• ベストアンサー

So this is Christmas,戦争のない世界について

arayata333の回答

回答No.9

風邪気味のようで、さっきまで頭が痛く、熱にうだされた感じがまだあるのですが、 平和に関してはもっと熱にうだされてるようで、やっぱり手は動き始めてしまったようです^^。 もちろん、戦争が無いということを意味するだけが「平和」という単純な平和希求なのではないですが、 この憎しみの連鎖をいかに削り消してゆくかという問題や、権力の心自体を弱体化する問題(そうしないと裏工作は絶えない)とかも  大きな良心の闘いの地点の問題です。 1憎しみと2権力、その裏には 私利私欲という名でも呼ばれる3欲望の問題もあります。 この3点も、けだし、感性が豊かになれば大きく解決して行くはずの問題と私はとらえています。 特に 欲望の問題は、そこにおぼれてそれを見つめることができなくなってしまうことが問題である点、 感性が豊かになるにしたがって「見つめる」ことの出きるようになる問題。  見つめれば、むしろ欲望自体が美しくもあり「平和の希求」をより鮮明にするはずの、そういう問題として考えています。 ご紹介いただいた>(『哲学的思考 フッサール現象学の核心』 西 研)<にて、  だいたいは「現象学」の《意図するところは、》すこしですが つかめた気がしました。  ありがとうございます。 しかし、その中の>人類のレベルでいえば、環境と資源の問題、また南北の貧富の差の問題、多発する民族問題を、解決していく道筋がはたしてあるのか。日本社会にかぎっていえば、教育も政治も制度疲労を起し、そして、何をめざして生きてよいのかわからない、という目標喪失の感覚を抱えている人は多い。< という現象分析の結論に関しては、 この情報化時代の現象を分析しきっているとは わたしには思えないという現象が ここに起こっているところです。 (「現象」という言葉をめぐっては、ズレまくってるかもしれないところですが^^) >環境と資源<→経済と政治が変に複雑に絡んでる問題群ですね。 >貧富の差<→人口や資源量とかともかかわりつつ、もはや資本主義の変革以外の経済的な方途はありえないと思える問題ですね。 ここにはけだし欲望革命^^が大きくかかわりそうです。 >多発する民族問題<→戦争という事態は少なくなっていてもその危惧や、細かい争いやそれによる悲惨や 非生産性は「平和」の敵ですね。 知性の信仰をbrageloneさんが掲げる理由が ここにありそうです。 リスペクトの源泉としての感性や知性を訴え続けたいところです。 >日本<>教育も政治も制度疲労を起し<→ うまくその現象を捕らえた文ですね。 感性教育の思い切った革命が必要です。 ユトリ教育という名のままごとではなくてです。(本気なので…。) また政治改革にはまずマスコミ革命が前提と考えます。 >経済は先行きが見えない。高齢者社会の到来も間近である。<→ この問題重いですよね。   わたし肉体労働者ですけど、数年前、ガス工事のほうの手伝いをしていて老人マンションで ボケ老婦人の給湯器の説明をしている現場に立ち会いました。  ガス屋さんは、管理人から聞かされていたとおり とても丁寧な説明をしていました。  3歳の子供に言い聞かせるようにです。      私は 彼女の気持ちが解かりました。 そんなふうには扱って欲しくないのにどうしようもない自分がそこにいるという心をです。 私は 黙って しばらく彼女のそばにいました。 そうせずにはいられなかったからです。 でも何もできませんでした。 心の叫びが聞こえてきました。 《わたしは、これから、どうしたらいいの?》 でも、 でも何も何も出来ませんでした。 「平和」というのは、わたしにとって、そういう人たちも幸せになることです。   そういうコミュニティーをなんとしてでもなんとかでも作ることです。 世界中の その叫び声を知る哲学をまず求めるゆえんです。 「日本教」「平和ぼけ教」、そんなのたいして問題じゃないと思います^^。 怖いのは世界にはびこる「マスコミ教」ですが、 これを最初に解決する可能性をもった民族はむしろ日本人だと思ってます。 過去の思想の中に仁の思想があります。医学の原点から生まれた相身互いの精神源泉とも思っています。 でもそれを現代に復活するのもむしろ肌感覚を大切にしてきた日本民族と思います。 イソップの童話に太陽と北風の寓話がありますが、 それは多くの人が納得してい道理の世界でもあるにもかかわらず、権力のまえにいじけた子ねずみのような太陽となってしまってます。 それを想うと 手は振るえ涙が出てきてしまいます。  なんで?    という思いです。 それを解決できるはずの日本人が、マスコミの北朝鮮の扱いにそのままおぼれている姿は 哲学者の怠慢そのものではないでしょうか? 細木数子「与えなさい、そうすれば北朝鮮は変わる」 古舘「それはそうなんですが、与えると権力のみがそれを受け取ってしまう体制、これが悲しいです。」 細木数子「 もっと与えなさい。 与えなさい。 与えなさい!」 叫ぶように語る細木の心よく解かります。 《そうしなければ 拉致問題にしても らちがいくはずがない》 白いものも黒という荒削りな実践者でもあるだろう占い師ですが、彼女の場合、魂は本物です。 大好きです(ニセキグルミより) 体制改革? それどころじゃないはずです。あの国の寒さ、あの国の太陽希求は!! そうそう、kigurumiさんと言えば、「天国」という幻想が多くの悪の原因であることを見抜いてる方としても有名ですよね(今はネットの中でですが^^)。    おかしいのは、ジョン・レノンじゃないすが、キリストがいう天国は この大地の子供たちを抱き上げて言ったんですよね。 それを幻想にしてしまった宗教病とは恐ろしいものですね。 たぶん、キリストはキリスト教の教祖なんかじゃなくて、ほんとうにすばらしい大工さんだったのだと思います。 神の愛ってなんなのかを語った最初の庶民だったとおもいます。   しかも もしかしたら、すでにその頃 その後の哲学者よりも、はるかはるか奥深く ちゃんと感性の世界も「見つめ」哲学されていたことがわかります。  この大地の感性(心)の中に天国があります。 キリストですら 当時の環境の中でうまく弟子達に伝えられなかったのが 性に関する感性の世界でしょうね。 「姦淫するなとあなたたちは言われてきた(モーゼの十の戒律の一つですよね)、 でも私は言う、心の中で姦淫した者も姦淫したことになるのだ。」 想像力の世界の事を言っていますが、 その中身には触れていません。 その可能性の世界についてもです。  しかし、まず、これは今までの教えとは逆なことを語っている有名な山上の垂訓の中で言われてることです。  しかも もし心の中で想像しただけで罪ということならば、そういうキリストも罪を犯してきたことになってしまうことを明白にさらしてる文であるにもかかわらず。 なんと、キリスト教徒たちは、その後、これを心の中で想像しただけでも罪だという姦淫の罪?の強化と受け取り、 そこに差別的な家族病理の世界の因とかも作ってしまっています。 (詳しくは略しますが、フリーセックス肯定論じゃないです^^。) ベットインパフォーマンス、 私も まじめにさらなるその追求をしています。 平和のために! アーミー病という権力がうまく扱って戦争に利用してる意識の世界についてすでにカントが語っているのでしょうか? この問題も、小さい問題とはいえないかもしれません。 しかし、それも感性教育(おもにスポーツの面)で解決してゆける 可能性のある世界だと思います。 すみません、顔が熱くて 何を言ってるのか意識がうつろです。 今回はここまでとします。  機会があれば、 今度はもっとちゃんと書こうと思います。 論理的にということです。 今回は気持ちのまま書いてしまいました。

