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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:俳句の閉鎖性について。)

俳句の閉鎖性について

このQ&Aのポイント
  • 俳句の季語を共有する仲間意識とは?歳時記の代償とは?
  • 短歌に季語はないが、俳句は開放的ではないのはなぜ?
  • 閉じた俳句の表現力と内輪ネタの問題点

質問者が選んだベストアンサー

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  • kine-ore
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回答No.10

#8です。 >芭蕉も歳時記の季語に制約されていたのでしょうか。  : 歳時記の原型は「毛吹草」(1638又は1645年)や「山の井」(1648年)などで、俳諧の季題ごとに例句を配列したものですが、それはまた年中行事リストや地方名産の紹介、また言葉の類語や付合・連想語の辞典として、一種の日本語百科事典のようなものです。 連歌師紹巴は「連歌至宝抄」(1632年)において、連歌の発句は切字がないと平句に聞こえて悪いし、また季語の入っていない発句はないのであり、これは俳諧の発句でも同じことであるといっています。 また、貞徳は「俳諧御傘」(1651年)において、本来は俳諧と連歌に形式的区別はなく、「やさしき詞のみをつゞけて連歌といひ、俗言を嫌わず作するを俳諧といふなり」と言っています。 かたや、1670年頃から俳諧師となった芭蕉においては、後に「発句は門人の内、予におとらぬ句する人多し。俳諧においては老翁が骨髄」と述べています。 季語や切字が必須の発句では、むしろ門人たちに秀でたものが多い。その点、俳諧の連歌で四句目からの平句での付合の遣り取り、その当意即妙・円転滑脱・変幻自在・融通無碍の境地をこそ愉しんでいた様子がうかがえます。 (参考:復本一郎「俳句と川柳」講談社現代新書) だからでしょうか、「発句も四季のみならず、恋、旅、離別等無季の句ありたきもの也」と語っています。ただし「芭蕉は決して、積極的に無季俳句の開拓に力を入れようとしませんでした。彼は、季語を入れない俳句において、短詩型としての凝縮度が足りなくなることを、経験上から得た知恵として感じていたからでしょう。…芭蕉が、発句と季語との関係について「其事をしらざれば暫く黙し侍る」といって、明快な回答を避けたように、正岡子規も、この点、曖昧なところが多分にありました。」 「芭蕉の有名なことばに、「切字に用ふる時は、四十八字皆切字なり。用ひざる時は一字も切字なし」(「去来抄」)というのがあります。このことばは、ヤ・カナ・ケリといった基本的な切字を習熟したひとに対していわれたもので、…要は切字の有り無しよりも、一句を完結させ、言い切る作者の態度が大切なのだということを説いているわけなのです。」 (引用:楠本憲吉「俳句入門」文春文庫) 古池や蛙飛びこむ水のをと(「春の日」) 古池に蛙飛びこむ水のをと(切字「や」を除いて「に」に替えた場合) 対比して、切字の効果の大きさが分かります。

thegenus
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 今後とも宜しくお願いします。

thegenus
質問者

補足

ご教授ありがとうございます。 とても勉強になります。 芭蕉が「しらないから意見できない」というような事を言ったのですか。それも有名になるべき言質ですね。 しかし知らなくても(公理主義的ではなく)日本文化における絶対的な価値を説くというのはどうなのかと思います。

その他の回答 (9)

  • kine-ore
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回答No.9

#6です。 >鑑賞するには、貴方の所有の名本蔵書を詠ったという情報がどうしても必要になりませんかね。それは575の素晴らしさで鑑賞できるものかという質問なのでした。  : 宿題に慌てる生徒学生の、ここでの質問は殆どが「この俳句の意味を教えて」です。あるいは明日のテストに備えたいとか。とにかく意味さえ分かれば宿題が果たせると思い込んでいるか、誰かがそう思い込ませているのでしょう。 そんな彼らは間違いなく、その詩文など途中で閊(つか)えるばかりで、まともに読み通すことができないのです。その作品に向き合おうともしないでとにかく意味を教えろと。 確かに漢字や語彙また四字熟語や故事成語など、その知識や情報の如何が評価につながる分野も国語教科には多いのですが、言葉に対する感性の力、詩文への感受性と表現力などのメンタル陶冶・マインド涵養においては、ひたすらその詩文の暗誦が肝要だと感じます。 優れた詩文を理屈抜きで脳裏に焼き付ける作業を積み重ねることで、生涯の伴侶とすることができましょう。それは、まずその詩文を読め、そして閊えず読めるようになれ、それは何度も読み直すことだから、とうとう大方は暗記してしまいます。そして何かのきっかけで口を吐いて出てくることがあり、そのように生涯の伴侶ともなります。 音楽授業での童謡や唱歌と同じことで、頭に中に仕舞いこんで、ふと口を吐いて出るものです。あるいは体育や美術のように、言葉のスキルとその上達のための科目なのであり、その意味や解釈、まして鑑賞などとは次のレベル以上の生徒において初めて望みうるものでしょう。だからこそ暗誦しやすい俳句や短歌が、余計な説明なしに剥き出しで記載されているのです、何よりまず日本語をチャンと読めるようになりましょうと。

