• ベストアンサー

連歌と連句について

zasikidojiの回答

回答No.2

連歌についてお答えします。 松岡正剛氏が毎晩UPしている「千夜千冊」という サイトの739夜で詳しいく説明しています。 で取り上げている本は  『連歌の世界』 伊地地鉄男 です。

参考URL:
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0739.html

関連するQ&A

  • 連歌について

    今 ボストン大学に通っているのですが、初期(室町時代)の連歌の喜劇的な部分のアウトラインを発表しなければいけません。 どなたか、初期(室町時代)の連歌の喜劇的な部分の特徴等御教えください。

  • 長連歌につきまして。

    初歩的な質問で恐縮なのですが、連歌で100句までで終わりとする長連歌(百韻)がありますが、これは上の句、下の句、それぞれ50づつと考えてよろしいのでしょうか? すみませんがご回答よろしくお願いいたします。

  • 有名な連歌? について。

    多分連歌だったと思うのですが、昔の人が和歌かなにかで 「腹減った。何かない?」 「米は無い、粟は少々」 みたいな感じでやり取りをしている歌を見たことがあるのですが 最近になってどういったものだか正確にわからなくなってしまって、 どなたかご存じでしたら教えていただけないでしょうか? 確か少し変わった歌で、感心させられるようなトリックか何かが仕組まれていたと思うのですが……。

  • 連歌師の生没年

    連歌師、柴屋軒宗長(さいおくけんそうちょう)の生没年をご存知の方、いらっしゃいますか? またそういうものを調べられるサイトはありますか? よろしくお願いします。

  • 連歌(猿蓑集、巻之五)に関して

    猿蓑集、巻之五に こそこそと草鞋を作る月夜さし・・・凡兆    蚤をふるひに起きし初秋・・・芭蕉   が収められています。 質問1 こういう文章に出会いました。 「有名な芭蕉翁の俳諧の中に こそこそと草鞋を作る月夜ざし という句もありますが、是は藁などの軽く擦れる音から出たもので、(以下略)。」 これは著作者の錯覚と考えてよいですか。それとも、連歌特有の何らかの理由があって芭蕉の句と呼んでよいのですか。 質問2 WEB上の記事には「こそこそと草鞋を作る月夜さし」を凡兆作の俳句、と呼んでいる例があります。素人考えでは連歌というからには凡兆と芭蕉が合作で「こそこそと草鞋を作る月夜さし 蚤をふるひに起きし初秋」という一つの俳諧に富んだ和歌を作ったのだと思います。一般に俳諧の連歌の上の句が季語を含んでいるとき、これを俳句と呼ぶことは認められていますか。「凡兆作の『句』」であるのは当然として「凡兆作の『俳句』」とまで言ってしまってよいのですか。 質問3 このときの発句は凡兆の「市中は物のにほひや夏の月」だそうです。これを「凡兆作の俳句」と呼ぶことはできますか。俳句の源流は俳諧の連歌の発句にあるということを、字面の知識としてだけ承知しています。 和歌、連歌、俳諧の連歌、俳諧、俳句こうした言葉の異同に精通されている方のご指導を希望します。 よろしくお願いします。

  • 古今の秀逸な連歌をどうかご教示下さい。

    古今の秀逸な連歌をどうかご教示下さい。 和歌から俳諧、現代ものまで、これはと思うものがありましたら、 是非ともご教示賜りたいと願っております。 また、海外であまり例がみられないように映るのは、私の気のせいでしょうか。 どうぞよろしくお願い申し上げます。

  • 和歌(連歌)で“てにをはの『はの字』”って何ですか?

    学校の課題でどうしてもわからないところがあります。 古典での連歌の学書『雨夜の記』。 これは連歌の前句に対する付け方で注目すべきところを様々取り上げて 例句を挙げていく学書なのですが、そのなかのひとつに 「てにをはの はの字 にて付けたる句」の例で 「名残ある雁は越しなる山こえて  さへづる燕わがはるの空    」 というものがあります。 この句がどういう意味で「はの字にて付けたる」の例句として挙がっているのかわかりません。 この句の意味もとれない上、 調べかたもよくわかりません。 お解りになる方、いらっしゃいましたらどうか教えてください。 おねがいします。 『雨夜の記』の 「はの字にて付けたる句」の他の例には 「音する水にはこほりとけけり  雪うずむみ谷の小川春さえて」 や、 「見るはおもひぞ猶まさりける  ききてのみ人はうからじつらからじ」 などがあります。

  • 明智光秀の決意表明の連歌とは?

    明智光秀が本能寺の変を起こした理由は諸説あるようですが(↓)、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%99%BA%E5%85%89%E7%A7%80 「戦国豆知識」(↓)というサイトの中の「光秀の連歌に込められた野心」には、こうありました。 http://pikkee7.hp.infoseek.co.jp/MAME.htm 「ときは今 天(あめ)が下しる五月哉(かな)」。これは普通に解釈すると「季節は今、雨が降る5月であるよ」となりますが、実はこれには光秀の野望が隠されているといいます。実は「とき」とは自分の出身である「土岐」の事で(明智氏は美濃土岐氏の一族)、「今こそ土岐氏が天下を取る時だ」という意味だというのです。 ところで明智光秀が、本能寺の変を起こす前に茶人と連歌を詠んだそうですが、それはどういう歌だったのでしょうか? また、その連歌によって、茶人(堺の町衆?)は既に本能寺の変の前に明智光秀が本能寺の変を起こすことを知っていた、というのは本当でしょうか?

  • 連歌発句の切れ字「や」は句末でなく、上五でもOK?

    連歌の発句では、季語と切れ字を用いると聞きました。切れ字についてですが、例えば、「古池や蛙飛びこむ水の音」のように、上五の「や」でも発句の切れ字としてOKなのでしょうか?それとも、発句の切れ字は座五に付けないと駄目なのでしょうか?

  • 連歌毘沙門の一部分について

    連歌毘沙門の一部分について教えて頂きたいです。 『本文』 某がいふさへさやうにいう、おこせいありようにして分てやらふ と云って、 わたすまねして、とりて 先づ見事なありのミでハないか、是はやる事ハなるまひ 一たび下されてから、取かへさせらるるといふ事ハあるまひほどに、下されい 是ハ戯言じや、さあらハ小刀があるかおこせい われももたぬ~といふ ぶたしなミな者どもじや、さらハほこにてわらふが、さびたらハとがさなるまひが、 研賃ハ何とせうぞ それは両人いたさうといふ それまでもない、 此ほこハ、なんばの鉾とて、かくれもなひほこじやによつて、さびもせぬよ 『訳』 私がいうにそのように言う。( )な有様にして分けてやとうといって、 渡す真似をして取り、何はさておき見事な有の実ではないか。これはやることは(することは)ないだろう。 一度お与えになってから取り返されるということはありはしないだろうほどにいただき これは冗談だ。それなら小刀があるかどうが( )私も持たないという。 用心の足らない者たちだ。皿は鉾で割れるが錆びていれば研がなければいけないだろうが、 研賃は何と言うか。それは二人が居たようだ言う。 それまでもない、この鉾は南蛮の鉾でも人目につかない鉾であるからさびもしないよ。 という風に訳したのですが今一つきちんと中身が分からず、訳もあっているのか分かりません。()の部分もどのように訳せばいいか辞書を引いたりして考えたのですが、そちらも分からずじまいでした。私自身勉強不足なことを重々理解しています。ですがどうにも頭を悩ましておりますので、どなたかお力添え頂けないでしょうか。