- ベストアンサー
量子論やバタフライ効果が行き渡った現代社会。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
なんだか、学問を勘違いして関係ない方向に適用している人の典型ですね。 >量子論とバタフライ効果=運命や未来が産まれながら決まっているという考え自体が馬鹿らしいとなった理由はなんですか いつそういうことになったのか(そもそも誰がそういうことを決めたのか)、データを出してもらいたいですね。 量子論の不確定性原理を勝手にマクロスケールにもってきて、人間の生き方やら運命やらにあてはめようとした人達が昔はいたそうですが。 ミクロスケールの物理現象を説明するための理論を適用範囲外に勝手に使うと、おかしなことになりますね。
その他の回答 (1)
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
バタフライ効果は、因果律=決定論を前提とし、量子論は 不確定性原理=そうした決定論の限界を示したものです。 存在が、認識とは無関係に外なる環境に独立した物である という決定論が否定され、二重スリット実験で明らかと なったように、1個の電子が2つのスリットを同時に通る =存在の本質は確率的である以上、バタフライ効果は仮想 的である。
関連するQ&A
- 量子力学の後に何を勉強したらよいのか分かりません。
量子力学を一通り学んだ後、何を読んだら良いのか分かりません。 正規の教育課程にある者ではなく、独学で現代物理学を学びたいと思っているのですが、場の量子論、ゲージ場、素粒子論、標準理論、統一理論、超ひも理論、などと、きりが無く、それらがどういう関係にあるのかも分かりませんし、何をどういった順番で学んでいけばよいのでしょうか。 応用面にはあまり興味は無く、理論を一通り知りたいと思っている素人です。 量子力学のときもスピンが出てきたあたりから1ページ進むのにかなり時間がかかった大馬鹿者です。 具体的な書名を挙げて、どういった順番で学んでいったらよいか、御教示頂ければ有り難いです。 また、必要な数学書についても教えて頂きたいです。 漠然とした質問ですいません。
- ベストアンサー
- 物理学
- 情報化の現代社会へ与える影響
情報・通信技術の発展の現状と未来、それらの社会に及ぼす影響と役割について教えて下さい。又、現代社会を70年代以降とし、70・80・90年代といった各年代毎の特徴とともに説明してください。(参考になる本があれば教えて下さい。)
- 締切済み
- その他(社会問題・時事)
- 時間の量子化はされているのでしょうか?
現代物理学において、時間の量子化はされているのでしょうか? wikipediaより、 量子化・・・量子化(りょうしか、Quantization)とは、ある物理量が量子の整数倍になること、あるいは整数倍にする処理のこと。 量子・・・量子(りょうし、quantum)は、1900年にマックス・プランクが発見・提唱した物理量の最小単位。 ということは・・・ 量子化とは、最小単位を見つけ、それで物理量を表記すること。 空間においては、プランク長さという、最小の長さの単位がありますが、時間においては、最小の時間の単位があると聞いたことがありません。 wikipediaのプランク単位を見ると、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E5%8D%98%E4%BD%8D%E7%B3%BB プランク時間、というものがあるのですが、これは時間にも最小の単位があるということでよいのでしょうか? またこのページにはプランク質量というのも載っているのですが、質量にも、最小の質量の単位があるということでよいのでしょうか? また、ここには、プランク重力というものはないようですが、これが定義できたら、重力の量子化ができて、相対論と量子論がうまく一つの式で扱えるということなのでしょうか?(そう単純ではないでしょうが・・・) なんとなくのイメージですが、時間が量子化されているとしたら、 原点(現在)を中心にして、時間軸の過去と未来にまたがるように時間量子?が分布している感じがします。原子核の周りの電子雲みたいに。 といっても、そんなものは聞いたこともないので、はたしてどうなのかと思い質問させていただきました。 よろしくお願いいたします。
- ベストアンサー
- 物理学
- 宇宙論の現代科学における位置付け
