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織田信長のすごい所 生き様を教えて下さい

noname#115647の回答

noname#115647
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回答No.2

好んで謡い舞った幸若舞の敦盛。「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享(ひとたびしょうをう)け滅せぬもののあるべきか」 (人間というのは遅かれ早かれ死ぬことは解かりきっている、たとえ生き長らえたとしても、たかだか50年。はかないものよ。(大意)) 信長は若い時から、こういった死生観を持っていたわけです。 逆に言えば、この短い人生のなかで、自分に何ができるのかを絶えず問い続けてきた事になります。 父信秀は勤皇の志も篤く勇将でしたが、このことは幼き信長に天下というものを意識たらしめたものとは思われます。 母親(土田御前)は弟(織田信行)ばかり可愛がり、実の我が子でもある信長は嫌っていました。この事が幼い信長に落とした心理的影響もあったとも思われます。 信長はお父さん子で、父親の影響を受けて育ちました。 信長はまだ尾張国領主であった若い頃から、天下を取るということを意識していました。 桶狭間の戦いにおける、今川義元に降伏しなかったのもこのためです。 美濃を征服した時に居城を移しますが、この地を岐阜と名付けました。 岐阜には「天下分け目」という中国の故事にならった意味があります。 信長は当時の時代感覚からすれば、恐ろしほどの合理的精神の持ち主でした。無駄を嫌い無駄を排する。 農兵分離、楽市楽座、もこの精神に基づくものです。 農民は農業に専念し収穫を上げ、年貢を納めるのが仕事。兵には給米や給金を与え、戦(いくさ)があれば年中戦える体制にしました。 それまでは足軽などの兵は農民が主体で、農繁期においては戦ができないなどの不都合がありました。天下を狙う信長にとってはそれでは困ります。 物品の販売も昔は寺社などの専売で、業者は寺社が発行する株の購入が必要という、いわば許可が必要でした。寺社はそれで利益をむさぼっていました。(他には特権を持つ業者の座や問丸もあったらしい。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%BD%E5%B8%82%E3%83%BB%E6%A5%BD%E5%BA%A7) それで武器を購入したり武辺者を雇い、武力を誇示する寺などもあったようです。 「いや、あの者たちに儲けさす必要はない、自由に市をたてて売買してよいぞ。ただし運上金として少しばかりもらう。」としたのが楽市楽座の始まりです。 ただし楽市楽座は南近江(滋賀県)の戦国大名六角定頼が始めたもので、信長が始めたものではありませんが、大々的に行ったのは信長です。 関所なども廃止したり、あるいは厳しい検問を緩めるなどし、他国からの業者なども入れました。 この事は他国の間諜(忍者)が入って来て情報漏えいするなど、国の防衛の危険もありましたが、信長は構わず経済発展の方を重視しました。 信長の合理性には人事面にも現れます。古くからの有能な重臣もいましたが、新しい有能な新人を発掘し有効活用します。功があれば地位を上げ重要な仕事をやらせ、更に有効活用していきます。 ただしその内容は過酷で、休みなしと言ってももよいぐらいです。 軟弱な者ではとてもではないが、勤まりません。 現代のように辞表を提出して終わり、という訳にはいきません。ヤクザ並みの厳しい掟があるのです。失敗しても罪は大きいものです。領土を与えられて上手く納められなければ切腹ものです。 信長の場合は特に厳しく、少しでも粗相があれば即手打ち(斬り殺される)なども珍しくありません。 天下を狙うのだから当然敵も多くなり、合戦回数も増えます。並の戦国大名の比ではありません。 それに一々信長は計画を考え、作戦を練ります。他の者の介入を許しません。他の者はすべて手駒であって頭脳ではありません。頭脳は信長一人だけなのです。しかも指示が細かく綿密です。指示通りにしなかったらたちまち激怒し罪は重たいです。 (例、朝倉軍追撃戦。結果的には成功するが、手違いが少しばかりあり、言い訳した佐久間信盛は、後に追放の罪を受ける。) 信長は攻めるだけではなく、冷静な判断力を持っていました。 数多くの合戦の中には、戦況思わしくない状態にも陥りましたが、そういう場合はためらわず退却します。(浅井長政の裏切りによる、第1次朝倉攻めなど。) あるいは天皇も動かし戦術的和睦をする。(一向一揆の本願寺攻めなど。) あるいは武田信玄や上杉謙信への、おべっか使い的な外交戦術。 本能寺の変における明智光秀の謀反を知ったときの信長の最後の言葉、「ぜひもなし」(どうしょうもない。)いやはや山あり谷ありの激動の人生でした。信長享年49歳。 私はこんな人生はイヤですよ。しんど過ぎます。部下になるのもイヤですね。同じくしんど過ぎます。その前に2日で手打ちにされてお終いか。(笑)

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