thegenus
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 それは俳句のための学習になってしまうでしょう。 野球やサッカーを通じて、ではなくて、野球やサッカーの信者になるための教育ですよ。 野球やサッカーの観戦を楽しむにも未経験者と経験者では違います。しかしその玄人と素人の差は、運動や遊戯における野球そのものの価値を証明していないのです。世界的に一流選手の次元の違いすぎるイチローは守備でミスをしませんが他の球技は素人以下なんです。野球を除けば私以下だと思います。しかしスポーツマンやスポーツの専門家はイチローの方です。その社会的分際と思想的正当性を同じにしたら根拠が権威主義になります。野球をいくら仕込まれてもほぼ野球以外に通用しない特殊技術なのです。日本人の感性の原理ではなく、特殊技術と唱わなければ、それこそ驕るなどころか一芸道の専横です。 イチローは運動神経がないのに磨きあげた次第です。イチローの感心なのは運動神経がないのを自覚している点です。感性より仕込みが先になるのは型の芸道です。自作自演の価値です。柔道や空手道の師範が強くないのに似てきたら感性という実力が嘘になってきます。感性がなくても形になれば感性を認定します協会ならその図式や効能を一番最初に教育すべきです。 この槌のむかし椿か梅の木か 575だけの評価ではないですよね? それと杵折賛が本当に芭蕉のものだとしてもこれは現在の他人に見せるために作成されていません。目的に対して簡潔化された妙案なのだから部外者には適合しない方が正しいと思いますが。一般的価値は芭蕉の名前ですよね。評価の因果を感性の名の元にすり替えたらまやかしの感性であり自作自感ではありませんか。 実際、575だけの評価かという質問です。

thegenus
質問者

補足

まず一番最初のご回答でこの句は賛辞用だと触れらている事を、回答者さんの名誉のため補足します。 宿題を除くと俳句の質問が少ないですよね。俳句は、ネットにさらされたくないのでしょうか。残念ですし、これも不思議です。質問サイトで私の俳句短歌をみてくださいというのが全くないような。閉鎖性の表れに思います。

  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.8

#7です。 >私は「松島やああ松島や松島や」の芭蕉をどこか馬鹿にしてきましたが、  : まだこんな「都市伝説」が蔓延っているのですね。 ここは国語の部屋なので少し注釈など。 桜田周輔「松嶋図誌」(1888年/初出文政4年)にて、古歌の一つとして列記されてある行(くだり)の誤解に始まっているのでしょう。 http://www.bashouan.com/puBashous.htm http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991518(36/44)             相模国                田原坊 松嶋やさてまつし満や枩嶌や   或云芭蕉翁此地に来りて風景を賞せしが詞の及ばざる志りて終に… (云々との前振りにて、後で作った句だとして、次の句が載っています。) 朝よさを誰(たが)ま津し毎ぞ可た古ゝろ  http://www.bashouan.com/psBashouPt16B02.htm これらを誤ってか故意にかゴッチャにしたのが、いつの間にやら…。今ではネットでPDF写真版が実見できるのだから、誤魔化しが利かないはずなんですがねえ。 「おくのほそ道」の文中の曾良の句も、当人の日記にはないことから、むしろ芭蕉当人が自作を韜晦したものとの見方もあります。 また、「船中一覧」にて「あさよさをたが松しまぞかたごゝろ」は「松島での芭蕉真蹟による」とあるも疑義は堪えません。 なお「奥の細道菅菰抄附録」には、次の句が載っています。 島々や千々にくだきて夏の海  以上為念。

