• 締切済み

精神論には原因がない…

人を責める時、最終的に精神論を言うのが一般的ですが、そもそも、 気合いが入らなかったり、怠けてしまう原因は、どこにあるのでしょうか? しっかりしなさいとか、努力しなさいとか、甘いとか、馬鹿だとか、色々な言い方がありますが、 テレビでも会社でも学校でも、人を注意する時、深く突き詰めて話しているのかと思えば、 話を総合してみると、いつも精神論で終わっていると気付きました。 遺伝子の違いによるものとか、後天的な外的環境によるものとか、 現代では解明されていない病気や障害によるものとか、どこかに原因があると思います。 今はまだ答えの出ない、生命とは何か、心とは何か、という事も解かなければいけない、そんな気もしますが、 科学が信じられている一方で、原因と結果の無い精神論が、社会の常識となっているのはムズ痒いです。

みんなの回答

回答No.11

怠けとか甘えというのは、人の言う事を真摯に受け止めない事だと思います。 怠けや甘えに罪悪感があれば、努力する振りくらいはする。

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noname#121701
noname#121701
回答No.10

>物が豊かな環境でも気合いのある人というのはいると思うので、 >そこはやはり宗教とか哲学なのでしょうか、信じるとか、信頼とか いろんな角度から言えますので話しをかってに一つに絞ります。 午前9時より仕事を始め気がついたら翌朝の午前5時だった。 仕事の内容は講演する時に使うレジメ作り。 文章がかってに浮かび自分はただひたすらキーボードをうち、打ち終わって印刷してホッチキスでとめて、ああ終わったと思ったら午前5時。 その間何の苦痛もなく文章を考えるもせず、ただ頭に浮かぶ文章をキーボードでうつだけ。 私の良くあるパターンです。 気合いを入れて文章を書いたことはありません。 いい文章を書こうなどと意識したこともありません。 ただ経験と知識の結果のテキストファイルが頭の中をスクロールし、それをキーボードでうつだけです。 これを「三昧境」と呼ぶのかもしれません。 おおかたの芸術家や小説家はこうして作品を残されたと思います。 誰でもそこまでに行けるわけでなくそれ相応の努力と経験を必要としますが、自分に適したものであればその努力自体が苦にならずやっていけるようです。 これは私の個人的経験なので人様のことは知りません。 アニマル浜口氏が、気合いだ気合いだと絶叫しますが格闘技のように対人関係ですと気合いはいるようですが、一人でする仕事の場合は自分の得意分野であれば気合いは必要なく無理せず自然と出来るものです。 マッサージでつぼに入るという言葉を使いますか、人生のつぼを押さえるそういう状況になると思います。 ですから私は夢や希望を持ちません。 夢や希望はとかく自分の無いものねだりとなり、本来の自分を否定してしまうからです。 自由という言葉は、東洋的に読むと「自ずから由し」となります。 自由に生き、老子の言う「無為自然」といことでしょうか。 無為とは、「為さざるを為す」 自然とは、「自ら然り」と東洋的には読みます。 この状態を身体的に表現しますと丹田に気が集中しています。 あなたの質問とかけ離れましたが、私の経験ですのでご参考までに。

sansigo
質問者

お礼

感覚的には分かります。誰でも一度くらいは経験する事じゃないでしょうか。 無心というか、考えていなかったと感じるのに、物事が進んでいく。 無為というのがしっくり来ました。 何かを見付け様とするより、何も見付け様としない姿勢が身になる様な… 現代に於いて、一つのアプローチとして消えつつある、至りに難い気がします。 ここに至るのが努力ではなく、この状態が努力と呼ばれるんじゃないかと思います。 自分に適したものであれば、この状態は起きやすいという点で、 先ほどの29歳の方のように、人生に詰まった時ほど、止まるな、とにかく動けみたいに言いますが、そんな感じで至るんでしょうね。