fishbowl66
質問者

お礼

お礼が遅くなり、大変失礼致しました。 体調の方は如何でしょうか、強力な寒波の到来とかで、ご自愛のほどを。 少々「現象学的に戦争を」という表現に拘り過ぎたでしょうか、単純に、戦争・紛争・暴動といった暴力的な行為と、経済戦争・競争のような、一応、非暴力的な行為との関係に関して、色々な意見をお聞きしたかった、というふうに理解していただければよかったのですが。もちろんあまり無理はなさいませんように。 カントの考えについては、なかなか難しいです。 「この自己愛から来るのが、他の人々の評価において価値vertを保っていたいというわたしたちの欲求であるが、ここからまた逆に平等への欲求が来る。それは、誰にも自分を上まわる優越を確立してほしくないという欲望と、他の人間がそうしてしまうかもしれないという懸念において、表現される。この過程は事柄の本質を表現しているので、身分や地位を得ようとする抗争、偽善や競争、嫉妬や忘恩や意地の悪さのような文化の悪徳を、徐々に惹き起こすにいたるのである。このような悪徳は、カントの見るところでは、文化の歴史的発展によって善への素質に接ぎ木されたものである。このような見解によって彼が言おうとするのは、比較したり判定したりする自己愛によって引き起こされる社会的環境があれば、そのような悪徳は避けがたく生じるということだ、とわたしは考える。ここにわたしたちはルソーの『第二叙説』と『エミール』の影響を認める。」(ロールズ哲学史講義・カント) ところが、カントは、ロック的な所有権に肯定的で、ルソーの自然状態に反して、自然状態は争いの状態として、ポップス的な考えも同時に持っているようです。ちなみに、『第二叙説』とは、『人間不平等起源論』のことで、「ある人が土地に囲いをして・・・」という有名な一節から始まるロックとは反対の立場です。 ところで、ロールズの解釈「悪徳が善への素質に接木されている」に従えば、質問に挙げた仮説にまた戻ってしまいます。この年末は、海外から日本に来られた人達が大変なようです、日本は常識的には現在戦争はしていませんが、本当のところは、経済戦争の激化の一歩手前、といったところでしょうか。 細木さんについてはよく知らないし、「ニセキグルミ」もお会いしたことがない、 この件に関して、私はノータッチ、有難うございました。

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