thegenus
質問者

お礼

ああ松島やを広めたのはマスコミだと思いますのでマスコミが(風説の)責任を取らない企業である証拠の一つでしょう。 懇切丁寧なご指導ありがとうございました。

thegenus
質問者

補足

ご指導ありがとうございます。今回の質問をしなければそう思ったままああ死ぬところ死ぬところでした。狂歌ですよね(^^) しかし俳句に無関心の現実では都市伝説とかそんな生易しい程度ではないでしょう。公的に批判されることなくむしろ宣伝されている場面の方がわけです。そういえば松島のガイドでさらりと注釈されていた記憶もあります。伝説が無ければその商売の売り上げは激減しますね。 これを広めたのは俳句に無興味の素人や部外者ではないしそれは市民の「伝言ゲーム」による伝説化ではないと思いますよ。関係者や事実を知る人が指摘をしたり誤りを速やかに受け入れたりしないからですよね。この伝説は簡単に始末できると思いますし国語の知識が大事なら教師も文部省もしているはずですが。 それこそ国語教師が知っているのか専門家が何をしているのかです。私は専門家ではないので啓蒙に一円の利益もありませんがさっそく今日からはああ松島の迷信を積極的に否定し続けます。教えてやる気もなく事後に騙されたかいの発言では悪の一味です。 やはり回答者kineさんのような人が国語教師でなければなりませんよ。痛感致しました。 杵折賛の杵が花入になる話も教えられたものですがそういった花入の実在情報は作中以外にありますか。興味を持ってプロフィールを読む人はほぼ私のようになると思います。 ★芭蕉も歳時記の季語に制約されていたのでしょうか。主題に関する最重要の知見です。芭蕉と公式季語、季語の認定の関係をどう認識されるべき事になっていますか。 主題の方もぜひ宜しくお願いします。

  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.7

#5です。 >結局、四季を折り込むとはいうもののどこまでもバーチャルなのでは? 現実との接点が歳時記という本だったという真相になりませんか? 妄想を自由にすると脳がぶっとんでしまう恐ろしさがあるから。  : 次の句などいかがでしょう。 ツクヽヽボーシツクヽヽボーシバカリナリ  正岡子規 Thou Too Brutus! 今も冬消えやすく 加藤楸邨 陽(ひ)へ病(や)む  裸木 僕ですか死囚調査解剖機関監察医 鈴木六林男 特に俳句無用の方には「永遠に五七五は「無用の用」!? 」 かも。 http://cool575.air-nifty.com/muyou/cat20643111/index.html 何もかも知ってをるなりかまど猫  風生 季語=竈猫で冬です。 竈猫と聞くだけで、私の連想は次のように進行します。 竈から羽釜を下す。黒鉄の鉤棒で組金輪を外す。火挾みで熾火を鋳鉄の消壺に入れる。暫くしてご存じ、猫の登場。竈の上で温もっていたが冷えが募ると火の落ちた火口に潜り込んで灰の残熱に当たり香箱をつくる。まさに「結構毛だらけ猫灰だらけ」状態。何もかも知っているのです。 かまど虫が便所コオロギとも呼ばれるのは、夜半、寝床から竈の前を通って便所に行くような家の造りだったからです。朝方便所の小窓の摺りガラスの白が光って見えます。小窓が開きにくいのを無理して引き開くと雪片がこぼれ出しました。外は一面の雪景色、足跡一つない不思議な曲線の織りなす造形。その時初めて世界が静かだったことに気付きます。微かに聞こえるか沈黙(しじま)の囁(ささや)き、sound of silence. このように季語一つで連想はカラカラと巡り出します。季語が妄想を誘引してくれます。 下駄スケート。垂(しず)り雪。笹鳴き。蛙(かわず)の目借時。釣忍ぶ。磯馴松。紅葉鮒。嫁が君etc.

thegenus
質問者

お礼

私は「松島やああ松島や松島や」の芭蕉をどこか馬鹿にしてきましたがそれは全く逆の間違いであることをご教授とご親切によって発見できました。俳句=芭蕉、以上です。 しかし、実演していただきましたように、季語からそこまで連想の連鎖をするのは今の素の私には無理です。これは歳時記など俳句に関わる事で妄想的条件反射を仕込んで行くのが俳句に精通という事でしょうか。芭蕉は歳時記を拠点に連想を鍛えたでしょうか。 回答者さんのプロフィールにある芭蕉の小学生みたいな句こそまことの俳句に思いました。 私の質問のテーマである閉鎖性とはそういう主旨です。少なくとも公式季語の記憶数が創作行為を強烈に制限していると思っています。季語を十も知らない私は。芭蕉は自分が決めていない季語の一問一答をいくつ暗記していたのでしょうか。