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noname#121701
noname#121701
回答No.9

mk1946です。 気合い、私は「気功」を20年毎日続けてます。 ですから、気と丹田との関連で気合いについて書いてみたかのですが、話しが飛びすぎるので辞めました。 怠け、何かに依存して怠けている、酒に依存すればアル中、仕事に依存すれば仕事中毒、怠けと仕事中毒が同じキーワードになる場合もあるんですね。 これも話しが飛びすぎるのでやめました。 あなたの知らない、深層心理、東洋的身体論、東洋的心身一如、学校で教えてもらわないことが沢山あるのですが、あなたの常識である常識に批判しようとしている。 気合い、怠け、それだれで東京都立図書館のデータベースを閲覧してみてください。 ものすごく本がありますよ。 それをかたっぱしから読んでまた質問してください。

sansigo
質問者

お礼

それが本を読む習慣の無い家庭で育てられたからか、本を全然読まないのです。いけませんよね… 読んでみようとは思いますが続いたためしがありません…この原因も気になるところです。 気功も宗教、哲学のような、心のより所とか信じるとか言ったところに通ずるものがありますね。 前に歴史上の人物、成功者、人生に落胆している人、時代も境遇も全く違う人の話の どれを見聞きしても、同じものを求めていると気付いた時がありました。 人間は生まれながらに、なぜか私を「私」と認識出来ていて、後から私とは何かと言う事を追い求めるのが凄く不思議でした。 言葉で短く言うには難しいですが、人生は自分探しで、他人さえも自分だと思うのです。 「他人」とは外の事物に思えますが、結局は脳が他人と認識していて、脳の中に他人を見ているだけなので、全て自分の中にある物だなと思います。 宗教(全く詳しくないですが)の神仏がどこにいるのかなと思ったり、供え物がどうも神仏に供えているように見えなくて疑問でしたが、 結局は自分を俯瞰している自分に手を合わせていて、その対象を神仏と言うんだなと何と無く解釈しています。

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  • potachie
  • ベストアンサー率31% (1065/3387)
回答No.8

ご質問者さんの知識の背景が分からないので、分かる書き方が出来るかちょっと自身がありませんが。 > 精神論には因果関係はあるのかが聞きたかったのですが、どっちなんでしょう? まず、最初に、「科学」は、方法論として、原因と結果を重視しますが、そのおおもとは、経験による知識に行き着きます。ご質問者さんは、科学の方法論の内のひとつを科学と言いきっている気がします。 科学の論法すべてに因果関係があると思われているなら、それは誤りで、科学のおおもとは経験による知識です。 ご質問の中で例で挙げられているものも、基本的には、その人個人に起因する経験に基づくその人なりの解釈ではないでしょうか?  疫学や統計学も科学であるように、原因が分からない結果を推論するのも科学のひとつです。 因果関係がない、というのは、ご質問者さんが理解できるように説明をしていない、ということに過ぎないのかもしれませんよ。ご自身が精神論と呼ばれている論法自身も、 > 現代では解明されていない病気や障害によるものとか、どこかに原因がある ことの対処法として対応をしようとしているのかもしれません。 > 科学が信じられている一方で、原因と結果の無い精神論が、社会の常識となっているのはムズ痒いです。 西洋医学 と 漢方医学 を一度、調べてみると、悩みの解決につながるかもしれません。 もし、ご質問者さんが学生さんなら、弁証法以外にも原因と結果を把握する方法があるということは、知っていると役立つと思いますよ。 それと、「真理」への道筋は、科学的なアプローチだけでなく、いろいろとあります。だから、世の中には科学以外の学問もあるわけです。

sansigo
質問者

お礼

そうですね、初めはズレて言い切っていました。 返答する内に、ムズ痒さが何なのか少し気付いて違っていたと思いました。 因果関係がないのではなく、使いこなせていないのが現状かなという感じです。 アプローチが足りないのか、届いていないと思います。 有り難う御座いました。

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noname#121701
noname#121701
回答No.7

>なぜ質問者が友人の状態をいけないと思ったかが聞きたいところです。 39歳で自暴自棄、ハローワークに本人が自主的に行かれるのは何時だろうか、ハローワークで資格もなく就職が出来るのだろうか。 もう少し新聞を読まれて現在の日本の状況について把握する必要があります。 45歳すぎたら殆ど求職情報はありません。 39歳のまま、いつまで自暴自棄が許されるのか想像してみてください。 自暴自棄はあなたの言う怠けの究極の姿です。 あなたの言われる、原因と結果の無い精神論、これを加味して思索して適切なアドバイスを考えてみてください。 こうした質問に対して親身になって投稿を重ねていくことであなたの思考も整理され思索も深まります。 積極このサイトに出会ったのですから、質問する側でなく回答する側になり何度も挑戦してみてください。 あなたはどこのサイトから質問しているかわかりません。 私はOKWaveの関心キーワードをigoogleのガジェツトに追加して質問をキャッチしてます。 ですのでブラウザGoogle Chromeです。

