- ベストアンサー
連歌(猿蓑集、巻之五)に関して
猿蓑集、巻之五に こそこそと草鞋を作る月夜さし・・・凡兆 蚤をふるひに起きし初秋・・・芭蕉 が収められています。 質問1 こういう文章に出会いました。 「有名な芭蕉翁の俳諧の中に こそこそと草鞋を作る月夜ざし という句もありますが、是は藁などの軽く擦れる音から出たもので、(以下略)。」 これは著作者の錯覚と考えてよいですか。それとも、連歌特有の何らかの理由があって芭蕉の句と呼んでよいのですか。 質問2 WEB上の記事には「こそこそと草鞋を作る月夜さし」を凡兆作の俳句、と呼んでいる例があります。素人考えでは連歌というからには凡兆と芭蕉が合作で「こそこそと草鞋を作る月夜さし 蚤をふるひに起きし初秋」という一つの俳諧に富んだ和歌を作ったのだと思います。一般に俳諧の連歌の上の句が季語を含んでいるとき、これを俳句と呼ぶことは認められていますか。「凡兆作の『句』」であるのは当然として「凡兆作の『俳句』」とまで言ってしまってよいのですか。 質問3 このときの発句は凡兆の「市中は物のにほひや夏の月」だそうです。これを「凡兆作の俳句」と呼ぶことはできますか。俳句の源流は俳諧の連歌の発句にあるということを、字面の知識としてだけ承知しています。 和歌、連歌、俳諧の連歌、俳諧、俳句こうした言葉の異同に精通されている方のご指導を希望します。 よろしくお願いします。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
精通していないんで申し訳ありませんが、素人のコメントです。 1.錯覚です。ただ、「芭蕉翁の俳諧」を芭蕉が編纂にかかわった句集くらいの意味で軽く扱ったともとれますが。 2.「俳句」は正岡子規以降に普及した言葉で、芭蕉の時代には、発句(立句)とか地発句とか呼ぶのが普通でしたから、「凡兆作の俳句」という概念はありそうもないです。現代の我々がどう呼ぶかの問題とすれば、周知の公式「子規のいう俳句=俳諧の発句」に照らして判断すればよいでしょう。つまり、「こそこそと草鞋を作る月夜さし・・・凡兆」が連歌の第一句目であれば「俳句」と呼んで差し支えないと万人が認めるでしょう。そうでなければ、「俳句」とは呼ばない方がよい、と考える人が多いでしょうね。 3.上記の理由により、可能です。(もともと「凡兆作の俳句」が学術的に厳密な概念ではないのですが、通常のコミュニケーションで使って構わないでしょう、という意味です) 専門家のコメントに期待します。(大きく的を外していれば訂正お願いします)
その他の回答 (1)
- OKAT
- ベストアンサー率38% (247/639)
わたしも精通しているわけではありませんが、「連歌」の内に「俳諧の連歌」という「滑稽」を中心とする派が起こり、後に単に「俳諧」と呼ばれました。形式上はほぼ連歌を継承し、三人が順繰りに「5・7・5」に「7・7」を付け、更に「5・7・5」…と繰り返します。 連歌と違うのは、「5・7・5」と次の「7・7」で一首の短歌になるようにという意識は既に無かったようです。前の句にどのように付けるかの面白さが問題となっていたようです。最初の「5・7・5」を「発句」と呼び、「季語」「切れ字」の他に「祝儀・哀悼・送別・留別」などの意義を込めるという風習もありました。後にこの発句だけを作るという機会も増え、これらを正岡子規が「俳句」と名付けたのは、No.1の回答にあるとおりです。 「猿蓑集」は芭蕉を中心とする「俳諧集」ですから、 質問1の「芭蕉翁の俳諧」と呼んでも、あえて見当違いとは言えないようです。「芭蕉の句」と言えばこれは間違いでしょう。 質問の2,3については「俳句」が明治以後の用語であることを考えれば自ずから回答に導かれると思います。 かなり、はしょった説明ですので、言い足りないことが多いと思いますが、御容赦のほどを。