  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.6

#5です。 >回答者kineさんも一杯美酒を食わされたのではないでしょうか。  : ご指摘ごもっともです。確かにそのように取ると腑に落ちる面も感じます。 ただ、芭蕉のこのことが、百年の後の俳聖と神格化された時代での流布本であることから、 この間の、いやその後300年に亘っての、諸芸道の通人たちや研究学者陣の慧眼を通った上での今日ですから、私めの思い違いで笑って済せられるものなら結構なのですが…。 >引用にある「春季だから」何年という理屈は何でしょうか。干支のように年ごとに春夏秋冬があるのですか?  : この句の季語は「春=椿・梅」で、また「季重なり」でもあります。 この石川自安所縁の「杵のをれ」は京の地にあるものなので、芭蕉が季語通りの春に京都に行った年から推定しているものです。 貞享5(=元禄元)年(1688)年…4/23に入京。5/10頃出京。 元禄2年…奥の細道の旅めぐり。11月に奈良から京・大津にて越年。 元禄3年…4/6~7/23幻住庵に滞在。この間、京都・大津などに遊ぶ。冬、京都・大津で越年。 元禄4年…4/18~5/4洛北の落柿舎に滞在。48歳。 ここから、春とは言いながら、実際には4月末から5月にかけてなので三春通しての椿はまだしも、初春の梅には季違(きたが)いともいえるため、ここは異説ですが、実際に初春に上京していた42歳の次の年と見る説もあります。 貞享2年…2月、奈良に出て、京、近江、尾張、木曽、甲斐を経て4月末江戸帰庵。 >ネット検索できませんが、おそらく杵と銘打った該当の花入は薄い銅製品か陶磁器で一つとして材木を加工した品はないのではありませんか。ましてや椿や梅の槌や杵があるのでしょうか。  : このサイトの材木情報には驚嘆すべきものがあります。 「興味深い木の個性 国産樹種編」 http://www.geocities.jp/kinomemocho/tie_jushu.html 椿材は古来より木槌や農具の柄に、梅材も工具や洋傘の柄などに向いているということで、杵や槌に使われたことはあながち不思議ではありません。 また、この賛の文中には、「昔は横槌(よこづち)たり。今は花入れと呼びて、貴人頭上の具に名を改む。」ともあります。「貴人の頭上に飾られる道具として・・・。花入れが釣り花入れか掛け花入れだったのでこう言ったのだろう。」と。 http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/4128/971.html ここで、大名物である名器古銅花生は床置きであり、また陶磁器ものがあるとしても、それが釣りであれば藤蔦や竹編みに入れられたと思われますので、記載された「釣り花入れか掛け花入れだった」とすると、その扱い上で、比重や安定性からして、落下の際の安全性からしても、ここではやはり木製が本命に思われてなりません。 「町人考見録」の「石川自安」は、関ヶ原で敗れた犬山城主石川貞清の直系(惣領家)京師に立ち退き浪人した後、その膨大な資産を細川家や浅野家をはじめとする大名貸で身上を潰し飛散させた結果、京都町人の内でも銘物の道具類の多くは自安所持品であるとして、その一例の中に「杵のをれの花生」があったという記載なので、目利きが付けた銘や鑑定の由緒書きにより、「名器古銅花生」に因んだ幾つかの花生が生み出されていた可能性があります。だからこそ「杵折」といった所でその履歴次第で、あるいは砧の横槌だったこともあったでしょう。 要は、その外観の次第や曰く因縁に惑わされないで、ただ素直にありのままの椿であったその色の艶やかさを「つらつら」と思い愛(め)で、ありのままに梅だったときの香りの馨しさを「そこはか」と思い聞いていたいものだと。 >本題の季語についても宜しくお願いします。  : 「俳句の閉鎖性について。」というタイトルなので、いかにもご返事が苦しい限りで、ここでは先人の言葉のご紹介にて…。 「歳時記はバイブルであり、座右の宝典であり、必携の指針であり、必要の頭脳だといえましょう。…実作に関係ないひとでも、この書が生活のインデックスとして、時には詩文の源泉として果たしてきた役割は大きいのです。…歳時記は日本独自の書き本で、いわば、小百科事典です。」 「季語というものは、和歌における歌枕のように、生命の指標とでもいうべき威力のこもったことばとして、発句のなかの中心部、精髄部(なのだと。)」 (引用:楠本憲吉「俳句入門」文春文庫)

