• 締切済み

良心を捨てる事は出来るのでしょうか?

26の男です。 人間はある視点から見ると、 全ては、自分の為に行動していると思えます。 例えば、愛しているといって、行動しても 自分が愛している人の為に、 自分が行動したいから行動します。 上記のような思考をしやすい人間が居て、 (私です) 1億のシステムを動かす為に、 誰か死ぬか、病気になるかもしれないと分かっていても、 彼に働くよう命令します。 または、詐欺と分かっている価格で商品を売りつけます。 良心が痛む人間は、 痛まないようにする方法があるんでしょうか? 責任は自分に無いと思えば良いのでしょうか? そんな事はどうでもよくなって、慣れるのでしょうか? 法と規則と論理は頭が理解し、必要に従って守れば良く、 心で感じる必要は無く 痛みを感じなくする方法はあるのでしょうか? この責任と真っ向から勝負して、 痛みに屈しないでしょうか? なぜなら、何も感じない人が居るからです。 彼らと競争しなければならない為です。 年配の人生の経験のある、男性の方のお答えをお待ちしてます。

みんなの回答

  • kyhr1688
  • ベストアンサー率20% (100/489)
回答No.7

久しぶりに面白い質問なので、答えさせてください。 まず、誰かが私の娘の命を不条理な形で奪ったとします。 私はその相手の命を奪うことに良心の呵責を一切感じないでしょう。 もちろん社会的に私の行為は許されることではありませんが、間違いなく私の良心は痛みません。 しかし、一億のシステムの件や詐欺まがいの件については、良心は痛むでしょうね。 仕事と言うのは、自分や家族の生活のためにあるものですが、間違ったことで稼いだ金で子供を育てたくないという点においても、私の良心は痛むでしょう。 その差は何かと言うと、人間というのは「良心」というものを持つスタンスを「法」の上で置いているのではなく、「自分の大切なもの」の上に置いているからでしょうね。 詐欺等を行うものにとっては、最も大切なものが「金」であるだけで、そこに良心の呵責は存在しないのです。 質問者さん場合、「今の仕事で他人と競うこと」とか、もしくはその仕事自身が自分にとっての最も大切なものではないのではないでしょうか? もし、質問者さんが仕事において他者に勝ち、自分の能力を周囲に示したいということが、その「大切なもの」であるのなら、まず「仕事」を選ぶことでしょうね。 そして今の仕事を最も大切なものとするのなら、もう今の時点で向いていないと、私は感じます。

apple1999
質問者

お礼

そうですね。 確かに、 >人間というのは「良心」というものを持つスタンスを「法」の上で置いているのではなく、「自分の大切なもの」の上に置いているからでしょうね。 そう思います。 仕事を、 生きる為、金の為や、他人と競って勝つ事や、家族や家庭を養う為など あらゆる理由で割り切れるかで、 何が自身にとって最も価値のあるものであるかで、 良心が痛むかどうかは変化するものなのかもしれません。 人はおそらく最初に理想を求め、そして妥協していくからです。 人は理想などの、自身自身で価値のあると感じるものを妥協する事によって、良心を捨てる事が出来るのかもしれません。 確かに私は今の価値観では、 今の職種に対して、向いていないのかもしれません(笑

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  • mirakuxo
  • ベストアンサー率29% (23/78)
回答No.6

詐欺は法と規則に背くと思います。 また、誰かが死ぬか病気になると知りつつ放置する事も法と規則に背きます。 >良心が痛む人間は、痛まないようにする方法があるんでしょうか? 人間を相手にしていると思わなければ、痛むような事はありません。 >責任は自分に無いと思えば良いのでしょうか? 責任はあります。 >そんな事はどうでもよくなって、慣れるのでしょうか? 慣れる人もいるでしょうね。 一億のシステムを何の為に動かすのか。法と規則に反しないのか。 他人と競争する必要があるのか。 良心を捨ててまで得たいものがあるのか。 考え詰めれば答えが見えるかもしれませんね。 ではでは、失礼いたしました。

apple1999
質問者

お礼

現実的な意見ありがとうございます。

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  • TT142GTTR
  • ベストアンサー率30% (40/133)
回答No.5

