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人が感じるスティグマや分離・排除の感覚について

harrywithersの回答

回答No.5

こんばんは ご質問の解釈が違っていたらすいません。 要するに、「他人への同情のや憐れみの感情はどのようの芽生えたか」ということでしょうか、 もしも、前提が違っていたら、この回答は無視してください。 近頃、進化心理学などという分野があります。 これは、人類の進化の過程で役に立った為に、感情や心理が発達したと考えます。 まあ、思考実験のようなものですが、以下は私の推論ですが・・・ 同情や憐みの感情は、元々は優越感との表裏一体の感情で、 元々は相手の劣位と自分の優位を確認したときに生まれた感情です。 狩猟採取時代には、狩仲間の中での自分の地位は獲物の配分の大小・・・ ひいては家族の食事や飢える順番に関わる重大事でした、 そして群れのリーダーが、他のメンバーへの優越感だけを持ち 自分より劣位の他のメンバーへのいたわり(同情や憐み)を示さないリーダーと 他のメンバーへ同情と憐みを示し、実際に戦いの場でも、 弱者を擁護するリーダーでは、後者の集団の生き残る確率が高かっただろう思われます。 このような過程を経て、最初は機能的な働きをしていた感情は、 次第に普遍化し、常に命を懸けて戦う必要性の無くなった現在では、 人の人間らしさや優しさを示す指標となっていったものと思われます。 大きく考えると、この感情が現代でも人類の生存に役立っていると考えられますが 勿論、個人の経験、性格により、その感覚の大きさには相当な差が出来てしまいますが、 基本的には、誰もが持っている共通の感情になっていったものと思われます。 また、脳内のミラーニューロンがこれらの共感性を司ることが近年の 脳科学の進歩によって知られて来ました。相手を見ることでこの細胞が活動し、 他人の障害や自分との異差を感じ取り、相手に感情移入します。 そして、感情移入の程度(同情の深さ)はその脳内回路の使用頻度に相関すると考えられます。  基本的にはミラーニューロンは相手のしぐさ等を真似をし、学習する為の細胞ですが、  私たちの、姿勢やしぐさが(逆に)感情を発火させることも知られています。   「怒るから拳を上げるのではなく、拳を振上げるから怒りが増す」や   「口角を上げて(笑い顔で)、怒ることができない」とか   「空を見上げて(顔を上げて)、落ち込むことができない」など   姿勢と感情が緩やかな関連性をもつことも確かです。

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