お礼
>>質問1の「芭蕉翁の俳諧」と呼んでも、あえて見当違いとは言えないようです。「芭蕉の句」と言えばこれは間違いでしょう。 「芭蕉翁の俳諧」と呼んでいるからといって「芭蕉作の句」と呼んでいる訳ではないので、「質問文1」そのものがおかしいという、ご指摘ですね。 質問文は「こそこそと草鞋を作る月夜ざし」は凡兆の句であって、それ以外(凡兆の俳句、芭蕉の俳句、芭蕉の句、芭蕉の俳諧)の呼び方はできないだろうという気分のときに作られているので、おかしい可能性があります。 ANo.1、ANo.2を読み返して自分の考えが纏まりました。以下、世間的に妥当であるか否かは不明ですが、今の時点での個人としての心掛けです。 江戸時代の俳人には「自分が作ったのは俳諧の連歌の発句であって俳句ではない」との主張があるかもしれません。子規に芭蕉の評価があるように、芭蕉にも子規の評価があるでしょうから「連句の初句」=「俳句」、「俳諧の連歌の発句」=「俳句」と機械的に無神経な括りはしないことを基本とします。つまり、俳句という単語の誕生前の作品に対して俳句という単語は用いないことを基本にします。 お二方とも有り難うございました。休日になれば答えてやろうという方が居られるといけないので24(日)24時までは締め切らないでおきます。またの機会にもよろしくお願いします。
補足
ANo.2のお礼の欄の記事を修正します。これは質問でも問い合わせでもありません。 その後、小学館、日本古典文学全集72「近世俳句俳文集」に当たってみた結果、皆さんのお答えを読み取り易くなりました。 「近世俳句俳文集」に次の記述がありました。 a「俳句という名称は、江戸時代にも見られないことはない。しかしそれが一般化したのは明治時代になってからのことである。以来、昔の俳諧の発句も俳句と呼ばれるようになった」 b「本書で近世俳句というのは大部分が地発句で、一部に立句を兼ねるような発句の場合もあることを了承されたい」・・・(*)(別の所に「発句はまた立句ともいうが」との記述もあって両者の違いが実は判っていない)。 1「こそこそと草鞋を作る月夜さし・・・凡兆」は収録されていない。つまり俳句と呼ばない。地発句でもないし発句でもないので(*)に合致せず納得。 2 「市中は物のにほひや夏の月・・・凡兆」は収録されている。つまり俳句と呼ぶ。発句なので(*)に合致して納得。 3 「灰捨てて白梅うるむ垣ねかな・・・凡兆」は収録されている。つまり俳句と呼ぶ。地発句なので(*)に合致して納得。 何を俳句と呼ぶかには色々な主張があるのかもしれませんが、こういう質問をするレベルの人間は(*)を基準とするのが妥当だと考えることにします。
お礼
1 猿蓑は「芭蕉七部集」と呼ばれる作品集を構成するのを、今、改めて意識しました。お説の「 芭蕉が編纂にかかわった句集くらいの意味」で七部集に収録されている全ての句を芭蕉の俳諧と呼ぶことは一理ある気がしてきました。 2 岩波文庫の「芭蕉七部集」の巻末の索引では上の句を「発句」、「連句の初句」と呼んでいて「俳句」という語を慎重に避けている気がしますが、果たして? 子規が重要な働きをしているのを思い出しました。 3 発句を俳句と呼ぶかどうかは全く微妙で自分の意見をもてません。理屈としては、下の句が続くことを前提にしているので俳句よりは完結感と独立感が薄いのかなと思う一方、実態としては俳句になっているのだとも思います。 ご謙遜かもしれませんが「専門家のコメントに期待します」を文字通り受け取って、当分の間、他の方のお答えを、お待ちすることにします。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。