速くは知れる物がないと言うことを主張しているからなのだ。プランク定数も、この宇宙には作用変数に下限が在り、したがって、作用変数は連続的には変化できないから重要なのだ。同じ様に熱力学の第2法則も、時間を後に戻すことができないことを主張しているから重要なのだ。自然科学とは、「何が出来るか」を問う学問ではなく、「何が出来ないのか」を問うことによって、この宇宙の個性を同定しようと言う学問なのだ。 ところが我々の頭脳は、この宇宙の特殊性に拘束されることなく、この宇宙になんら無関係なことをも含めて、遥かに自由に論理的な整合性を思考できる。したがって、ついつい、この可能性もある、あの可能性もあると話を一般化して考える傾向があり、そのことから、まだ分かっていないが、いつかこんなことも出来るかもしれい、あんなことができるかもしれないと、まさに、「何が出来るか」に興味を抱く傾向がある。それに対して、我々の埋め込まれている宇宙は、その無限にある論理的整合性の可能性の大海の中の、ある一つだけを実現しているのであり、したがって、我々の埋め込まれているこの宇宙を研究対象にする自然科学は、一般化の営みとは正反対な特殊化が本質なわけです。 そして、この「何が出来ないか」を確認するという視点は、いきなり実験や観測と関わって来る。事実、その問いはそれが実験や観測によってのみ確認できることですから。したがって、自然科学にとっては、その確認の方法を具体的に提案しない限り、如何に論理的に無矛盾な主張をしても、相手にされません。論理的な無矛盾性は、単に、「何が出来る可能性があるか」を言っているだけであり、「何が出来ない」とは言っていないからです。この、「何が出来ないか」を確認するためにの最終的な方法が、実験や観測なのです。そのことに関して、論理の整合性は補助的な役割しか演じません。 例えば、アインシュタインに先立つ100年以上も前に、化学者達によって分子仮説が提唱され、化学反応の具体的な現象を、その仮説から出発して論理的に整合した説明が幾らでも成されておりました。また、それに刺激されて、物理でも、数学を駆使して気体分子運動論が提案されておりました。ところが、一方では、物質の連続体仮説に基づく流体力学も数学的整合性を骨子にして発達しておりました。果たして、気体や液体は分子から出来ているのか、それとも連続体からで来ているのか。そのことに関して、アインシュタインのブラウン運動の理論が出てくるまでは、どんなに化学で分子の概念が当たり前に使われていても、物理学者の多くは分子の概念を受け入れるのに躊躇しておりました。何故なら、分子を見たことがある人間が一人もいなかったからです。ところが、今から約百年前に出されたアインシュタインのブラウン運動の理論は、もし、液体が連続体で出来ていたら「起こり得ない」現象を予言しました。この、否定的な主張は、自然科学に取っては決定的に重要だったのです。何故なら、この「何が起こり得ないか」を明示したので、それを実験で確認できるようになったのです。このアインシュタインの予言は実験的に確認され、物理学者達は、化学者に遅れること100年以上も経って、やっと、分子の概念を文句なく受け入れました。ここで重要なことは、アインシュタインの使った論理構造に、論理学的に見て未だに不完全なことがあろうがなかろうが、それに無関係に、この実験に基づいたアインシュタインによる「液体の連続体仮説の否定」を覆すことは出来ないと言うことです。 この例は、ほんの一例で、量子力学の歴史を紐解くと、この「何が出来ないか」の発見が幾つでも見付かります。自然科学はこの宇宙では、これが出来ない、あれが出来ないと一つずつ確認しながら、この宇宙の個性を探ろうとしている学問であり、それとは反対に、こんな論理的な可能性もあるだの、あんな論理的な可能性もあると言う、論理的な可能性の枠を広げたり、その枠の全体の限界を論じたりする事には、なんら興味のない知的営みなのだとの、独断と偏見を私は持っております。 その辺りを弁えていないと、例えば、フォンノイマンに始まる量子力学的世界に関する「観測の理論」のように、主に数学屋さん達によって、論理的にはあの可能性がある、この可能性もあるというばかりで、果たしてどのようにすれば、フォンノイマンの観測の理論なり、それを改良してた理論なりの可否が実験的に確認できるのかと言う問題には触れずに、したがって、フォンノイマン以降80年経っても未だに物理学者達を納得させることができないようなことになってしまっている例のようになってしまいます。勿論、その問題を何とか実験に結び付けようと本気で考えている物理学屋さんがいっぱい居ることも承知で、こんな無駄口を叩いていはいるのですが。 そんな偏見を持った私から見ると、 >実際の物理空間においては、最小の距離単位が存在する可能性も否定しきれないと私は考えています。 は、まるで自然科学者的な言明ではないように思えます。もしこの考えを、自然科学に興味を持っている素人の考え以上の言明にしたいなら、その最小の距離単位を測定する方法についての建設的な提案が必要だと思います。 実無限か可能無限かと言う、私には聞き慣れない言葉に関しても、自然科学者なら、その言葉による論理の整合性もさることながら、それではその違いをどういう現象に結び付け付ことによって実験で確認できるのか、と言うことにこだわると思います。 もう一つ、数学者と自然科学者との役割に付いて、私が超関数や変分法などで著名な業績を上げたロシアの大数学者ゲルファントから直接聞いた話を、 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4967451.html の「数学とは何ですか?」の質問に対する回答の#10のとことろで紹介してあります。そこの、アラビアの王子様の話です。その話によると、数学によって得られた枠組みの中で物理学が語られるのではなくて、その反対に物理学の見付けて来たことに枠組みを作ってあげるのが数学の役割であると言う、ゲルファントの独断と偏見が良く分かります。そのことは、「不完全性定理」を考える上でも参考になると思いますので、参照して下さい。
