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「読みやすくなった!」って褒められるべき事なの?(カラマーゾフ)

アマゾンの、亀山郁夫が翻訳した『カラマーゾフの兄弟』のレビューには、 「版社の意図がまず素晴らしい。既存の出版社は、難解な翻訳を長年出し続けていたわけで、この愚行によって文学の楽しさを味わうことなく興味を失ってしまった人が多数いたと思うと、非常に残念である。 それに対してこの翻訳は、他のレビュー者のとおり非常に読みやすい」 …とまぁ、大体、これと似たようなレビューが多数見られ、高評価です。 疑問に思ったのですが、そんなに他社の訳は読みにくいでしょうか?今私は原卓也訳のものを読んでいますが、普通に読めますよ?確かに長いな、とは思いますけど、それは訳とは関係ない。 これは、単に読者の知力が衰えてきた証拠なのでは? 例えば、後何年後かに漢字も読めない世代が出てきて、 「いままでの、ほんは、むつかしいかんじばっかりでよめかったけど。こんどのはかんたんでよみやすくてうれしい。さいこー」 なんて事がアマゾンに書かれるようになるかもしれない。 翻訳が読みやすくなることは良いことなの? また、読者が難しいと感じる翻訳を出版し続ける事は愚考なんでしょうか? もしくは、知力が無い読者が、そのことを認めたくがないために出版社の方を愚考とし己を正当化しているだけなのでしょうか? さらに、謎なのは「まんがで読破」シリーズです。 結局、これを読んでる読者は、本の内容よりも「あの難しい本を読破した!」って自分で思いたいだけなんじゃないの? ニーチェなんて内容まるっきり変わってるし。 もうなんだったら、「詩で読破!」とかいって数々の名作が1ページで読めるようにしたらいい。 とりあえず読破は出来る。

みんなの回答

noname#101110
noname#101110
回答No.8

質問者のかたに賛同します。私は翻訳書の分かりやすさは、こんな文学書にはあまりなじまないと思います。カラマーゾフにはカラマーゾフの、戦争と平和にはそれなりの原文の文体にぴったりした日本語訳があると思います。今度の評判の訳は読んでいませんが、なんだか余り読もうという気がしません。ま、それよりも誤訳ですね、恐れるのは。昔のロシア文学で一応有名なひとたちの訳でも二通り読んで随分違う箇所をいくつか見つけました。私達は原書を読めませんから、分かりやすさはともかく、間違いをまずなくして欲しいと思いますよ。

nitoro2
質問者

お礼

みなさん、ありがとうございます!! この場を借りてお礼申し上げます。 とても参考になりました。

  • wiz0621
  • ベストアンサー率42% (182/430)
回答No.7

『新訳』書籍、売れているらしいですねぇ。 『カラマーゾフ~』みたいなオチもプロットも酷い駄作が 80万部売れるとは、昔では考えられない現象だと思います。 質問者さんは『新訳』を読まれたのでしょうか? およそ人間というものは、知らない状態から『初めて知った時に』 その概念が固定化されるという分析を聞いたことがあります。 質問者さんは過去の翻訳を読まれているでしょうから、その過去の翻訳こそが 質問者さんにとっての『カラマーゾフ』であることは間違いないと思います。 ですが、もし、その翻訳が間違えていたとしたら? 明確な間違えでは無いにせよ、翻訳者の語彙の少なさから、もっと最適な言葉が あるにも関わらず、まわりくどい表現になってしまったとしたら? 世に出ている『新訳』書籍はその修正を行うというスタンスなのだと思います。 何より重要なことですが、もちろん、過去の翻訳者さんとも話し合った上で これらの書籍は出版されているそうです。 みんなが読み始める前に俺は読んでいたんだぜーと自慢したくなる気持ちは 良く解りますが、およそそういった言葉はまず原典を読んだときにしか 口にだしてはいけないのではないでしょうか。 あなたの読んだカラマーゾフが誤りである可能性は常にあるのですから。 余談ですが、ニーチェは思想上、少なくとも他人の言葉を伝える人間を 忌み嫌っていたはずなので、彼の思想を知るには原典読んだ方がいいと思いますよ。 研究者の間でも○○社の○○語翻訳は酷すぎるだろ、と公言してる人も いるくらいですし。 ただ、マンガで~は読んだことが無いのでそんなに楽しそうな内容なら ちょっと探して見ようと思います。その時は意見が変わるかもしれません(笑)