sansigo
質問者

お礼

29年間とあるので、29歳ですね。 就職に関しては年齢が高くなると難しいと思いますが、質問者さんは就職して欲しいのもあると思いますが、 それ以前に立ち直って欲しいと言う事だと思ったので、39歳でも何歳でも、現状のままで良いと認めてあげるのが良い思いました。 就職させたいにしても、就職させようする事は無いと思います。 質問では社会的要因が引き金で自暴自棄になったように思います。 そこでさらに社会が自暴自棄を許さないと言う事になれば、 社会にとっても友人に取っても悪循環しか待っていない気がしますが、 社会というのは巨大なものなので、難しいですよね。 でもそこに「~しよう」とか助言して解決出来るかと言えば、そうでもなくて、 どちらも不確かさは同じで変わらないと思います。 精神論を加味するなら、本能を呼び覚ます事でしょうか、その友人に1日でも絶食を薦めます。 そして、その状態で日常に連れ出してみます。音楽を聴くとか食事など。

sansigo
質問者

補足

単純に気になったのですが、 >どこのサイトから質問しているかわかりません。 というのはどういうことでしょうか? OKWaveから質問していますが、そういう事ではないですか?

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noname#121701
noname#121701
回答No.6

ていねいな補足及びお礼の言葉ありがとうございます。 「理外の理」についての思索が未だなされいてないという感じをしました。 あなたの文章を読み何の問題を思索し、何に疑問を持ち、何を主張したのか分かりません。 気合いが入らず怠けるということが現在の日本では「死」につながらないてために、ニートもたいした問題になっておりません。 これは世界を見て希な地域で1日1ドル以下で生活している人が世界の半分をしめているそうです。 これらの地域にいる人は怠けることが死につながるためあなたの質問は出ないでしょう。 一方日本では物が満たされた故に、生き甲斐や虚しさが論点となっております。 これまたあなたの言われる原因と結果の無い精神論の分野です。 質問及び補足ともに漠然としてますので私は投稿をやめます。 尚いっそうの勉学と思索と体験を積み重ねてください。 生き方の原因と結果というとらえ方で参考になるかと思い、次の文章をコピーします。ご自分でゆっくりと思索してください。 アウシュビッツで生を維持させた人間 第二次大戦の勝利者である連合軍は、あの過酷なアウシュビッツの環境で最後まで生を維持させた人間の特性に興味を抱き調査団を組織した。 その報告が正確であるならば、生命の維持力と身体的な強靭さの間には何の関係も見出せなかった。 そして生命を最後まで維持させた人々の特性は次の3種類に分類された。 第1の分類には、過酷な環境にあっても「愛」を実践した人々が属した。アウシュビッツの全員が飢えに苦しんでいる環境で、自分の乏しい食料を病人のために与えることを躊躇しないような人類愛に生きた人々が最後まで生存した。 第2の分類には、絶望的な環境にあっても「美」を意識できた人々が属した。鉄格子の窓から見る若葉の芽生えや、軒を伝わる雨だれや、落葉の動きなどを美しいと感じる心を残していた人々が最後まで生存した。 第3の分類には「夢」を捨てない人々が属した。戦争が終結したならばベルリンの目抜き通りにベーカリーを再開してドイツで一番に旨いパンを売ってやろう、この収容所を出られたならばカーネギーホールの舞台でショパンを演奏して観客の拍手を浴びたい、などの夢を抱くことができた人々が最後まで生存した。

sansigo
質問者

お礼

有り難う御座いました。 本当に漠然としていますよね。すみません。 途中で止めるのも勿体無いのでこのまま書いてみます。 問題というと精神についてでしょうか。明確な答えに欠けるなと思うからです。 アウシュビッツの例でも良いのですが、愛・美・夢を保てた事で生存出来たと言って、 他人が参考にして実践して、同様になれるものでも無いですし、なぜそんな違いが出るのかと思います。そこには何かある筈だと気になったのです。 確かに精神にお金とか物の豊かさによる、生死は、大きく関わっていると思いますが、両立しないものなんでしょうか。 物が豊かな環境でも気合いのある人というのはいると思うので、そこはやはり宗教とか哲学なのでしょうか、信じるとか、信頼とか、 人が何かに打ち込んで、盲目的にさせる要因…現代に必要なものはそこにありそうです。