お礼
専門家の吉様なご意見有難うございます。
補足
>ところが我々の頭脳は、この宇宙の特殊性に拘束されることなく、この宇宙になんら無関係なことをも含めて、遥かに自由に論理的な整合性を思考できる。 全くその通りだと思います。自然科学は、まず観察が最初にあるわけですね。その結果に則して公理系を選んで数学モデルを構成して法則を作り予測を立てる、と言ったことになろうかと思います。 しかし、有限回の観測を満足させる公理系というのは大概十全なものとはいえず、近似的な公理系の中で我々は思考せざるを得ないのだと思います。私は、この文脈の中で「最小の距離単位」の話を持ち出したつもりです。 ユークリッド幾何学は我々の日常的な空間を説明するには完ぺきな公理系です。今でこそ「数学はそれ自体では無意味である。」という考え方が主流ですが、かつてユークリッド幾何学は真理そのものと位置づけされていました。それは、縮小すれば銀河系をも俯瞰できるし、拡大すればバクテリアの世界にも対応できます。まさに我々の空間感と一致しています。 極大から極小までの世界観に対応できるユークリッド幾何学は、人類の強力な武器ではありましたが、問題はあります。 それは、伸縮自在性を確保するために「連続」と「無限」を持たせていることです。それで私たちは無意識のうちに、「宇宙は無限」「極小の世界はいくらでも分割はできる。」という風に思いこんでいます。 いつの間にか、数学的理念であるユークリッド幾何学を現実の宇宙空間に当てはめているのです。 その思い込みに対して「体験以上の議論は無意味である」と、はじめて警鐘を鳴らしたのがカントです。いわゆるアンチノミー論ですね。 カントの言う「体験」は物理学的観測ということでしょう。宇宙の果てを決定するのも、極小単位あるいは空間の連続性を決定するのも物理学者がその役割を担っていると考えています。 それから、「最小の距離単位を測定する方法についての建設的な提案」は私には荷が重すぎます。私は素人以上の何者でもありません。今年になって失業して、あまりに暇なので哲学を勉強し始めたばかりのアマチュア哲学者です。 ただ、分解能の限界が理論的に裏づけされるようなことがあれば、それは最小の距離単位であると言えるのではないかと考えているのです。
補足
例の件については、ユークリッド幾何学について最初は自然数論を含むと考えていたわけです。原論の定義には、「直線には長さがある。」とあるのですが、長さの単位を定義しているものが見当たらないわけです。走行して調べていくうちに、 http://pauli.isc.chubu.ac.jp/~fuchino/nagoya/logic-ss05-last-lecture.pdf というのを見つけて、初等ユークリッド幾何は完全という感触を持つに至りました。数論の一部である実数体の完全性を前提としていますが、不完全性定理適用範囲であれば「完全性」はありえないはずなので、今は不完全性定理の「適用外」であるとほぼ確信しています。 ---------- 有限列の文字列なら一意的にゲーデル数化は可能なのは当たり前のことで、なぜここでそんな話をされるのが合点がいきません。 >コンピュータ内部への「データ、構造、プログラム」のコード化そのものです。 形式的な証明をプログラムになぞらえて言っているだけのことです。それもシンプルな形式論理の上で対角上に自己言及命題が存在することを理論的に実証できるということが分かっているからできることです。いかにゲーデル数化の論理が簡単だからと言って、「たかだか可算個」のゲーデル数を実際に整列させることはゲーデルにも不可能です。第2列の第2番目にどのような命題が出現するか予言することさえできないでしょう。 さらに、自然現象の何をゲーデル数化さえ明確ではありません。試しに、「H2O」という記号をゲーデル数化してみて下さい。ちなみに基本記号をどのように定めるのでしょうか? ゲーデルは7個の基本記号から再帰的な手法で自然数やその他の概念を作り出していますが、原子番号はどのように作り出しますか? 失礼ながら、「ハノイの塔」のようなちゃちな再帰ロジックでははっきり言って使い物にはなりません。(ちなみに私は汎用機のアセンブラーを20年以上実務でやりました。) 水の分子式一つ定義するのも大変ですね。実際の論理式はもっと大変です。「この式は証明できる。」に相当する言明は一体どのようなものなのですか? それさえ明確でないのに、何をコンピューター化するというのでしょうか。 H2Oのゲーデル数を示していただきたいと思います。それ以外のコンピューター化の話はもう結構です。