thegenus
質問者

補足

ご丁寧なご指導本当にありがとうございます。皆さんとのやり取りを通じて私の理解が飛躍的に進んだと思います。 俳句は人文であり、聖書やゲームと同じ人工的な文物である事を再確認しています。もちろん数理も人工物です。自然(人文)科学なのでしょう。感性の法則です。 リンクはたどり着けず必ずやの後見となりましたが私も事前に回答者kineさんと同じ事を考えていました。 これは妥当性という意味での白黒はつきやすいと思うのです。かけ花入れに材木製の実例があるか?です。竹と(藤の)籠は(分類の大別として)あります。両者を草というようですが、材木製の物はないのではありませんか。茶道具もしかと科学的に草木の分がわきまえられていると思いました。 実在例が単純に無ければ単純に事の真相は自明のものとして専門家は本件の伝説的解釈者を遊ばせているのではありませんか。 私は芭蕉直筆の話が寓話でいいと思うのですが。説明のための表現ですし、それが見事な物語であればそれが価値です。福沢諭吉が色んな有りもしない例え話を作ってその説得力を買われたように、芭蕉は有りもしない例え話で風雅の心を伝えたというのが普通であり十分ではありませんか。 即興すれば、貴方の蔵書を褒める私がそれは再生紙で大元は椿か梅の木だったと色紙に書いて、数百年後のペーパーレス時代にその心ではなくそのリサイクルを事実と受けとめるような。そこで数百年後の私みたいのが喩えじゃないですかと質問する。 「この箱のむかし椿か梅の木か」 鑑賞するには、貴方の所有の名本蔵書を詠ったという情報がどうしても必要になりませんかね。それは575の素晴らしさで鑑賞できるものかという質問なのでした。

  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.5

#4です。 >横槌だった、花入になった、おごらず、云々の随筆みたいな私がその句に付随する解説文だと思ってしまった文章は、一体何なんですか。芭蕉が書いた何という文章ですか。句の銘が杵折賛なんですか。 : まずは、「槌と詠い、杵と題していますが、当時の用語として、槌=杵でいいのでしょうか。」という点だけでも説明しておこうと考えたのですが、付けたURL写真のせいもあり、逆に一層の混乱を誘引しただけだったようでお詫びします。 やや長くなりますが、現時点で分かることだけ順を追って触れてみます。 1. 原文について 「芭蕉句選拾遺」(寛治撰、宝暦6(1756)年)など。 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1019606/98 これには、「大津に真蹟所持の人有を文意写譲りて井筒屋に伝」との付記あり。年代未詳とされる 2. 茶道具「杵のをれ」 岩波文庫版「芭蕉俳句集」の脚注では「町人考見録上所載の自安旧蔵品に「杵のをれの花生」が見える。句は京都でこれを見た折の吟か。春季であるから貞享2(1685)年、または元禄元・3・4年のいずれかであろう。」とあります。 そこでは、「石川自安」の項に「高麗筒の花生」に続いて「杵のをれ」の記載があります。 「町人考見録 元之巻」「日本経済叢書. 巻15」(53頁:37/318) http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950398/36 ここから、石川貞清ゆかりの無文の古銅花生・銘「杵のをれ」(徳川美術蔵)や、その対で使われたという浅野幸長ゆかりの「古銅杵折型花生」もあるようです。 また、長次郎茶碗でも「杵ヲレ」や「横槌」などの銘があるようです。 http://item.rakuten.co.jp/senkien/stc010-203-t-215/ 一方、芭蕉は1685から1690年頃に、京都の石川自安由来の花生け・銘「杵のをれ」についての賛を認めた。その真蹟を保持する大津の人から文意を書写したものが井筒屋に伝わってきたものの収録文であると。 ここから、芭蕉が拝見した銘「杵のをれ」は、石川貞清ゆかりの大名物に準じた、直系である石川自安由来の花生けで、しかし木製のものであったということではないでしょうか。 これについては、斯界に造詣をお持ちの識者のご教示を仰ぎます。 >和歌も簡潔だと思いますが漢詩の簡潔さとは余韻の無さですか。釈然としない俳句も勉強したのでしょうが同時に文豪らは漢詩の明け透けさに引かれたというご教示でしょうか。 : 漢文の美しさはその切り詰めた簡潔さと、それにあえて助字を交えて音調を整えるリズムの良さにあるとしていますが、漢詩においてはさらに、より厳しい押韻や平仄などの約束事において凝縮度を高めているとされますが、それはまた俳句に通じるものがあるということではないでしょうか。