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noname#121701
noname#121701
回答No.5

追記 http://okwave.jp/qa5481285.html この質問にあなたなりのアドバイスを書いてみてください。

sansigo
質問者

お礼

>お前もやればできるってとこを世間に見せてやれ! 少しずつでいいから頑張って行こうぜ! 質問者が書いておられるこれが、私が先ほど言った何もならない精神論だと思います。 >・みんな都合の良いことしか言わない。 とありますし、やはり押し付けになってしまうと思います。 難しいですし、私としては、状態の推測でしかないですが、 ストレスが溜まっていると思うので、状態緩和の可能性を話して、精神科に連れて行くか、 そもそも救ったり、アドバイスする必要はあるのかとも思うので、友人はそのまま突き詰めれば良いのではないでしょうか。 つまり質問者は、そのままで何がダメなのかと(口には出さずに)、 友人を認めてあげる姿勢で良いと思いますし、今のまま付き合っていけば良いと思います。 受け答えは出来ているようなので、今まで通り、遊びに誘うとか、その位のアプローチで問題ないと思います。 なぜ質問者が友人の状態をいけないと思ったかが聞きたいところです。

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noname#121701
noname#121701
回答No.4

専門家で無いため思いつくままに書きます。 >気合いが入らなかったり、怠けてしまう原因 まずは脳神経の障害の調べるのが第一ですね。 長年の鬱病と言っても脳神経の障害による誤診というのがあります。 脳神経に障害に無い場合は、その人の親の教育方針に影響されている場合が多いようです。 子供は親の背中を見て育つと言われてますように、親がなんら人生の努力をせず親の遺産で遊んで暮らしていたのを幼少期より見て育った場合は、人生に努力するという基本的な生き方をしつけられていません。 生まれ持った気質による場合が多々あります。 鬱病の場合は鬱気質を持った人がかなりいますのでこれは完治しません。 育った環境による常識による場合がかなりあります。 戦争が終わり日本が疲弊のどん底にあった時に育ては、気合いがなく怠けていれば餓死しかありませんでした。 その状況の中から脱出するのはひたすらの努力です。 世の中高度経済成長社会に入ってヒットした漫画に巨人の星がありますが、あれはスポーツ根性物語で私もあのテーマソングが好きです。 同様水前寺清子の365日のテーマや坂本九の上を向いて歩こうも好きです。 かように気力をもって生きるというのは社会的風潮に影響されている場合がほとんどです。 今は消費経済社会にはいり仕事で汗を流すという考え方から人生を楽しむということにシフトし、物余りから気合いが入らず虚しさを訴える人が多くなりました。 バイトでも生活出来てしまい、親の高齢化によりニートも可能となりました。 気合いが入らなかったり、怠けてしまう原因は複雑で、一つの原因で成り立っておりません。 仮にカウセリングで自分の問題がある過去の事件によると判明された場合も、それが判明されてことにより治癒されると限りません。 いつまでもその過去に執着して一向に治らない場合や、自分の今ある姿の原因を他人に転嫁し他人に責任追及することばかしやり自分の生き方を修正する努力をしない人も多々あります。 精神状態を科学的に解明するという考え方は正しく合理的に見えますが誤れば原因を自分の外に見つけるという落とし穴に入ってしまうものです。 従って気合いが入らない怠けてしまうというのは、自分への気づきを深め自分で解決していくしかないのですが、他人としてはしっかりしなさいとか努力しなさいとか言った形でしか激励のしようがありません。 あなたの返信を読んでますと、○×回答に毒され思索でなく正解を求めているようです。完全に戦後教育の弊害におかされているものと推測します。 あなたの受けている学校教育にまず疑問を持ってください。 あなたの考え方自身が社会的常識に影響されすぎています。 以上の点を含めてまず補足説明の欄にあなたの意見を詳細に書くことを求めます。 そしてお礼の欄で私への反論を詳細にわたり書いてください。 他人の意見を聞くのでなく自分の主張を開示してその考えを世に問う姿勢が大切です。