宇宙論の現代物理学における位置付けってどうなっているんでしょう? 法則というのは、全称条件法命題で表され、条件と一体となって予測ができます。普通の現代物理学の営みは、実験による経験事実から新しい基本法則を見つけたり、基本法則どうしの関係を探ったりすることと、既知の法則と事実を用いて、予測(これは広い意味の予測であり、未来に起こることを予知することに限らない)し、個々の物質や現象に対する理論を構築することの2つに大きく分けられると思います。前者は19世紀から20世紀にかけて大きな発展を遂げました。後者は現在、より広く研究されています。 宇宙論という科学の営みは、基本法則と観測から、宇宙の姿を知ろうとすることなのでしょうか、また、宇宙の構造自体が基本法則にも影響を及ぼすという考えを受け入れるのでしょうか?どうも僕には、この2つのことが矛盾するように思えて仕方がありません。このような疑問が生じるのは、僕が宇宙論という学問をあまりよく知らないからなのですが、このような疑問に対するアイディアをください。あと、科学哲学でこのようなことを研究している人を教えていただきとうございます。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 相対性理論、量子論など摩訶不思議な理論
あけましておめでとうございます。 私は学校の授業の内容はほとんど覚えていないのですが、 この正月休みに「相対性理論」と「量子論」の素人向けの入門本を買って読んでみたところ、未来に行けるとか重ね合わせとかパラレルワールドとか、 最近の物理学ではこんな近未来的なことになっていたのかとあまりのSF的な内容に驚愕しました。 そこで、学問に目覚めたというわけではないですが、 疑問に思ったのが「他にも相対性理論のような、現実なのににわかには信じられないすごい理論とか学問というのはあるのだろうか」ということです。 ○○理論でなくても「うわー、最新の研究はこんなレベルになってたのか! まるで映画の中じゃん!」と驚くような、そういう研究などがあったら、現代に生きる者としてぜひ知ってみたいのです。 生物の進化とか脳科学とか心理学とか、特に分野は問いません。おもしろければなんでもいいという感じです。 もしなにかおすすめのものがありましたら、ご紹介いただけないでしょうか? できれば、ひとことで構いませんのでその概要も教えてくださると嬉しいです! どうぞみなさまよろしくお願いいたします!
- ベストアンサー
- 物理学
- 量子力学のイメージを簡単に言うと?
量子力学を簡単に説明していただけますか。 博学の皆さん個人のイメージで結構です。 科学雑誌「New***」でノーベル賞の特集を やっていましたが、やっぱり量子力学をわかっていないと 現代の科学を十分には理解できないなあという感想です。 (一応、理系の大学を出て物理・電磁気とか勉強したつもりですが) この質問・回答で皆さんの意見を自由に出して議論していただければ、 もしかすると、これを機会に、参加者の中から 未来のアインシュタイン・ノーベル賞受賞者が出たりして。
- ベストアンサー
- 物理学
- 量子論に《本質・絶対・無》といった概念はなじむか?
または 量子論は ふつうの存在論を形成しうるか? つぎにかかげる質疑応答をそのまま問いとします。 質問として成立すると思うのですが 対話の行方をめぐって第三者の視点をほどこし結論へとみちびいていただきたい。というのが 趣旨です。 主題は デカルトのコギトをめぐってですが 《思考(ないし認識)と存在》といったかたちになるかと思います。 ◆ ~~~~~~~~~~~~~~~~ 量子論的に有限的存在性は、観察される事で派生する。 不確定性原理からして、本質的に確定しない事で、 絶対化による無限不確定への発散を回避し、現象表面 (仮想)的に有限的存在性を生じる。 観察者を排除した外的に独立した存在性は在り得ない。 本質的に無であるとは分からない(あやまつ)事が 有なのだ。 無(不確定性無限)の潜在としての認識可能性を含む、 現象表面的な仮説(=自我仮説(記憶(過去)=時間の流れ) と空間仮説(予測(未来)=空間の広がり)の相補分化) 『何かあるかも知れない』という疑問(われ思う)として の時空的広がりに対する、『本当は無いんだけどね』とい う無の射影(四次元ミンコフスキー空間における相殺面) としての量子(感受表面~超弦)。 ☆☆ ~~~~~~~~~~~~~~~~ ご回答をありがとうございます。 ◆ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 量子論的に有限的存在性は、観察される事で派生する。 不確定性原理からして、本質的に確定しない事で、 絶対化による無限不確定への発散を回避し、現象表面 (仮想)的に有限的存在性を生じる。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆(1) 《量子論的に》と《本質的に》というふたつの概念は 両立しますか? (2) また同じく 《絶対化》とは何か? おそらくこの概念も 上記の《量子論》と両立しがたいのでは? (3) 《有限的存在性》は すでにヒトとしてわたしがわたしであるとさとったわたしが その或る種の生物であることの存在をそのまま言い当てた言葉です。何が言いたいかと言えば そのような《わたし――人間――存在》といった自己到来の地点が 出発点に成る。ということです。そのあと 量子論といった世界認識にもおよぶ。