thegenus
質問者

お礼

質問者を助ける誠実なご回答をいつも有り難うございます。 スポーツのルールを知るのと同じですね。ならばそう認識されるよう関係者は教えてくれるべきです。あくまでもそのスポーツのルールだと。 今回の俳句はそれ以外に広範な情報を必要とするものだったようです。俳句のシンプルさを甘く見てはいけませんね。芸事の周辺知識など知ろうとする理由もありませんでしたので今回のご教授は私にとって貴重な勉強になりました。 充実した内容をもって助けていただき、回答者様のそのご親切に重ねて感謝申し上げます。ありがとうございます。

thegenus
質問者

補足

恐縮です。混乱させたのは私の補足文の方です。数々のご教示はどれも有り難く質問者の知識を更正していただきました。一つ一つ理解の達成をご報告すると本末転倒の流れになりますので割愛し文面共々意識を第二段階の理解へと傾けた次第です。なお当方はネット環境がよくないのでリンクや検索で同じように参りません。端的には重いページや検索力は無理です。テキストや検索ワードを併記していただけると工夫のしようもあり助かります。 何から何まで教えていただきなら反対意見を言うのも成長の証であり弟子を介して知る事もあるとご勘弁ください。 回答者kineさんも一杯美酒を食わされたのではないでしょうか。 芸道になんの予備知識もない質問者ですが、杵の折れは、形態分類の俗称で、言うなれば、半杵型の花入であり、木製用具の杵や槌と無縁に思います。当方、ネット検索できませんが、おそらく杵と銘打った該当の花入は薄い銅製品か陶磁器で一つとして材木を加工した品はないのではありませんか。ましてや椿や梅の槌や杵があるのでしょうか。 つまり芭蕉の賛辞の文意の伝聞に見られる木製用具は隠語であり、加工の事実ではなく、隠語から連想した架空の加工劇に思います。伝聞ゲームにより伝説化した面もありそのまま愛されている創作の逸話。 槌=杵については、そうではないからこそ、句内の語と句の銘とのミスマッチをさせて、創作である表明をしながら、槌であり杵あり、杵型の花入が槌になるから、こそ万の品々に連想が発展するように思います。この杵型やあの槌もでは冗長なのでその時は杵の方を捨て、杵型花入を詠ってみせるという文芸。 私が言うのもですが、日本語と俳句は、連想的ですよね。凝縮については、漢文はきっと組み立て式で、和歌俳句は出来るだけ言葉数少なく、連想を広げさせ、作者の連想妄想の断片を二三、配るスタイルに思いました。 利休が言えば痘痕も笑窪的な権威同好会のフィクションを自然科学的分析から遠ざける姿勢が俳句世界の立ち振舞いを決めている面が割に強いのではありませんか。 本題の季語についても宜しくお願いします。 引用にある「春季だから」何年という理屈は何でしょうか。干支のように年ごとに春夏秋冬があるのですか? ★実は、俳句人の正体は季節マニア!?