sansigo
質問者

お礼

後で気付きました… 反論をここに書いて欲しいとの事ですが、まとめてしまいました。 追記という事で書きます。 スポーツ根性物語や上を向いて歩こうなどについて考えてみたのですが、何がムズ痒いの少し分かりました。 今更な話になってしまいますが、精神論の使いよう、物の言い方と言うか、使う時代、使い所の問題だと思いました。 アニメにあわせたり、音楽にあわせる事は、表現者として自分を見せる事になると思います。 それが言葉だけになってしまうと、言葉の限界なのか分かりませんが、人生の押し付けになってしまう。そこが違うように感じました。 社会的風潮に影響されている場合が殆どと言う事ですが、私もそう思います。 つまり外的環境(社会)と精神論は相対関係にあって、 社会に伴わない、合わせない精神論は何にもならないのだと思います。 社会が変化したのならば、精神論も使い方を思索する事が大切だと思いました。

sansigo
質問者

補足

脳神経の障害、親の教育方針、生まれ持った気質、育った環境、消費経済社会という社会構造・・・ 私もそういった所に原因があると思います。 自己解決するしか無いというのは、現在においては、まだ外部からの治療が難しいからだと思いますし、 無理矢理なこじつけで原因を外に置く事については落とし穴だと思います。 しかし、原因を外部に見つける事は大切だと思います。 なぜかというと私としては、人間は自然の一部で「自己」というものも外的環境無しには作られないと思うからです。 つまり、何と無く「私」と認識しているだけで、そもそも「自己」というものは無いと思います。 脳の仕組みも社会構造も、未解明な事の方が多いですし、 最近やっと、気分や心の問題は、障害や病とか体内時計などと関わっている事がわかってきて、 自己解決だけだったものが、薬で脳内分泌物質のバランスを手助け出来る様になってきました。 私としては、この先も解明が進んで、精神論では無いと言う流れが強くなると考えています。 戦後教育の弊害というのは、漠然としてよく分からないのですが、○×を付けてしまう事ですか? ○×とされている物、つまり科学を疑えと言う事でしょうか? 理解出来ず、すみません、世に問う姿勢になってないのでしょうか? もう少しお願いします。

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  • potachie
  • ベストアンサー率31% (1065/3387)
回答No.3

ものごとのアプローチには、演繹的なやり方と帰納的なやり方があります。 科学でもこの点は同様です。で、ご質問でいう精神論というのも、単なる帰納的なアプローチを否定しようとしているようにみえるので、ご意見自身が「科学的でない」気がします。 帰納的な方法は、起きた事象を収集して、その事象が起きる理由は何かを知る方法ですが、科学の基本はあくまでもこちらにあります。実験や観測は、仮説を確認するという側面と、新規の事実を収集するという面があります。 ご質問者さんの精神論で語る人というのは、その人にとっては、帰納的に集めた経験での推論を語っているのでは? 演繹的な方法は、科学の土台は築けません。なにしろ、1+1がなぜ2になるかを説明できない(原理の説明をしない)からですね。 もし、完璧な数学者がいたとして、すべての事象に原因と結果を求めないとむずがゆくなる人がいたとしたら、その人は精神の世界・哲学にも傾倒していくと思いますよ。なにしろ、その人にとっては、数学も科学もずいぶんとむずがゆい世界に写るでしょうから。

sansigo
質問者

お礼

間違っていたらすみません、演繹的、帰納的という言葉に馴染みが無いんですが、 科学も精神論も帰納的な方法で、精神論も科学的と言う事でしょうか? 精神論には因果関係はあるのかが聞きたかったのですが、どっちなんでしょう? 精神論で語る人にはあると言う事ですか? よく分かってないです…

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noname#111034
noname#111034
回答No.2

>精神論が、社会の常識 いまいち,「そうかな?」と思います。 むかしは「怠けている」と片づけられていたものが,いまは「病気」とみなされ,少なくとも教育機関(学校)ではまるで「腫れ物にさわるように」扱われるようになってきたと感じています。

sansigo
質問者

お礼

lalulalunさんへのお礼と重なりますが、その通りだと思います。 一方で常識、もう一方で常識ではなくなっていますよね。 素人意見としてですが、最近は、生物学や素粒子物理学など、 様々な学問で追求した事が、皆、哲学的な真理に近寄ってきている様に思います。 心とはと言う事に何らかの答えが出る日も近いのではないでしょうか。

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