  • edoduki
  • ベストアンサー率15% (68/445)
回答No.6

それからひらがなばかりになるということはまずないですよ。 よみにくいですから。 大体漢字3割前後が一番読みやすいとされ、出版社もそれに習って作っているところが多いようです。

  • edoduki
  • ベストアンサー率15% (68/445)
回答No.5

言葉が変わったと言うことです。 昔の書籍の制作には、いわゆる"書き言葉"によっての活字メディアとしての活字表現へのこだわり、プライドなどがあり、そこに寄生するように権威や威厳、インテリ感などが存在していました。しかしそれは玄人受けをする事はあっても、新参者への敷居を揚げ、あるいは活字離れの手伝いをしました。 現在に至りそれを崩した直接の要因は、堅い表現の「書き言葉」を極力廃止し、「話し言葉」を採用するようになったことでしょう。これにより敷居が下げられ、より広範囲の人にふれられるようになり、しいてはマーケットも広がったと言うことです。 また安価にあらゆる分野の書籍が大量に出版できるようになり、加えて色彩豊かで絵や写真も多用されるようになったことによる書籍の表現の幅が広がった事も一つの背景でもあります。 元々、女性間や私的な場のみで使用されるものとされていた、ひらがな が現在当たり前のように使われている事を考えれば、なんの不思議な事もないでしょう。 質問の最後に挙げられているような例は、見出しであり誰もそのまま本気にはしていないでしょう。いわゆる入門書としての出版社側の提案であり模索ですね。まぁ聖書の解説書みたいなものでこの手の本はむしろ昔から存在するものでしょう。

  • randybass
  • ベストアンサー率31% (9/29)
回答No.4

 質問者様の危惧を、同じ様な思いで理解します。  活字ばなれ、紙メディアが衰退している現状の中で、大衆に阿る企画としか思えません。  読みやすい翻訳という意図はわかりますが、日本語を理解する能力に乏しい人にも読めるように、無理やり稚拙な表現をしてみたり、誤訳を犯してまでも読みやすく、といった本末転倒な例もあるみたいで、つまりはその方向性が、いずれは「5,000円札で有名な樋口さんの読みやすい現代語訳『大つごもり(大晦日のこと)』」とかに至ってしまうような状況にあるのではと思えます。  マンガで読破とか、あらすじで読む名作といった現実にある企画を見るとあながち冗談とも言えないのではないでしょうか。

  • ryuken_dec
  • ベストアンサー率27% (853/3139)
回答No.3

一般的には褒められるべきですよ。 翻訳が読みやすくなったと言うのは、日本語として表現がきれいになったり、より適切な訳になっていたり、日本語としては分かりやすいように切ったりすることです。 当然、翻訳はその単語をそのまま1対1対応で訳せばいいものではありません。言語によって文法が違い、文章の流れも異なります。 そうすると原語では繋がっていた流れを日本語の語順に並び替えてしまうと意味が伝わりにくくなったりします。そこで、その関連性を損なわないように【読みやすく】することは翻訳者の腕の見せ所です。 もちろん、『彼は言った。私たちは変わらなくてはいけない、今すぐ。』のような稚拙な翻訳でも読者は意味を理解できます。しかし、それは決して褒められた翻訳ではありません。『彼は「私たちは今すぐに変わらなくてはならない」と言った。』のように読みやすくするのが翻訳者の使命です。

回答No.2

 質問者様の理想を究極まで進めると、「原語で読んでこそ作者の細かい意図を理解できる。翻訳など原語を理解できない人間のための簡易版にしか過ぎない」ということになりませんか?

  • Willyt
  • ベストアンサー率25% (2858/11131)
回答No.1

その評論を読んだわけではないのですが、翻訳文は読みやすいというのは一般には読んでわかりよいという意味ではなく、日本語らしい文章になっていてゴツゴツぶつからないという意味に使うことが多いように思います。

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