  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.4

座右において手引きとなっている「基本季語500選」(講談社学術文庫)のあとがきで、山本健吉は「季語の集積が形作る秩序の世界をピラミッドに喩え」、「頂点に座を占めるのは、いわゆる五個の景物(花・月・雪・時鳥・紅葉)であり、それから順次に、和歌の題・連歌の季題・徘徊の季題・俳句の季語と、下向しながら拡がってゆく。」そして「近代俳句はその延長上にあって季題の数をふやし、その果ては存在する季節現象をすべてにわたって数え尽くそうとするかの…それはただの季語をむさぼっているだけのことだ。」と、むしろそのあまりの際限のない野放図ぶりに、その無趣な「むさぼり」ざまに警鐘を鳴らしています。 吉川幸次郎はその「漢文の話」(ちくま文庫)において、漢文の美しさは何よりも簡潔さにあるとして、次の例を挙げています。 「 如朝聞道、則夕雖死可矣、 ともいえるものを、  朝聞道、夕死可矣、 と煮つめたものが、  朝に道を聞けば、夕に死すとも可なり、 という訓読にも、倒影しているからである。」 このような簡潔の美を湛えた漢文を愛した、その最も高調したのは江戸期の伊藤仁斎など大家を筆頭にして、広い範囲での武士又は町人の教養であったとした上で、その「高調は、明治の漱石、鴎外、露伴、藤村、啄木に及んでおり、…」として、いますが、実は彼らはまた日本の簡潔の美たる俳句への造詣の深さでも著名な作家たちでもあります。 芭蕉の「杵折賛」については、 まず、賛(/讃)は、「漢文の文体の一つ。人の美徳や事物の美しさをほめたたえる文章。」(「国語大辞典」小学館)とあるように、拝見した茶道具に対して請われて讃えた文言なので、通常での俳句とは趣が異なっています。 その花活けは「杵のをれ」という銘を持つ大名物の逸品とされています。 http://www.tokugawa-art-museum.jp/planning/h24/08/obj05.html その形状がまるで中央を細くして持ち手にした杵が折れたかのような野趣に富んだ風情を言い表してるものとされます。 それに対し芭蕉は、何のことはない、杵の折れと目出度がるようだが、そのまま見れば要はどこの家にもある砧叩き用の持ち手の先の膨らみの横を使う横槌なのではないか。 http://museum.town.mizumaki.lg.jp/siryosyousai.html?sno=956&prv=map この、その形を以て讃えられる名宝「杵のをれ」も、どこにもありふれた砧叩きも、結局は横槌の巡り合わせ次第ではなかろうか。あえて差異を付けるとしたらそのルーツが椿だったか梅ノ木だったかといったものでしょう、と。 この杵折れ⇔砧叩き⇒横槌など如何ほどか、差異があるとしたら素材の違いだけと「俳味」を利かせて、いわば「賛を付けた」ものでしょう。

thegenus
質問者

お礼

ご教授ありがとうございます。 密度が濃いのにとても分かりやすいです。

thegenus
質問者

補足

ご教授ありがとうございます。 十分な感謝感心の言葉も見つけられずにすいません。 横槌だった、花入になった、おごらず、云々の随筆みたいな私がその句に付随する解説文だと思ってしまった文章は、一体何なんですか。芭蕉が書いた何という文章ですか。句の銘が杵折賛なんですか。 その文章自体が実は創作というどんでん返しの忍術で、それをまた解説する今回の回答者さんの解説が必要になりますよね。 その文章は文字通りではおかしいですよね。古典は正確に情報伝達する配慮はないのですよね。 ★しかも悪く言うと全く575の中だけで勝負してないじゃん? 杵のをれという風流人には有名な花生は銅製品ですから横槌がそうなるという文章は真に受けたらいけないイリュージョンですよね。創作句プラス創作文で勝負。 回答者Kineさんのプロフィールにある解説様の文は創作文であるという解説がないとまた誤解します。それを実話と読んだ当初の感動がひっくり返されました。架空の折れた杵で餅つきされたわけです。余韻というよりも摩訶不思議な575の世界を感じ始めています。 結局、四季を折り込むとはいうもののどこまでもバーチャルなのでは? 現実との接点が歳時記という本だったという真相になりませんか? 妄想を自由にすると脳がぶっとんでしまう恐ろしさがあるから。 本質的に虚実自由であるから裏返しの規制とそれを正当化し付加価値を生むための伝統意識。 だから俳句をする人は行儀よくしたら俳句の規則ための俳句になるから間違いですね。制限が破れてしまうくらい暴れないといけないんですよ、きっと。リングを設けるボクシング興業みたい。 リングから出ちゃうとプロレス興業。 しかしながら気づいたのですが自由律俳句の方の値打ちは実は虚構禁止のドキュメンタリーなのではありませんか。 和歌も簡潔だと思いますが漢詩の簡潔さとは余韻の無さですか。釈然としない俳句も勉強したのでしょうが同時に文豪らは漢詩の明け透けさに引かれたというご教示でしょうか。