こういう順序ではないのですか? (4) ですからたとえば: ◆ 現象表面(仮想)的に有限的存在性を生じる。 ☆ と認識するのは 何ですか? 誰がですか? (5) その認識の主体(つまりその科学行為)は どこから発生(または派生?)したのですか? 量子の世界より先ですか 後ですか? または 同時ですか? (6) 《不確定性原理》は 言わばこの・いま見て来ている《わたしなる存在》の中におさまっているもの(こと)ではないのですか? (7) さらに畳み掛けるようにですが: ◆ 量子論的に有限的存在性は、観察される事で派生する。 ☆ と認識するのは 誰ですか? あるいは そう言うよりは そもそもその《観察》という行為をおこなうのは 誰ですか? この観察の主体が 《本質や不確定性原理や》よりも先行しているのではないですか? つまり《わたし》です。 ◆ 観察者を排除した外的に独立した存在性は在り得ない。 ☆ (8) なるほど。《わたし》を観察者として立てていることは 分かりました。けれども だからと言って その《観察行為をおこなうわたし》の内と外ってどう規定するのですか? (9) 先ほどは わたしの内に原理がおさまるというようなことを言いました(6)が それはその原理が外には及ばないとは言っていないのですし また内におさまるというのは わたしより先にそして別のものとして原理が運動しているとは見ないほうがよいと言うためでした。 ◆ 本質的に無であるとは分からない(あやまつ)事が有なのだ。 ☆ (10) これは 分かるようで分からない命題ですね。 それは まづ《本質的に》と言うのが 何を言っているのか定まりません。 (11) 《本質的に無である》 これも定まりません。 (12) おそらく もし先ほどからの《わたしなる存在》について言えば それは――生身のからだで生きるのは 限りある時間であり 心(精神)までも移ろいゆくものだと分かっているのですが そのものの源泉であるかのような《生命》を取り出すなら(類は或る意味で永続していますから) この生命は―― 《有であるか無であるかが分からない。分かるか分からないかが 人間には分からない》といった内容を言っているかに思えます。――これとの対比では どういうことが言えるか? ぜひお聞きしたい。 ◆ 『本当は無いんだけどね』という無の射影(四次元ミンコフスキー空間における相殺面)としての量子(感受表面~超弦)。 ☆(13) これは推測ですよね? 《射影》がです。 (14) もしそうではなく経験事象として確定しているのなら それはその《無》が どういう内容のものかをさらに説明しなければならないでしょう。《無》と言っているけれど それは経験事象であるとも言ったことになっています。そのことを説明しなければ話は始まりません。 (15) もしこの《無》も 《無であるかどうか分からない。分かるか分からないかが 人間には分からない》というのであれば それは 経験事象ではありません。《非知》です。――というように議論をはこぶのが ふつうの経験合理性だと考えられます。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 現代日本社会における公民館の必要性
公民館を盛り上げたい・有効利用できないか?と考え、 公民館活動や歴史、生涯学習、地域づくりetc・・・勉強してきました。 しかし、知れば知るほど現代日本社会における公民館の必要性がわからなくなりました。 その昔、公民館に人がにぎわっていた時代とは何もかも変わってきているので 再び公民館中心の地域づくりをし直す必要があるのか甚だ疑問です。 公民館関係者は、「なんで公民館に来ないの?」と思っている。 ←→ 「なんで公民館に行かなきゃいけないの?」と考えている市民が多い (というか、災害時の避難場所程度としか認識されていない)。 【アンケート】 現代日本社会において、公民館は必要と考えますか?不要と考えますか? そう思う理由も教えてください。 【参考になりそうなサイト】 公民館論と公民館不要論の論理的つながり http://www.nuedu-db.on.arena.ne.jp/pdf/044/44-007.pdf
- 締切済み
- アンケート
- もし、現代社会人の能力を点数化するとしたら?
三国志や戦国時代のシュミレーションゲームの世界等では、人(武将、キャラクター)の能力は数値化されています。もし現代の一般社会人に当てはめると、どんなパラメーターが考えられますか? ゲームによくある戦闘力などは現代人では非常時でない限り必要も無い能力だし、学生ならともかく知能等も社会人では実際には判別不能です。 この人は「出来る人だ」「この人は素晴らしい人だ」「あの人はダメな人だ」等の判別をするためのパロメーターとは何でしょうか? 男女の性別、年齢を問わず、現代日本の一般的な社会人に当てはめると、どんなパロメーターで数字化するのが、なんとなくしっくりくると思いますか? (最大5種以内くらいで、それぞれ理由も教えてください)
- 締切済み
- その他(生活・暮らし)