No3です 考え過ぎなんじゃなく、考える方向に無理があると思います。 良心を売って金や評価を得る仕事が、幸せになる為の最善の手段か? と問うたんですよ。 >奇麗事だけで仕事は出来ません。 これこそ奇麗事というか、よくある言い訳ですね。 ”仕事”がではなく、今やらされてる業務に奇麗事は”都合が悪い”だけだよね。 人の役に立っているという自負なくして成立する仕事なんて、どうせこの世からなくなっても誰も困りません。 それがどんなに立派だと言われる大企業だろうが、圧倒的な知名度の商品だろうが、誰もが受けているサービスだろうが、提供する側が本当に良心を殺さねば存続しないものならば、消えてなくなるべきだし、必ずそうなる。 男が仕事として取り組むならば、他の皆がそうでなくとも、自分だけは人の役に立っていると自信を持ってやれ。 自分の仕事の先に人の笑顔が見えないような業務を仕事と呼んで甘んじるな。

apple1999
質問者

お礼

そうですね。 仕事とは、与えられるモノでは無く。 仕事とは、先に沢山の人の笑顔が見えるべきものであり。 自分だけは人の役に立っていると自信を持て 自分の仕事の先に人の笑顔が見えないような業務を仕事と呼んで甘んじるな 忘れないようにします。 ありがとうございます。

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  • kametaru
  • ベストアンサー率14% (339/2313)
回答No.4

ANo2です。 >奇麗事だけでは仕事は出来ません。 仰る通りです。 でもはじめから汚れて仕事しようなんて思っていない。 その痛み耐えられず痛みを捨てようとするものは不快に沈むだけだ。

apple1999
質問者

補足

犠牲や止む無い事に対して、せねて感じる痛みから逃げるな 己に勝ち、あいつは人間としては最低だと思う人間にも勝ち続けろという事でしょうか?

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  • TT142GTTR
  • ベストアンサー率30% (40/133)
回答No.3

色々な要素があって悩みが深いようにも思いますが、極めて単純で簡単な話です。 Q何のために良心を無くしたいのですか?  Aこれは、仕事を継続する上で辛いからですね Qじゃあ何のためにその仕事をするのですか?  A他の仕事も簡単にないからって感じですかね Qそもそも何のために働くんですか?  Aお金がないと生きて行けないからですかね Qなぜお金がないと生きていけないですかね? この辺から答え難くなるかも知れませんが、なるべく具体的に答え続けなければいけません。 出てくる答えに全て何故?何のために?と問いかけ続けると、いつか答えられなくなったり、質問が出なくなったりしますね。 例えば 「自分は何のために生きているのか?」 という問いが自分から出て、答えられない時もあるかも知れません。 でもそれは 「自分はどういう人間になりたいか?」という意味に捉えて考えれば良いと思います。 始めからこの問いに答えを求めてはいけません。 この問いに辿り着く過程で考え方を整理することに意味があるのですから。 でも大体どう?人間は誰でも幸せになりたいんじゃない? 38歳男

apple1999
質問者

お礼

考えすぎて、結論や答えを先に求めすぎる所があるのかもしれません。 ゆっくり進めるべき事なのかもしれないですね。

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  • kametaru
  • ベストアンサー率14% (339/2313)
回答No.2

「?」が多用されていますが、いったいどれに回答すれば良いのでしょうか。 悪魔のような質問で良心のかけらも垣間見えません。 ちなみにオヤジです。

apple1999
質問者

補足

奇麗事だけでは仕事は出来ません。 そして奇麗事を実現できる力が無ければ、そんな痛みなど捨てたいのです。

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noname#121524
noname#121524
回答No.1

40代、男性です。 少し漠然とした意見になりますが‥。 基本的に、人間には神が与えたような良心などありません。 人間でも動物でも、自己満足の為に生きている訳で、その点では人間以外の動物は素直です。 人間に取っての良心とは、社会性ある動物として進化する上で、双方に危害を与えずに仲間を増やし集団化を維持して行く為に課したルールや判断基準と言って良いでしょう。それがDNAに組み込まれているのです。 誰もが、良心が痛むような感覚に襲われる心境なのは、そのDNAに反する事をしそうになる矛盾感を脳や体が感じ取っているからです。それが良心の呵責です。 しかしながら、もうこれ以上ないほど社会的な集団の中で生きて来た人間です。生まれながらにそのルールが課せられていますから、理性を養って実行して行くほかありません。法治国家で生きて行くなら余計にそうです。 良心という言い訳は、理性や倫理感という価値観で維持して行くほか無いのです。よって、責任は無いと思ってはいけません。元々無いのですから、逆に有ると思う事が唯一の手段です。 人間はそうやって、死ぬまでの連続的な日常を営んでいるのです。

apple1999
質問者

お礼

私も良心とは、私が今まで育ってきた環境、生まれついた傾向によって創られたモノであり、 それが、今の社会行動とに矛盾が生じ、心の痛みとなって感じているのだと思います。 しかし、やはり人は責任の追求を恐れると思うです。 いや、他者から責任を追及されても、自身が責任を感じていなければ、痛みは伴わないのです。 やはり、考えすぎは良くないですね・・・。 でもやはり、経験のある言葉です。 ありがとうございます。

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