回答No.3

とりあえずは、閉鎖的だから悪いとかイメージに反するから良くないとか曖昧模糊だとけしからんとか、そういう固定観念から離れてみると随分精神が安定するのではないでしょうか。あなたの言う閉鎖性とは、言語を用いてる点ですでに他言語の理解を妨げているわけですし、人間の営為である時点でミジンコ、糞虫、異星人どもと絶縁しているわけです。それが何か気に食わないというのでしょうか。それならミジンコも理解できる言語芸術を創出してみるといいと思います。何か素晴らしいものができあがるかもしれませんよ!(^_^)

thegenus
質問者

お礼

日本語は仲間内の隠語ではないし、自然的使用者である私が排他性のために差別化した言葉でもない。 同じ言語を使う同じ民族内で他方を虫にするなという質問です。虫に通じる言葉を使えじゃないです。 回答者さんは言文一致運動を否定してもっと私に理解できない言葉を使った方がいいと思うならばこの対話はあなたにとって矛盾です。 その心理なんですよ。くそむし回答者さんの内容はそんなこともありませんが、わざわざ理解できないような回答をして楽しんでいる悪質な会員回答者が結構いますよね。 本題の閉鎖性に参画している人の大半は同じ程度の動機ですね。そういうのを社会的に支援するなという観点ですから俳句界はただの閉鎖的な集団ではないのです。

回答No.2

俳句には俳句のルールがある。それを守らねば俳句ではない……という排他性は、他にも、特に「道」という語が付くものに共通しているような気がします。 茶道・華道・香道・書道 柔道・剣道 ……etc. 茶道など、作法を全く知らない人が「お茶会」に招かれたら、おたおたして何もできなくて、周囲から笑われて、それでも「ほら、茶道って素晴らしいでしょう」と言われます。 華道も、活けてある華を見て「綺麗だなあ」と思うことはあっても、どういう意味があって、どれだけ「決まり事」を守っているか……などは、素人には分かりません。 書道も、素人にはみみずがのたくったようにしか見えない作品でも、基本に則った上で「型破り」をしているために芸術性にすぐれていると評価され、何とか大臣賞を取ったりしています。 俳句も同じでしょう。 つまりはその《道》の「決まり事」をきちんと把握している人だけが堪能できるのであって、それ以外の人は仰有るように《外道扱い》です。 >季語を歳時記で指定する俳句の閉鎖性についてご教示ください。 仰有るように仲間内だけで楽しむためのもの、ようは仲間内でルールを作ってそれに基づかなければ俳句ではないと言っているに過ぎないでしょう。 それを「排他的でやめるべきだ」といってやめてしまえば、それは俳句ではなくなります。 ルールを知らない我々は、解説文を読んで「ほーそうか、それはすばらしいな」と分かったフリをするしかないのだと思います。

thegenus
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 裏を返せば茶道や花道のように俳句道にしていないところが味噌なんでしょう。 何かと人為的な障壁をこしらえてあるのを知るにつれて素人目には同類の体質に見なせるので最初から道とかなんとか公示しておいて欲しいと思った次第です。 内輪的ですよね。そういう代物である断りを国語の時間に触れてもらわないといけないと思うのです。小説は商業的な産物であるのは日常茶飯事に対して俳句はあまりにも高尚清潔に扱われ過ぎではありませんか。利権者もいるわけだからよくないと無批判の宣伝行為は思います。 名句だろうが名品だろうが無理に同調するのもよくないと思います。そういうのは国語の時間に強制されただけにして、引き続き心を売ってまで排他的な俳句界を下支えすることないですよ。社会的協賛を強いる同好会は他にありませんよね。 ★フリをする、それ日本民族の大ポイントですよ。なんなんですかね。それですよ。 しなくていいんですよ。 率直なご教示を今後とも宜しくお願いします。

回答No.1

名句と言われているものが気に入らないのも自由ですし、季語など入れなくたって構いません。日本語でなくたって、575でなくとも構いません。そしてそんなものを認めないというのも自由です。すでにあなたが考えている程度のことは、100年も前から先達は深く思索し、試行錯誤しつづけていますので要らぬ心配は無用であります。

thegenus
質問者

お礼

私が考えている程度の事とはそれこそどんなお考えですか。 そして百年前の先人はどういう結論に至ったのですか。 どれも形が見えません。 結論曖昧のまま大丈夫だですか。 一般的に認められる俳句にしたければ、自由ではないと思いますよ。自由にやるのは自由なだけで外道扱いではありませんか。外道扱いされてまで俳句という看板を共に支える間抜けな義理はないじゃないですか。 俳句の未来を悩む相談じゃないので、宜しくお願いします。

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